第11話 シオリの過去

 少女は溜息を吐いた。

 目の前の男は何も知らない。

 いや、知らないのは自分も同じかもしれないけれど。


「ねぇ、名前。聞いてなかったから。」


 全く、平民は口の利き方を知らない。

 いや、このプライドこそが自分を追い込んだのかもしれないけれど。


「あ、そか。まだ言ってなかったっけ。俺の名前はイヅチ。つっちーって呼ばれているけどな。」

「へー、ふーん。じゃあ、イヅチね。つっちーとか、言い難いし。」

「どっちでもいいよ。……で、どうした、急に。」


 美味しくない何かを食べて、水を飲んだら落ち着いてきた。

 自分の置かれている現状、そして彼が何も知らないということも分かった。


「私のことを話そうと思ったの。どっちも状況変わらないし。」

「……だな。俺の職業は農家。小作人から農家に昇格して……、まぁ農家ってのはやっぱりおかしいから農夫って言った方が良いかな。」

「……ますます、あんたがここにいる意味分からないわね。どうして冒険者になったの?」

「俺だって知りたいよ。俺の出身のムツキ村には畑が無い。そんで流れに身を任せていたらこんなことになった。」


 やはり、意味が分からない。

 ただ、それを言ったら私も同じだった。


「そう、だったら次は私ね。そう……、私はあの日、窓から外を眺めていたの……」

「いや、そういうのいいから。要点だけでオッケーだぞ。」

「いるのよ!黙って聞きなさいよ!」



 私はあの日、一人で豪奢な部屋から外を眺めていた。

 そして、道に行き交う人々を何も考えずに見下ろしていた。


「下賤な者どもが歩いている。市民革命のせいで、貴族はあらゆる権利を剥奪された、それは分かっているけど……」


 夕暮れ時、仕事帰りの男女が笑いながら歩いている。

 そんな人々を邪魔するように窓に白髪の女が映っている。


「あ、もうこんな時間。……今日もちゃんとお勉強してるフリをしなくちゃ。」


 真っ白な髪、これが自分の血統の証だった。

 母親のものではない。

 母の髪はもう少し金色が混じっていた。


「この本、難しすぎ。意地悪問題か?」


 この髪色を理由にとにかく大切に育てられた。

 他の王の血筋の娘よりもずっと大切に。

 

