主人はあばたづらである。いつしんまえもだいぶはやったものだそうだが日英同盟の今日からみると、こんな顔はいささか時候おくれの感がある。の衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその跡を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、わがはいのごとき猫といえどもごうも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっつらを有して生息している人間は何人ぐらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。

 吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあなんのいんでこんな妙な顔をしておくめんなく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅もきいたか知らんが、あらゆるが二の腕へ立ちのきを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭やほおの上へ陣取ってがんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえっての体面に関するわけだ。できることなら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天にばんかいせずんばやまずという意気込みで、あんなにおうふうに顔一面を占領しているのかしらん。そうするとこのはけっしてけいべつの意をもって見るべきものでない。とうとうたる流俗に抗するばんの穴の集合体であって、大いにじんの尊敬に値するでこぼこといってもよろしい。ただきたならしいのが欠点である。

 主人の子供の時にうしごめやまぶしちようあさそうはくという漢方の名医があったが、この老人がびようを見舞う時には必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老がなくなられてその養子の代になったら、かごがたちまちじんりきしやに変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をついだらかつこんとうがアンチピリンに化けるかもしれない。かごに乗って東京市中を練り歩くのは宗伯老の当時ですらあまりみっともいいものではなかった。こんなまねをしてすましていたものは旧弊なもうじやと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。

 主人のもそのふるわざることにおいては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢方医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のを天下にばくしつつ毎日登校リードルを教えている。

 かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒をたれつつあるに相違ない。彼は「さるが手を持つ」を反覆するよりも「の顔面に及ぼす影響」という大問題を造作もなく解釈して、げんかんにその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には彼ら生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ駆けつけて、吾人がミイラによってエジプト人をほうふつすると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点からみると主人のめいめいのうちに妙などくを施している。

 もっとも主人はこの功徳を施すために顔一面にほうそうえつけたのではない。これでも実はぼうそうをしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのまにか顔へ伝染していたのである。そのころは子供のことで今のように色けも何もなかったものだから、かゆいかゆいと言いながらむやみに顔じゅう引っかいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人はおりおり細君に向かって疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと言っている。あさくさの観音様で西洋人が振り返って見たくらいきれいだったなどと自慢することさえある。なるほどそうかもしれない。ただだれも保証人のいないのが残念である。

 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたないものはやっぱりきたないものだから、ものごころがついて以来というもの主人は大いにについて心配しだして、あらゆる手段を尽くしてこの醜態をもみつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからというてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかるとみえて、主人は往来を歩くたびごとにづらを勘定して歩くそうだ。きょうは何人に出会って、その主は男か女か、その場所はがわまちの勧工場であるか、うえの公園であるか、ことごとく彼の日記につけこんである。彼はに関する知識においてはけっしてだれにも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来たおりなぞは「君西洋人にはがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあめったにないね」と言ったら、主人は「めったになくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返した。友人は気のない顔で「あってもじきか立ちん坊だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と言った。

 哲学者の意見によって落雲館とのけんかを思い留まった主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告をれて静座のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかもしれないが、元来が気の小さな人間のくせに、ああ陰気なふところ手ばかりしていてはろくな結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者かららっぱ節でも習ったほうがはるかにましだとまでは気がついたが、あんなへんくつな男はとうてい猫の忠告などをきく気づかいはないから、まあかってにさせたらよかろうと五、六日は近寄りもせずにくらした。

 きょうはあれからちょうどなぬである。ぜんなどでは一七日を限ってだいしてみせるなどとすさまじい勢いでけつするれんじゆうもあることだから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるかなんとか片づいたろうと、のそのそ縁側から書斎の入り口まで来て室内の動静をていさつに及んだ。

 書斎は南向きの六畳で、日当たりのいい所に大きな机がすえてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうという大きな机である。むろんできあいのものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたるたいの品物である。なんのゆえにこんな大きな机を新調して、またなんのゆえにその上に寝てみようなどという了見を起こしたものか、本人に聞いてみないことだからとんとわからない。ほんの一のでき心で、かかる難物をかつぎ込んだのかもしれず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見いだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台をかってに結びつけたものかもしれない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に縁側へころげ落ちたのを見たことがある。それ以来この机はけっして寝台に転用されないようである。

 机の前には薄っぺらなメリンスのとんがあって、煙草タバコの火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。ねずみいろによごれたおびをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へたれかかっている。この帯へじゃれついて、いきなり頭を張られたのはこないだのことである。めったに寄りつくべき帯ではない。

 まだ考えているのかの考えというたとえもあるのにと後ろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続けざまに二、三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光は机の上で動いている鏡から出るものだということがわかった。しかし主人はなんのために書斎で鏡などを振り回しているのだらう。鏡といえばにあるにきまっている。現に吾輩はけさ風呂場でこの鏡を見たのだ。ととくに言うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分ける時にもこの鏡を用いる。──主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかもしれぬが、じっさい彼はほかのことにしようなるだけそれだけ頭を丁寧にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈りに刈り込んだことはない。必ず二寸ぐらいの長さにして、それをごたいそうに左の方で分けるのみか、右のはじをちょっとはね返してすましている。これも精神病の徴候かもしれない。こんな気取った分け方はこの机といっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどのことでないから、だれもなんとも言わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったらじつはこういうわけである。彼のはたんに彼の顔をしんしよくせるのみならず、とくの昔に脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈りや三分刈りにすると、短い毛の根もとから何十となくがあらわれてくる。いくらなでても、さすってもぽつぽつがとれない。枯れ野にほたるを放ったようなもので風流かもしれないが、細君のぎよに入らんのはもちろんのことである。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非をあばくにもあたらぬわけだ。なろうことなら顔まで毛をはやして、こっちのも内済にしたいくらいなところだから、ただではえる毛をぜにを出して刈り込ませて、私はがいこつの上までてんねんとうにやられましたよとふいちようする必要はあるまい。──これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見るわけで、その鏡が風呂場にあるゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないという事実である。

 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡がこんびようにかかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすればなんのために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かもしれない。昔ある学者がなんとかいう知識をうたら、しようりようはだをぬいでかわらしておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚いて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とすることはできまいと言うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろとののしったというから、主人もそんなことを聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り回しているのかもしれない。だいぶぶつそうになってきたなと、そっとうかがっている。

