二十四時間の出来事をもれなく書いて、もれなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文をすいするわがはいでもこれはとうてい猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるをえない。したがっていかに吾輩の主人が、ろくちゆう精細なる描写に価する奇言奇行をろうするにもかかわらずちくいちこれを読者に報知する能力と根気のないのははなはだかんである。遺憾ではあるがやむをえない。休養は猫といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯らしのはたと吹きやんで、しんしんと降る雪ののごとく静かになった。主人は例のごとく書斎へ引きこもる。子供は六畳のまくらをならべて寝る。一間半のふすまを隔てて南向きのへやには細君が数え年三つになる、めん子さんと添えして横になる。花曇りに暮れを急いだ日はとく落ちて、表を通るこまの音さえ手に取るように茶の間へ響く。となりちようの下宿でみんてきを吹くのが絶えたり続いたりして眠いていにおりおり鈍い刺激を与える。はおおかたおぼろであろう。ばんさんに半ぺんのあわびがいをからにした腹ではどうしても休養が必要である。

 ほのかに承れば世間には猫の恋とか称するはいかいしゆの現象があって、春さきは町内の同族どもの夢安からぬまで浮かれ歩くもあるとかいうが、吾輩はまだかかる心的変化にそうほうしたことはない。そもそも恋は宇宙的の活力である。かみは在天の神ジュピターよりしもは土中に鳴くみみず、おけらに至るまでこの道にかけて浮き身をやつすのがばんぶつの習いであるから、吾輩猫どもが朧うれしと、物騒なふうりゆうを出すのも無理のない話である。回顧すればかくいう吾輩もに思い焦がれたこともある。三角主義の張本金田君の令嬢かわとみさえ寒月君に恋慕したといううわさである。それだから千金のしゆんしようを心も空に満天下のねこねこが狂い回るのをぼんのうの迷いのとけいべつする念はもうとうないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないからしかたがない。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋もできぬ。のそのそと子供のとんのすそへ回ってここちよく眠る。……

 ふと目をあいて見ると主人はいつのまにか書斎から寝室へ来て細君の隣りに延べてある布団の中にいつのまにかもぐりこんでいる。主人のくせとして寝る時は必ず横文字のほんを書斎から携えて来る。しかし横になってこの本を二ページと続けて読んだことはない。ある時は持って来て枕もとへ置いたなり、まるで手を触れぬことさえある。一行も読まぬくらいならわざわざさげてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、よせと言っても、けっして承知しない。毎夜読まない本を御苦労せんばんにも寝室まで運んで来る。ある時は欲張って三、四冊もかかえて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえかかえて来たくらいである。思うにこれは主人の病気でぜいたくな人がりゆうぶんどうに鳴る松風のおとを聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕もとに置かないと眠れないのであろう、してみると主人にとっては書物は読むものではない眠りを誘う器械である。活版の睡眠剤である。

 今夜も何かあるだろうとのぞいてみると、赤い薄い本が主人のくちひげの先につかえるくらいな地位に半分開かれてころがっている。主人の左手の親指が本の間にはさまったままであるところからすと奇特にも今夜は五、六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルのたもとけいが春に似合わぬ寒き色を放っている。

 細君はみ子を一尺ばかり先へほうり出して口をあいていびきをかいて枕をはずしている。およそ人間において何が見苦しいといって口をあけて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などはしようがいこんな恥をかいたことがない。元来口は音を出すため鼻は空気をどんするための道具である。もっとも北の方へ行くと人間がしようになってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻がへいそくして口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりもみともないと思う。第一てんじようからねずみふんでも落ちた時危険である。

 子供のほうはと見るとこれも親に劣らぬていたらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだといわぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はそのふくしゆうに姉の腹の上に片足をあげてふんぞり返っている。双方とも寝た時の姿勢より九十度はたしかに回転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も言わずおとなしく熟睡している。

 さすがに春のともし火は格別である。てんしんらんまんながら無風流きわまるこの光景のうちに良夜を惜しめとばかりゆかしげに輝いて見える。もう何時だろうとへやの中を見回すと四隣あたりはしんとしてただ聞こえるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯ぎしりをする音のみである。この下女は人から歯ぎしりをすると言われるといつでもこれを否定する女である。私は生まれてから今日に至るまで歯ぎしりをした覚えはございませんと強情を張ってけっして直しましょうともお気の毒でございますとも言わず、ただそんな覚えはございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚えはないに違いない。しかし事実は覚えがなくても存在することがあるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えている者がある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却するわけにはゆかぬ。こういう紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。──はだいぶふけたようだ。

 台所の雨戸にトントンと二へんばかり軽くあたったものがある。はてな今ごろ人の来るはずがない。おおかた例の鼠だろう、鼠ならとらんことにきめているからかってにあばれるがよろしい。──またトントンとあたる。どうも鼠らしくない。鼠としてもたいへん用心深い鼠である。主人のうちの鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中でもちゆうでもらんぼうろうぜきの練修に余念なく、びんぜんなる主人の夢を驚破するのを天職のごとく心得ているれんじゆうだから、かくのごとく遠慮するわけがない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寝室にまでちんにゆうして高からぬ主人の鼻の頭をかんでがいを奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまりおくびようすぎる。けっして鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする。同時に腰障子をできるだけゆるやかに、みぞに添うてすべらせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内もわず戸締まりをはずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないにきまっている。御高名だけはかねて承っているどろぼういんではないかしらん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔を拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなるどろあしを上げて二足ばかり進んだ模様である。三足目と思うころ揚げ板につまずいてか、ガタリと夜に響くような音を立てた。吾輩の背中の毛がくつで逆にこすられたような心持ちがする。しばらくは足音もしない。細君を見るとまだ口をあいてたいへいの空気を夢中に吐吞している。主人は赤い本に親指をはさまれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチをする音が聞こえる。陰士でも吾輩ほど夜陰に目はきかぬとみえる。かってが悪くさだめし不都合だろう。

