第20話 土いじりの男とお嬢様

 今日も今日とて、男は畑に向かう。


「ねぇ。私の加護も邪神のものなの?」


 彼の様子を見ながら、女は何気なく彼に聞いた。

 すると男はそこで鍬を土に突き刺した。

 そして、地面をまぜっかえしながら返事をする。


「——人間は弱い。だから、神様は加護をくれた。それは間違ってないよ。それが生き辛いって思う人もいるだろうけど。シオリの力はどう考えても良いものだ。」


 彼は自分の役割を理解しているのだろうか、あの日から自分のことを守ってくれているように思える。

 ただ、彼が世界を救うとは思えないのも確か。


「……私の力が世界を救うとは思えないけどね。」


 すると、男は汗を拭いて天を仰いだ。


「うーん、どうだろうな。……まぁ、雨を降らしてくれたら、最高ではあるんだけど。」

「はぁ……。天候を操る魔法かぁ。勉強が嫌いだった私が言うのもなんだけど、そんな魔法、聞いたことないわね。」


 女は肩を竦めて空を仰いだ。

 この村はあまりにも環境が悪い。

 それもあって、彼らはここで密かに暮らせていたのだろうけれど。


「お姉ちゃん!お勉強教えて!」

「バーカ。先生だろー。先生!外の世界の事教えて!」


 それが今の彼女のもう一つの仕事。

 もうすぐ、この世界は一大転機を迎える。

 要は、新しい聖女が世界の頂点に君臨する。

 本当は自分がその役目の筈だったけれど、魔物と戦えないのなら、その資格はない。


 ——本当に、その話をして良かったのだろうか。


「どうも、すみません。長がその気になってしまいまして。」

「いえ。私にできることは少ないですから。それにここにいれば安心……。あ、そういえばジーンさん。私たちの世代で逃げて来た人はいないんですか?」


 するとくすんだ金髪の男は黙考した。

 そして、言っても良いと判断したのか、子供たちの手を引きながら語り始めた。


「まず、エクスクラメイト王国からは一人も来ていません。僕の祖は三百年前にあそこから逃げ出したらしいのですが、農夫の彼の言っていることは本当のようですね。何かの強制力で人身御供の祠に入らされたのでしょう。」


 その言葉に息を呑む。

 灰を被った少女は胸に手を当てて、あの時の事を思い出す。


「……私もそうだったのかもしれません。あの時はそれ以外の方法が思いつかなくて」


 すると、彼は目を剥いて驚いた。


「このようなお美しいお姫様まで惨いですね……」

「あ、いえ。その……」

「既にお相手がいるようで残念です。僕だったら絶対に貴女をそんな目には遭わせないのに。」

「イヅチはそういうんじゃありません!ビジネスパートナーです!」


 実際、今も彼はこちらを見ずに黙々と土いじりをしている。

 確かに、必要とされている嬉しさはあるが……


「へぇ。そっか、そうですか。それなら僕にもチャンスありですね。……この村では僕に頼ってください!」


 将来の事など、考えていなかったが、今は別の意味で自由なのだ。

 家に縛られなくても良い。

 そんな気持ちが少女の中に芽生え始める。


「と、とにかく世界が平和になったらです!」

「ですね!……そういえば、先の話の続きですが、セミコロンの冒険者で逃げて来た者はいますよ。今度紹介しますね。うちのかけがえのない戦力ですから。」


 つまりジョブを持つもの。

 そして、少なくともランクC以上の者。

 そうでなければ、封印の解除は出来ない。


「ねー、先生!早く―!」

「とのことです。長の家に急ぎましょう!」

「はい!」


 そして少女も子供の手を取って、彼と一緒に走り出した。



 ——まるで、青春真っただ中の少女のように。



 翡翠の青年はその様子を片目で見て、ため息を吐く。


「へぇ、あんな楽しそうな顔も出来るんだな。……そうだよな。普通、農作業なんて退屈なだけか。でも、俺が出来ることは土いじりだけだし、俺も神ジョブスによって道を決められた一人……か。」


 そして青年はまた地面に向かう。


「水が少なくても良い作物……、とりあえずはこれかな。」


 彼はその土地に合った作物を育てるスキルは持つ。

 でも、種まで出せるわけではない。

 S級冒険者に好きなだけ買えと言われたから、たくさんの種を今も持っている。


「俺に出来ることって、ほーんと少ないよな。」


 彼にしか分からないことがあるのだが、今のところ言語化が出来ずにいる。



     ◇


 隠れ里の人数はたった百人。

 平均年齢は20歳。

 男女比率は同じくらいである。


「リッタ、そこは違うわよ。ここはこう。」

「うーん、難しいって!」

「あたしは出来るもん。先生、どう?」

「大正解!メメちゃんは算数の才能があるのね!」


 一か月は経っただろうか。

 私はこの村の生活に馴染みつつあった。

 ここは世間とは隔絶された村。

 聖女とか偽聖女とか、考えなくて良い村。


「シオン。そろそろ休憩にしよう。リッタもメメもスメアもデントも少しは自分で勉強しなさい。」

「はーい。」

「はーい。」

「っていうかぁ、ジーンは先生を独占しすぎ―」


 なんて、子供たちの会話なんて、私の過去には無縁だった。


「じゃあ、また明日ね。」

「おーい。シオリ!」

「なんだ、ベスト。シオリは今、子育てで疲れてるんだ。どうせ狩りの得物自慢だろう。後にしてくれ。」

「んだよ、その子育てってよぉ。それより見に来てくれよ、シオリ!でっかいイノシシ飼ったんだ!」

「イノシシ!凄いね!ジョブとか持ってないんでしょ!」

「そんなの経験でなんとかなんだって。」


 若者が多い村。

 子供が多い村。

 女性もいるが、彼らは私の相手を進んでしてくれた。


「あれ。今日も兄貴はいねぇのか?」

「いないよ。彼は朝早く、夜も早いからね。」


 全くその通り。

 だから三週間、ほとんど彼の姿は見ていない。


「若者の生活をしてないのよ、彼は。」

「全くだね。畑は有難いけど、俺達が狩りに行った方が早くね?って感じだしな。」

「ま、そうだよな。それにここの土地は痩せてるから、労力と見合わないんだよなぁ。でも、まぁ。そんなとこが兄貴なんだろ?」


 この村は若者が多いが故に狩りが主な仕事だった。

 ただ、もうすぐ世界は再編される。

 歴史に倣うなら、また一つの大きな国に戻るかもしれない。

 その時が彼らの社会復帰のチャンスである。

 だからこそ、私は子供の教育を申し出た。

 それが聖女に相応しい行動と思ったからでもある。

 そして、この後のベスト青年の言葉が私の胸を抉る。


「それがイヅチの本来の姿なんだよ。やっと彼のペースに戻れたんだ。農夫なら普通はここまでの手配犯にならない。彼は巻き込まれたと思ってたんだろうさ。」


 考えたこともなかった。

 確かに彼は逃亡犯かもしれない。

 でも、彼が依然教えてくれた。

 彼が所属していた団体、鷹の希望団は逃げた冒険者が作っていた。


「そっか。私が迷惑をかけてたんだ。」

「いやいや。そういうわけじゃなくてさ。ここからは俺達が守るって話!」

「そうそう。僕が君を守るから!」

「俺の方が強いからな?ジーン、お前は調子に乗るな。大体独占しすぎなんだよ!」


 そう、ここからが私の人生のスタートなのだ。

 だから、ここまで連れて来た彼には感謝しつつ、彼を開放してあげようと思った。



 ——それから更に三週間経った。


「ねぇ、シオリ。そろそろ僕たち、良いと思わない?僕は君のことを愛しているんだ。その白い髪もすごく素敵だ。」

「え……、えと。も、もう少ししたら、考えさせて。」


 ジーンは次第に積極的になっていった。

 私は少し戸惑いつつも、彼の好意だけは素直に嬉しかった。

 私の言いつけを守って、身綺麗にしてくれているし。


「シオリ!シオリ!今晩、うちに来ねぇ?」

「あ、えと。私、子供たちに教える教材を作らないと……」


 ベストもそんなことを言ってくれる。

 聖女は多くの夫を持っていたという。

 つまり、そういうことなのかもしれない。


「聖女様!俺と今度さ……」


 ギリもこんな感じ。

 他の男もそう。

 長であるハイジーンも、姫にならないかと言っている。


「もう少しで大手を振って外を歩けるようになるから、それからでも遅くないと思います……」


 嬉しい反面、少し怖かった。

 聖女として認められていたら、同じ状況だったのだろう。

 ならば、ちょっとだけ考えても良いかもしれない。


 そう、私の中に彼はもういない。


「そろそろ、私も恋愛しても良い……のかな。」



 ——明日から私はこの村で。


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