 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる様子をもっていつちようらいの鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜ろうそくを立てて、広いの中でひとり鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などははじめて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押しつけられた時に、はっとぎようてんして屋敷のまわりを三度駆け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔がこわくなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」とひとり言を言った。自己のしゆうを自白するのはなかなか見上げたものだ。様子からいうとたしかに気違いのしよだが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、おのれの醜悪なことがこわくなる。人間はわが身が恐ろしい悪党であるという事実をてつこつてつずいに感じた者でないと苦労人とはいえない。苦労人でないととうていだつはできない。主人もここまで来たらついでに「おおこわい」とでも言いそうなものであるがなかなか言わない。「なるほどきたない顔だ」と言ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとほっぺたをふくらました。そうしてふくれたほっぺたをひらで二、三度たたいてみる。なんのまじないだかわからない。この時吾輩はなんだかこの顔に似たものがあるらしいという感じがした。よくよく考えてみるとそれはおさんの顔である。ついでだからおさんの顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。このあいださる人があなもりいなからのちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚ぢょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので目は両方とも紛失している。もっとも河豚のふくれるのはまんべんなくまん丸にふくれるのだが、おさんとくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格どおりにふくれあがるのだから、まるですいになやんでいる六角時計のようなものだ。おさんが聞いたらさぞおこるだろうから、おさんはこのくらいにしてまた主人のほうに帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってほっぺたをふくらませたる彼はぜん申すとおり手のひらでほっぺたをたたきながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも目につかん」とまたひとり言を言った。

 今度は顔を横に向けて半面に光線を受けたところを鏡にうつしてみる。「こうして見るとたいへん目立つ。やっぱりまともに日の向いてるほうが平らに見える。きたないものだなあ」とだいぶ感心した様子であった。それから右の手をうんと伸ばして、できるだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近すぎるといかん。──顔ばかりじゃないなんでもそんなものだ」と悟ったようなことを言う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして目やひたいまゆを一度にこの中心に向かってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快なようぼうができあがったと思ったら「いやこれはだめだ」と当人も気がついたとみえて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審のていで鏡を目を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人さしゆびで小鼻をなでて、なでた指の頭を机の上にあった吸い取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻のあぶらが丸く紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻のあぶらをまつしたとうを転じてぐいとがんの下まぶたを返して、俗にいうをみごとやってのけた。を研究しているのか、鏡とにらめくらをしているのかそのへんは少々不明である。気の多い主人のことだから見ているうちにいろいろになるとみえる。それどころではない。もし善意をもってこんにゃく問答的に解釈してやれば主人はけんしようかくの方便としてかように鏡を相手にいろいろなしぐさを演じているのかもしれない。すべて人間の研究というものは自己を研究するのである。大地といいさんせんといいじつげつといいせいしんというも皆自己のみようにすぎぬ。自己をおいて他に研究すべき事項はたれびとにも見いだしえぬわけだ。もし人間が自己以外に飛び出すことができたら、飛び出すとたんに自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外にだれもしてくれる者はない。いくらしてやりたくても、もらいたくても、できない相談である。それだから古来の豪傑はみんなりきで豪傑になった。人のおかげで自己がわかるくらいなら、自分の代理に牛肉を食わして、堅いか柔らかいか判断のできるわけだ。あしたに法を聞き、夕べに道を聞き、ぜんとうしよかんを手にするのは皆この自証をちようはつするの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、ないしはしやにあまるたいに自己が存在するゆえんがない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊はれいよりまさるかもしれない。影を追えば本体にほうちやくする時がないとも限らぬ。多くの影はたいてい本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているならだいぶ話せる男だ。エピクテタスなどをのみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思う。

 鏡はうぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物をせんどうする道具はない。昔からぞうじようまんをもっておのれを害し他をそこのうた事蹟の三分の二はたしかに鏡の所作である。ふつこく革命の当時物好きなお医者さんが改良首きり器械を発明してとんだ罪をつくったように、はじめて鏡をこしらえた人もさだめし寝ざめのわるいことだろう。しかし自分にあいの尽きかけた時、自我のしゆくしたおりは鏡を見るほど薬になることはない。けんしゆうりようぜんだ。こんな顔でよくまあ人でそうろうとそりかえって今日まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間のしようがい中最もありがたい期節である。自分で自分のばかを承知しているほど尊く見えることはない。この自覚性ばかの前にはあらゆる屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人はこうぜんとして我をけいちようしようしているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げていることになる。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかしわが顔に印せられるとうこんの銘ぐらいは公平に読みうる男である。顔の醜いのを自認するのは心のいやしきをとくするかいていもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かもしれぬ。

 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分をしたあとで「だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血したまぶたをこすり始めた。おおかたかゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こうこすってはたまるまい。遠からぬうちにしおだいの目玉のごとくらんするにきまってる。やがて目を開いて鏡に向かったところを見ると、はたせるかなどんよりとしてほつこくの冬空のように曇っていた。もっともふだんからあまり晴れ晴れしい目ではない。誇大な形容詞を用いるとこんとんとして黒目と白目がぼうはんしないくらいばくぜんとしている。彼の精神がもうろうとして不得要領底に一貫しているごとく、彼の目もあいあいぜんまいまいぜんとしてとこしえにがんの奥にただようている。これは胎毒のためだともいうし、あるいはほうそうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤がえるのやつかいになったこともあるそうだが、せっかく母親のたんせいも、あるにそのかいあらばこそ、今日まで生まれた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態はけっして胎毒や疱瘡のためではない。彼の目玉がかようにかいじゆうこんだくの悲境にほうこうしているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用があんたんめいもうの極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配をかけたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚なるを証す。してみると彼の目は彼の心の象徴で、彼の心はてんぽうせんのごとく穴があいているから、彼の目もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違いない。