 この時吾輩はうずくまりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。──足音はふすまの音とともに縁側へ出た。陰士はいよいよ書斎へはいった。それぎり音ももない。

 吾輩はこのに早く主人夫婦を起こしてやりたいものだとようやく気がついたが、さてどうしたら起きるやら、いっこう要領をえん考えのみが頭の中にみずぐるまの勢いで回転するのみで、なんらの分別も出ない。布団のすそをくわえて振ってみたらと思って、二、三度やってみたが少しも効用がない。冷たい鼻をほおにすりつけたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらをいやというほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛むことおびただしい。今度はしかたがないからにゃーにゃーと二へんばかり鳴いて起こそうとしたが、どういうものかこの時ばかりはに物がつかえて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低いやつを少々出すと驚いた。かんじんの主人はさめるけしきもないのに突然陰士の足音がしだした。ミチリミチリと縁側を伝って近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもうだめだとあきらめて、襖とやなぎごうのあいだにしばしのあいだ身を忍ばせて動静をうかがう。

 陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりとやむ。吾輩は息を凝らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠をとる時は、こんな気分になればわけはないのだ、魂が両方の目から飛び出しそうな勢いである。陰士のおかげで二度とない悟りを開いたのはじつにありがたい。たちまち障子のさんの三つ目が雨に濡れたようにまん中だけ色が変わる。それを透かしてうすくれないなものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしのに暗い中に消える。入れ代わってなんだか恐ろしく光るものが一つ、破れた穴の向こう側にあらわれる。疑いもなく陰士の目である。妙なことにはその目が、へやの中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後ろに隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬではあったが、こうにらまれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢できんから行李の影から飛び出そうと決心した時、寝室の障子がスーとあいて待ちかねた陰士がついに眼前にあらわれた。

 吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有するわけであるが、その前ちょっとけんを開陳して御高慮をわずらわしたいことがある。古代の神は全知全能とあがめられている。ことにきようの神は二十世紀の今日までもこの全知全能の面をかぶっている。しかし俗人の考うる全知全能は、時によると無知無能とも解釈ができる。こういうのは明らかにパラドックスである、しかるにこのパラドックスを道破した者はてんかいびやく以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながらまんざらな猫でもないという虚栄心も出るから、ぜひともここにその理由を申し上げて、猫もばかにできないということを、高慢なる人間諸君の脳裏にたたきこみたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、してみれば人間も神の御製作であろう、現に聖書とかいうものにはそのとおりと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、大いに玄妙不思議がると同時に、ますます神の全知全能を承認するように傾いた事実がある。それはほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界じゅうに一人もいない。顔の道具はむろんきまっている、大きさも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼らは皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料でできているにもかかわらず一人も同じ結果にできあがっておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついたものだと思うと、製造家のりように感服せざるをえない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化はできんのである。一代の画工が精力をしようこうして変化を求めた顔でも十二、三種以外に出ることができんのをもって推せば、人間の製造を一手に請け負った神の手ぎわは格別なものだと驚嘆せざるをえない。とうてい人間社会において目撃しえざるていの伎倆であるから、これを全能的伎倆といってもさしつかえないだろう。人間はこの点において大いに神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点からいえばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場からいうと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈ができる。もし全然無能でなくとも人間以上の能力はけっしてないものであると断定ができるだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したというが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫もしやくも同じ顔に造ろうと思ってやりかけてみたが、とうていうまくゆかなくてできるのもできるのも作りそこねてこの乱雑な状態に陥ったものか、わからんではないか。彼ら顔面の構造は神の成功の記念と見らるると同時に失敗のこんせきとも判ぜらるるではないか。全能ともいえようが、無能と評したってさしつかえはない。彼ら人間の目は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時に見ることができんから事物の半面だけしか視線内にはいらんのは気の毒な次第である。立場を換えてみればこのくらい単純な事実は彼らの社会に日夜かんだんなく起こりつつあるのだが、本人のぼせ上がって、神にのまれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾のこうを示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナをそうふく見せろと迫ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう。否同じ物を二枚かくほうがかえって困難かもしれぬ。こうぼうだいに向かってきのう書いたとおりの筆法でくうかいと願いますと言うほうがまるで書体を換えてと注文されるよりも苦しいかもわからん。人間の用うる国語は全然模傚主義で伝習するものである。彼ら人間が母から、から、他人から事実上の言語を習う時には、ただ聞いたとおりを繰り返すよりほかにもうとうの野心はないのである。できるだけの能力で人まねをするのである。かように人まねから成立する国語が十年二十年とたつうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼らに完全なる模傚の能力がないということを証明している。純粋の模傚はかくのごとく至難なものである。したがって神が彼ら人間を区別のできぬよう、しつかい焼き印ののごとく作りえたならばますます神の全能を表明しうるもので、同時に今日のごとくかって次第な顔をてんにさらさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知しうるの具ともなりうるのである。

