第152話 私はなぜルーゲンが嫌いなのか?
何ともつまらない手紙だと毎回思うが今回は破格のつまらなさだなとシオンはいつも以上に手紙の文章を読み返した、というよりも見返した。
目に入るそれが全てでありそれ以上のなにものでもなくそれ以下でもない無装飾で無添加なそのままな文章。
『申し訳ありませんでした』
だが十分すぎるほど十分であり文句のつけようのない謝罪文。
言い訳といったごちゃごちゃもなくこちらの時間を奪う余計なものなどは一切ない、謝罪。
じつにあの男らしい、とシオンはジーナの仏頂面を思い出しながら寝台から身を起こした。
まぁこれはこれでいい、と手紙を封筒に入れながらシオンは心中で呟く。
この手紙はハイネから預かったが正式に事前検閲が許されているために大手を振って先に読み、感想を考え、そのままヘイムの元へ行ける。
そういつもの演技やとぼけなくて済むのはいいがあの味わい深い罪悪感がないのがちょっと惜しいなとは思いつつ、いや最近疲れているからあの重ったるい気分に浸るのは身体に悪いともシオンは感じた。
思いっきりバカにしてネタにしてやろうとシオンはいつもの速足が三割増しとなりヘイムの部屋へと進み、扉を開ける。
ヘイム! と開口一番に言うとした言葉は中の様子によって舌の先から胃の底にまで引っ込められ、落される。あいつがいるのか。
机を囲んでヘイムにルーゲンとハイネがそこに座っている。予定にはないものたちがそこにいた、しかもこのタイミングで。
「あらお二人はどうなされましたか? こんな半端な時間に急遽集まるだなんて」
普段と変わらぬように愛想よく二人を歓迎するそぶりを見せながらも、その心は一つの強い意思で一杯であった。用が済んだのでしょ? 早く帰って。
「丁度良いお時間にシオン嬢もいらしましたね。僕たちもたったいまこちらに参りまして」
間が悪いにもほどがあるなこの雌雄眼の優男は、と曖昧な笑みで以て心中を察せられぬように浮かべつつ視線を離し椅子へと座る。
思えば、とシオンはルーゲンのことを一瞬だけ深く考える。この男はどこか気に喰わない。
そのどこかとはどこ? と問われてみても知りませんとしか言えないものの、気にいることはなかった。
昔はそうではなかったとルーゲンの顔を横目で盗み見する。シオンは面食いでありこういう細い感じの男は好みではある。
婚約者のマイラは典型的にそういうタイプでありそれが理想の具現化だとしたら、ルーゲンはというとちょっと暗い陰のある男であり見劣りはするがそれはそれでシオンは別に悪意など抱くはずもない好意的にみられる人物の一人であった。
出自は兎も角として、シオンは自身のこともあり男を出自で判断するものではなく、このソグ教団の有望株であり将来を約束された若い僧の一人であり、学識豊かで弁論は時に激しく時には優しくと男らしさに溢れ人格も優れ誰からも好かれ悪者には嫌われる、と付け入る隙を与えぬほどの人物だと、シオンは認めている、あるいは認めていた。
あの頃までは……それはいつだろう?といつにもなくシオンはルーゲンの事について考えたのでもう少し探ってみた。
それは……ここでは? とつまりはあの約一年前のソグ撤退行動中にここシアフィル砦に辿り着き……しかしあの時のルーゲンは英雄的行動を取っていた。
一人でシアフィル解放戦線へと赴き、当時はまだテロリスト集団だとしか認知をされていなかったというのに、信じられないことに説得に成功し同盟を締結、しかもバルツ将軍は正真正銘の龍の護軍を率いるに足る人物だったと有り得ないほどの成果をあげた。
ハイネも他の女官もルーゲンに感謝の抱擁をし自分も柄にもなく喜びのあまりルーゲンに抱き付いた。その時? いや違う。
ルーゲンはいつものように涼しげで謙遜しながら逆に感謝するという流石はルーゲン師だと偉さがさらに上がった。私だってそう思った。
この美しい容器にはどれほどまでに高潔かつ綺麗な魂が入っているのかと。そこまであなたは運命に愛されているのかと。
だったらなんだ? シオンは記憶をもっと深く探っていくその闇の奥、指先が泥に触れ爪先に染み込み痛みと汚れが入って来るかという感覚の中で……そうだ、私達の後にルーゲンは病み上がりではあるものの、この件に関しては直接労いの言葉を掛けたいというヘイムが座る椅子の傍まで行き彼は突然にひれ伏し額ずき聞き覚えはあり過ぎるほどあるというのに、ある意味で聞き覚えのない言葉をヘイムにはじめてかけたのだった。
「龍身様」と。
「シオン嬢?」
ルーゲンの声で我に返りシオンが背筋を伸ばした。
「いえ申し訳ありません。疲れがちょっと溜まっていまして」
「ああこちらに到着した時も医務室に運ばれていたようですね。どうかご自愛ください。あなたは何事も頑張りすぎてしまうのですから」
「もったいない言葉ですルーゲン師。感謝いたします」
良い人だよこの人は、とシオンは複雑な思いでルーゲンの笑みに微笑み返す。
別に昔から変わりはなくいつものルーゲン師。とするとこの自身の心の変化は自分が彼を憎む悪人になったということだとでも?