 今度はひげをねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってはえている。いくら個人主義がはやる世の中だって、こうまちまちにわがままを尽くされては持ち主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるところあって近ごろは大いに訓練を与えて、できうる限り系統的にあんばいするように尽力している。その熱心の効果はむなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになってきた。今までは髯がはえておったのであるが、このごろは髯をはやしているのだと自慢するぐらいになった。熱心は成功の度に応じてせられるものであるから、わが髯の前途有望なりと見てとった主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向かってべんたつを加える。彼のアンビションはドイツ皇帝陛下のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにある。それだから毛あなが横向きであろうとも、下向きであろうともいささかとんじやくなく十ぱひとからげに握っては、上の方へ引っぱり上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛いこともある。がそこが訓練である。いやでも応でもさかにこき上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当のことと心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性をためて、ぼくの手がらを見たまえと誇るようなものでごうも非難すべき理由はない。

 主人がまんこうの熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性のおさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎のうちへ出した。に髯をつかみ、左手ひだりに鏡を持った主人は、そのまま入り口の方を振りかえる。八の字の尾にさか立ちを命じたような髯を見るやいなやおかくはいきなり台所へ引きもどして、ハハハハとおかまのふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである。ゆうゆうと鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりでなんだかいかめしい文字が並べてある。読んでみると


  拝啓いよいよしよう賀し奉りそろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢いに乗じて平和克復を告げわが忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声裏にがいを奏し国民の歓喜何ものかこれにしかんさきに宣戦の大詔かんぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しくばんの異境にりてよく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事しめいを国家に捧げたるの至誠はながく銘して忘るべからざるところなりしこうして軍隊の凱旋は本月をもってほとんど終了を告げんとすよって本会は来たる二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表しもって一大凱旋祝賀会を開催し兼ねて軍人遺族をしやせんがため熱誠これを迎えいささか感謝のちゆうを表したくついては各位の御協賛を仰ぎこの盛典を挙行するの幸いをえば本会の面目これに過ぎずと存じそろあいだなにとぞ御賛成奮ってえんあらんことをひたすら希望の至りにえずそろ敬具


 とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののちただちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などはおそらくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、会う人ごとに義捐をとられた、とられたとふいちようしているくらいである。義捐とある以上はさし出すもので、とられるものでないにはきまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だといって、いかに華族様の勧誘だといって、ごうだんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙ぐらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人からいえば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎したあとならたいていのものは歓迎しそうであるが、自分がちようせきにさしつかえるあいだは、歓迎は華族様に任せておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と言った。


  時下秋冷のこうそろところ貴家ますます御隆盛の段賀し上げ奉りそろのぶれば本校儀も御承知のとおり一昨々年以来二、三野心家のために妨げられ一時その極に達しそうらえどもこれ皆不肖しんさくが足らざるところに起因すと存じ深く自らいましむるところありしんしようたんその苦辛の結果ようやくここに独力もってわが理想に適するだけの校舎新築費をるのみちを講じそろそは別儀にもござなく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の儀にそろ本書は不肖針作が多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思いをなして著述せるものにそろよって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費にしようの利潤をして御購求を願い一面どう発達の一助となすと同時にまた一面にはきんしようの利潤を蓄積して校舎建築費に当つるしんさんそろよっては近ごろなんとも恐縮の至りに存じそうらえども本校建築費中へ御寄付なしくださるとぼししここにていきよう つかまつそろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女のかたへなりとも御分与なしくだされそろて御賛同の意を御表章なしくだされたく伏して懇願仕りそろそうそう敬具

大日本女子裁縫最高等大学院      

校長  ぬい  しん さく九拝 


 とある。主人はこのていちようなる書面を、冷淡に丸めてぽんとくずかごの中へほうり込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆もなんの役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変わりの光彩を放っている。じようぶくろが紅白のだんだらで、あめん棒の看板のごとくはなやかなるまん中にちんしや先生はつぷんたいにくぶとにしたためてある。中からおさんが出るかどうだか受け合わないが表だけはすこぶるりつなものだ。


  もし我をもって天地を律すればひとくちにして西せいこうの水を吸いつくすべく、もし天地をもって我を律すれば我はすなわちはくじようちりのみ。すべからくえ、天地と我といんの交渉かある。……はじめて海鼠なまこを食いいだせる人はその胆力において敬すべく、はじめてを喫せるおとこはその勇気において重んずべし。海鼠なまこを食らえる者はしんらんの再来にして、河豚を喫せるものはにちれんの分身なり。苦沙弥先生のごときに至ってはただかんぴようを知るのみ。干瓢の酢味噌を食らって天下の士たるものは、我いまだこれを見ず。……

 親友もなんじを売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。ふつはもとより頼みがたかるべし。しやくろくは一朝にして失うべし。汝のとうちゆうに秘蔵する学問にはかびがはえるべし。汝何をたのまんとするか。天地のうちに何をたのまんとするか。神?

 神は人間の苦しまぎれにでつぞうせるぐうのみ。人間のせつなぐそぎようけつせるしゆうがいのみ。たのむまじきをたのんで安しと言う。とつとつ、酔漢みだりにろんの言辞をろうして、まんさんとして墓に向かう。油尽きてとうおのずから滅す。ごう尽きて何物をかのこす。苦沙弥先生よろしくお茶でもあがれ。……

 人を人と思わざればおそるるところなし。人を人と思わざる者が、我を我と思わざる世を憤るはいかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるにおいて得たるがごとし。ただひとの我を我と思わぬ時においてふつぜんとして色をす。任意に色をしきたれ。鹿ろう。……

 我の人を人と思うとき、ひとの我を我と思わぬ時、不平家は発作的にあまくだる。この発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産するところなり。朝鮮ににんじん多し先生何がゆえに服せざる。