 吾輩はなんの必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。もとを忘却するのは人間にさえありがちなことであるから猫には当然のことさと大目に見てもらいたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士をべつけんした時、以上の感想が自然と胸中にわきいでたのである。なぜわいた?──なぜという質問が出れば、今一応考え直してみなければならん。──ええと、そのわけはこうである。

 吾輩の眼前にゆうぜんとあらわれた陰士の顔を見るとその顔が──ふだん神の製作についてそのできばえをあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼のもくがわが親愛なる好男子水島寒月君にうり二つであるという事実である。吾輩はむろん泥棒に多くのは持たぬが、その行為の乱暴なところからふだん想像してひそかに胸中に描いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨ぐらいの目をつけた、いがぐり頭にきまっていると自分でかってにきめたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像はけっしてたくましくするものではない。この陰士はせいのすらりとした、色の浅黒い一の字まゆの、いきでりつな泥棒である。年は二十六、七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造しうる手ぎわがあるとすれば、けっして無能をもってもくするわけにはゆかぬ。いや実際のことを言うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒くひげの芽ばえが植えつけてないのでさては別人だと気がついた。寒月君は苦みばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用においてけっして寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の目つきや口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にもほれこまなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああいう才気のある、なんでも早わかりのするだからこのくらいのことは人から聞かんでもきっとわかるであろう。してみると寒月君の代わりにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛をささげてきんしつ調和の実をあげらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。

 陰士は小わきに何かかかえている。見るとさっき主人が書斎へほうりこんだふる毛布ゲツトである。とうざんのはんてんに、おなんはかの帯をしりの上にむすんで、なまじろすねはひざから下むき出しのまま今や片足をあげて畳の上へ入れる。さっきから赤い本に指をかまれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りをどうと打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布ケツトを落として、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向こう脛が二本立ったままかすかに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと言いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕をぜんみのようにぼりぼりかく。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと言ったのは全く我知らずの寝言とみえる。陰士はしばらく縁側に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見すましてまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だという声も聞こえぬ。やがて残る片足も踏み込む。いつすいの春燈で豊かに照らされていた六畳の間は、陰士の影に鋭く二分せられて柳行李のへんから吾輩の頭の上を越えて壁のなかばがまっ黒になる。ふり向いてみると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二のところにばくぜんと動いている。好男子も影だけ見ると、八つがしらの化け物のごとくまことに妙なかつこうである。陰士は細君の寝顔を上からのぞき込んで見たがなんのためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。

 細君の枕もとには四寸角の一尺五、六寸ばかりのくぎけにした箱がだいじそうに置いてある。これはぜんの国はからじゆうにんさんぺいくんが先日帰省した時おみやげに持って来た山の芋である。山の芋を枕もとへ飾って寝るのはあまり例のない話ではあるがこの細君は煮物に使うさんぼんようだんへ入れるくらい場所の適不適という観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋はおろか、たくあんが寝室にあっても平気かもしれん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまでていちようはだに近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げてみたがその重さが陰士の予期と合してだいぶ目方がかかりそうなのですこぶる満足のていである。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかしめったに声を立てると危険であるからじっとこらえている。

 やがて陰士は山の芋の箱をうやうやしくふる毛布ゲツトにくるみ始めた。何かからげるものはないかとあたりを見回す。と、幸い主人が寝る時に解きすてたちりめんのおびがある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかりくくって、苦もなく背中へしょう。あまり女が好く体裁ではない。それから子供のちゃんちゃんを二枚、主人のメリヤスのももひきの中へ押し込むと、またのあたりが丸くふくれて青大将がかえるを飲んだような──あるいは青大将の臨月というほうがよく形容しうるかもしれん。とにかく変な恰好になった。うそだと思うならためしにやってみるがよろしい。陰士はメリヤスをぐるぐる首ったまへ巻きつけた。その次はどうするかと思うと主人のつむぎの上着を大ぶろしきのように広げてこれに細君の帯と主人の羽織とじゆばんとその他あらゆるぞうもつをきれいにたたんでくるみこむ。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとをつぎ合わせてこの包みをくくって片手にさげる。まだちようだいするものはないかなと、あたりを見回していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見つけて、ちょっとたもとへ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプにかざして火をつける。うまそうに深く吸って吐き出した煙が、乳色のホヤをめぐってまだ消えぬに、陰士の足音は縁側を次第に遠のいて聞こえなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外かつなものである。

 吾輩はまたざんの休養を要する。のべつにしゃべっていてはからだが続かない。ぐっと寝込んで目がさめた時は弥生やよいの空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。

 「それでは、ここからはいって寝室の方へ回ったんですな。あなたがたは睡眠中でいっこう気がつかなかったのですな」

 「ええ」と主人は少しきまりが悪そうである。

 「それで盗難にかかったのは何時ごろですか」と巡査は無理なことを聞く。時間がわかるくらいならなにも盗まれる必要はないのである。それに気がつかぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。

 「何時ごろかな」

 「そうですね」と細君は考える。考えればわかると思っているらしい。

 「あなたはゆうべ何時にお休みになったんですか」

 「おれの寝たのはお前よりあとだ」

 「ええ私のふせったのは、あなたより前です」

 「目がさめたのは何時だったかな」

 「七時半でしたろう」

 「すると盗賊のはいったのは、何時ごろになるかな」

 「なんでも夜なかでしょう」

 「夜なかはわかりきっているが、何時ごろかというんだ」

 「たしかなところはよく考えてみないとわかりませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつはいったところがいっこうつうようを感じないのである。うそでもなんでも、いいかげんなことを答えてくれればよいと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々じれたくなったとみえて

