第5話 菅原の天神社


    *


 日が暮れなずむ。この季節のことにしては、けだし珍しいといえるだろう。


 藤堂とうどうさらった子を抱えて姿を消した後、さて、これからどう動こうかと、つかの間リンドウは逡巡した。

 このままもう一度崇廣堂すうこうどうの中に戻って、シノノメと対峙してみるべきかとも思ったのだが、結局は周囲を散策することに決めた。何とはなしに、藤堂の帰りを待つべきかと、そんな気がしたのだ。

 無意識の内に、あの冷たい手が触れた首筋と頬を撫でる。撫でながら、古い町並みを泳ぐように当てもなく歩いた。


 待つべきだと思ったのか。

 それとも――彼を待ちたいと思ってしまったのか。


 二年も逢わずにいられたのに、どうして、とリンドウは眉間に皺を寄せた。

 何のための二年だったというのか。

 どんな覚悟であの瞬間に藤堂の求めを断ち切ったと思っているのか、自分は。

 結局、何一つとして自分は決められてはいなかったのだ。

 逢えば迷う。

 姿を見れば震える。

 触れられてしまえば――堕とされる。


 だから拒絶したのに。


 忸怩じくじたる思いがぬぐえない。そして、恐らくはそんな迷いもまどいも全て見透かされているだろう事が、リンドウには辛かった。

 何よりも、それを藤堂にゆるさせている自分の傲慢さが――苦しかった。



 崇廣堂を離れ、一本奥まった筋に入ると、途端にこの町はその趣を変える。

 古く、歳月の刻みこまれた家屋がのきを連ね、その屋根にはかなりの確率で鍾馗しょうき様がいる。つまりそれだけ鬼瓦があるということだ。

 

 思えば、ここも実に鬼と縁の深い町だ。

 

 藤堂も言っていたが、上野天神秋祭ではひょろつき鬼が町をる。だんじりも出るが、百数十もの鬼が並ぶ祭りも珍しい。一度は実際に見てみたいと思いつつも、未だ実現されてはいない。近くに藤堂がいると思うと自然脚は遠のいたし、何よりたもつが嫌がったのだ。

 あの心底から浮かべられた厭そうな顔を思い出して、リンドウは苦笑した。たもつの藤堂嫌いは筋金入りなのだ。

 無理もない、とは言いたくはなかったが、やはり仕方がないことではあるのだろう。

 何時の間にか自身がうつむきかけていたことに気付き、リンドウは視線を上げた。気を取り直さなくてはと、そう思ったのだ。

 それにしても――実に静かな町だ。

 音が、というより、気が静かなのだろう。

 コートの前を掻き合わせながら、静かに歩み続けると、ついに駅前のほうへ出た。

 メイン道路らしいその並びは、観光客向けにか、小洒落た店が多い。ところどころに忍者の人形が配置されているのは愛嬌だ。この入り混じった混沌さ加減が実に面白いと思う。洗練させかけながらも、にじむような昭和のユーモアが消しきれない。そこが、とらえどころのない面白みを生じさせている。

 メインの道路を横切り、さらに先へ進むと、神社に行き当たった。



 菅原の天神社である。



 一人中へ入ると、参詣もせずにベンチへ腰を下ろした。

 さて。こんなところで一人でこうしているが、目的はそもそもあのシノノメという娘の珊瑚の下駄探しだったはず。相手があの藤堂であっては、進む話も進まぬことは承知しているが、それにしても歯がゆい。

 なんとか状況を理解してみようと、今の手持ちのカードから推測してみる。

 まず、あのシノノメは、恐らく、というよりも確実にサルスベリの眷属だろう。木霊とまでは断言せぬが、それに近い何かだろうとは思う。


 つまり、藤堂とは勝手が違う。


 藤堂は、なばりに棲まう地の鬼だ。これの前世は人間である。藤堂自身が隠に縁づいていたわけではない。かつてこの地を治めたヒトと藤堂の間に因果があった。このため、この地に割り振られたというのが真相に近い。

 それが、こうも頻繁にわざわざ伊賀まで出向き、サルスベリの娘の下駄の行方を気にして船岡山まで飛んできたのだ。一瞬、あのシノノメとやらいう娘に懸想でもしているのかと揶揄からかってやろうかと思ったが、恐らくそんな軽口を叩いたら、本当に二度と帰してもらえなくなる。だから、まかり間違っても口には出せない。あれは力がある。本気を出されたら一たまりもない。

 容赦されているから何とかなっているのだ、己は。

 その余裕から、故意に見逃がしてもらっている、と言い換えてもいい。

 しゃくさわるが、それが事実だ。

 リンドウは腕を組みながら「ううむ」と唸った。


 シノノメとやらが下駄を片方失くしているのは事実らしい。

 そして、何かを悲しんで涙を落とし続けているのも事実らしい。

 では、その理由はなんなのだ? 


 結局のところ、シノノメ本人か、藤堂が素直に本当のところを語るかせねば、これ以上話は進まぬわけだ。

 溜め息を吐きながら、ふと視線をあげると、神社の外にぼうと光るものがいくつかある。いつの間にやら、すっかりと日は暮れている。


 リンドウは、すぅと息を吸い込んだ。



 鬼たちだ。



 妖しもいる。化け物もいる。

 ちらちらとこちらを盗み見ているが、さすがに神社の中までは入ってこない。

 と、そのまばらな群れの中から、じっとこちらを見つめる顔がある。おや、とさすがのリンドウも視線を合わせた。

 白いシャツの上に半纏。ジーンズ。素足に履くのは二枚歯の桐下駄。すっきりとした直毛の黒髪に眼鏡。

 ヒトである。

 そして、その手は彼の膝にまとわりつく着物姿の女童の頭にのせられている。

 相互に「おや?」という顔をして相手方の顔を見る。

 厭な気はしなかった。恐らくそれも互いに。

 ややあって、リンドウに先んじ、男が声を発する。「あのぅ」とつぶやきながら、女童のあたまをぽんぽんと叩いてあやす。それからその娘をその場に残し、ひょいと自分一人、神社の中に平気な顔で足を踏み入れてきた。やはりこちらはヒトである。


「失礼ですが、人ですか?」


 鷹揚な口調で問うた男に、リンドウは苦笑しながら頷いて見せた。

「そういう貴方も、どうやらヒトのようですね」

 リンドウの言葉に、男は照れ笑いながら後頭部を掻く。

「いや、お恥ずかしい限りです。貴方の額に赤い光が見えたものだから、てっきり鬼やらなにやらの類かと思い、にしては神社の中で平然としているしと、実際妙な気分でしたよ」

「あなたこそ。こんな鬼行列のさなかに、ぽつんと当たり前のような顔をして混じっているのだから、ヒトなどとは思わないですよ」

「いやぁ、違いない」

 男は上品そうに笑うと「松前です」と名乗った。

「リンドウです」

 松前は半纏の袖を胸の前でつなぎ合わせながら、リンドウの許しを問うて、その隣に腰をかけた。



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