第20話 愛しき想いあればこそ


      *


 ほう、ほう、とどこかで鳥が鳴いている。


 いつのまにやら『帽子屋ぼうしや』の奥座敷には、すでにかくりの御魂、二人の姿はない。松岡と畔柳くろやなぎの二人が立ち尽くすのみだった。


 そっと、青髪の松岡が見守る前で、赤髪の畔柳くろやなぎが障子をもう少し開く。

 伯王と小手毬に、より美しく月光が当たるように。

 すると、すでにそこには、小手毬の一枝はなかった。

 代わりに、金で色付けされた小手毬の文様が加わり、繕われた跡が、流水の柄となっていた。

 畔柳くろやなぎが、「ふふ」とわびし気に笑う。


「これが、はくおうの望んだ形だったのでしょうか……ねぇ、冬青そよご


 畔柳は、松岡に向かってそう問うたが、松岡は正座したまま、首を横に振った。


「人でない世のことはわからんよ。推測することでもあるまいさ」

「そうですね。――しかし、美しいものになりましたね」

「師匠が喜ぶな」

「ええ」


 松岡は、にやりと笑んで、畔柳氏の顔を見た。


「どうだ閼伽あか。お前も、ものは試しに、師匠にこんなように望んでみたらどうだ?」


 畔柳氏は、ふうわりと微笑んで見せたが、その瞳は冷たかった。


「それ以上言うと、怒りますよ」

「それは嫌だな。茶を出してくれなくなったら困るからな」

「ところで、あの馬鹿はどう始末をつけると思う?」

「知りませんよ。なんとかするでしょう。馬鹿は馬鹿なりに」


 馬鹿の指すところは当然藤堂とうどうである。小手毬こでまり姫の御魂みたまをリンドウが抜いて見せた直後、最愛の姫君をそのかいなに取り戻したはくおうが感極まって、リンドウに「愛しき想いあればこそ、男は些少なる嘘をもって女を求めてしまう事もあるにはあるのだ。のう、藤堂」――と、まあ直截に言えばその悪事をバラしたのである。

 リンドウの全力の平手打ちを喰らった挙句、速攻で逃げられた藤堂の顔というのは中々の見ものだった。


 ――しかし、こうしてはくおうは主たる小手毬こでまり姫と同一化し、地偉智ぢいちの地位を喪った。

 また一つ、大いなる護りの要が喪われた訳である。


 藤堂に限らず、松岡まつおか並びに畔柳くろやなぎにとっても大いなる痛手ではあるのだ。

 二人それを理解しているからこそ、この一時、せめてわずかなりとも心からの祝福をと願っても、やはり願い切れぬのである。


 重責は、増すばかりだ。

 まだらに近く関われば、必然としてこうなる。

 それが、の師匠の元についた彼等の逃れざる宿業なのだろう。


 溜息交じりに、三十路の男二人は庭へと視線をくれた。

 庭の清浄な空気が、硝子窓を透かして、静かに奥座敷にまで流れ込んでくる。

 満月は美しく、残された二人の人の影を照らし出すばかりである。




                  第二章 蕾ト穢レ(完)





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