 「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と言うと、主人は例のごとき調子で

 「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに

 「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締まりをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸をはずしてどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴に及びそうろうなりという書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名あてはないほうがいい」

 「品物は一々書くんですか」

 「ええ羽織何点代価いくらというふうにひようにして出すんです。──いやはいってみたってしかたがない。られたあとなんだから」と平気なことを言って帰って行く。

 主人はふですずりを座敷のまん中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴を書くから、盗られたものを一々言え。さあ言え」とあたかもけんかでもするような調ちようで言う。

 「あらいやだ、さあ言えだなんて、そんなけんぺいずくでだれが言うもんですか」と細帯を巻きつけたままどっかと腰をすえる。

 「そのふうはなんだ、宿しゆくじよろうのできそこないみたようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」

 「これで悪ければ買ってください。宿場女郎でもなんでも盗られりゃしかたがないじゃありませんか」

 「帯まで盗って行ったのか、ひどいやつだ。それじゃ帯から書きつけてやろう。帯はどんな帯だ」

 「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、くろじゆちりめんの腹合わせの帯です」

 「黒繻子と縮緬の腹合わせの帯一筋──あたいはいくらぐらいだ」

 「六円ぐらいでしょう」

 「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭ぐらいのにしておけ」

 「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だというんです。女房なんどは、どんなきたないふうをしていても、自分さえよけりゃ、かまわないんでしょう」

 「まあいいや、それからなんだ」

 「いとおりの羽織です、あれはこうさんのかたにもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」

 「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」

 「十五円」

 「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」

 「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」

 「その次はなんだ」

 「くろが一足」

 「お前のか」

 「あなたんでさあね。代金が二十七銭」

 「それから?」

 「山の芋が一箱」

 「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろじるにするつもりか」

 「どうするつもりか知りません。泥棒の所へ行って聞いていらっしゃい」

 「いくらするか」

 「山の芋のねだんまでは知りません」

 「そんなら十二円五十銭ぐらいにしておこう」

 「ばかばかしいじゃありませんか、いくらからから掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」

 「しかしお前は知らんと言うじゃないか」

 「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」

 「知らんけれども十二円五十銭は法外だとはなんだ。まるで論理に合わん。それだからきさまはオタンチン・パレオロガスだというんだ」

 「なんですって」

 「オタンチン・パレオロガスだよ」

 「なんですそのオタンチン・パレオロガスっていうのは」

 「なんでもいい。それからあとは──おれの着物はいっこう出て来んじゃないか」

 「あとはなんでもようござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かしてちょうだい」

 「意味もなにもあるもんか」

 「教えてくだすってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私をばかにしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」

 「愚なことを言わんで、早くあとを言うがいい。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」

 「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えてちょうだい」

 「うるさい女だな、意味もなにもないというに」

 「そんなら、品物のほうもあとはありません」

 「がんだな。それではかってにするがいい。おれはもう盗難告訴を書いてやらんから」

 「私も品数を教えてあげません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」

 「それじゃよそう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へはいる。細君は茶の間へ引きさがって針箱の前へすわる。ふたりとも十分間ばかりはなんにもせずに黙って障子をにらめつけている。

 ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平君が上がってくる。多々良三平君はもとこのの書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽ばえで、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生のそうを訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のないあいだがらである。

 「奥さん。よか天気でござります」と唐津なまりかなんかで細君の前にズボンのまま立てひざをつく。

 「おや多々良さん」

 「先生はどこぞ出なすったか」

 「いいえ書斎にいます」

 「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」

 「わたしに言ってもだめだから、あなたが先生にそうおっしゃい」

 「そればってんが……」と言いかけた三平君は座敷じゅうを見回して「きょうはお嬢さんも見えんな」と半分細君に聞いているや否や次の間からとん子とすん子が駆け出して来る。

 「多々良さん、きょうはお寿を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭をかきながら

 「よう覚えておるのう、この次はきっと持って来ます。きょうは忘れた」と白状する。

 「いやーだ」と姉が言うと妹もすぐまねをして「いやーだ」とつける。細君はようやくごきげんが直って少々がおになる。

 「寿司は持って来んが、山の芋はあげたろう。お嬢さん食べなさったか」

 「山の芋ってなあに?」と姉が聞くと妹が今度もまたまねをして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。

 「まだ食いなさらんか、早くおかあさんに煮ておもらい。唐津の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気がついて

 「多々良さんせんだっては御親切にたくさんありがとう」

 「どうです、食べてみなすったか、折れんように箱をあつらえて堅くつめてきたから、長いままでありましたろう」

 「ところがせっかくくだすった山の芋をゆうべどろぼうに取られてしまって」

 「ぬすとが? ばかなやつですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君大いに感心している。

 「おかあさま、ゆうべ泥棒がはいったの?」と姉が尋ねる。

 「ええ」と細君はかろく答える。

 「泥棒がはいって──そうして──泥棒がはいって──どんな顔をしてはいったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君もなんと答えてよいかわからんので

 「こわい顔をしてはいりました」と返事をして多々良君の方を見る。

 「こわい顔って多々良さんみたような顔なの」と姉が気の毒そうになく、押し返して聞く。

 「なんですね。そんな失礼なことを」

 「ハハハハわたしの顔はそんなにこわいですか。困ったな」と頭をかく。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりのはげがある。一か月前からできだして医者に見てもらったが、まだ容易になおりそうもない。このはげを第一番に見つけたのは姉のとん子である。

 「あら多々良さんの頭はおかあさまのように光ってよ」

 「黙っていらっしゃいと言うのに」

 「おかあさまゆうべの泥棒の頭も光ってて」とこれは妹の質問である。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまりわずらわしくて話も何もできぬので「さあさあお前さんたちは少しお庭へ出てお遊びなさい。今におかあさまがいいお菓子をあげるから」と細君はようやく子供を追いやって

 「多々良さんの頭はどうしたの」とまじめに聞いてみる。

 「虫が食いました。なかなかなおりません。奥さんもあんなさるか」

 「やだわ、虫が食うなんて、そりゃまげで釣る所は女だから少しははげますさ」

 「はげはみんなバクテリヤですばい」

 「わたしのはバクテリヤじゃありません」

 「そりゃ奥さんの意地張りたい」

 「なんでもバクテリヤじゃありません。しかし英語ではげのことをなんとかいうでしょう」

 「はげはボールドとか言います」

 「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」

 「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」

 「先生はどうしても教えてくださらないから、あなたに聞くんです」

 「わたしはボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」

 「オタンチン・パレオロガスと言うんです。オタンチンというのがはげという字で、パレオロガスが頭なんでしょう」

 「そうかもしれませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べてあげましょう。しかし先生もよほど変わっていなさいますな。この天気のいいのに、うちにじっとして──奥さん、あれじゃ胃病はなおりませんな。ちとうえへでも花見に出かけなさるごと勧めなさい」

 「あなたが連れ出してください。先生は女の言うことはけっして聞かない人ですから」

 「このごろでもジャムをなめなさるか」

 「ええ相変わらずです」

 「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうもさいがおれのジャムのなめ方がはげしいと言って困るが、おれはそんなになめるつもりはない。何か勘定違いだろうと言いなさるから、そりゃお嬢さんや奥さんがいっしょになめなさるに違いない──」

 「いやな多々良さんだ、なんだってそんなことを言うんです」

 「しかし奥さんだってなめそうな顔をしていなさるばい」

 「顔でそんなことがどうしてわかります」

 「わからんばってんが──それじゃ奥さん少しもなめなさらんか」

 「そりゃ少しはなめますさ。なめたっていいじゃありませんか。うちのものだもの」

 「ハハハハそうだろうと思った──しかしほんのこと、泥棒はとんだ災難でしたな。山の芋ばかり持ってたのですか」

 「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、ふだん着をみんな取ってゆきました」

 「さっそく困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに──惜しいことをしたなあ。奥さん犬のふとかやつをぜひ一ちょう飼いなさい。──猫はだめですばい、飯を食うばかりで──ちっとはねずみでもとりますか」

 「一匹もとったことはありません。ほんとうに横着なずうずうしい猫ですよ」

 「いやそりゃ、どうもこうもならん。そうそう捨てなさい。わたしがもらって行って煮て食おうかしらん」

 「あら、多々良さんは猫を食べるの」

 「食いました。猫はうもうござります」

 「ずいぶん豪傑ね」

 下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞したが、吾輩がへいぜいけんをかたじけのうする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにもかかわらず堂々たる一個の法学士で、物産会社の役員であるのだから吾輩のきようがくもまた一通りではない。人を見たら泥棒と思えという格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君のおかげによってはじめて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るはうれしいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。こうかつになるのも卑劣になるのも表裏二枚合わせの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人にろくな者がいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君のなべの中で玉ねぎとともにじようぶつするほうが得策かもしれんと考えてすみの方に小さくなっていると、最前細君とけんかをしていったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。

 「先生泥棒にあいなさったそうですな。なんちゅなことです」とへきとう一番にやりこめる。

 「はいるやつが愚なんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。

 「はいるほうも愚だばってんが、取られたほうもあまりかしこくはなかごたる」

 「なんにも取られるもののない多々良さんのようなのがいちばん賢いんでしょう」と細君が今度は夫の肩を持つ。

 「しかしいちばん愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どういう了見じゃろう。鼠はとらず泥棒が来ても知らん顔をしておる。──先生この猫をわたしにくんなさらんか。こうして置いたっちゃなんの役にも立ちませんばい」

 「やってもいい。なんにするんだ」

 「煮て食べます」

 主人は猛烈なるこのいちごんを聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑いをもらしたが、べつだんの返事もしないので、多々良君もぜひ食いたいとも言わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、

 「猫はどうでもいいが、着物をとられたので寒くていかん」と大いに消沈のていである。なるほど寒いはずである。きのうまでは綿入れを二枚重ねていたのにきょうはあわせはんそでのシャツだけで、朝から運動もせずしたぎりであるから、不十分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。

 「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒にあっても、すぐ困る──一ちょう今から考えを換えて実業家にでもなんなさらんか」

