第31話 「伊勢」
「で、持ってきたんだな」
腕組みしながら小首を傾げて、杉内を見降ろしながら問う南方に対し、ぞんざいな首肯を返しつつ杉内は自らのコートの内ポケットを探った。若干の引っ掛かりがありながらもずるりと取り出したのは、例の
途端、南方の表情が歪む。組んだばかりの腕が解かれる。
「――これはまた、どす黒いものを」
率直な感想と共に、南方はずいとその顔を杉内の手元に寄せた。そして――臭そうに口と鼻を覆った。
「
というが、コダマノツラネ本体は袋に仕舞ったままだ。それでも締めたはずの口の端から
「やはり骨髄までいくか」
杉内に南方は首肯して見せる。
「肉では止まらんだろう。――しかし、よくもまあここまで憎念怨念を集めたものだな。ええと、
「ああ。
おやと南方が右の眉を持ち上げた。
「音を踏むな。桑名と縁はあるのか?」
「いやないだろうなぁ。むしろ素直に伊勢だろう。一色義直と言えば丹後と伊勢半国の守護だからなぁ。藤堂の地偉智からすれば舅の治めた地を引き継いだようなもんだ。まあ強いて言うなら九華に「優れて美しい」の意味がある程度だろうな」
「随分と美形だったらしいな」
杉内はまた例の歌舞伎役者のような面相をして笑った。
「いや、まあそうだったんだろうが、あれは面食いというより、ただの一目惚れだな。猪突猛進男が牛歩の女のテンポに調子を狂わされたのだろ。それで気になった」
「気になって目が離せなくなった、か」
「女が目に
「うん?」と、南方が視線をどこぞへ飛ばしつつ小首を傾げた。
「――いや、女……おんな?」
「……悪い。
南方の頬に苦笑が浮かぶ。
「人じゃねぇからな俺は。いやしかし、渇いた
杉内も笑った。
南方が社殿を示すので、二人歩を進める。
「全くだ。ああ、まあ藤堂も人の頃を加えれば立派な爺か」
「そういえば藤堂は何時の生まれだ」
「ええと……一月六日生まれなのは確かだな。確か1550年代だ」
「まだまだ若ぇなぁ。――例の一休さんは? その百年くらい前の人間か?」
「そうだな、
二人並んで
「
「じゃあ、先代が
杉内は苦笑する。
「百歳が若いと言われると俺としてはもうなんも言えねぇよ」
「人と鬼の
「いや、
「ほう?」
「斑は男も選ぶが「産む魂魄」も自ら選ぶんだよ」
南方がぎしり、と回廊を鳴らして立ち止まった。表情が硬くなる。
「
南方の翡翠色の瞳に薄く影が差す。
「――世の理に、真っ向から干渉している事になるだろうが」
杉内の目は、南方の瞳をまっすぐに見返す。
「ああそうだ。だからあの
一瞬の間をおいてから、南方が「ああ」と声を上げた。
「
「ああ?」
言うや否や、南方はすととっと、階を降りた。
「いや悪い。
杉内は肩を竦めつつ一歩後ろに引く。
「構わんよ。そのへんでやるか」
「ああ。茶は後で淹れてやる」
「いらねぇから気にすんな」
「――こんな話、煙草でもやらにゃあやってられねぇよ」
ぶつくさ言いながら、手慣れた遠火で
吸い口を外した南方が、ちらと視線をくれる。
「
杉内はさらに一歩離れて首肯する。
「すまんて」という南方の苦笑に「気にするな」と返した。
「どう考えても異質だろう。法則からもズレているのだからな」
杉内が唇を開く。
神を産ませたくば人を当てる。
鬼を産ませたくば神を当てる。
人を産ませたくば――鬼を当てる。
脳裏に刻まれたその
「本来、
「――「
「ああ」
杉内は回廊の朱の欄干に組んだ拳を乗せる。
「神を産ませるというのは大ごとだ。世に響く事が大きい。故に人は
南方は眉間を寄せつつ一口また吸い、吐いた。
「――
カン、と盆の内に灰を落とす。
「――「伊勢」がもつ《
南方は「はあ」と溜息を零した。
「人の世と言うのも大概
「そう言う事だ。そしてこれが国体を呪う。やれ戦争だ併合だ占領だのとやってりゃ怨みも募って当たり前だ。そういう都合の悪いものを消し去ってくれるという《
「全くこの国の帝は、何時の時代でも神の力にすぐ手を伸ばすな。ようは
――
杉内はおもむろにコートのボタンを外し出した。
「人として俺も若干耳が痛い」
「
杉内はついと持ち上げた掌をふらふらとゆすって見せた。
「ああ、いや当然だ。安易にやったものだとは俺も思うからな。まあ、陛下が決めたんじゃなくて、宮内庁と神社庁のどこかしらが共謀して決めたんだろう。当人達は「伊勢」にお墨付きと許可を与えたに過ぎん」
ぱたり、掌が倒れた状態で中空に留まる。
「国を護ろうとして方策を誤った一例として、後世にカウントされなきゃいいがな」
二人、しばし無言を貫いてから、顔を見合わせ天を見上げた。
南方は再び煙草を火皿に詰める。
「あの《
「そうだな」
「正直なところ、俺としては、とっとと
片手に
「神は人との間に生まれると聞いていたから人に援助してきたが、当代斑で法則がずれた以上、俺も与する陣営を考えねばならん」
「南方」
「さてと」と呟きつつ、南方は板張りの間に置かれた一畳の上にどかりと胡坐をかいて「ん」と手を差し伸べた。
「
出会った五十年前に比べ、明らかに顔色の悪くなった南方に対し、杉内は小声で「済まない」と呟くと、緋縮緬の巾着ごとコダマノツラネを手渡した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます