第31話 「伊勢」





 桑名くわなおきなことりょ南方なんぽうがすっくと立ちあがる。パンパンと膝元を叩いて灰を落とし、乱れたすそを整えた。ずるずると草履ぞうりを引きりながら杉内の方へ歩み寄り、その前に立つ。相も変わらず上背の大きい爺だと、杉内は口元を歪めて笑った。


「で、持ってきたんだな」


 腕組みしながら小首を傾げて、杉内を見降ろしながら問う南方に対し、ぞんざいな首肯を返しつつ杉内は自らのコートの内ポケットを探った。若干の引っ掛かりがありながらもずるりと取り出したのは、例の縮緬ぢりめんの巾着だ。

 途端、南方の表情が歪む。組んだばかりの腕が解かれる。


「――これはまた、どす黒いものを」


 率直な感想と共に、南方はずいとその顔を杉内の手元に寄せた。そして――臭そうに口と鼻を覆った。


すさまじい臭気だ。一珠一珠に込められた念が重すぎる。――これは怨みが骨髄にるぞ」


 というが、コダマノツラネ本体は袋に仕舞ったままだ。それでも締めたはずの口の端かられ出でるほどに、この黒数珠にたたえられた怨念ははなはだしいという事だろう。


「やはり骨髄までいくか」


 杉内に南方は首肯して見せる。


「肉では止まらんだろう。――しかし、よくもまあここまで憎念怨念を集めたものだな。ええと、はなと言ったか? 藤堂の妻は」

「ああ。一色いっしきよし直娘なおのむすめはなだ」


 おやと南方が右の眉を持ち上げた。


「音を踏むな。桑名と縁はあるのか?」

「いやないだろうなぁ。むしろ素直に伊勢だろう。一色義直と言えば丹後と伊勢半国の守護だからなぁ。藤堂の地偉智からすれば舅の治めた地を引き継いだようなもんだ。まあ強いて言うなら九華に「優れて美しい」の意味がある程度だろうな」

「随分と美形だったらしいな」


 杉内はまた例の歌舞伎役者のような面相をして笑った。


「いや、まあそうだったんだろうが、あれは面食いというより、ただの一目惚れだな。猪突猛進男が牛歩の女のテンポに調子を狂わされたのだろ。それで気になった」

「気になって目が離せなくなった、か」

「女が目にまる契機なんてのは、そんなもんだろうよ。南方。お前さんにも覚えくらいあるだろうが?」


 「うん?」と、南方が視線をどこぞへ飛ばしつつ小首を傾げた。


「――いや、女……おんな?」

「……悪い。食法じきほう餓鬼がきのお前さんに聞いた俺が間違っていた」


 南方の頬に苦笑が浮かぶ。


「人じゃねぇからな俺は。いやしかし、渇いたじじいが二人雁首がんくびそろえて若ぇのの恋路をどうこう語り合うもんでもねぇなぁ」


 杉内も笑った。

 南方が社殿を示すので、二人歩を進める。


「全くだ。ああ、まあ藤堂も人の頃を加えれば立派な爺か」

「そういえば藤堂は何時の生まれだ」

「ええと……一月六日生まれなのは確かだな。確か1550年代だ」

「まだまだ若ぇなぁ。――例の一休さんは? その百年くらい前の人間か?」

「そうだな、一休宗いっきゅうそうじゅんの没後百年弱ごろに生まれている」


 二人並んできざはしを上る。ぎしり、ぎしりと男二人分の重みできしむ。


 「まだら夾竹桃きょうちくとうの生まれたのが?」と視線くれる南方に、「今から五百年前だ」と杉内は返した。階を渡り切り、回廊にのぼり切る。


「じゃあ、先代が藤堂とうどうの妻を看取った頃はまだ百歳そこそこだったというわけか。若かったんだな」


 杉内は苦笑する。


「百歳が若いと言われると俺としてはもうなんも言えねぇよ」

「人と鬼の規矩準縄ものさしは違ぇんだから、イチイチ気にすんな。先々代まだらぎんりょうそうが青龍と添うと決めたのも五百年前か」

「いや、ぎんりょうそうの時には逆に「産む魂魄こんぱく」が決まっていなかったらしくてな。添うたのはその二百年程前らしい」

「ほう?」

「斑は男も選ぶが「産む魂魄」も自ら選ぶんだよ」


 南方がぎしり、と回廊を鳴らして立ち止まった。表情が硬くなる。


転生てんしょうさせる種も魂魄もまだらの意のままということか。――それは」


 南方の翡翠色の瞳に薄く影が差す。


「――世の理に、真っ向から干渉している事になるだろうが」


 杉内の目は、南方の瞳をまっすぐに見返す。


「ああそうだ。だからあのまだらというのは特殊なんだ」


 一瞬の間をおいてから、南方が「ああ」と声を上げた。


まさちかすまんちょっと待て」

「ああ?」


 言うや否や、南方はすととっと、階を降りた。かがんで取り上げたのは煙草盆である。すぐに取って返してきた。


「いや悪い。むがちょっと許せよ」


 杉内は肩を竦めつつ一歩後ろに引く。


「構わんよ。そのへんでやるか」

「ああ。茶は後で淹れてやる」

「いらねぇから気にすんな」

「――こんな話、煙草でもやらにゃあやってられねぇよ」


 ぶつくさ言いながら、手慣れた遠火で煙管きせるに詰めた煙草に火を着けた。杉内からすれば必要以上にじっくりと時間をかけて吸い込まれた煙は、ややあって、すう、と紫煙をたなびかせつつねりいろの天へとのぼって行った。