 「先生は実業家がきらいだから、そんなことを言ったってだめよ」

 と細君がそばから多々良君に返事をする。細君はむろん実業家になってもらいたいのである。

 「先生学校を卒業して何年になんなさるか」

 「ことしで九年目でしょう」と細君は主人を顧みる。主人はそうだとも、そうでないとも言わない。

 「九年たっても月給は上がらず。いくら勉強しても人はほめちゃくれず、ろうくんひとりせきばくですたい」

 と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっとわかりかねたものだから返事をしない。

 「教師はむろんきらいだが、実業家はなおきらいだ」と主人は何が好きだか心のうちで考えているらしい。

 「先生はなんでもきらいなんだから……」

 「きらいでないのは奥さんだけですか」と多々良君がらに似合わぬ冗談を言う。

 「いちばんきらいだ」主人の返事は最も簡明である。細君は横を向いてちょっとすましたが再び主人の方を見て、

 「生きていらっしゃるのもおきらいなんでしょう」と十分主人をへこましたつもりで言う。

 「あまり好いてはおらん」と存外のんきな返事をする。これでは手のつけようがない。

 「先生ちっと活発に散歩でもしなさらんと、からだをこわしてしまいますばい。──そうして実業家になんなさい。金なんかもうけるのは、ほんにぞうもないことでござります」

 「少しももうけもせんくせに」

 「まだあなた、去年やっと会社へはいったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」

 「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。

 「もう五十円になります」

 「いったいあなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。

 「三十円ですたい。そのうちを毎月五円ずつ会社のほうで預かって積んでおいて、いざという時にやります。──奥さんこづかい銭でそとぼりせんの株を少し買いなさらんか、今から三、四か月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」

 「そんなお金があれば泥棒にあったって困りゃしないわ」

 「それだから実業家に限るというんです。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今ごろは月に三、四百円の収入はありますのに、惜しいことでござんしたな。──先生あの鈴木藤十郎という工学士を知ってなさるか」

 「うんきのう来た」

 「そうでござんすか、せんだってある宴会で会いました時先生のお話をしたら、そうか君はしやくんの所の書生をしていたのか、ぼくも苦沙弥君とは昔いしかわの寺でいっしょに自炊をしておったことがある、今度行ったらよろしく言うてくれ、ぼくもそのうち尋ねるからと言っていました」

 「近ごろ東京へ来たそうだな」

 「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京詰めになりました。なかなかうまいです。わたしなぞにでもほうゆうのように話します。──先生あの男がいくらもらってると思いなさる」

 「知らん」

 「月給が二百五十円で盆暮れに配当がつきますから、なんでも平均四、五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一きゆうじゃばかげておりますなあ」

 「じっさいばかげているな」主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異なるところはない。否困窮するだけに人一倍金がほしいのかもしれない。多々良君は十分実業家の利益をふいちようしてもう言うことがなくなったものだから

 「奥さん、先生の所へ水島寒月というじんが来ますか」

 「ええ、よくいらっしゃいます」

 「どげんな人物ですか」

 「たいへん学問のできるかただそうです」

 「好男子ですか」

 「ホホホホ多々良さんぐらいなものでしょう」

 「そうですか、わたしぐらいなものですか」と多々良君まじめである。

 「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。

 「先だってある人から頼まれました。そんなことを聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。

 「君よりよほどえらい男だ」

 「そうでございますか、わたしよりえらいですか」と笑いもせずおこりもせぬ。これが多々良君の特色である。

 「近々博士になりますか」

 「今論文を書いているそうだ」

 「やっぱりばかですな。博士論文を書くなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」

 「相変わらず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら言う。

 「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとかいうていましたから、そんなばかがあろうか、娘をもらうために博士になるなんて、そんな人物にくれるよりぼくにくれるほうがよほどましだと言ってやりました」

 「だれに」

 「わたしに水島のことを聞いてくれと頼んだ男です」

 「鈴木じゃないか」

 「いいえ、あの人にゃ、まだそんなことは言い切りません。向こうはおおあたまですから」

 「多々良さんはかげべんけいね。うちへなんぞ来ちゃたいへんいばっても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」

 「ええ、そうせんと、あぶないです」

 「多々良、散歩をしようか」と突然主人が言う。さっきから袷一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうという考えから主人のこの先例のない動議を呈出したのである。ゆき当たりばったりの多々良君はむろんしゆんじゆんするわけがない。

 「行きましょう。上野にしますか。いもざかへ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食ったことがありますか。奥さん一ぺん行って食ってごらん。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のないべんをふるってるうちに主人はもう帽子をかぶってくつぬぎへおりる。

 吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんなまねをして、芋坂で団子を幾皿食ったかそのへんの逸事はたんていの必要もなし、またこうする勇気もないからずっと略してそのあいだ休養せんければならん。休養は万物のびんてんから要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有してしゆんどうする者は、生息の義務を果たすために休養を得ねばならぬ。もし神ありてなんじは働くために生まれたり寝るために生まれたるにあらずと言わば吾輩はこれに答えて言わん、吾輩は仰せのごとく働くために生まれたりゆえに働くために休養をうと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでのぼくきようかんですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者はたとい猫といえども主人以上に休養を要するはもちろんのことである。たださっき多々良君が吾輩を目して休養以外になんらの能もないぜいぶつのごとくにののしったのは少々気がかりである。とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外になんらの活動もないので、他を評価するのでもけいがい以外にわたらんのはやつかいである。なんでも尻でもはしょって、汗でも出さないと働いていないように考えている。だるという坊さんは足の腐るまで座禅をしてすましていたというが、たとい壁のすきからつたがはいこんでだいの目口をふさぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、かくねんしようなどとおつな理窟を考え込んでいる。儒家にもせいふうというのがあるそうだ。これだって一室のうちに閉居して安閑といざりのしゆぎようをするのではない。脳中の活力は人一倍さかんに燃えている。ただ外見上はしごく沈静端粛のていであるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもってこんすいの庸人と見なして無用の長物とかごくつぶしとかいらざるぼうの声をたてるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生まれついた者で、──しかもかの多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目してかんけつ同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解しえたる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、ねこなべに故障をさしはさむけしきのないことである。しかし一歩退いて考えてみると、かくまでに彼らが吾輩をけいべつするのも、あながち無理ではない。たいせいに入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしのたとえも古い昔からあることだ。形体以外の活動を見るあたわざる者に向かってれいの光輝を見よとうるは、坊主に髪をえと迫るがごとく、まぐろに演説をしてみろと言うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金のことを考えるなと言うがごときものである。ひつきよう無理な注文にすぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高くみずから標置するとも、ある程度までは社会と調和してゆかねばならん。主人や細君やないしおさん、三平づれが吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながらいたし方がないとして、不明の結果皮をはいでしやせんに売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳にのぼすような無分別をやられてはゆゆしき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこのしやに出現したほどのこんらいの猫であれば、非常にだいじなからだである。千金の子はどうすいに坐せずとのことわざもあることなれば、好んでちようまいそうとして、いたずらにわが身の危険を求むるのはたんに自己のわざわいなるのみならず、また大いに天意にそむくわけである。もうも動物園に入ればふんとんの隣りに居を占め、こうがんも鳥屋にいけどらるればすうけいまないたを同じゅうす。庸人とあいする以上はくだってようびようと化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠をとらざるべからず。──吾輩はとうとう鼠をとることにきめた。

