第30話 再認定された希望

 王が女の前で跪いている。

 女は畑仕事の手伝いと、そこで取れた穀物、野菜を配るという生活をしていた。


 だから、王の前に出てよい身なりをしていない。


 王オミンの服装は無論、王のソレ。


 形骸化したと聞いてはいるが、今だ貴族と平民の違いが色濃く残る我が国。

 いや、そうでなくとも、地位と服装は結びついているものだろう。


「シオリ、おめでとう!」


 シオリを揺さぶる女の声、彼女を生んだと分かる相貌の美しい女性。

 そして、そこに並ぶのは地位を失ったで有名な彼女の父。

 

「流石、我が娘。……いや、我が救世主様」

「シオリに感謝しなさいよ、お父様?」


 彼女の姉もそこにいて、彼女に一歩踏み出させる条件は揃っていた。

 無論、気になる人物の姿もあったが。


「誠に申し訳ございませんでした!」


 勢いよく、額を床にぶつける男。

 その体重のせいか、本当に木の床の形が変わってしまう。

 この国を裏で動かす重鎮、ベルモンド家当主、オズワルド。


「まさか、聖女が一人という伝説が間違っているとは、——いえいえ、これは私の重大な過失です。」


 半眼、というより白目を向けそうになる男ではある。

 だが、その男が話した中身は紛れもなく、彼の言葉と同じである。


 ——聖女が一人とは限らない。


 人々の希望となれる聖女なら、何人でも居た方が良い。

 その言葉も十分に彼女を突き動かすものだった。


「話を聞かせてください。そして顔を上げてください。我らが王。」


 翡翠の髪色の男はその様子を後ろから観察していた。

 しかも、目を剥き、言葉を失っていた。

 異変に気付いたからではなく、単に彼の私情の問題。


「神官に聖書を調べないさせたのです。……詳しくはここでは説明できませんが、とにかく王宮に来ては頂けませんか?」


 王の側近がそう言った。

 王は未だに顔を上げてはいない。

 その状況も彼女の背中を押す。

 そして、青年の足を廊下の床に縫い付ける。


「分かりました。着替えを済まして、すぐに向かいます。ですから王!」

「……ありがとう。私が間違っていたというのに。」


 王はゆっくりと立ち上がり、そのまま翻って廃教会の外へと向かった。

 そして、王の姿が見えなくなると、聖女の家族が駆け寄った。


 だから、青年はそのまま立ち尽くす。

 少女が一度振り向くが、彼には頷くことしかできない。


「じゃあ、行ってくる。」


 そう、目の前で行われていたのは、革命前の世界。

 あったかも分からない、革命の前。

 そこには見えない壁でもあるようだった。


 元々、彼の今の存在理由は彼女を守ること。

 だって、彼女は紛れもなく聖女。

 ただ、今にして思うと驕りも良いところ、今までは自分だけの聖女だった。

 

