第32話 閑話





 きぃ、きぃとぶらんこが揺れきしむ。

 晩秋の公園。この季節の冷えは、日暮れと共に深さを増す。

 また、その性質は、冬のそれとは少し違う。

 それは、人間の皮膚の薄皮一枚の下へ図々しく、そしてゆるやかに忍び込むのだ。そうして、ゆっくりと命と血液を冷やす。



 はらり、もみじが一葉いちよう地面に散り落ちた。



 ああ、寒い。そして、明るいのか、くらいのか。

 つかみどころがない――おうまがどき、か。



 大禍オオマガドキだ。



 はらり、はらはら、もみじが、紅葉もみじがいくつもいくつも散り落ちて、情けなど微塵みじんもなく地面をおおってゆく。

 息苦しくなる程折り重なって。

 赤に茶に、枯れて割れて、壊れて消えて。

 風風吹くなと願っても、命は、死ぬ。

 錦繍きんしゅうくるまれた公園は、赤と黄と茶の壁によって隔たれているのかも知れぬ。


 ――何から?


 赤いのは紅葉だけではない。

 夕陽ゆうびもだ。

 赤い赤い夕焼けは、てんはいぐもだけでなし、砂場にしゃがみ込み嗚咽おえつこらえる一人の少女の背中をも染めている。同年の幼子おさなごの輪からはじき出されたかなしみくやしみに泣くのを、誰にも見られたくなくてうずくまるのだ。

 やがてその背に、すみだいだいしゅを溶かした水がごとき色彩が、乗った。少女の背だけでなし。じゅわり、公園のうちを染めていた赤は、そちこちよりにじむようにして、すみだいだいに浸食されてゆく。

 ああ、色が、混じる。


 ふ、とどこかで音がしたような。


「――……。」


 無言のまま、少女は泣きぬれたおもてを上げる。

 整った面立おもだちだ。美麗と言うよりは、大人びて上品な造作の顔と言えるだろうか。たまの黒髪は長く、うなじでひとつ、丁寧にまとめられていた。きょときょとと辺りを見回す。すみだいだいとばりが、家々の壁の上に、樹々の枝葉の先端に、図々しく、ぬめりながら降りていた。


 からん。からん。

 音がする。

 ああ、母だ。母がくる。

 少女は涙を袖口で拭いながら、ゆっくりと立ち上がる。

 そろそろ母が来る刻限だ。母が仲間達を引き連れてリンドウを迎えにくるのだ。ここより先、リンドウはあの仲間達の領域へ入る。人になずむ事は難しくとも、あの母の仲間達といれば大きく息が吸える。ありのままの己でいられる。

 嬉しくなって振り向いた。


 のに、


「――あなた、誰」



 そこにたたずんでいたのは、母達ではなかった。

 

 一人の男だった。


 白磁のような肌に、すらりとした高長身。黒髪は短く刈り上げている。鋭いまなこは瞳の奥に炎の揺らぎをたたえ、白目はまるで悟りを開いた仏のように澄んでいる。それをうっかり見詰めていると、何時の間にやら、その存在そのものに吸い込まれてしまうかのような心地になった。


 いぶかしむ少女の前に、しゅう、と硫黄臭い空気が流れる。



(――こんなところに隠されていたのか)



 その声は、何故だろうか。

 とても懐かしくて、苦しくて、哀しくて。



 ほろり、少女の頬に降りた涙がひとつ。



 その顔を、暖かい腕が覆った。

 少女の視界が覆われる。抱き締められている。

 ああ、と安心した。

 背後から、怒りに満ちた声が響いた。


「まだ貴方は、リンの前に姿を現していいとはなっていないはずですよ、義父上ちちうえ

「おにいちゃん……」


 腕の中から、かすかに見返って兄の顔を見上げると、兄は苦し気に笑って見せた。

 と、視界から外れた先で、くくく、と嗤いが響いた。それに合わせて、兄はその方へ険しい視線を投げつける。


久我くがたもつか――そうか、お前達、今生では兄妹となったか。お前もつくづく生まれ落ちる星の巡りあわせの悪いことよな。それにしても、まだ儂を義父ちちと呼ぶか、高吉たかよし


 兄の頬に、歪んだ笑みが浮かんだ。


「――母上を見捨てた貴様にだけは、絶対にリンを渡さんと前世で決めたからな、俺は。そのために、こうして傍に生まれ落ちたんだ」



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