第4話 藤堂の地偉智


(いつ、気付いた)

 リンドウは「わからいでか」と眉間に皺を寄せて軽く胸を張った。

「――店に入ってしばらくしてからね、怪しいと思い出したのは。あなた、最初に私が藤堂は息災かと聞いた時にはぴんぴんしていると言ったのに、なんで本人がこないのか、怠けたのかと聞いたら腰を痛めてると即答したのよ。あなたは嘘を吐くとき、驚くほどなめらかに言葉を紡ぐから」

 くつくつ、とこすれるような笑いが子鬼の口からもれる。とたん、しゅう、と硫黄いおうのようなにおいがした。目が痛み、リンドウは思わず目をつむる。



(儂が本来の形で行けば、あの男がくと思ってな。気を使ったのだぞ、これでも。感謝せいよ、マダラの)



 とたんに、低く深い声に変わる。目を開けてそこに確認したのは、先ほどまでそこにいた半ズボンの子鬼ではなかった。

 リンドウは眉間に皺を寄せて深い溜息をこぼした。



「藤堂の地偉じい。あなたね、常に何かしらの嘘を吐かないではいられないの?」



 リンドウの問いには答えずに、藤堂はにんまりとその大きな口を笑ませた。

 白磁のような肌に、すらりとした190近い長身。黒髪は短く刈り上げている。鋭いまなこは瞳の奥に炎の揺らぎをたたえ、白目はまるで悟りを開いた仏のように澄んでいる。それをうっかり見詰めていると、何時の間にやら、その存在そのものに吸い込まれてしまうかのような心地になる。が、決して油断してはならない。この鬼は、まことのような顔をして嘘を吐き、人の判断を迷わせるのだから。

 誰もが認める美貌というわけではないが、一度目にすれば容易には忘れられぬ。そんな、強い印象を残す鬼だ。それは恐らく顔立ちがどうこうよりも、その魂そのものの強さが表情にくっきりと刻み込まれているからだろう。

 印象深いのは、無論顔立ちに限る物ではない。その視線、その声、その一挙手一投足が、あまりに色鮮やかなのだ。



 油断をすれば、対峙しているだけで酔いが回る――囚われる。



 リンドウは、ぎゅっと眼を瞑り、ふるりと頭を一つ振るった。強く魂を浸食しかけてきたものを――藤堂の気を――追い出す。

 険しい顔をしたまま、リンドウは藤堂を見た。

 その足元に、ぐったりとした人の子が倒れている。先までの子鬼の形ではなく、ヒトの子の形だ。それを見たリンドウは、眉間の皺を更に深くした。

「――何がサルスベリに棲む子鬼よ。実際のところサルスベリに棲んでいるのは、あのシノノメとやらいう娘なんでしょうが」

 リンドウの異議申し立てに、藤堂は(ふぅむ)と詰まらなさそうな顔で自身のあごを撫でさすった。

(まあそういうことだ。――しかしマダラの。お前はいつもつまらぬことに一々言及するな)

「ふざけるのも大概にして⁉ 招聘しょうへいした理由くらい嘘を混ぜないでちゃんと説明しなさいよ。大体、あなたが持ち込んできた話よ、これは?」

(それは人の考えることだろうが。因果は全て現世うつしよにある。それを自らの智略で手繰れぬとあらば、それはお主の未熟が齎すものに過ぎぬ。自らの浅薄を棚に上げて口角泡を飛ばすのは美しくない)

「事を円滑に進めたいならば、できる説明はしてしかるべきでしょうが!」

(それは、我らの理とは違う)

 文句を言おうとして口を開き、しかしリンドウは言葉を発するのを止め、歯を食いしばりながら唇を閉ざした。

 腹立たしいが、鬼の理と人の理を合わせて語るのは無理がある。それは正論だ。鬼の側の。

 が、しかしだ。

 しかしである。

「――そんなことより、その子供よ。あなた、なばりの子供を無理やりさらって乗り移ってきたのね? ……うっかり油断してたけど、つまりは人の目にその子供の形が見えているということじゃない。一体何日連れまわしているのか知らないけど、これじゃ私がその子供を攫ったように映るじゃない、どうしてくれるのよ。協力を求めてくるなら少しはこちらの立場についてもおもんぱかって?」

(それも人の考えること。我らの理ではない。それくらいのことは自力で処理せいよ)

「藤堂!」

 リンドウが怒鳴ると、藤堂は、にい、と唇のはしを持ち上げて、リンドウのあごに手をやると、くいと顔を仰向けた。



(そう。その額の赤だ。マダラのリンドウよ)



 言われて、思わずリンドウは身を固くした。

 ばっと顔を背けて額を手の甲で隠す。

(どうして隠す。こんなにもお前の怒気は美しいというのに?)

「うるさい」

(未だ人である事に拘るか)

「馬鹿言わないで。私はひ――」

 人だ、と言おうとして、リンドウは口籠る。

 その意味を知る藤堂は、にやりと笑った。

(――そうだ、お前はいずれのものともなれぬ)

「っ……」

 容赦のない断言にリンドウは身を固くする。力が入り過ぎて硬くなったリンドウの首筋には、彼女自身の黒髪がまとわりついている。その隙間へ、するりと藤堂の指先が紛れ込む。

「とう」

(お前のその存在の危うさが――儂の心にはうまいのよ)

 今度こそ、藤堂の両手がリンドウの両頬を包んだ。いや、包んだなどと生温いものではない。それは力尽くだ。逃れようのない人外の怪力がリンドウの肉の身に及んで、凝視から逃れられなくさせている。

 藤堂の鋭い眼が、すうっと細められてリンドウの眼と心を射る。



(だから、口説いて食うてやりたくなる。そう言ったはずだぞ)



 リンドウは、すぅと一息吸いこみ、そして吐いた。

 いけない。このままだと本当に呑まれる。

 丹田に力を籠めると、リンドウはぐっと藤堂を睨んだ。

「――とりあえず、その子供を親に返してきて。あなたの塚の修繕の相談はその後」

 どうせ、子供の戦いごっこか何かは知らぬが、塚を壊されているのは本当の話なのだろう。

(話が早いのはよいことだ、マダラのリンドウよ。だから口説いて食うて――)

「それはもういいから。お願いだから本当に先に返してきて。私が御縄にされてもいいっていうなら、もう知らないけど!」

 藤堂はにいと笑った。

(こちらに合わせての言い回しを心掛けてくれた礼だ。頼みを聞いてやろう)

 言うや否や、藤堂は子供の身体を軽々と抱え上げ、ふっと姿を消した。

 恐らくは、地脈を伝って子供を運んで行ったのだろう。

 久方ぶりに会う知己の相変わらずの傍若無人ぶりに、リンドウは深い溜め息を吐いた。

 だから、鬼に呑まれて食われるのには用心せねばならないのだ。

 そっと、自身の両頬を手で押さえる。


 ――二年ぶりの藤堂の掌の感触は、リンドウの胸の内を、思っていた以上にざわめかせた。


 頬が熱いのに、気付かれていなければいい。

 そう心から思った。



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