 確かに青天の霹靂ではある。


 だが、今の彼女は本来あるべき姿の聖女。

 国が認める聖女に彼女はなるのだろう。


 最初から、その扱いを受けていれば、彼と彼女は出会うことさえなかった。


 農民がしゃしゃりでて、「ほら見たことか!」と言ったところで、品を損なうだけ。

 それも、彼女の品を。


 一つ、難癖をつけるなら、今までの扱い、そしてクリスティーナという存在だが、聖女が何人もいても良いと言ったのは彼自身。


 そして、彼は今でもそれが正しいと思っている。


 だから、声にならない「頑張れ」を言うしかない。


 そんな彼を救ったのは、王も近衛兵も馬車もソルトレイク家もいなくなった閑散とした廃教会に住む人物。


「なんだかよく分かりませんが、畑でも耕していきますか?」


 という、デニーの言葉だった。


 一介の農夫に出来ることは畑を耕すことくらい。


 だから、彼は黙々と畑の土いじりをした。

 けれど、狭い敷地なので今の彼のスキルでは直ぐにやることを見失った。


 肩透かしを食らわなければ、やるべきこと、考えるべきことはたくさんあった。

 その全てがお上に取り上げられた。


「元々、俺が考えることじゃないしな。……シオリ……様って呼ばないとだな。」


 空は相変わらず、世界の終わりを告げている。

 ここしばらくは水の確保に苦労させられたのだ。


 この地、エクスクラメイト王国に封印されていた厄災は『蝗害』

 セミコロンは『疫病』、コロンは『冷害』、他の地方のどこかに『干害』が封印されていてもおかしくはない。


 だから、彼女の持つ力は人々を救うものだった。


 だから、今回の式典にこれだけの民衆が集まっている。


「シオリちゃーん!こっち向いてー!」

「シオリ様!今日もお綺麗です!」


 あの逃避行がなければ、これだけの式典は行われなかっただろう。

 現に、シオリが17歳を迎えた時も、王の隣に立つクリスティーナの時も、式典は行われなかったらしい。


「それだけでも十分、意味があったんじゃない?ほら、あんたも声をかけてあげなさい。多分、聞こえないけど。」

「聞こえないなら意味ない。」

「……まぁ、そうかもだけどねぇ。それにしても髪を茶色く染めたらあっという間にその辺の誰かみたいになっちゃったね。」

「どういう訳か、俺だけはまだ手配犯。仕方ないだろう。」


 隣にはリンダとジョージ。

 あれから、イヅチは鷹の希望団で寝泊まりしている。

 と言ってもたったの三日だが。


「皆!静粛に!」


 誰かと思えば、いつも斧や鍬でお世話になっているベルモンド伯。

 彼自らが今回の式典の進行をするらしい。

 シオリの姿はお姫様のそれと変わらない。

 初めて会った時は良い生地ではあったが、派手とは思わない服だった。

 土に塗れていたから、そう見えただけ?

 いや、あの時の彼女は間違いなく冷遇されていた。


 でも、今は誰がどう見ても国で一番偉い人と肩を並べる存在だ。


「エクスクラメイトの民よ。そしてコロン、セミコロン、スラッシュ、キャレット、ピリオドより移り住む民よ。聞いてほしい。私は恵まれている。クリスティーナだけではなく、私のひ孫のシオリも聖女であったのだ。」


 殆どの民はそのゴタゴタを知らない。

 そして、シオリを知っている者はシオリの身分さえも知らなかった。

 だから、ここで初めて知ることになる。


 その証拠に地鳴りのような歓声が上がる。

 もはや届かぬ存在になってしまった彼女。

 いや、最初から届くはずもなかった彼女。

 ちょっとした手違いで、同じ時間に同じ場所にいただけの彼女。


 青年は何かが喉に詰まったまま、尊敬すべき聖女誕生の時を見守っていた。


     ◇


 あの日、私は彼の冷めきった顔を見てしまった。

 だから、……いえ。

 私は単に彼に声を掛けなかっただけだ。


 家族が居たことが一番大きかった。

 あの父が久しぶりに明るい笑顔に戻っていた。

 母と姉は変わらず優しい顔をくれた。


 まるでこの二年がなかったことになったかのようだった。


「——というわけで、実は秘蔵されていた聖典の解釈違いだったのです。誠に申し訳ございませんでした。」


 最近埃を払ったと分かるボロボロの本を広げられても、全く頭に入ってこなかった。

 だから、私の隣の母が代わりに答えてくれた。


「つまり六つの国にも意味があったと?……では、一つの国に一人の聖女がいる、と?」

「いえ。そうではありません。六つの国の同じ時に聖女がいた、という記述が見つかったということであり、出生については書かれておりません。聖典に出てくる言葉は聖女のみ。ですから、一人の聖女が奇跡を起こして同時に複数個所に現れたと考えていたわけでして……」


 滝のような汗の教会関係者。

 そして、不貞腐れた顔のクリスティーナ。

 彼女のその顔を見るだけでも、少しは気分が良くなる。

 ただ、聖女がそれほど多くいたことには驚きだった。


「ふむ。つまりはワシの主張は正しかったということ。オミンめ。このワシをないがしろにしおって。」


 つまり父、ゲハルト・ソルトレイクは爵位を再び授与された。

 二年前の続きが始まったということ。

 とはいえ、大厄災のグヘバエルは未だ健在、やるべきことが残っている。

 

 ——らしい


 ただ、どうして自分も合わせて七人もいるのか。

 それについても、彼ら曰く。


「多い方が良いに決まっています。」


 ということ。


 そしてあっという間に式典が始まったのだが、民衆は理解をしているのだろうか。

 世界が今、滅びかけていることを。


 ただ、私は舞台に上がる前にクリスティーナに言われたことで頭が一杯だった。


「え?……どうしてまだ手配されているの?」

「仕方ないでしょ。アメリアが血眼になって探しているんだし。それに……、彼はあの日三億アスタリスクで買われたの。そして二千万持ち逃げ。送金先も偽住所。叩けば埃だらけ、流石に取り消せなかったの。」


 クリスティーナの笑み、だけど彼女の目は笑っていなかった。

 だからこそ、私は後悔した。

 どうして、彼を連れてこなかったのかと。

 聖女の列に加わることで、恩赦を得たのは父。


 ——それさえも計算されていたことに、彼女はあの時点で気付けなかった。

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