九
主人はあばた
吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあなんの
主人の子供の時に
主人のあばたもそのふるわざることにおいては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢方医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に
かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒をたれつつあるに相違ない。彼は「
もっとも主人はこの功徳を施すために顔一面に
いくら功徳になっても訓戒になっても、きたないものはやっぱりきたないものだから、
哲学者の意見によって落雲館とのけんかを思い留まった主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告を
きょうはあれからちょうど
書斎は南向きの六畳で、日当たりのいい所に大きな机がすえてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうという大きな机である。むろんできあいのものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる
机の前には薄っぺらなメリンスの
まだ考えているのか
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が
かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる様子をもって
今度は顔を横に向けて半面に光線を受けたところを鏡にうつしてみる。「こうして見るとたいへん目立つ。やっぱりまともに日の向いてるほうが平らに見える。きたないものだなあ」とだいぶ感心した様子であった。それから右の手をうんと伸ばして、できるだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近すぎるといかん。──顔ばかりじゃないなんでもそんなものだ」と悟ったようなことを言う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして目や
鏡はうぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を
かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した
今度は
主人が
拝啓いよいよ
とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののちただちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などはおそらくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、会う人ごとに義捐をとられた、とられたと
時下秋冷の
大日本女子裁縫最高等大学院
校長
とある。主人はこの
もし我をもって天地を律すれば
親友も
神は人間の苦しまぎれに
人を人と思わざれば
我の人を人と思うとき、
針作君は九拝であったが、この男はたんに再拝だけである。寄付金の依頼でないだけに七拝ほど
ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内をこう者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだがふところ手のままごうも動こうとしない。取り次ぎに出るのは主人の役目でないという主義か、この主人はけっして書斎から
「おい冗談じゃない。何をしているんだ、お客さんだよ」
「おや君か」
「おや君かもないもんだ。そこにいるならなんとか言えばいいのに、まるであき家のようじゃないか」
「うん、ちと考えごとがあるもんだから」
「考えていたって通れぐらいは言えるだろう」
「言えんこともないさ」
「相変わらず度胸がいいね」
「せんだってから精神の修養を努めているんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事ができなくなったひには来客は御難だね。そんなに落ち付かれちゃ困るんだぜ。じつはぼく一人来たんじゃないよ。たいへんなお客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て会ってくれたまえ」
「だれを連れて来たんだい」
「だれでもいいからちょっと出て会ってくれたまえ。ぜひ君に会いたいと言うんだから」
「だれだい」
「だれでもいいから立ちたまえ」
主人はふところ手のままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と縁側へ出てなんの気もつかずに客間へはいり込んだ。すると六尺の
「さあどうぞあれへ」と床の
「さあどうぞあれへ」と向こうの言うとおりを繰り返した。
「いやそれでは御挨拶ができかねますから、どうぞあれへ」
「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいいかげんに先方の口上をまねている。
「どうもそう、
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人はまっかになって口をもごもご言わせている。
精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は
「まあ出たまえ。そう唐紙へくっついてはぼくがすわる所がない。遠慮せずに前へでたまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむをえず前の方へすり出る。
「苦沙弥君これが毎々君にうわさをする静岡の
「いやはじめてお目にかかります。毎度迷亭が出てお邪魔をいたすそうで、いつか参上の上御高話を拝聴いたそうと存じておりましたところ、幸い今日は御近所を通行いたしたもので、お礼かたがた伺ったわけで、どうぞお見知りおかれまして今後ともよろしく」と昔ふうな口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会ったことがないのだから、最初から多少場うての気味で
「私も……私も……ちょっと伺うはずでありましたところ……なにぶんよろしく」と言い終わって頭を少々畳から上げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。
老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もあって、ながらくお
「伯父さん将軍家もありがたいかもしれませんが、明治の
「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様のお顔を拝むなどということは明治の
「まあ久しぶりで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、きょういっしょに上野へ出かけたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこのとおり先日ぼくが白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。
「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問いをかけた。
「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので──どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔はあんなではなかったが」