ざいがも  てん どう こう へい  再拝 


 針作君は九拝であったが、この男はたんに再拝だけである。寄付金の依頼でないだけに七拝ほどおうふうに構えている。寄付金の依頼ではないがそのかわりすこぶるわかりにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は十分あるのだから、頭脳の不透明をもってなる主人は必ずずたずたに引き裂いてしまうだろうと思いのほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようという決心かもしれない。およそ天地のかんにわからんものはたくさんあるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈のできるものだ。人間はばかであると言おうが、人間は利口であると言おうが手もなくわかることだ。それどころではない。人間は犬であると言っても豚であると言ってもべつに苦しむほどの命題ではない。山は低いと言ってもかまわん、宇宙は狭いと言ってもさしつかえはない。からすが白くてまちが醜婦で苫沙弥先生が君子でも通らんことはない。だからこんな無意味な手紙でもなんとかかとかくつさえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語をむりやりにこじつけて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪いのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われてなぬかん考えたり、コロンバスという名は日本語でなんと言いますかと聞かれて三日三晩かかって答えをくふうするくらいな男には、かんぴようが天下の士であろうと、朝鮮の人参を食って革命を起こそうと随意な意味は随所にわき出るわけである。主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解のごんをのみこんだと見えて「なかなか意味深長だ。なんでもよほど哲理を研究した人に違いない。あっぱれな見識だ」とたいへん賞賛した。この一言でも主人の愚なところはよくわかるが、翻って考えてみるといささかもっともな点もある。主人は何によらずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限ったことでもなかろう。わからぬ所にはばかにできないものが潜伏して、測るべからざるへんにはなんだかだかい心持ちが起こるものだ。それだから俗人はわからぬことをわかったようにふいちようするにもかかわらず、学者はわかったことをわからぬように講釈する。大学の講義でもわからんことをしゃべる人は評判がよくってわかることを説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義がめいりようであるからではない。その主旨がへんに存するかほとんど捕えがたいからである。急に海鼠なまこが出て来たり、せつなぐそが出てくるからである。だから主人がこの文章を敬服する唯一の理由は、どうどうとくきようを尊敬し、じゆえききようを尊敬し、ぜんりんざいろくを尊敬すると一般で全くわからんからである。ただし全然わからんでは気がすまんからかってな注釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。──主人はうやうやしくはつぷんたいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたままふところ手をしてめいそうに沈んでいる。

 ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内をこう者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだがふところ手のままごうも動こうとしない。取り次ぎに出るのは主人の役目でないという主義か、この主人はけっして書斎からあいさつをしたことがない。下女はさっきせんたくシャボンを買いに出た。細君ははばかりである。すると取り次ぎに出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人はくつぬぎからしきだいへ飛び上がって障子をあけ放ってつかつか上がり込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うとふすまを二、三度あけたりたてたりして、今度は書斎の方へやって来る。

 「おい冗談じゃない。何をしているんだ、お客さんだよ」

 「おや君か」

 「おや君かもないもんだ。そこにいるならなんとか言えばいいのに、まるであき家のようじゃないか」

 「うん、ちと考えごとがあるもんだから」

 「考えていたってぐらいは言えるだろう」

 「言えんこともないさ」

 「相変わらず度胸がいいね」

 「せんだってから精神の修養を努めているんだもの」

 「物好きだな。精神を修養して返事ができなくなったひには来客は御難だね。そんなに落ち付かれちゃ困るんだぜ。じつはぼく一人来たんじゃないよ。たいへんなお客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て会ってくれたまえ」

 「だれを連れて来たんだい」

 「だれでもいいからちょっと出て会ってくれたまえ。ぜひ君に会いたいと言うんだから」

 「だれだい」

 「だれでもいいから立ちたまえ」

 主人はふところ手のままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と縁側へ出てなんの気もつかずに客間へはいり込んだ。すると六尺のとこを正面に一個の老人が粛然と端座して控えている。主人は思わずふところから両手を出してぺたりとからかみのそばへしりを片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方ともあいさつのしようがない。昔かたぎの人は礼儀はやかましいものだ。

 「さあどうぞあれへ」と床のの方をさして主人を促す。主人は両三年まえまでは座敷はどこへすわってもかまわんものと心得ていたのだが、そのある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段のの変化したもので、じよう使がすわる所だと悟って以来けっして床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者ががんと構えているのだから上座どころではない。挨拶さえろくにはできない。一応頭をさげて

 「さあどうぞあれへ」と向こうの言うとおりを繰り返した。

 「いやそれでは御挨拶ができかねますから、どうぞあれへ」

 「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいいかげんに先方の口上をまねている。

 「どうもそう、けんそんでは恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」

 「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人はまっかになって口をもごもご言わせている。

 精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君はふすまの影から笑いながら立ち見をしていたが、もういい時分だと思って、後ろから主人の尻を押しやりながら

 「まあ出たまえ。そう唐紙へくっついてはぼくがすわる所がない。遠慮せずに前へでたまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむをえず前の方へすり出る。

 「苦沙弥君これが毎々君にうわさをする静岡のだよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」

 「いやはじめてお目にかかります。毎度迷亭が出てお邪魔をいたすそうで、いつか参上の上御高話を拝聴いたそうと存じておりましたところ、幸い今日は御近所を通行いたしたもので、お礼かたがた伺ったわけで、どうぞお見知りおかれまして今後ともよろしく」と昔ふうな口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会ったことがないのだから、最初から多少場うての気味でへきえきしていたところへ、とうとうと浴びせかけられたのだから、朝鮮人参もあめん棒のじようぶくろもすっかり忘れてしまってただ苦し紛れに妙な返事をする。

 「私も……私も……ちょっと伺うはずでありましたところ……なにぶんよろしく」と言い終わって頭を少々畳から上げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。

 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もあって、ながらくおひざもとでくらしたものでがすが、かいのおりにあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来てみるとまるで方角もわからんくらいで、──迷亭にでも連れて歩いてもらわんと、とても用たしもできません。そうそうの変とは申しながら、にゆうこく以来三百年も、あのとおり将軍家の……」と言いかけると迷亭先生めんどうだと心得て

 「伯父さん将軍家もありがたいかもしれませんが、明治のも結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」

 「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様のお顔を拝むなどということは明治のでなくてはできぬことだ。わしも長生きをしたおかげでこのとおり今日の総会にも出席するし、宮殿下のお声も聞くし、もうこれで死んでもいい」

