第6話 同じ道で

 その後、あまり記憶にない。


 覚えているのは、同級生全員に睨まれていたこと、幼馴染に睨まれていたことくらい。

 自分がこのアジトでどんな生活をしていたのか、何を持っていけば良いかさえ分からなくなっていた。

 でも、よく考えたら殆どは仕送りしていたわけで。

 時々、農具を新調していたけれど、それを持っていくべきかどうか迷うわけで。


「き、着替えは……。一着しか持ってないけど。これでいいかな。」


 誰もいないのに誰かに訪ねてしまう俺。

 こんな筈ではなかった。


 どうして俺がS級冒険者に買われたのだ?


 コンコン


 そんな時、部屋の壁がノックされた。

 ここは共用の雑魚寝ルームであり、扉は朽ちてなくなってしまっている。

 だから、壁をノックするなんて流儀はないのだが。


「早くしてくれないか。私も急いでいるのだ。」

「は、はい!」


 絶世の美女が急かしている。

 ただ、彼女の美しさの理由はその表情にあるのだろう。

 本当に人形と喋っていると思えるほどに何を考えているのか分からない。


 白銀のアメリア、そんな名前で呼ばれていた筈だ。

 鋼鉄のアメリアでも、鉄仮面アメリアでも通じそう、いやそんなことを考えている場合ではない。


「す、すぐに行きます!えっと、武器とか服とかは……」

「……最低限でいい。あと家族からの贈り物などの私物くらいだ。なんなら手ぶらでも良い。C級が買える装備など高が知れているからな。」


 全くその通り。

 俺は本当に馬鹿だ。

 相手を誰だと思っている。


「あ、じゃあこれだけで。家族はいないんですけど、育ての爺ちゃんと婆ちゃんがいるので。これを送ろうかと思っていたんです。」

「じゃあ、出口で待つ。直ぐに来い。」


 そう言うと彼女は白銀の髪を靡かせて背を向けてしまった。

 そして足早に歩き始める。

 俺は採れたて野菜が入った箱を抱えて彼女を追いかけた。


「お疲れ様です!」


 団員の誰か、そして幹部も頭を下げている。

 ここはまだ良い。

 問題は中央ホール。

 そこにはまだ幼馴染がいて、彼と彼女の白眼が痛い。


「なんであいつが」


 そんなことを言われても。

 俺だってこうなるとは思っていない。

 もしかして、俺の職業はレアなのかもしれない。

 冒険者の農夫なんて、おとぎ話にも登場しないし。


「あっちの宿。カ・ネモーチの一部屋を借りている。そこで話をしよう。今回は合同クエストだから、あまり時間を掛けてやれぬ。済まないな。」

「い、いえ。自分は大丈夫っす!」


 合同クエストという言葉を聞いたのは初めてだった。

 でも、街の人々の目が痛い。

 だから部屋を借りているのなら、そこが何処でも良かった。


「……って、すげぇ。これがS級が泊まる部屋。って、他の人たちは?」

「一人一部屋だ。それより、先に君に報酬を渡しておく。」


 そこで俺の思考は再び停止する。

 新人教育では前金の話は聞いたことがなかった。

 そんな顔をした俺を気遣ったのだろう。

 彼女は丁寧に言い直してくれた。


「知らなかったようだから説明するが、A級冒険者以上が受けるクエストは前金が発生する。今回はA級クエストだ。ただ合同ミッションということで相場よりも減額される。要するに報酬は50億。」


 50億!

 声を出せなかった。


「我々に渡された前金は1億2000万Aだ。先に2000万A渡しておこう。安全な場所、君の場合だと養祖父母殿か。通常、これだけの高額送金は受け付けてくれぬが、私の名を出せば安全に送金できるはずだ。」


 言っている意味が全然分からなかった。

 ただ、目の前に置かれている重そうな革袋が、彼女の言葉を介さずとも脳に直接送り届けてくれた。

 だから、彼女の鋼鉄の顔の瞳だけが泳いでいることに、俺は気付かなかったんだ。


「直ぐに行け!送金は夕方までだぞ!私の仲間が外で待機している。あとはその男に聞け!では、明日の朝六時にまた来る。」


 そこで陶器の人形のような彼女は立ち去った。

 豪奢な部屋に二千万A入っているだろう袋と俺。


「ど、ど、ど、どうしよう。安全な場所に隠さなきゃ……って、アメリアさんが教えてくれたじゃないか。えっと外の仲間って一体……」


 まるで火事場の中に突然放り投げられた気分だった。

 俺にとっての二千万は、それくらいの大金である。

 いや、ほとんどの人間にとってもそれは同じであろう。

  