「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしいことを言う。これはあながち主人が知ったかぶりをしたわけではない。ただ
「それにな。皆この
「その鉄扇はだいぶ重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持ってみたまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たしてごらんなさい」
老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の
「みんながこれを鉄扇鉄扇と言うが、これは
「へえ、なんにしたものでございましょう」
「
「伯父さん、そりゃ正成の甲割りですかね」
「いえ、これはだれのかわからん。しかし時代は古い。
「建武時代かもしれないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、きょう帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せてもらったところがね。この甲割りが鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう言ったからしかたがないです」
「寒月というのは、あのガラス
「かあいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨りあげると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、だれにでもできる。わしにでもできる。ビードロやの主人にでもできる。ああいうことをする者を漢土では
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆
「なるほど」とやはりかしこまっている。
「伯父さん心の修業というものは玉を磨る代わりにふところ手をしてすわり込んでるんでしょう」
「それだから困る。けっしてそんな造作のないものではない。
「とうていわかりっこありませんね。ぜんたいどうすればいいんです」
「お前は
「いいえ、聞いたこともありません」
「心をどこに置こうぞ。敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。敵の
「よく忘れずに
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心はどこに置こうぞ、敵の身の働きに心を置けば、敵の働きに心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんなことは、よく心得ているんですよ。近ごろは毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取り次ぎに出ないくらい心を置きざりにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「じっさい遊んでるじゃないかの」
「ところが
「そう、
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです。久しぶりで東京のうなぎでも食っちゃあ。
「うなぎも結構だが、きょうはこれからすい
「ああ
「杉原ではない、すい
「だって杉原と書いてあるじゃありませんか」
「杉原と書いてすい
「妙ですね」
「なに妙なことがあるものか。
「へえ、驚いたな」
「
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」
「なにいやならお前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「歩いてはむずかしい。車を雇っていただいて、ここから乗って行こう」
主人はかしこまってただちにおさんを車屋へ走らせる。老人は長々と
「あれが君の伯父さんか」
「あれがぼくの伯父さんさ」
「なるほど」と再び
「ハハハ豪傑だろう。ぼくもああいう伯父さんを持ってしあわせなものさ。どこへ連れて行ってもあのとおりなんだぜ。君驚いたろう」と迷亭君は主人を驚かしたつもりで大いに喜んでいる。
「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大いに敬服していい」
「敬服していいかね。君も今に六十ぐらいになるとやっぱりあの伯父みたように、時候おくれになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの回り持ちなんか気がきかないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれのほうがえらいんだぜ。第一今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへゆくと東洋流の学問は消極的で大いに味わいがある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承ったとおりを自説のように述べ立てる。
「えらいことになってきたぜ。なんだか
八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。じつはせんだって
「君独仙の説を聞いたことがあるのかい」と主人はけんのんだから念を
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年
「真理はそう変わるものじゃないから、変わらないところがたのもしいかもしれない」
「まあそんなひいきがあるから独仙もあれで立ちゆくんだね。第一八木という名からして、よくできてるよ。あの
「どうして」
「これは
「君はその時分からごまかすことに妙を得ていたんだね
「……すると独仙君はああいう好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きてみると膏薬の下から糸くずがぶらさがって例の
「しかしあの時分よりだいぶえらくなったようだよ」
「君近ごろ会ったのかい」
「一週間ばかり前に来て、長い間話をして行った」
「どうりで独仙流の消極説を振りまわすと思った」
「じつはその時大いに感心してしまったから、ぼくも大いに奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」
「奮発は結構だがね。あんまり人の言うことを
「あれには当人だいぶ説があるようじゃないか」
「そうさ、当人に言わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「このあいだ来た時禅宗坊主の寝言みたようなことを何か言ってったろう」
「うん
「その電光さ。あれが十年
「君のようないたずら者に会っちゃかなわない」
「どっちがいたずら者だかわかりゃしない。ぼくは禅坊主だの、悟ったのは大きらいだ。ぼくの近所の
「だれが」
「だれがって。一人は
「死んだかい」
「その時も幸い、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で
「むやみに熱中するのもよしあしだね」と主人はちょっと気味の悪いという顔つきをする。
「ほんとうにさ。独仙にやられた者がもう一人同窓中にある」
「あぶないね。だれだい」
「
「本物たあなんだい」
「とうとううなぎが天上して、豚が仙人になったのさ」
「なんのことだい、それは」
「八木が独仙なら、立町は
「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」
「いるだんじゃない。
「天道公平?」
