第16話 稚気




 リンドウらが四人そろい向かうは伏見ふしみ千本せんぼん鳥居とりいである。うずらすずめが食いたい、山椒さんしょういたものをと五月蠅うるさ藤堂とうどうを黙らせ、濡れた枯葉に足を取られぬよう慎重に進む。


 およそ中腹にまで至ったろうか。前腿まえももふくらはぎに痛みと疲れを覚え始めた頃。とある一本の鳥居の下で先導の畔柳くろやなぎが立ち止まった。他も共に歩みを止める。なんの変哲もないその鳥居の手前で首肯しながら道を譲る畔柳くろやなぎに対し、リンドウもうなずき返して見せてから、一人先んじて立った。


 ゆっくりとまぶたを閉じ、リンドウはこうべを垂れる。口中こうちゅうで短い祝詞のりととなえる。背後の三人も同様に瞼を閉じ、こうべを垂れているのが気配で分かる。次の刹那、リンドウは左右に両手を広げた。


 ――ぱん!


 音高らかに一つ、打たれた柏手かしわでがその場の空間をまたたく間に塗り替える。

 途端、四人の視界に映るものは現世うつしよではなくなった。


 眼前の朱鳥居の向こうに見えるのは、延々と続く千本鳥居の風景ではない。

 深く淡い霧に包まれた、神仙のさとである。

 その時間と空間は、霧に包まれ閉ざされており、遠くに見える山の稜線は、薄墨色と白にぼかされていた。

 四人は、ゆっくりとその境界を踏み越える。各々、越境時には当然こうべを深く垂れる。

 肌の上に触れたるは、なまあたたかいまく。それを潜り抜けてみればどうだろうか、視界が捉える景色は、実際の距離以上に遠く隔てがあるように感じられる。


(相変わらず、作り物めいているな)


 独り言めいた口調でそう言いながら、藤堂はリンドウの隣に立ち並ぶ。頭をきつつ悪びれないその様に、リンドウは再びその脇腹をひじで小突いた。

 しかして、リンドウ自身の感想も藤堂のそれと代わりはしない。

 じっと、目をすがめて全体を見やる。


 ――牢獄だろうか。


 リンドウにとっては二度目のおとないとなる。

 ここは全く、はくおうの執着の庭だ。あの一人の女性を閉じ込めて、自分の事を思い出すまで無言でただ待つだけの庭なのだ。


 思い出してほしい。

 自分達の結びつきがどれ程までに強いものだったのかを自らで。

 背信して悪びれない、死に別れた人の世での仮初の伴侶の事になどもう気を奪われず、意識の外に捨て置いてほしい。忘れてほしい。どうでもよいものなのだと悟って欲しい。

 本当の貴女を、私達の日々を思い出してほしい。


 ――そう。それは願っていても口には出せない種のものだ。たといどれ程深く懇願こんがんしていても、自らでいてこいねがうのは辛く苦しいから。「愛していたことを思い出してくれ」などと。

 小手毬こでまり姫自らの発露でなければ意味がないから。

 発願ほつがんとは、そういうものだから。


 一途で、真摯で、諦めを知らぬ男。それが伏見ふしみ地偉じいはくおうなのだ。


(まるで牢獄だな)


 隣でぽつりと呟く藤堂に、リンドウは思わずせた。心を読まれたかと思った。しかし続けて紡がれた言葉はその対象者を異にしていた。


伏見ふしみのも阿呆あほうよの。意中の女諸共もろとも引きこもっていれば二度と盗まれず奪われず守れるというようなものでもあるまいに。そうは思わんか? マダラの)


 ああ、とリンドウはわずかばかりに胸をなでおろした。藤堂から見れば、とらわれているのはまごうかたもなくはくおうの方なのだろう。本質を見れば、確かにそうなるとリンドウも思う。


「――人の事を言えた義理ではないでしょう」


 その言葉に含まれるのは、無論リンドウ藤堂諸共である。リンドウの言葉には答えずに、藤堂はにんまりとその大きな口を笑ませた。

 相も変わらぬ白磁のような肌。すらりとした190近い高長身。短く刈り上げられた黒髪。鋭いまなこは瞳の奥に炎の揺らぎをたたえ、白目はまるで悟りを開いた仏のように澄んでいる。まことのような顔をして嘘を吐き、人の判断を迷わせる。

 誰もが認める美貌ではないが、一度目にすれば容易には忘れられない顔立ち。印象深く残る、色鮮やかな一挙手一投足。


 油断をすれば、対峙しているだけで酔いが回る――囚われる。


「お二人とも、参りましょうか」


 涼やかに発せられた声に、リンドウ藤堂は二人同時に顔を上げる。言葉を発したのは赤髪の畔柳くろやなぎだ。にこりと双眸そうぼうを和らげて移動をうながす。ややバツが悪い。畔柳くろやなぎの先を見れば、すでに青髪の松岡まつおかが先陣を切っている。ちらと見かえる青い髪の下の眼差しは、やはり笹の葉のように細い。一々言葉にされずとも「何をのんべんだらりとしているのか」とその視線は能弁に語っている。

 と、ぎゅ、と。


「はぁ⁉」


 思わずリンドウは頓狂とんきょうな声を上げて圧力を感じた自らの右手を見た。予想に違わず、藤堂がリンドウの右手を掴んでいるのである。いや、誤魔化さず繋いでいる、ととるべきか。


「ちょっと藤堂!」

(蛇がいる)


 「ひっ」とリンドウの喉が鳴った。思わず手を繋ぐどころか藤堂の太い腕に全力でしがみついてしまった。


「どどど、どこっ、どこにへびっ……」

(そのまま伏見のの屋敷へ向かえば視界に入るだろうなぁ)

「やだやだ待って止めていやっ」


 声にならない悲鳴交じりの哀願でリンドウは必死に藤堂を見上げる。何があろうと蛇など絶対に見たくはないのだ。故に視線を下げるなどもっての外。藤堂の顔から視線も外せない。そんなリンドウの様子を受けて、藤堂はにんまりと笑みながらゆっくりとうなずいた。


(間違っても踏まぬよう抱えて行ってやろうか? それとも手を引くだけに留めるか?)

「抱っこして!」


 間髪入れず藤堂の首に両手でかじりついたリンドウに、今度は藤堂のほうが面食らった。間違いなく怒ったりすねたりおびえたりしながら手を引く方を選ぶと思っていたのに。カタカタと小刻みに震える女の身体からふわりと花の香りがして、藤堂は(これはまずいことをした)と薄い後悔をした。

 ふと見れば、笹の葉の眼をさらに細めた青髪の松岡が、声には発さず唇だけでこうのたまった。


 ――このすけべいが。


 そういうつもりではなかった稚気ちきだが、結果的に役得となったのは間違いない。あとで悪戯がばれたらどうやって機嫌を取れば良いものかと思案しながら、それはそれと得た幸運を余さず受け取るべく、リンドウの身体を両のかいなで抱え上げた。

 久方ぶりの恋しい女の重みと髪の香りを、藤堂は余すことなく満喫しつつ、はくおうの屋敷へ向けて松岡まつおか畔柳くろやなぎのあとに続いた。




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