 「まあ久しぶりで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、きょういっしょに上野へ出かけたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこのとおり先日ぼくが白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。そでが長すぎて、えりがおっぴらいて、背中へ池ができて、わきの下がつるし上がっている。いくらかつこうに作ろうといったって、こうまで念を入れて形をくずすわけにはゆかないだろう。その上白シャツと白襟が離れ離れになって、仰むくとあいだからのど仏が見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然しない。フロックはまだ我慢ができるが白髪しらがのチョンまげははなはだ奇観である。評判のてつせんはどうかと目をつけるとひざの横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、会ってみると話以上である。もし自分のが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いてみたいと思ったが、まさか、打ちつけに質問するわけにはゆかず、といって話をとぎらすのも礼に欠けると思って

 「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問いをかけた。

 「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので──どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔はあんなではなかったが」

 「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしいことを言う。これはあながち主人が知ったかぶりをしたわけではない。ただもうろうたる頭脳からいいかげんに流れ出す言語とみればさしつかえない。

 「それにな。皆このかぶとりへ目をつけるので」

 「その鉄扇はだいぶ重いものでございましょう」

 「苦沙弥君、ちょっと持ってみたまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たしてごらんなさい」

 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都のくろだにで参詣人がれんしようぼうをいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と言ったまま老人に返却した。

 「みんながこれを鉄扇鉄扇と言うが、これはかぶとりととなえて鉄扇とはまるで別物で……」

 「へえ、なんにしたものでございましょう」

 「かぶとを割るので、──敵の目がくらむところをちとったものでがす。くすのきまさしげ時代から用いたようで……」

 「伯父さん、そりゃ正成の甲割りですかね」

 「いえ、これはだれのかわからん。しかし時代は古い。けん時代の作かもしれない」

 「建武時代かもしれないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、きょう帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せてもらったところがね。この甲割りが鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」

 「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、しようのいい鉄だからけっしてそんなおそれはない」

 「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう言ったからしかたがないです」

 「寒月というのは、あのガラスだまっている男かい。今の若さに気の毒なことだ。もう少し何かやることがありそうなものだ」

 「かあいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨りあげると立派な学者になれるんですからね」

 「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、だれにでもできる。わしにでもできる。ビードロやの主人にでもできる。ああいうことをする者を漢土ではぎよくじんと称したもので至って身分の軽い者だ」と言いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。

 「なるほど」と主人はかしこまっている。

 「すべて今の世の学問は皆けいの学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違ってさむらいは皆命がけの商売だから、いざという時にろうばいせぬように心の修業をいたしたもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金をったりするようなたやすいものではなかったでがすよ」

 「なるほど」とやはりかしこまっている。

 「伯父さん心の修業というものは玉を磨る代わりにふところ手をしてすわり込んでるんでしょう」

 「それだから困る。けっしてそんな造作のないものではない。もうきゆうほうしんと言われたくらいだ。しようこうせつしんようほうと説いたこともある。またぶつではちゆうほうしようというのが退たいてんということを教えている。なかなか容易にはわからん」

 「とうていわかりっこありませんね。ぜんたいどうすればいいんです」

 「お前はたくあんぜんどうしんみようろくというものを読んだことがあるかい」

 「いいえ、聞いたこともありません」

 「心をどこに置こうぞ。敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。敵のに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思う所に心を置けば、敵を切らんと思う所に心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、わが太刀に心を取らるるなり。我切られじと思う所に心を置けば、切られじと思う所に心を取らるるなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。とかく心の置き所はないとある」

 「よく忘れずにあんしようしたものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君わかったかい」

 「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。

 「なあ、あなた、そうでござりましょう。心はどこに置こうぞ、敵の身の働きに心を置けば、敵の働きに心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」

 「伯父さん苦沙弥君はそんなことは、よく心得ているんですよ。近ごろは毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取り次ぎに出ないくらい心を置きざりにしているんだから大丈夫ですよ」

 「や、それはとくなことで──お前などもちとごいっしょにやったらよかろろ」

 「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」

 「じっさい遊んでるじゃないかの」

 「ところがかんちゆうおのずからぼうありでね」

 「そう、こつだから修業をせんといかないと言うのよ、ぼうちゆうおのずからかんありという成句はあるが、閑中おのずから忙ありというのは聞いたことがない。なあ苦沙弥さん」

 「ええ、どうも聞きませんようで」

 「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです。久しぶりで東京のうなぎでも食っちゃあ。ちくようでもおごりましょう。これから電車で行くとすぐです」

 「うなぎも結構だが、きょうはこれからはらへ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろう」

 「ああすぎはらですか、あのじいさんも達者ですね」

 「杉原ではない、はらさ。お前はよく間違いばかり言って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」

 「だって杉原と書いてあるじゃありませんか」

 「杉原と書いてはらと読むのさ」

 「妙ですね」

 「なに妙なことがあるものか。みようもくみといって昔からあることさ。きゆういんみようと言う。あれはの名目読みで。のことをと言うのと同じことさ」

 「へえ、驚いたな」

 「を打ち殺すと仰向きに。それを名目読みにと言う。すきがきがきくきたてたて、皆同じことだ。すいはらをすぎはらなどと言うのは田舎いなかものの言葉さ。少し気をつけないと人に笑われる」

 「じゃ、その、原へこれから行くんですか。困ったな」

 「なにいやならお前は行かんでもいい。わし一人で行くから」

 「一人で行けますかい」

 「歩いてはむずかしい。車を雇っていただいて、ここから乗って行こう」

 主人はかしこまってただちにおさんを車屋へ走らせる。老人は長々とあいさつをしてチョンまげ頭へ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。

 「あれが君の伯父さんか」

 「あれがぼくの伯父さんさ」

 「なるほど」と再びとんの上にすわったなりふところ手をして考え込んでいる。

 「ハハハ豪傑だろう。ぼくもああいう伯父さんを持ってしあわせなものさ。どこへ連れて行ってもあのとおりなんだぜ。君驚いたろう」と迷亭君は主人を驚かしたつもりで大いに喜んでいる。

 「なにそんなに驚きゃしない」

 「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」

 「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大いに敬服していい」

 「敬服していいかね。君も今に六十ぐらいになるとやっぱりあの伯父みたように、時候おくれになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの回り持ちなんか気がきかないよ」

 「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれのほうがんだぜ。第一今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへゆくと東洋流の学問は消極的で大いに味わいがある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承ったとおりを自説のように述べ立てる。

