第9話 農民として血が騒ぐ

 イヅチは溜息を吐いた。


 無酸素運動で逃げ続けた彼にも天の恵みは与えられる。

 つまり、脳が漸く動き始めたのだが、どうにも雲行きが悪い。


「まず、鷹の希望団。あそこで俺たちは鍛えられていた。そして彼らの目的は俺達を育てて、冒険者に売りつけることだった。その方法は確かに理に適っていると思う。」


 焦ってい色々口走った記憶は、多分、脳内の暴走。

 けれど、今は違う。


「そこで俺はアメリア隊に売られた。そして前金が俺に渡された、……はい、ここ!怪しくない?なんで、俺。こんな怪しい行動に目を背けていたの?」


 とはいえ、知らないことは知らない。

 先ほど、矮小な脳と言われたばかりである。


「……でもそこにデスモンドは居なかった。ただ、俺はアイツのその後を知らない。聞いてもいない。もしかしたら別の隊に移動になった?」


 だが、何も知らない彼にも分かることがある。


「俺がモンドを見た時、何かがおかしかった。何って訳じゃないけど、背筋が凍り付いたというか。あの感覚は本物……、いや、多分としか言えないけど。」


 この国は中途半端な革命の途中。

 まだ、平民と貴族の隔たりは残っている。


「だから俺たちに与えられる知識は最低限。……俺の勘だけど、モンドはもう」


 これだけは確信が持てた。

 なんせ、あの時もアメリア隊はデズモンドと言っていなかった。

 全く俺と同じ状況だった。

 だったら、やらされたことも同じ。


 ——封印の解除


「これは多分間違いないんだけど、問題は封印解除して戦うと説明を受けていたことだよなぁ。あそこで俺が封印を解除して、そこで俺が一緒に戦う流れだった。」


 でも、俺は突然のことに焦って、いやあの時建物が消えた気がして、凄い形相のあの子が立っていて。


「俺が戦えないことは、俺が一番よく知っている。……だから、俺の生存本能がいつの間にか地面を掘っていた。……そうだ。あの時の感触は土。俺がアメリアさんに買って貰った農具は最新式のものだったから。……って、そこは今は置いておいて。」


 やっぱり、俺は封印解除後にすたこらさっさと地面を掘って逃げている。

 歩いていれば、知らない誰かに出会うかもしれない。

 そこで鷹の希望団を知りませんか、と聞いたら多分教えてくれる。

 でも、鷹の希望団に苦情が入っていないだろうか。


『おたくで買った、ツッチーとかいう奴!肝心な時に逃げたんだけど!」


 あの陶器の人形のようなアメリアさんがそんな口調で話すかはさておき、ラルフェン辺りは言ってきそうだ。


「だから鷹の希望団に戻るっていうのは無し。だから、俺にできることは死んだふり……」



 実は先ほどから彼は同じ内容を壊れたおもちゃのように繰り返している。

 その理由は二つ。

 彼の存在が詰んでしまっていること。

 状況から彼が逃げたことは明確である、一瞬だけ過った生贄にされたという考えも、その後一緒に戦う予定だったで一蹴される。

 しかも、S級冒険者。

 C級冒険者、そして農業系職業の彼の言葉を信じる者がいるかどうか。


 そして、思考がくるくる回っているもう一つの理由、実はイヅチとは全く関係ない。


 あの後、少女は海の方、それから山の方、海に沿って北へ歩く、そして南へ歩く、という行動を繰り返している。


 あれが、気になって仕方がない。


「あの……さ。もしかして、道に迷ってる?」

「…………別に。下賤なる庶民には関係ないの。」

「いや、だって。さっきから同じところをグルグル回っているよ。海を泳げば別かもしれないけど、多分、ここって普通じゃ来れない場所……。あんなところにエクスクラメイト王国最大の魔封じの祠があったから。多分、普通の人は寄り付かないし……」

「——‼……それくらい分かっていました。……でも、私なんて放っておいて下さい。」


 彼女の喋り方にも変化があった。

 あの時はお互いに精神が普通ではなかったのだ。

 時間が経てば経つほど、彼女は悲しそうな顔を時折見せるようになった。


 そして、そんな彼女を見ると、何とかしてあげたくなってしまう。

 自分の状況はさておき、困っているなら助けたい。

 立ち上がって、彼女の為に道を探そうと。

 


 ——ただ、ここで。


「あれ……?砂浜だと思ってたけど、この部分だけ良質な土がある。さっきの土砂かな。……いや。途中はともかく最後の方は乾いて栄養価の低い土の香り、それにただの石の匂いだった。」


 つまり、物凄く限局的にほんの少しだけの良質な土が地面にある。


「……やばい。耕したい。あの子のことも気になるけど。一年間刷り込まれた俺の習性が、ここを耕せと言っている。」


 職業は農家。

 そして冒険者ランクでいうとC級、しかもその中でも上の方。

 加えてだ。


「あの使い方は間違っている。俺は、俺の鍬はベルモンド製の最新モデル。約20平方メートルしかない畑用の地面が俺を手招いている!」


 スキル・超感覚(農作用)

 畑に関わらず、上質な土とそこを畑とした場合の収穫量さえも見抜ける。

 

 だから青年は鍬を構え、その限られた大地に突き立て始めた。

 そして、その彼の言動に少女の肩が跳ねる。


 あの男は狂ったのか、と。


「いや。これだけでは不十分だな。何より水源を見つけなければ。……でも、俺の予想なら。」


 彼は立ち上がる。

 そして海際にいる少女に背を向けて、崖に向かって一歩、二歩。


「違う。こっちじゃない。えっと、ここ?この先。」


 狂ったようにしか見えない男、先までの自分に言えたことではないが、今度は彼の方がうろうろと歩き始めた。


 ——あの平民にも、何か理由があるの?


 白髪の少女は固唾をのんで見守った。


「多分、すごく昔。ここは一番下だから関係ないかもしれないけど、……多分、水路があった。地下水かもしれないけど。この辺。」


 スキル・超感覚(農作用)

  畑に必要な水源を嗅ぎ取り、そこから用水路を作ることが出来る。

  C級の中でも上位のスキル。


「ベルモンド製の最新式つるはしを買って(もらって)おいて良かった。」


 青年はつるはしを両手に持って振りかぶった。

 そして、昭和時代のビデオゲーム機の如く、ガンガンと掘り進めた。

 その結果。


「思ったほどじゃないか。……地下水脈って訳じゃないのか。」


 ただ、そこで。


「あの。お水が出るんですか?」

「……え?えっと、泥水だったから飲まない方がいいかも?」


 すると、少女は踵を返してまた海の方へ足早に歩いていった。


「ま。仕方ないよな。俺、魔法使えないし。でも、ちょろちょろ程度だけど、これだけあれば多少は潤うか。」


 そこで彼のとりあえずの仕事は終了である。

 いや、頼まれていないから仕事ではないかもしれないが。

 沸き立つ血の叫びは抑えることが出来た。


「…………」


 彼女の近くを通ると、明らかに顔を背ける。

 何となくの雰囲気で分かる。

 彼女は貴族だ。

 アメリアと雰囲気や喋り方は違うが、同じ何かを感じる。


「なら、下賤なる者たちとは話したくないか。まぁ、いいけど。俺が巻き込んでしまったわけだし、道を探すくらいなら俺も手伝うから。勝手に手伝うだけだから、気にするな。」


 勝手に探す。

 俺は暫く姿を見せたくない。

 見つからなければ、死んだものと思われる筈だ。

 だから、あくまで探すだけ。

 流石に、男女二人でここに居るのは宜しくないし、何より食糧の確保が大変だ。

 そも、俺が彼女を巻き込んでしまったのだから——


「私に関わらない方がいいわよ。」

「関係ないって。赤の他人、俺は単に道を探しているだけ。」

「ふーん。ここがどこかも分からないのに?」

「え……、お前はここが何処か分かるのか?」

「お前じゃない。シオリ。シオリ・S・ソルトレイク。聞いたことくらいあるでしょ?」


 その瞬間、俺は目を剥いた……だけ。


「貴族様ってのは雰囲気で分かった。でも、俺はあんまり詳しくないからな。じゃあ、シオリ様って呼べばいい?」


 次は彼女が目を剥く番だったらしい。


「そう、それならシオリでいいわ。さっきの長ったらしい名前は忘れて。それに私はグリーグ・ゲーメイトが捜しに来ているんじゃないかと気にしていただけだから。まぁ、体を洗いたいっていうのもあったけれど。」

「——!それって、俺が逃げ出したアメリア隊と合同でクエストに参加していた……。じゃあ、助けが来るのか!……やばい。俺、隠れないと……。でも、見つけてもらえるといいな。やっぱ道探し、手伝うよ。」


 すると少女は半眼を何故か俺に向けた。

 そして何を思ったから、俺の頭を揺さぶり始めた。

 ただ、再び目を剥いて、揺らすのをやめてしまった。

 その理由は見当がついている。


「あ、ゴメン。手に付いちゃった?俺、育ての爺ちゃん、婆ちゃんに髪を黒く染めろって言われてるんだ。生え際、分かるだろ。緑色、気味悪がられるから染めてるんだ。」


 ただ、少女は首を横に振った。


「違うから。貴方の頭に本当に脳みそが詰まっているのか気になっただけ。それに……」


 どこまで俺を……。

 とはいえ、髪を突然触られたもんだから、かゆくなる。

 確か、マイネが言っていた。

 あんまり頭を洗わないと、血行が悪くなってかゆくなると。

 だから、俺は無意識に髪を搔きながら、彼女が即座に手を離した理由を悟った。


「って、こっちか。あんま、髪を洗えないからな。フケがこんな……。お貴族様に申し訳ない。」


 すると、少女は今度こそ、プイッと背を向けた。

 しかも、とんでもないことを口にして。


「まだ分からないかな。……私たちはあそこで捨てられたの。君のことは知らないけど、少なくともこっち側だと、……あれは私を殺すのが目的だった。」


 殺す、その言葉に俺は息を呑んだ。

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