「天道公平だよ。気違いのくせにうまい名をつけたものだね。時々は
「それじゃぼくのとこへ来たのも老梅から来たんだ」
「君のとこへも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」
「うん、まん中が赤くて左右が白い。一風変わった状袋だ」
「あれはね、わざわざシナから取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は
「なかなか
「気違いだけに大いに凝ったものさ。そうして気違いになっても食い意地だけは依然として存しているものとみえて、毎回必ず食い物のことが書いてあるから奇妙だ。君のとこへもなんとか言って来たろう」
「うん、
「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」
「それから
「河豚と朝鮮人参の取り合わせはうまいね。おおかた河豚を食って
「そうでもないようだ」
「そうでなくてもかまわないさ。どうせ気違いだもの。それっきりかい」
「まだある。苦沙弥先生お茶でもあがれという句がある」
「アハハハお茶でもあがれはきびし過ぎる。それで大いに君をやり込めたつもりに違いない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生はおもしろがって、大いに笑いだす。主人は少なからざる尊敬をもって反復
おりから
玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむをえずふところ手のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査
「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろというんで、わざわざおいでになったんだよ」
主人はようやく刑事が踏み込んだ理由がわかったとみえて、頭をさげて泥棒の方を向いて丁寧におじぎをした。泥棒のほうが虎蔵君より男ぶりがいいので、こっちが刑事だと
巡査はおかしかったとみえて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに
「盗難品は……」と言いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは
泥棒はこの時よほどおかしかったとみえて、下を向いて着物の
「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがいもどったようです。──まあ来てみたらわかるでしょう。それでね、下げ渡したら
「アハハハ君は刑事をたいへん尊敬するね。つねにああいう恭謙な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに丁寧なんだから困る」
「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」
「知らせに来るったって、先は商売だよ。あたりまえにあしらってりゃたくさんだ」
「しかしただの商売じゃない」
「無論ただの商売じゃない。探偵といういけすかない商売さ。あたりまえの商売より下等だね」
「君そんなことを言うとひどい目に会うぜ」
「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。しかし君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるをえんよ」
「だれが泥棒を尊敬したい」
「君がしたのさ」
「ぼくが泥棒に近づきがあるもんか」
「あるもんかって君は泥棒におじぎをしたじゃないか」
「いつ?」
「たった今平身低頭したじゃないか」
「ばかあ言ってら、あれは刑事だね」
「刑事があんななりをするものか」
「刑事だからあんななりをするんじゃないか」
「頑固だな」
「君こそ頑固だ」
「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなふところ手なんかして、突っ立っているものかね」
「刑事だってふところ手をしないとは限るまい」
「そう猛烈にやってきては恐れ入るがね。君がおじぎをする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」
「刑事だからそのくらいのことはあるかもしれんさ」
「どうも自信家だな。いくら言っても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと言ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けたわけじゃないんだから。ただそう思ってひとりで強情を張ってるんだ」
迷亭もここにおいてとうてい
「ともかくもあした行くつもりかい」
「行くとも、九時までに来いというから、八時から出て行く」
「学校はどうする」
「休むさ。学校なんか」とたたきつけるように言ったのはさかんなものだった。
「えらい勢いだね。休んでもいいのかい」
「いいともぼくの学校は月給だから、さし引かれる気づかいはない、大丈夫だ」とまっすぐに白状してしまった。ずるいこともずるいが、単純なことも単純なものだ。
「君、行くのはいいが道を知ってるかい」
「知るものか。車に乗って行けばわけはないだろう」とぷんぷんしている。
「静岡の伯父に譲らざる
「いくらでも恐れ入るがいい」
「ハハハ日本堤分署というのはね、君ただの所じゃないよ。
「なんだ?」
「吉原だよ」
「あの遊郭のある吉原か?」
「そうさ、吉原といやあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行ってみる気かい」と迷亭君またからかいかける。
主人は吉原と聞いて、そいつはと少々
迷亭君は「まあおもしろかろう、見て来たまえ」と言ったのみである。
迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び
「自分が感服して、大いに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話によってみると、べつだん見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の
「こう自分と気違いばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気違いの領分を脱することはできそうにもない。これは方法が悪かった。気違いを標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてそのそばへ自分を置いて考えてみたらあるいは反対の結果が出るかもしれない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一にきょう来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で
以上は主人が当夜
吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述しうるかと疑う者があるかもしれんが、このくらいなことは猫にとってなんでもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんなよけいなことは聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間のひざの上に乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔らかな
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