第26話 連



    *



 水際の、しとどに濡れた地表に、ずるりとしたあわいが湧く。

 地面から、薄ぼんやりとした物が湧いているのだ。

 湧き出る場所は土ではない。砂でもない。


 石。

 石。

 石の畳だ。


 石と石の隙から、ずるり、と黒髪が湧く。続いて、白い額と、赤く輝く目が現れた。ややあって、するりと地上にその全身が湧いて出た。女の身、赤目あかめ静音しずねである。

 続いて、おなじくずるりと藤堂とうどうが姿を現す。そのおもてからは不快と疲弊があるのを見て取れた。

 先に姿を顕現した静音がちらと目をよこした。藤堂がはぐれることなくついてきたかを確認しているのだ。確かに、静音の速度についてくるのは骨が折れた。そこを見透かされている。苛苛いらいらとした。

 藤堂は、白と見まごう程に薄い黄金色の素襖すおうまとっている。纏う者によれば華やかな衣装ともなろうが、纏うているのが藤堂だ。美麗な印象とは程遠い。ただ只管ひたすら苛烈かれつ清廉せいれん一途いっとである。その気迫が周囲にさえもみなぎるほどに。

 藤堂は、赤目の静音の頭上に、きらと輝く角を見た。左右に突き出た二本角である。

 赤目の静音は牛の化身である。牛の形をとり、その背に不動明王を乗せて、えんの小角おづのの前にでたとでんに聞く。地を移る間に本性を出したか。

 藤堂は、身を正し、丹田に力を込めた。



 ぞぶり、と音が周囲に立ち込めている。



 ちゃぷりちゃぷりと、水面の揺れる音がする。

 近くに河が流れているのだ。

 意識が全てそこに向かう。故に周囲の全てに対して五感が過敏となる。


 ――ああ、る。


 重く、神々しくもぞろりとしたものが、そこに在る。


 刻限はまだ早い。午を回ったぐらいのものだ。なのに、藤堂の視界は暗い。黒い。――くろいのだ。

 うっすらと見えるのは、五角から八角と思しき石柱がつみあがってできた洞だ。垂直に上がりながら、ややもすればうねりに流されて方向を変えて天に向かって伸びる。

 噴火によって押し上げられた玄武岩の柱である。

 それで出来た洞である。

 洞の下には水が溜まっている。ひたひたとしている。



 ――そこに、それはいた。



げん様――まかり越しました。)


 静音しずねたおやかに頭を垂れた。


 それはただ只管ひたすらに大きい。

 玄く大きい。そして強い。計り知れぬほどの強さが周囲に満ち満ちている。それは正に、昼の刻限を藤堂とうどうの目から覆い隠すほどの破格の神威しんいだ。

 畏怖だ。

 藤堂のおぼえているのは、圧倒的な畏怖である。

 実の肉をすでに持たない藤堂であるが、それでも全身が泡立つような感触からは逃れられない。

 これが、地に根差しただけの鬼と、地の理の顕現である神との、圧倒的な差異なのだ。

 こくりと、つばえんした。


(――赤目の、儂には玄武様の形も見えぬ。おことばも理解が叶わぬ。玄武様が儂を呼ばれたのは何故か)


 静音が、つと目元を細めて、ふ、と吐息を漏らした。


(ああ、そうか。そうであったな)


 見返りながら、藤堂に視線をくれる。

 なまめかしい。赤いまなこが冷酷なまでに美しい。


(玄武様は、今この地に逗留とうりゅうしている、ある人間を抑えておられるのだ)

(――人間を? 何故に)

(お主、つらねの呪方について聞き及びはあるか)

(つらねの呪方? 否、知らぬ)


 静音は、今度こそ明白な溜息を吐いた。


(そも、これはお主に因果しての事なのだぞ――)



 全く、因業深き夫婦めおとよの、と静音の吐いた言葉に、藤堂は眉間を険しくした。




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