第6話 松前と、母達の記憶



「リンドウさんは、観光ですか?」

 さらりと問いかけてくる松前に、リンドウは思わず「ふふ」、と笑ってしまった。

「――あの?」

「いえ、すみません、あまりに普通なので」

「と言いますと?」

 かすかに目を伏せながら、リンドウは淋し気に笑う。

「ご覧の通り、人と自信をもって言えるものではありませんので、どうしても人付き合いが浅くなりがちなものですから、こんなふうになんの気負いもなく話しかけられる経験がまれで――つい」

 多くを語らずとも通じたのだろう、松前は「ああ」と小さく呟いて、笑った。

「お察しします。と言って、僕がどうこうというのではありませんが」

 含みのある言い方だったが、リンドウは深く追求しようとはしなかった。リンドウは、自ら開かれる胸襟以外には飛び込まないようにしている。人とうまくは交われない己が淋しいのは事実だったが、なるべく距離をおきたいというのも本音だった。

 ふわりと微笑み、リンドウは肩から零れ落ちた髪を後ろに流す。

「今回は観光ではなく、知人に招かれてきました。松前さんは、この近くにお住まいですか?」

「ええ。すぐそこで履物屋を営んでおります。師匠である先代が先月亡くなりまして、私が店を継ぎました」

 思わぬ言葉に、リンドウは背筋をのばす。

「それは――ご愁傷様です。お店の師匠、ということは、親御さんですか?」

「いえ、伯父に当たります。伯父は生涯独りで、後を継ぐ者がいなかったので、私が弟子として入ることになりまして」

「失礼ですが、ご病気か何かで?」

「ええ。ただ、長く患わなかったことが幸いです。病気と言っても、最後までぴんしゃんしていましたから」

 松前はのんびりと背中を伸ばしながら、遠くを見やる。視線の先には、不安そうにこちらの様子をうかがう鬼やら何やらがいる。

「……どうにも、彼らはあなたが気になるようですねぇ」

 おかしそうに、申し訳なさそうにつぶやく松前に、リンドウも苦笑する。

「いつものことなのです。彼らにとっては、私のこの額が気触りなのでしょう」

 そっと指先でリンドウは自分の額に触れる。そこには、鬼のようなもの達にしか見えない、赤い光が宿る。

 松前は、じっとリンドウの顔を見はしたが、その件について言及しようとはしなかった。それがありがたかった。別段本当のところを語らねばよいだけの話だが、嘘を吐くのは面倒だ。嘘を吐いた、という事実が残るだけで気がこごる。


 ――古い記憶がよみがえる。


 幼い頃、リンドウは家の近所にあった小さな公園でよく遊んだ。それこそ毎日のように、随分と遅い時間まで――日がとっぷりと暮れて、子供達が誰もいなくなって、ぞわりとした闇が薄朱の色の上に刷毛を走らせるまで。

 知らぬ間に日が暮れ、木立の合間に闇が深くなる。と同時に、さわさわと気配が揺れるのだ。



 と、突然空気が代わる。



 それまで夢中になって掘り返していた砂場から、もぞりと何かが這い出してくる。白い、細長いものだ。にょろり、にょろりといくつもいくつも。そして黒いつぶらな眼でリンドウを見上げる。リンドウも楽しくなってその頭らしき部分をなでる。

 そのくらいにしておきなさい、と後ろから声がする。振り返れば、翁の面を被った和装の老人がいた。手毬のような毛玉のようなものが二、三、ふわふわとその周囲をただよい飛ぶ。

 そのすぐ傍には、額の中央に虎目石のような小さな角をいただいた黒い服の若い男が立つ。こちらは無言だが、大層目付きが悪い。ただじっとリンドウの顔を睨んでいる。何かをした記憶もされた記憶もないが、リンドウは当然のようにこの男を苦手としていた。こんな顔で毎日見つめ続けられて、それに近寄りたいとは思わぬ。

 その足元には、おかっぱ頭の一つ目の女童がいる。これは恥ずかしそうに男の膝にしがみついて離れない。これもまた――あまり仲良くしたいと思うものではなかった。



 そして、――最後に母だ。



 彼等の中心には、常に我が物顔で母がいる。偉そうなのではない。確かにその衆の中心たる存在として、母が尊崇されているのが分かるのだ。

 夜になると、こうして母が仲間と共にやってくる。

 ぞろぞろと、妖しい赤い光をまき散らしながら、ふうわりと艶やかに微笑んで。しゃなりと音が立つような仕草で。

 母はいつも着物を着ている。その白い長い髪を、簪一本でまとめている。手の甲にはつややかな虹色の鱗があり、掌や指などは、白くなめらかだった。そして、にこにこと笑いながら、リンドウの額をなでる。ああ、今日も赤い。美しい。よく輝いている。と、嬉しそうに笑うのだ。


 ――しっかりと引き継いでおいでだ。


 そう言って、笑った。

 ヒトには見えぬモノが自分には見えているのだと理解したのはいつのころだったか。少なくとも、五つかそこらのころには理解し、ヒトには母たちのことを話さぬようになった。

 ――遠い昔の話だ。

 と、プルルルル、と、場に似つかわしくない機械音がした。隣で松前がズボンの尻ポケットをさぐる。

「すいません、ちょっと失礼」

「どうぞ」

 ベンチを少し離れ、ぼそぼそと松前は携帯電話に向かって話し、やがてパタリと電話を折った。

「すみません、妻からです。いつ帰るのかと聞かれてしまいました」

「ああ、すみません。もう遅い時間ですね」

「二人住まいの上に臨月なので、一人なのは不安なのでしょう」

「ああ、もうすぐお子様が」

 松前はこちらに向かって戻ってきた。

「はい。第一子になります。女の子です。伯父も楽しみにして、名前も考えてくれていたのです」

「なんと?」

 松前は携帯電話を握ったまま、その指先で頭を掻いた。

「珊瑚と。初恋の人との思い出があるそうです」

 リンドウは、その携帯電話に視線を吸い寄せられた。

 ちゃらりと揺れるストラップ。


 ――その先に、小さな小さな珊瑚の下駄がぶらさがっていた。


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