 せんだってじゅうからほんはロシアと大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だからむろん日本びいきである。できうべくんばこんせいねこりよだんを組織してロシア兵を引っかいてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気おうせいな吾輩のことであるから鼠の一匹や二匹はとろうとする意志さえあれば、寝ていてもわけなくとれる。昔ある人当時有名な禅師に向かって、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠をさらうようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすればはずれっこはござらぬという意味である。女さかしゅうしてという諺はあるが猫賢しゅうして鼠とりそこなうという格言はまだないはずだ。してみればいかに賢い吾輩のごときものでも鼠のとれんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころかとりそこなうはずはあるまい。今までとらんのは、とりたくないからのことさ。春の日はきのうのごとく暮れて、おりおりの風に誘わるる花ふぶきが台所の腰障子の破れから飛び込んでおけの中に浮かぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光に白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見回って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線はもちろんあまり広かろうはずがない。たたみかずにしたらじようきもあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋の御用を聞くである。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派なものであかどうがぴかぴかして、後ろは羽目板のを二尺のこして吾輩のあわびがいの所在地である。茶の間に近き六尺はぜんわんさらばちを入れるだなとなって狭き台所をいとど狭く仕切って、横にさし出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下にすりばちが仰向けに置かれて、すり鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根だいこおろし、すりこが並んで掛けてあるかたわらに火消しつぼだけがしようぜんと控えている。まっ黒になったたるの交差したまん中から一本の自在をおろして、先へは平たい大きなかごをかける。そのかごが時々風に揺れておうように動いている。このかごはなんのためにつるすのか、このうちへ来たてにはいっこう要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れるということを知ってから、人間の意地の悪いことをしみじみ感じた。

 これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかといえばむろん鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜な地形だからといって一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所のまん中に立って四方を見回す。なんだかとうごうたいしようのような心持ちがする。下女はさっき湯に行ってもどって来ん。子供はとくに寝ている。主人は芋坂の団子を食って帰って来て相変わらず書斎に引きこもっている。細君は──細君は何をしているか知らない。おおかた居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。時々門前をじんりきが通るが、通り過ぎたあとは一段とさびしい。わが決心といい、わが意気といい台所の光景といい、四辺あたりせきばくといい、全体の感じがことごとく悲壮である。どうしても猫中の東郷大将としか思われない。こういうきようがいに入るとものすごい内に一種の愉快を覚えるのはたれしも同じことであるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横たわっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何匹来てもこわくはないが、出てくる方面がめいりようでないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を総合してみるとぞくの逸出するのには三つの行路がある。彼らがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ回るに相違ない。その時は火消し壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいはみぞを抜くしつくいの穴よりかいして勝手へ不意に飛び出すかもしれない。そうしたらかまのふたの上に陣取って目の下に来た時上から飛びおりて一つかみにする。それからとまたあたりを見回すと戸棚の戸の右の下すみがはんげつけいに食い破られて、彼らのしゆつにゆうに便なるかの疑いがある。鼻をつけてかいでみると少々鼠臭い。もしここからとつかんして出たら、柱をたてにやり過ごしておいて、横合いからあっとつめをかける。もし天井から来たらと上を仰ぐとまっ黒なすすがランプの光で輝いて、地獄を裏返しにつるしたごとくちょっと吾輩の手ぎわではのぼることも、下ることもできん。まさかあんな高い所から落ちてくることもなかろうからこの方面だけは警戒を解くことにする。それにしても三方から攻撃されるねんがある。一口なら片目でも退治してみせる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠をとるべく予期せらるる吾輩も手のつけようがない。さればといって車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたらよかろう。どうしたらよかろうと考えてよい知恵が出ない時は、そんなことは起こる気づかいはないと決めるのがいちばん安心をる近道である。また法のつかないものは起こらないと考えたくなるものである。まずけんを見渡してみたまえ。きのうもらった花嫁もきょう死なんとも限らんではないか。しかしむこ殿どのたま椿つばきもなど、おめでたいことを並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法がつかんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起こらぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起こらぬとするほうが安心をるに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起こらぬときめる。

 それでもまだ心配が取れぬから、どういうものかとだんだん考えてみるとようやくわかった。三個の計略のうちいずれを選んだのが最も得策であるかの問題に対して、みずから明瞭なる答弁をるに苦しむからのはんもんである。戸棚から出る時には吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対するはかりごとがある、また流しからはい上がる時はこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つにきめねばならぬとなると大いに当惑する。東郷大将はバルチック艦隊がつし海峡を通るか、がる海峡へ出るか、あるいは遠くそう海峡を回るかについて大いに心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像してみて、御困却の段じつにお察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。