「あそこで一か月働いて10万だから、その20倍?……いや、それだと200万だから200倍‼俺が200か月働いたのと同じ分!二百か月って何年?大体20年くらい?」


 声を出してしまう性分ではない。

 でも、気付けば声を出しながらコソ泥のように袋を抱えていた。

 そして。


「これ、ど——⁉」


 後ろから体を締めあげられ、首元に何かチクリと刺さる。


「兄ちゃん。いいもん持ってんじゃあねぇか。」

「な、な、な、な、何にも持ってないです!お、俺は大金なんて——」

「って、冗談だよ。お前だろ、ツッチーって奴。如何にも怪しい仕草とってんじゃねぇよ。」


 振り返ると、褐色の肌の男。

 顔の至る所に金属が突き刺さっている、チャラそうな銀髪男。

 アメリアの銀とは違う、くすんだ銀色。

 鈍色と言った方が良いだろうか。

 そんな男が俺を見て笑っていた。

 しかも彼が持っているのは得物でも何でもない、ただの靴ベラだ。


「……あんたが、アメリアさんの仲間か。俺のあだ名も知ってるし。」

「ツッチー君。早くしないと銀行がしまっちまう。俺がついて行ってやる。お前がアメリアの名前を出しても、どうせ冗談だと思われる。」


 確かに。

 それに先ほどの陶器の人形のような美女と違い、この男の方が幾分話しやすかった。


「……これからよろしくお願いします。俺——」

「あぁ、いいっていいって。俺たちゃ仲間だろぉ?因みに俺の名前はラルフェン。ラルフェン・レッグショット。盗賊のスキルも持ってるから俺には気を付けろよ?」


 体術に優れているのか、この男からは足音がしない。

 その癖に俺の周りを鬱陶しく纏わりつく。


「はーやーくーいこーぜー。俺がおぶってやろうか?」

「いいです。自分で歩けます。」


 S級冒険者なのだろう。

 それなのにガチロよりも弱く見える。

 アメリアは立っているだけで周囲が畏まってしまう何かがあった。

 でも、これが彼のスキルの一つなのだろう。


「ふーん。育ての御爺様に御婆様か。お前も色々と苦労してんなぁ。」


 結局、銀行までの道のり、ずっと弄られまくっていた。

 この男も俺の仲間になるのだから、今は黙って従った方が良い。

 ただ、どうしても気になることがあった。


「あの。俺のジョブ、ご存じなんですか?」


 ずっと聞きたかったことだ。

 S級冒険者に農耕者など必要なのかと。

 ただ、彼は無邪気な笑みでこう言った。


「知っているといえば、知っている。知らないっていえば、知らない。でも、結構経験値は稼いでるらしいじゃねぇか。ランクはCで、もうちょいでB行けるんだろ?」


 よく分からない答え。

 でも、それはまぁ、その通りだった。

 同級生は基本的に一週間に二回のクエストを熟していた。

 ただ、俺の場合はほぼ毎日、畑をいじっていた。

 だから経験値も溜まりやすかったらしい。


「……納得してねぇって顔だな。じゃあ、言ってやる。大事なのはジョブじゃねぇ。やる気と根性があれば、大体のことは乗り越えられるんだ。てめぇはゴンザのおっさんとこに居たから分かんねぇだけだよ。外の世界を知れば、そんなジョブでってツワモノが五万といる。」

「え……」


 この言葉が衝撃的過ぎた。

 今までの俺の先入観を吹き飛ばしてくれた。


「なんだよ。やっぱ知らなかったのかよ。ま、そういうこった。それじゃ、俺の担当はここまでだから、また明日な。朝早いから今日はもう休め。」


 俺はどうやら勘違いをしていたらしい。

 いや、何も知らなかったと言ってもよい。

 ヤスノルとタカミーが宿の前を通った。

 彼らの腕章を見るに、未だにD級冒険者だ。

 彼らをちょくちょく見かけていたから、あの団に入ってよかったと錯覚していた。


「……なんだ。俺も冒険者になれるんじゃないか。」


 その夜はとても良い夢を見た。

 農具で魔物をバッタバッタと倒す夢。

 そして、皆から尊敬される夢。

 これから始まる大冒険の数々、アメリアが俺に助けを求めたりもしている。

 ただ、それはあの鈍色髪によって阻まれた。

 夢の中でも、現実でも。


「おーい。ツッチー。変な顔で寝てんぞー。」

「……え?——あ‼俺、すげぇ寝てた!」


 俺が借りていたわけではないので、カギは彼らが持っていた。

 そんな彼らは俺以外、勢ぞろいしていた。


「朝六時ちょうどよ。ラルフェン、その辺にしてあげなさい。さ、ツッチーも準備しなさい。」

「うふふ。まーだお子ちゃまなのかな?今日は―アメリア様が好きな装備を買ってくださるのよー。」

「そうなの、そうなのー。道具も何でも買ってくれるから、手ぶらで来てもオッケーよね。」


 知らない女の人が二人。

 もう一人知らない男。


「すぐに出るわよ。今日は合同クエストだから。彼らのことは歩きながら紹介するわ。」


 何もかもが突然すぎた。

 昨日のこの時間は自分は鷹の希望団で留年するのかと思っていた。

 しかも、ただの留年ではない。

 何年も何年も留年するかもと思っていた。


「い、急ぎます。」


 アメリアとラルフェンは昨日から知っていた。

 最初に話しかけてきた子供っぽい女の子が、ネオン・キャットアーム。

 次に話しかけてきたおっとりとした雰囲気の女性が、サラ・ヒールザック。

 そして何もしゃべらなかった男は、ケビン・セブンハンド。


 そう、俺はここで大事なことを忘れていた。

 どうしてか、思い出せなかった。

 俺は彼らとずっと前から仲間だったような気がしていた。 


 ——そんな時、すれ違いざまに声が聞こえてきた。


「バーカ。それは課金勢の当たりだろうが。グリズはそんなことも知らないんですかー?お、噂をすればツッチーだぜー。」


 あれは確かムツキ漁港の子供たち。

 そうだ、俺も一年前はあんなだった。


「あれ。お前らは一個下の。職業も決まってないくせに偉そうにあだ名で呼ぶなよ。……まぁ、いいかぁ。君らも職所行って、冒険者ギルドに入るんだよな?だったら鷹の希望団に所属するのが最初は良いかも。」

「おい!ツッチー!お前の装備を見に行くんだろう、何をやってるんだ。」

「そよー、アメリア様が買ってくださるんだから、さっさと行きなさい!」


 そして俺は先を歩くアメリアパーティの中に戻っていった。


 ——言葉にできない違和感を抱きながら。

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