第161話 君は僕になれる
その頃ジーナは住み慣れた塔に舞い戻ってきていた。
『今日からしばらくまたここに住んでもらう。お前は聖油を受けたものだ。儀式は終わったのだから他の兵隊にこれ以上祝福を与える必要はない。兵隊以外のものや俺やソグ僧が訪問するが基本的に扉には鍵を掛ける。くれぐれも出歩かないようにな』
こんどもこうなるとはどうしてこうなったのだと嘆息しまた蟄居生活が始まったのかと机に座り習慣的に字の勉強をし出しす。
ジーナは頭に手をやり指先を嗅いだ。
濃くて柑橘系な匂いがし心が安らぐ気持ちもした。あれは前もって準備していたのか咄嗟のことであったのかは不明なまでも、これはあの人が一度もつけたことが無い匂いだということがジーナには分かり、それとこれはあの人には似合う香りだなとも感じとった。
『お前は誰よりも信仰からほど遠いのに誰よりも信仰に近いからこのような祝福を授けられるのだ』
との逆説めいた意味不明な言葉と共にバルツ将軍の感涙を見たもののジーナはあれが龍の祝福だとは少しも感じられなかった。
あれはあの人の祝福以外のなにものでもないと。だからこそ自分も途中で目が覚めてあの状態かを解くことができた。
だがこれから先は、自分達はそういう関係として、あのような形で会いまみえるとするのなら……
「ジーナ君? 入りますがよろしいですか」
ノックの音が正しく三度鳴りルーゲンの声が聞こえたためにジーナはすぐに立ち上がり了解の声を掛けた。
「では失礼するけれど……おっやはりこれは」
ルーゲンが入り口で鼻を数度動かし部屋の匂いを嗅いでいた。
「……これが使われた香油の匂いか。なるほど、とてもいい匂いだね」
目を細めながらルーゲンがそう言い部屋の中へと入って来る。瞼を閉じ鼻だけでジーナの場所を探しているようにして机の前で止まり突然にその頭を抱えて鼻につけた。
「素晴らしい匂いだ」
「あっあのルーゲン師? 聖油のことを言っているのは分かりますが、そうされると」
「おっと失礼。つい興奮してしまった。どうか許してください」
この人でも興奮するときとかあるのかと離れて長椅子に座るルーゲン師を見ているとまた鼻で匂いを嗅ぎながらしきりに頷いていた。
「あのような聖油式に変わるとは予定外でしたが、大好評でしたね。僕自身も名だけは知っておりましたが実際に見たのは初めてです」
「バルツ様もその聖油式のことを言っていましたが意味不明です。あんなに感激するぐらいなのですから相当に有り難い式なのでしょうが、その、まさか頭に油を垂らされるなんてびっくりしましたよ」
「しかし君は微動だにしなかったじゃないか。当然聖油式など知らないはずだけど、はじめは何だと思ったのかな?」
「あの人らしいイタズラではないかと。いえ、こう、こうやって塔に引きこもっていたことに対する罰とかとも思って黙って受けていました。はじめは水だと思いましたが匂いのあるヌルヌルする何かで随分と手の込んだイタズラをするだなとも」
ルーゲンは笑い出しジーナも微笑んだ。
「それが悪戯だとしたらあまりにも高級すぎるね。君をおめかししていったい何を狙おうというのか。ところでジーナ君はその匂いは不快とかでは無いかな?」
変な質問だなとその美しい顔を見ながらジーナはなにも考えずに答えた。
「良い香りがしますね」
「好きかな?」
「あっはい好きです」
返すとルーゲンの表情は満開の花のように開いた。
「僕も好きですよ」
あれ? このやり取りはさっきやったのと同じだなぁ……とジーナは思うも微笑み返すとルーゲンの手がその髪に触れる。
「君とはどうしても好みが合ってしまうようだね。ねぇジーナ君、こう考えたことは無いか。
僕達はどこか似てはいる、あるいは同じではないかって」
ジーナは反射的に首を振った。
「また戯れを。真面目に冗談はやめてくださいって。私とルーゲン師が似ている? 同じなのは性別だけですよ」
「いやいやそれだけではないよ。目があって鼻があって口があって」
「それは似ているとか同じだという条件にちっともなりません。だいたい今の箇所だって私とルーゲン師ではまるで違う。私は岩みたいな男だけどあなたは柳のような方ではないですか」