 「えらいことになってきたぜ。なんだかどくせん君のようなことを言ってるね」

 八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。じつはせんだってりようくつを訪問して主人を説服に及んでゆうぜんと立ち去った哲学者というのが取りも直さずこの八木独仙君であって、今主人がしかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受け売りなのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名をかんようはつの際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りのかりばなをくじいたわけになる。

 「君独仙の説を聞いたことがあるのかい」と主人はけんのんだから念をしてみる。

 「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年ぜん学校にいた時分と今日と少しも変わりゃしない」

 「真理はそう変わるものじゃないから、変わらないところがたのもしいかもしれない」

 「まあそんなひいきがあるから独仙もあれで立ちゆくんだね。第一八木という名からして、よくできてるよ。あのひげが君全くだからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあのとおりの恰好ではえていたんだ。名前の独仙などもふるったものさ。昔ぼくの所へ泊まりがけに来て例のとおり消極的の修養という議論をしてね。いつまでたっても同じことを繰り返してやめないから、ぼくが君もう寝ようじゃないかと言うと、先生気楽なものさ、いやぼくは眠くないとすましきって、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。しかたがないから君は眠くなかろうけれども、ぼくのほうはたいへん眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが──その晩ねずみが出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったようなことを言うけれども命は依然として惜しかったとみえて、非常に心配するのさ。鼠の毒がそうしんにまわるとたいへんだ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それからしかたがないから台所へ行って紙ぎれへ飯粒をはってごまかしてやったあね」

 「どうして」

 「これははくらいこうやくで、近来ドイツの名医が発明したので、インド人などのどくじやにかまれた時に用いると即効があるんだから、これさえはっておけば大丈夫だと言ってね」

 「君はその時分からごまかすことに妙を得ていたんだね

 「……すると独仙君はああいう好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きてみると膏薬の下から糸くずがぶらさがって例のひげに引っかかっていたのはこつけいだったよ」

 「しかしあの時分よりだいぶなったようだよ」

 「君近ごろ会ったのかい」

 「一週間ばかり前に来て、長い間話をして行った」

 「どうりで独仙流の消極説を振りまわすと思った」

 「じつはその時大いに感心してしまったから、ぼくも大いに奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」

 「奮発は結構だがね。あんまり人の言うことをに受けるとばかをみるぜ。いったい君は人の言うことをなんでもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなるとお互いと同じものだよ。君九年まえの大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りてけがをしたものは独仙君だけなんだからな」

 「あれには当人だいぶ説があるようじゃないか」

 「そうさ、当人に言わせるとすこぶるありがたいものさ。禅のほうしゆんしようなもので、いわゆるせきとなるとこわいくらい早く物に応ずることができる。ほかの者が地震だといってうろたえているところを自分だけは二階の窓から飛びおりたところに修業の効があらわれてうれしいと言って、びつこを引きながらうれしがっていた。負け惜しみの強い男だ。いったい禅とかぶつとかいって騒ぎ立てるれんじゆうほどあやしいのはないぜ」

 「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。

 「このあいだ来た時禅宗坊主の寝言みたようなことを何か言ってったろう」

 「うんでんこうえいしゆんぷうをきるとかいう句を教えて行ったよ」

 「その電光さ。あれが十年まえからのお箱なんだからおかしいよ。かくぜんの電光ときたら寄宿舎じゅうだれも知らない者はないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると言うからおもしろい。今度ためしてみたまえ。向こうで落ち付きはらって述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐてんどうして妙なことを言うよ」

 「君のようないたずら者に会っちゃかなわない」

 「どっちがいたずら者だかわかりゃしない。ぼくは禅坊主だの、悟ったのは大きらいだ。ぼくの近所のなんぞういんという寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこのあいだの夕立の時寺内へらいが落ちて隠居のいる庭先の松の木を裂いてしまった。ところがしよう泰然として平気だというから、よく聞き合わせてみるとからつんぼなんだね。それじゃ泰然たるわけさ。たいがいそんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややもすると人を誘い出すから悪い。現に独仙のおかげで二人ばかり気違いにされているからな」

 「だれが」

 「だれがって。一人はとうぜんさ。独仙のおかげで大いに禅学に凝り固まってかまくらへ出かけて行って、とうとう出先で気違いになってしまった。えんがくの前に汽車の踏切があるだろう、あの踏切うちへ飛び込んでレールの上で座禅をするんだ。それで向こうから来る汽車をとめてみせるという大気炎さ。もっとも汽車のほうでとまってくれたから一命だけはとりとめたが、そのかわり今度は火に入って焼けず、水に入っておぼれぬこんごうのからだだと号して寺内のはすいけへはいってぶくぶく歩き回ったもんだ」

 「死んだかい」

 「その時も幸い、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂でむぎめしまんねんづけを食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」

 「むやみに熱中するのもよしあしだね」と主人はちょっと気味の悪いという顔つきをする。

 「ほんとうにさ。独仙にやられた者がもう一人同窓中にある」

 「あぶないね。だれだい」

 「たちまちろうばい君さ。あの男も全く独仙にそそのかされてうなぎが天上するようなことばかり言っていたが、とうとう君ほんものになってしまった」

 「本物たあなんだい」

 「とうとううなぎが天上して、豚が仙人になったのさ」

 「なんのことだい、それは」

 「八木が独仙なら、立町はぶたせんさ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食い意地と禅坊主の悪意地が併発したのだから助からない。初めはぼくらも気がつかなかったが今から考えると妙なことばかり並べていたよ。ぼくのうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、ぼくの国ではかまぼこが板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたもんさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のを掘りにゆきましょうと促すに至ってはぼくも降参したね。それから二、三日するとついに豚仙になってがもへ収容されてしまった。元来豚なんぞが気違いになる資格はないんだが、全く独仙のおかげであすこまでこぎつけたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」

 「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」

 「いるだんじゃない。だいきようで大気炎を吐いている。近ごろは立町老梅なんて名はつまらないというので、みずからてんどうこうへいと号して、天道のごんをもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行ってみたまえ」

 「天道公平?」

 「天道公平だよ。気違いのくせにうまい名をつけたものだね。時々はこうへいとも書くことがある。それでなんでも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいというので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。ぼくも四、五通もらったが、中にはなかなか長いやつがあって不足税を二度ばかりとられたよ」

