第10話 虚無感
人懐っこい初老の雀士がいた。名前を辰巳と言う。彼は奥さんに先立たれ、娘と二人暮ししていると言っていた。娘は地元の高校を卒業すると、大阪の大学ヘ行きたいと辰巳さんを困らせたが、娘の自由にさせ大阪ヘ行かせた。卒業間近になり就職は大阪ですると言う。こっちには盆と正月には帰ってきたがそれも2年間ほど。もう3年くらい帰ってこないと思ったら彼氏が出来、結婚してこっちで暮らすと娘は相談を、いやもう報告だった。こればっかりはどうしようもない事で、辰巳さんとしては受け入れざるを得なかった。辰巳さんの一人暮らしは相当の年月が経過し、雀荘にいる時間も増えていった。ユウキもたまに行く雀荘だが、行けばいつも打っていた。同じ卓になると彼の愚痴はいつも一緒だった。
「娘を遠くの大学になんてやるもんじゃないね」 と呟き哀しい顔を見せる。大手の建設会社の部長を定年退職し、悠々自適の筈だったが、心にはポッカリ穴が空いていた。麻雀は単に暇つぶし程度、ユウキを見つけるとサウナで将棋をしようと誘ってくる。ユウキは将棋にも自信があったが、彼はプロ級の腕前で、10回に1回くらいしか勝てなかった。いつもご飯を奢ってくれ、心の充実感を探しているようだった。そんな事が2年も続いたが、ある日から急に姿が見えなくなった。規模の小さい店で常連さんが来なくなると、皆が不思議がるのだが消息はつかめない。連絡先も何も知らないから。
それから暫らくして、風の噂で辰巳さんが亡くなった事を知るのは、その年の暮れだった。彼は楽しい人生を送れたのだろうか?
子供を世に送り出せたことを誇りに思っていたんだろうか、最後は孤独死の様だったと常連の中でも少し親しい人が言っていた。
ユウキは自分の事の様に彼の人生と照らし合わせていた。今例えばあのプレハブで死ねば、見つけてもらうのは白骨化してからかな〜なんて憂鬱になるのだった。
少し前にもう日も沈みかけた頃に出勤しようと、向かいのビルのエレベーターのボタンを押して待っていると、降りてきたエレベーターの中からナナさんが出てきた。3ヶ月ぶりだろうか、久し振りに見たナナさんは結構痩せてスリムになっていた。以前彼女が、
「たまにはご飯でも行くあるか!」 と変な日本語で言ってくるもんだから
「もう少し痩せたらな」 と言っていたことを思い出していた。彼女は中国からの留学生で今、大学院生だと言う。なぜ大学院まで行っているのかと聞いたら、4回生の時に就職出来なかったからと言った。今は飲み屋でバイトしているが、大学には殆ど行ってないと言った。ナナと言う名前も本名じゃないと思うが、その飲み屋では”めぐみ”と言う源氏名で働いていた。3ヶ月で10kg程痩せたんだろか、顎の肉は取れ、目が少し大きくなって、お腹も減っ込んでちょピリ美人になっていた。
「私、痩せたか、ビジンに、な.た.か。ご飯でもつれていくあるか」 と変なイントネーションで言うもんだから笑ってしまい 「一度だけだぞ」と回転寿司に連れて行った。その回転寿司は、名ばかりで寿司は少ししか回っておらず、生け簀があって魚が泳いでおり、値段も回転寿司のものではなかった。鯵を注文すると生け簀に網を入れ捌いてくれ、美味しかった。一通り食べ終わると今から店に出勤だと言う。今月成績が悪いので同伴出勤して欲しいと言ってきやがった。
“この野郎調子に乗りやがって” と思ったが
いつも麻雀で巻き上げてるし、1回くらいはいいかと店に行く事にした。同伴の時は出勤を遅らせてもいいと言うもんだから、喫茶店で時間を潰し店に入った。そこは高級とは言い難い場末のスナックで、料金が安いのか、お客さんで一杯だった。同伴しているからユウキが店を出るまで彼女は隣に座っている。ナナさんは以前からユウキに気があって、ユウキの事を色々聞いてくる。今住んでいる所とか、麻雀を生業としている事なんかを根掘り葉掘り、その都度酒を注いで来るもんだから酔ってしまい、
「今日は麻雀はやめようかな」 とユウキが言うとナナが、
「私のとこ、来るアルカ」とまた変な日本語で言ってきた。プレハブで寝るよりましかと思ったユウキは、
「おう、行こう行こう」 と酔った勢いで彼女に返した。閉店まで店におり一緒に店を出た。10分程歩いた所に彼女のマンションはあった。ワンルームではあったが、綺麗にしてあり、ベッドとコタツと学生らしく勉強机が置いてあった。ユウキが先にシャワーを浴びて出ると、彼女が続けて入った。シャワーを浴びて出てきた彼女はバスタオル1枚だった。着替えもせず、ずっとそんな格好をしてユウキを誘っているようだった。
“面倒くさいな” と思ったユウキはコタツの中に潜り込んで寝たふりをした。どうやら彼女も諦めたらしく、パジャマを着てベッドに入った。次の日、まだ彼女が寝ているにも拘わらず部屋を出た。それから麻雀をして彼女と同じくらいに雀荘を出ると、よくご飯を食べに行った。ある日食事の後に散歩して、少し暗い木陰に入った時、彼女がキスを迫ってきた。少し酔ったせいもあったのか、彼女が可愛く見えて唇を併せた。彼女はユウキの背中に手を回し、強く抱きしめてきた。いい香りがした。ユウキは少しムラっとして彼女の胸を揉んだ。その胸は男がボディビルをやっているお尻の様に硬かった。それはユウキが今迄経験したことの無い女性のもので、全く色気が無かった。ユウキはハッと我に返り彼女を見つめた。
「私小さい頃からずっと空手をやっていたの」と虚ろな目で微笑んでいる。
「へ〜カッコいいね」 とユウキは言ったが酔はとっくに冷め、体の火照りも引いて行った。彼女はホテルに行こうと誘って来たが、これから人に会う約束があると嘘を言った。喫茶店に入り、彼女の体の火照りを冷ましてから別れた。それから雀荘で会っても軽い会話をするだけで、食事をする事も無くなっていった。きっと彼女はあの時の嘘を見抜いてたんだろう。2月が中国の正月だと言って向こうへ帰ったきり、姿が見えなくなった。いい人でも見つけて結婚でもしたんだろうな~とユウキはプレハブの中で横になり、寝る前に思い出す事が暫らく続いたのだった。
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