「中々のたとえを言うね。君は卑下しているつもりだろうが岩には岩の美しさというのもはあるものだよ。僕は岩の良さをよく知っている」
「それは結構なことですが、岩と柳では接点皆無ですから、やはり私達は同じどころか似てすらいないということで」
ジーナがそう言いかけるとルーゲンの表情から笑みが消え真顔となり前に出てきた。
ジーナは痺れたように頭を動かせずにその表情を見つめている。それはなにか重大なことを告白してくるような雰囲気がありジーナは息を呑んだ。
この人から私に秘密を打ち明けるはずなど、無いはずだが。
「君の戦う姿と僕の信仰心、この二つはどうだろう? 近いものを感じはしないかな? 例えるならば、魂といっていいかもしれない」
いいえ、とジーナは言おうとしたが口が開かない。はいなどと言えるはずがないのに、半開きになったまま動きはしない。
「そんなはずはない、と君は言いたげだね」
代わりにルーゲンがジーナの言葉を察し引き取り喋る。
「でも言うことができない。君は無意識に嘘がつくのが苦手な男だし、そんなのは僕がすぐに見抜くから言うだけ無駄だと君の心が判断したのかもしれないね。それが正解だよ。君は内心では認めてはいるんだ。僕と君との接点及び交錯点をね」
いったいそれはなんだというのだ? ジーナは呼吸の再開と共にそう思った。
「どこが一緒だというのですか? 私の戦闘行為とルーゲン師との間に接点などどこにも」
「君はまだ気が付いていないだけだとしたらどうだろう?」
「ではルーゲン師はそれが何であるのかを分かっているのですか? 教えてください」
髪から手を離したルーゲンはその掌を鼻に近づけて深呼吸をする。それは香りを呑み込んでいるといった感じすらあった。
そうしながらルーゲンは目を伏せながら言う。
「僕が口で言ったところで君は納得しないだろうしそれでは楽しみがありません。君が君自身でそれを掴み理解してください。前もって言っておきますが君は自分や他人が思っているほどには頭が悪くも鈍感でもない。むしろ賢く繊細な感性を持っている。ただね、一点だけなにかが、それがほんの少しのズレを生み、決定的に君と僕を分け隔てているのです」
ルーゲンは人差し指を自らのこめかみにあて微笑む。
「僕は確信していますよ」
「ありがとうございます。ではその一点のズレが修正されたら私はルーゲン師になれるのですね」
とても信じられないことなのでジーナはありえない冗談を言うもルーゲンは真面目腐った顔で答えた。目すら笑ってはいない。
「なれますよジーナ君」
「正直その論理にはついて行けませんね。あなたは龍を導くものなのですよ。それが私となんて。まぁ虚しいですが意識してみますし、分かったら必ずご報告いたします。ルーゲン師! 見てください私はルーゲン師になりましたよって」
「そうしましたら大き目の錠前がついた医務室にご案内しますのでいつでもどうぞ」
「ちょっと待ってくださいよ。私が変なことを言ったみたいじゃないですか」
「ハハッいまのはほんの冗談です。だいたい君は個室に閉じ込められるのが得意だからそう言ったのです」
得意ではないと言おうとしたがジーナは気づいた。ここの暮らしは文句を言うほどには苦しくは無かったと。
それにアリバのところに住んでいた頃も似た部屋であり、そもそも自分は閉じ込められた闇の中で生きているようなものでもあり……
「ところで話を戻すがあの聖油式の件だ。あれによって君の立ち位置に大きな変化が生じた。それを他の誰よりも先んじて伝えに来たのです」
そういうことかとジーナは安心した。それを伝えにきたのがルーゲン師であることを。この人は善い方へと導く自分の味方である。
「立ち位置ですか? 私はただの兵隊ですがどのように」
「もうただの兵隊ではない。龍身様はそうとは思ってはいない。現にあの御方は君に聖油を施したことによって一つのことが決定した。君は龍の護軍において特別な戦士となった。ある意味で龍の騎士と並ぶほどのね」
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