 「それじゃぼくのとこへ来たのも老梅から来たんだ」

 「君のとこへも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」

 「うん、まん中が赤くて左右が白い。一風変わった状袋だ」

 「あれはね、わざわざシナから取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人はちゆうかんにあって赤しという豚仙の格言を示したんだって……」

 「なかなかいんねんのある状袋だね」

 「気違いだけに大いに凝ったものさ。そうして気違いになっても食い意地だけは依然として存しているものとみえて、毎回必ず食い物のことが書いてあるから奇妙だ。君のとこへもなんとか言って来たろう」

 「うん、海鼠なまこのことがかいてある」

 「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」

 「それからちようせんにんじんか何か書いてある」

 「河豚と朝鮮人参の取り合わせはうまいね。おおかた河豚を食ってあたったら朝鮮人参をせんじて飲めとでもいうつもりなんだろう」

 「そうでもないようだ」

 「そうでなくてもかまわないさ。どうせ気違いだもの。それっきりかい」

 「まだある。苦沙弥先生お茶でもあがれという句がある」

 「アハハハお茶でもあがれはきびし過ぎる。それで大いに君をやり込めたつもりに違いない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生はおもしろがって、大いに笑いだす。主人は少なからざる尊敬をもって反復どくしようしたしよかんの差出人がきんぱくつきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心がなんだかむだ骨のような気がして腹立たしくもあり、またふうてんびようしやの文章をさほど心労してがんしたかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、ざんと、心配のがつぺいした状態でなんだか落ち付かない顔つきをして控えている。

 おりからおもてごうをあららかにあけて、重いくつの音がふた足ほどくつぬぎに響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人のしりの重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、おさんの取り次ぎに出るのもまたず、と言いながら隔ての中のをふた足ばかりに飛び越えて玄関におどり出した。人のうちへ案内もこわずにつかつかはいり込むところは迷惑のようだが、人のうちへはいった以上は書生同様取り次ぎを務めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でもお客さんには相違ない、そのお客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ち付けている。ただし落ち付けているのと、落ち付いているのとは、その趣はだいぶ似ているが、その実質はよほど違う。

 玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむをえずふところ手のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査よしとらぞうとある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五、六のせいの高い、とうざんずくめの男である。妙なことにこの男は主人と同じくふところ手をしたまま、無言で突っ立っている。なんだか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。このあいだ深夜御来訪になって山の芋を持ってゆかれたどろぼうくんである。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。

 「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろというんで、わざわざおいでになったんだよ」

 主人はようやく刑事が踏み込んだ理由がわかったとみえて、頭をさげて泥棒の方を向いて丁寧におじぎをした。泥棒のほうが虎蔵君より男ぶりがいいので、こっちが刑事だとはやてんをしたのだろう。泥棒も驚いたに相違ないが、まさかわたしが泥棒ですよと断わるわけにもゆかなかったとみえて、すまして立っている。やはりふところ手のままである。もっとも手錠をはめているのだから、出そうといっても出る気づかいはない。通例の者ならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。おかみの御威光となると非常に恐ろしいものと心得ている。もっとも理論上からいうと、巡査なぞは自分たちが金を出して番人に雇っておくのだぐらいのことは心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末のぬしであったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮らした習慣が、因果となってかように子にむくったのかもしれない。まことに気の毒な至りである。

 巡査はおかしかったとみえて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までにほんづつみの分署まで来てください。──盗難品はなんとなんでしたかね」

 「盗難品は……」と言いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのはさんぺいの山の芋だけである。山の芋などはどうでもかまわんと思ったが、盗難品は……と言いかけてあとが出ないのはいかにもろうのようで体裁が悪い。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答えができんのはいちにんまえではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。

 泥棒はこの時よほどおかしかったとみえて、下を向いて着物のえりへあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったとみえるね」と言った。巡査だけ存外まじめである。

 「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがいもどったようです。──まあ来てみたらわかるでしょう。それでね、下げ渡したらうけしよがいるから、いんぎようを忘れずに持っておいでなさい。──九時までに来なくってはいかん。日本堤分署です。──あさくさ警察署の管轄内の日本堤分署です。──それじゃ、さようなら」とひとりで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめることができないからあけ放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平とみえて、主人はほおをふくらめて、ぴしゃりと立て切った。

 「アハハハ君は刑事をたいへん尊敬するね。つねにああいう恭謙な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに丁寧なんだから困る」

 「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」

 「知らせに来るったって、先は商売だよ。あたりまえにあしらってりゃたくさんだ」

 「しかしただの商売じゃない」

 「無論ただの商売じゃない。探偵といういけすかない商売さ。あたりまえの商売より下等だね」

 「君そんなことを言うとひどい目に会うぜ」

 「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。しかし君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるをえんよ」

 「だれが泥棒を尊敬したい」

 「君がしたのさ」

 「ぼくが泥棒に近づきがあるもんか」

 「あるもんかって君は泥棒におじぎをしたじゃないか」

 「いつ?」

 「たった今平身低頭したじゃないか」

 「ばかあ言ってら、あれは刑事だね」

 「刑事があんなをするものか」

 「刑事だからあんなをするんじゃないか」

 「頑固だな」

 「君こそ頑固だ」

 「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなふところ手なんかして、突っ立っているものかね」

 「刑事だってふところ手をしないとは限るまい」

 「そう猛烈にやってきては恐れ入るがね。君がおじぎをする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」

 「刑事だからそのくらいのことはあるかもしれんさ」

 「どうも自信家だな。いくら言っても聞かないね」

 「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと言ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けたわけじゃないんだから。ただそう思ってひとりで強情を張ってるんだ」

 迷亭もここにおいてとうていさいすべからざる男と断念したものとみえて、例に似ず黙ってしまった。主人は久しぶりで迷亭をへこましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から言うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんなとんちんかんなことはままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場ははるかに下落してしまう。不思議なことに頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施したつもりかなにかで、その時以後人がけいべつして相手にしてくれないのだとは夢にも悟りえない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。