 吾輩がかく夢中になって知謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子があいておさんの顔がぬうと出る。顔だけ出るというのは、手足がないというわけではない。ほかの部分は夜目でよく見えんのに、顔だけが著しく強い色をして判然ぼうていに落つるからである。おさんはその平常より赤きほおをますます赤くしてせんとうから帰ったついでに、ゆうべに懲りてか、早くから勝手の戸締まりをする。書斎で主人がおれのステッキを枕もとへ出しておけと言う声が聞こえる。なんのためにちんとうにステッキを飾るのか吾輩にはわからなかった。まさかえきすいの壮士を気取って、りゆうめいを聞こうという酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、きょうはステッキ、あすはなんになるだろう。

 はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前にひと休養を要する。

 主人の勝手には引き窓がない。座敷なららんというような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引き窓の代理を勤めている。惜しげもなく散る彼岸桜を誘うて、さっと吹き込む風に驚いて目をさますと、おぼろ月さえいつのまにさしてか、へっついの影は斜めに揚げ板の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二、三度耳を振って家内の様子をうかがうと、しんとしてゆうべのごとく柱時計の音のみ聞こえる。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。

 戸棚の中でことことと音がしだす。小皿のふちを足でおさえて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来るけしきはない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かにかかったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向こう側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向こうに現在敵が暴行をたくましくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならんずいぶん気の長い話だ。鼠はりよじゆんわんの中で盛んに舞踏会を催している。せめて吾輩のはいれるだけおさんがこの戸をあけておけばいいのに、気のきかぬ山出しだ。

 今度はへっついの影で吾輩のあわびがいがことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄るとおけの間からしっぽがちらりと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶わんが金だらいにかちりと当たる。今度は後ろだとふりむくとたんに、五寸近くある大きなやつがひらりと歯みがきの袋を落として縁の下へ駆け込む。逃がすものかと続いて飛びおりたらもう影も姿も見えぬ。鼠をとるのは思ったよりむずかしいものである。吾輩は先天的鼠をとる能力がないのかしらん。

 吾輩が風呂場へ回ると、敵は戸棚から駆け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上がり、台所のまん中にがんばっていると三方面とも少々ずつ騒ぎ立てる。しやくといおうか、きようといおうかとうてい彼らは君子の敵でない。吾輩は十五、六回はあちら、こちらと気をつからししんをつからしてほんそう努力してみたがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかるしようじんを敵にしてはいかなる東郷大将も施すべき策がない。初めは勇気もありてきがいしんもあり悲壮という崇高な美感さえあったがついにはめんどうとばかげているのと眠いのとつかれたので台所のまん中へすわったなり動かないことになった。しかし動かんでも八方にらみをきめこんでいれば敵は小人だからたいしたことはできんのである。目ざす敵と思ったやつが、存外けちなやろうだと、戦争が名誉だという感じが消えてにくいという念だけ残る。にくいという念を通り過ごすと張り合いが抜けてぼーとする。ぼーとしたあとはかってにしろ、どうせ気のきいたことはできないのだからとけいべつの極眠たくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中にっても必要である。

 横向きにひさしを向いて開いた引き窓から、また花ふぶきをひとかたまりなげこんで、はげしき嵐の我をめぐると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出したものが、避くるもあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ食いつく。これに続く黒い影は後ろに回るかと思うまもなく吾輩のしっぽへぶらさがる。またたくまの出来事である。吾輩はなんの目的もなく器械的にはね上がる。満身の力を毛穴にこめてこの怪物を振り落とそうとする。耳に食い下がったのは中心を失ってだらりとわが横顔にかかる。ゴム管のごとき柔らかきしっぽの先が思いがけなく吾輩の口にはいる。屈強の手がかりに、砕けよとばかり尾をくわえながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当たって、揚げ板の上にはね返る。起き上がるところをすきまなくのしかかれば、まりをけたるごとく、吾輩の鼻づらをかすめて釣り段の縁に足を縮めて立つ。彼はたなの上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光が、大幅の帯をくうに張るごとく横にさしこむ。吾輩は前足に力をこめて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁にかかったがあと足は宙にもがいている。しっぽには最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢いで食い下がっている。吾輩は危うい。前足を掛けかえて足がかりを深くしようとする。掛けかえるたびにしっぽの重みで浅くなる。二、三すべれば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板をつめでかきむしる音ががりがりと聞こえる。これではならぬと左の前足を抜きかえる拍子に、爪をみごとに掛け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶらさがった。自分としっぽに食いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと回る。この時まで身動きもせずにねらいをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩のひたいを目がけて棚の上から石を投ぐるがごとく飛びおりる。吾輩の爪はいちのかかりを失う。三つの塊が一つとなって月の光を縦に切って下へ落ちる。次の段に乗せてあったすりばちと、すり鉢の中の小桶とジャムのあきかんが同じく一塊となって、下にある火消し壺を誘って、半分はみずがめの中、半分は板の間の上へころがり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死に物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。

 「泥棒!」と主人はどうごえを張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプをさげ、片手にはステッキを持って、寝ぼけまなこよりは身分相応のけいけいたる光を放っている。吾輩は鮑貝のそばにおとなしくしてうずくまる。二匹の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持ちぶさたに「なんだだれだ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光の一帯ははんきれほどに細くなった。

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