 吸い口を外した南方が、ちらと視線をくれる。


まだらが特殊というのは分かったが、あの竜胆りんどうは更に異質なのか」


 杉内はさらに一歩離れて首肯する。

 「すまんて」という南方の苦笑に「気にするな」と返した。


「どう考えても異質だろう。法則からもズレているのだからな」


 杉内が唇を開く。


 神を産ませたくば人を当てる。

 鬼を産ませたくば神を当てる。

 人を産ませたくば――鬼を当てる。


 脳裏に刻まれたその文言もんごんをそらんじてから、杉内は前髪を掻き揚げた。


「本来、まだらは神以外を選ばんと言われてきたからな。生まれるのは必ず鬼だ。あれは寧ろ神が伴侶になるから鬼のまだらが生まれると取った方が正しい。鬼を伴侶として人が生まれれば、現人あらひとまだらとしてどこぞの寺だの神社だのに隠し、そのまま神の嫁にしてしまえばいい。要は神と鬼神での嫁回しだ。――が、そこに人を混ぜたのが」

「――「伊勢いせ」、という事か」

「ああ」


 杉内は回廊の朱の欄干に組んだ拳を乗せる。


「神を産ませるというのは大ごとだ。世に響く事が大きい。故に人はまだらに関与せぬようにやってきた。だが、そうもいっていられなくなった」


 南方は眉間を寄せつつ一口また吸い、吐いた。


「――異地いち、いや、日本国の歴史が長引いた分、当然その名のもとに抱える、怨みつらみも当然降り積もる。これを洗い仕舞わせるためには」


 カン、と盆の内に灰を落とす。


「――「伊勢」がもつ《散華さんげの力》が必要だった、ということだ」


 南方は「はあ」と溜息を零した。


「人の世と言うのも大概おぞましいな。国内の乱だけでも厄介だというのに余所からも恨みを買う。そもそも事を構えるつもりがなくとも、境があれば差異と違和は増大するし、異国からの軋轢あつれきも顕著になる。何をどうしたって何かを守ろうとすれば何かに怨まれるものだ」

「そう言う事だ。そしてこれが国体を呪う。やれ戦争だ併合だ占領だのとやってりゃ怨みも募って当たり前だ。そういうという《散華さんげの力》を「伊勢」にちらつかされて、渡りに船と乗った」

「全くこの国の帝は、何時の時代でも神の力にすぐ手を伸ばすな。ようはまだらを売ったというわけだ」


 ――まだらも静かに山で暮らしていたのだろうに、と、南方の唇が小声でささやく。

 杉内はおもむろにコートのボタンを外し出した。


「人として俺も若干耳が痛い」

まさちか


 杉内はついと持ち上げた掌をふらふらとゆすって見せた。


「ああ、いや当然だ。安易にやったものだとは俺も思うからな。まあ、陛下が決めたんじゃなくて、宮内庁と神社庁のどこかしらが共謀して決めたんだろう。当人達は「伊勢」にお墨付きと許可を与えたに過ぎん」


 ぱたり、掌が倒れた状態で中空に留まる。


「国を護ろうとして方策を誤った一例として、後世にカウントされなきゃいいがな」


 二人、しばし無言を貫いてから、顔を見合わせ天を見上げた。

 南方は再び煙草を火皿に詰める。


「あの《散華さんげの力》は、俺達からしても死滅の力だ」

「そうだな」

「正直なところ、俺としては、とっととまだらが神を産んでくれた方がありがたい。そのためにこの不死ふじ日本ひのもとちたんだ」


 片手に煙管きせるを持ったまま、南方はきびすを返すとひさしの奥に垂れ下がった御簾みすをもう一方の手で無造作に持ち上げた。


「神は人との間に生まれると聞いていたから人に援助してきたが、当代斑で法則がずれた以上、俺も与する陣営を考えねばならん」

「南方」


 「さてと」と呟きつつ、南方は板張りの間に置かれた一畳の上にどかりと胡坐をかいて「ん」と手を差し伸べた。



まさちか早く渡せ。食うから」



 出会った五十年前に比べ、明らかに顔色の悪くなった南方に対し、杉内は小声で「済まない」と呟くと、緋縮緬の巾着ごとコダマノツラネを手渡した。




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