「シオリ・S・ソルトレイク。私は選ばれた人間、だからしっかりしろって言われても……」


 ——コンコン


「シオリ様、夕食のお時間です。」

「はい。今行きます。」

「シオリ。食事前にちゃんとお祈りを捧げなさい。」


 この男は私の父親、ゲハルトという名前の男。

 エクスクラメイト王国の王の血筋と彼は言っているが、それが本当なのかは定かではない。

 少なくとも、街の人たちは彼を王族とは認めていない。


「はい。お父様。」


 爵位は伯爵。

 けれど、自分たちは王家の血筋だと彼は言う。

 いつからか枝分かれしてしまっただけだと彼は言う。

 それを言ってしまったら、行き交う人々だって王家の血筋かもしれない。

 だって、少なくとも世界の歴史は三千年も遡れるのだ。

 エクスクラメイト王国だって約三百年の歴史がある。


「私たちか弱き人間を導き神、ジョブス様。私は今日も穢れなき日を過ごしました。」


 私の生活は全て管理されている。

 身も心も穢れのない存在、それが私のことらしい。

 七年前までは庶民だったから、通俗的な食べ物を好んで食べていた筈だ。


「シオリたーん。神様の前なんだからもっと明るい顔しなよー。」


 姉がこちらを見ずにそんなことを言う。


「す、すみません。」

「ルジーナ。今、シオリはお祈り中だぞ。」

「貴方。もう少しなんだから、落ち着いて」

「お前ももうちょっと……。いや、そうだな。よくここまで辛抱したな。」


 母はそんな父を良しとしない。

 そも、母の方が家柄は上なのに、私という存在が生まれたことを父は全て自分の血統だと主張した。


 そして、もうすぐこの生活も終わる。

 自分でもよく耐えたと思う。

 よく逃げ出さなかったと思う、——いや、殆ど監禁状態だったから逃げることなどできなかった。

 全てはこの白い髪のせい。


「おい。シオリの髪が痛んでいないか?ちゃんと聖水で洗っているのだろうな?」


 この国、いや世界に伝わる伝説がある。


 ——六つの厄災と一つの大厄災を封じた「聖女の伝説」



「間違いなく今年なのだ。来年ではない。まさか、オミンの奴が噂を封じておったとはな。これでソルトレイクは王家へと。いやワシは皇帝となるんじゃ!」


 この男は狂っている。

 家族を傷つけていることに気付いているのだろうか。

 それとも、貴族とはそれさえも良しとしているのだろうか。


「明日までの辛抱ね。本当にシオリが聖女なのか、はっきりするわね。」


 姉はどれほど苦しい思いをしただろうか。

 彼女は与えられていない、真っ白な髪ではなかったから。


「もしも聖女でなければ、私は……」


 捨てられるのだろうか、姉にも今はここにいない兄も皆、私のせいで良い思いをしてこなかった。

 いや、その時こそが逃げ出すタイミングなのかもしれない。


 どこかの冒険者に拾ってもらえたら?


「さぁ、シオリ。浴室へ迎え。しっかりと清めてもらうのだぞ。」


 彼が私を聖女とした根拠は二つ。

 一つはこの真っ白な髪色で今年17歳になるのが、私だけだったこと。

 そして、もう一つは占い師が私だと宣言したこと。


 ——たったそれだけだ。


 その為に私は毎日決められたルーティンだけを強いられた。

 着るものも選べない、食べるものも選べない。

 外に出ることも、友達を作ることさえも出来なかった。


「シオリ様。では、浴室へ。」


 アグネス・セーター。

 彼女が私の専属侍女。

 彼女も嫌ではないのだろうか。

 私がルーティンを強いられるということは、彼女もそれを強いられている。


「いつもすみません。」

「いえ。今日で最後ですから。シオリ様が聖女であろうと、なかろうと、私の務めは明日の御着替えで終わりでございます。」


 胸が締め付けられる思いだった。

 ずっと、二人三脚で歩いて来たつもりだった。

 私が文句を言う相手は、いつも彼女だった。

 けれど、彼女の仕事はこれで終わり。


「アグネスは辞めてしまうのですか?」

「辞めませんよ。この任が終わるだけです。長かったですけど、やっと解放される。もう少しの辛抱です。」


 これはこれで心臓を潰されそうな言葉だった。

 聖女だったのなら、それに相応しい場所へと連れて行かれる。

 もしくはトップランクの冒険者と行動を共にする。

 聖女でなければ、——ただ、捨てられる。

 その時につけられた職種で生きていくことになるだろう。


 ただ、彼女には関係ない。


「そうですね。本当にすみません。私が居てしまったから。」

「……それは違いますよ。旦那様の行動も奥様が我慢していることも、全ては神の導きです。私が侍女であることさえも。」


 成程。

 つまり神様が全部悪い。

 そして、それを信じてしまっている世界が悪い。


「では、おやすみなさいませ。」

「うん。おやすみ、アグネス」


 白い髪だと強調する為に髪はかなり長い。

 だから、早めに食事を済ましても、こんな時間になってしまう。


 明日になれば、何かが変わる。

 それは間違いない。

 王都エクスクラの大聖堂で私の人生が決まる。



「…………」

「何?」

「いや、説明上手いな。っていうか、冒頭の下り必要だったか?」

「それくらいの気持ちでいないと、おかしくなりそうだったの!」


 男は半眼で私の話を聞いていた。

 しかも、だらけた姿勢で。


「……ふーん。だから髪の毛か。それにしても聖女様って白い髪だったのか?」

「言い伝えによればね。……でも、問題はそこじゃないの。」


 そう、それこそが彼が何も知らなかった理由。


「——三百年前の聖女様はそういうことにお盛んだった。それが世界が六つの国に分かれた理由だもの。」

「……え?聖なる乙女ではなくて、性なる乙女だったってこと⁉」

「それはそうでしょう?世界を救ったことで引っ張りだこ。我が儘、贅沢三昧で、何人もの夫がいたという話だもん。これ、私がバラしたって絶対に言っちゃダメだからね!」


 男が半眼を止めない。

 私は真剣だというのに。

 睨み返すが、睨み返される。


「でもさ。だからこその課金ガチャなんだろ?……いや、そうか。課金ガチャの方は血統で決まるんだっけ。」

「……ある程度は……ね。そして貴方がそうだったように、私もあの日十七歳を迎えたの。」

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