 「ともかくもあした行くつもりかい」

 「行くとも、九時までに来いというから、八時から出て行く」

 「学校はどうする」

 「休むさ。学校なんか」とたたきつけるように言ったのはさかんなものだった。

 「えらい勢いだね。休んでもいいのかい」

 「いいともぼくの学校は月給だから、さし引かれる気づかいはない、大丈夫だ」とまっすぐに白状してしまった。こともが、単純なことも単純なものだ。

 「君、行くのはいいが道を知ってるかい」

 「知るものか。車に乗って行けばわけはないだろう」とぷんぷんしている。

 「静岡の伯父に譲らざるとうきようつうなるには恐れ入る」

 「いくらでも恐れ入るがいい」

 「ハハハ日本堤分署というのはね、君ただの所じゃないよ。よしわらだよ」

 「なんだ?」

 「吉原だよ」

 「あの遊郭のある吉原か?」

 「そうさ、吉原といやあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行ってみる気かい」と迷亭君またからかいかける。

 主人は吉原と聞いて、と少々しゆんじゆんのていであったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊郭だろうが、いったん行くと言った以上はきっとゆく」といらざるところにりきんでみせた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。

 迷亭君は「まあおもしろかろう、見て来たまえ」と言ったのみである。ひとらんを生じた刑事事件はこれでひとまず落着を告げた。迷亭はそれから相変わらずべんろうして日暮れ方、あまりおそくなると伯父におこられると言って帰って行った。

 迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再びきようしゆしてしものように考え始めた。

 「自分が感服して、大いに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話によってみると、べつだん見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼のしようどうするところの説はなんだか非常識で、迷亭の言うとおり多少瘋癲的系統に属してもおりそうだ。いわんや彼はれっきとした二人の気違いの子分を有している。はなはだ危険である。めったに近よると同系統内に引きずりこまれそうである。自分が文章の上において驚嘆の、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平こと実名立町老梅は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれごとにもせよ、彼が瘋癲院中に盛名をほしいままにして天道の主宰をもってみずから任ずるのはおそらく事実であろう。こういう自分もことによると少々ござっているかもしれない。同気相求め、同類相集まるというから、気違いの説に感服する以上は──少なくともその文章言辞に同情を表する以上は──自分もまた気違いに縁の近い者であるだろう。よし同型中にちゆうせられんでも軒をならべて狂人と隣り合わせにきよぼくするとすれば、境の壁をひと打ち抜いていつのまにか同室内にひざを突き合わせて談笑することがないとも限らん。こいつはたいへんだ。なるほど考えてみるとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらいじように妙を点じへんぼうちんを添えている。のう漿しよういつせきの化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化するあたりには不思議にも中庸を失した点が多い。ぜつじようりゆうせんなく、えきせいふうを生ぜざるも、こんきようしゆうあり、きんとうふう味あるをいかんせん。いよいよたいへんだ。ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸いに人を傷つけたり、世間の邪魔になることをしでかさんからやはり町内を追い払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。こいつは消極の積極のという段じゃない。まずみやくはくからして検査しなくてはならん。しかし脈には変わりはないようだ。頭は熱いかしらん。これもべつに逆上の気味でもない。しかしどうも心配だ」

 「こう自分と気違いばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気違いの領分を脱することはできそうにもない。これは方法が悪かった。気違いを標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてそのそばへ自分を置いて考えてみたらあるいは反対の結果が出るかもしれない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一にきょう来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参でたまばかりみがいている。これもぼうぐみだ。第三はと……迷亭? あれはふざけ回るのを天職のように心得ている。全く陽性の気違いに相違ない。第四にと……かねの細君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしにきまってる。第五は金田君の番だ。金田君にはお目にかかったことはないが、まずあの細君をうやうやしくおっ立てて、きんしつ調和しているところをみると非凡の人間と見立ててさしつかえあるまい。非凡は気違いのみようであるから、まずこれも同類にしておいてかまわない。それからと、──まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢からいうとまた芽ばえだが、そうきようの点においてはいつせいをむなしゅうするに足るあっぱれな豪の者である。こう数え立ててみるとたいていのものは同類のようである。案外心丈夫になってきた。ことによると社会はみんな気違いの寄り合いかもしれない。気違いが集合してしのぎを削ってつかみ合い、いがみ合い、ののしり合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のようにくずれたり、持ちあがったり、持ちあがったり、くずれたりして暮らしてゆくのを社会というのではないかしらん。その中で多少理窟がわかって、分別のあるやつはかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されている者は普通の人で、院外にあばれている者はかえって気違いである。気違いも孤立しているあいだはどこまでも気違いにされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかもしれない。大きな気違いが金力や威力をらんようして多くの小気違いを使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと言われている例は少なくない。何がなんだかわからなくなった」

 以上は主人が当夜けいけいたる孤燈のもとで沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描き出したものである。彼の頭脳の不透明なることはここにも著しくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字ひげをたくわらるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなしえぬくらいのぼんくらである。のみならず彼はせっかくこの問題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついになんらの結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論のぼうばくとして、彼のこうからへいしゆつする朝日の煙のごとく、そくしがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。

 吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述しうるかと疑う者があるかもしれんが、このくらいなことは猫にとってなんでもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんなよけいなことは聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間のひざの上に乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔らかなごろもをそっと人間の腹にこすりつける。すると一道の電気が起こって彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩のしんがんに映ずる。せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭をなで回しながら、突然この猫の皮をはいでにしたらさぞあたたかでよかろうととんでもない了見をむらむらと起こしたのを即座にって覚えずひやっとしたことさえある。こわいことだ。当夜主人の頭の中に起こった以上の思想もそんなわけあいで幸いにも諸君に御報道することができるように相成ったのは吾輩の大いに栄誉とするところである。ただし主人は「何がなんだかわからなくなった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしまったのである。あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違いない。こうもし主人が気違いについて考えることがあるとすれば、もう一ぺん出直して頭から考え始めなければならぬ。そうするとはたしてこんな径路を取って、こんなふうに「何がなんだかわからなくなる」かどうだか保証できない。しかしなんべん考え直しても、何条の径路をとって進もうとも、ついに「何がなんだかわからなくなる」だけはたしかである。

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