そんなことはないとシオンはそんな可能性を即座に払い除け捨て去った。私ぐらい善良かつ正義側に立つものなどいないと。
ルーゲンもそちら側であるのだから同じ立場にいるもの。だったらこの心境はなんだというのか?
と下らぬ堂々巡りをするためにいつもこんなことは考えたくはないのだとシオンは苦い思いをするために口を漱ぐための何かを考え出した。
自分は正義側であるとしたら悪党側は誰だ?と問えば即座に頭に浮かぶはあの陰気な岩みたいな男、ジーナ。
そうだあいつは悪い男だ、とシオンは考えると気分が楽になった。うん、あれは悪党だ、まちがいない。証拠は山ほどあってどれも悪で黒ずんでいる。
ハイネに手を出した癖に私とハイネの区別を咄嗟につかない程度の思い入れ。
まぁあのハイネを誑かしたのは快挙ですが軽蔑に値するという意味でマイナス百万点。
そもそもヘイム様への無礼な態度や有り得ない任務放棄の事も含め、身近にこんな無礼極まりない悪い人間が他に思い浮かばないくらいに酷いときた。
そこはヘイムも同じでやれ外国人は駄目だとか風習が野蛮だとか、あの男の内面が駄目だとか言いたい放題で本音で語り合ったものの……嫌ってはいない?
気に喰わなくはないという驚くべき心境であるのがシオンは考えるだけ不気味であるが、真実であった。
嫌悪感の対象であり不快であるのならそもそも話題になどせずに本音など交わさない。口にするだけ忌々しいのだから。
それを言うのならルーゲン師の話題を我々はあまりせずにしたとしてもそこには本音は無い。だがそれは逆なのではないかと。
おかしいのだ。語るべきなのはルーゲンのことであるのに語っているのはジーナとは。
そうだ今日だってあんなつまらない手紙をヘイムと語るためにちょっとウキウキ小走りしてここまで来たのだ。
だかそれはおかしくはないか?
「またおかしな食い方をしおって。おいシオン。また豆を詰まらせるぞ」
気がつけば豆殻が机の上に散乱しておりシオンは自分の口の中の渇きに気が付いた。
それにしてもまたとはいったい何だろうと?シオンは本気で疑問に思った。
するとハイネがそっとお茶を差し出し注いでくる。
それはぬるめに調整した茶であったためにすぐに喉を潤し喉のつっかかりなど全て流してしまった。天使みたいな後輩。悪魔みたいな男にだまされた不憫な娘。それでもその顔の美しさに変わりはなくむしろ綺麗になっていた。そこだけは感謝してもいいかもしれない。
本当にきれいな顔をしているとハイネを見ながらシオンは気分が良くなった。美形を見ると心が洗われると。
鏡を見れば気分が良くなるが四六時中鏡を見ているわけにも行かずに知り合いはそういう顔で固めたいがそうはいかない。
特にあの男は、とまたそっちに考えが移りそうでやめた。
自分はどんな縁があってあんな男のことを考えなければならないのだ?
これからだってそうだ。私の開口一番はこの手の中のものであるのだから、とシオンは入ってきたときとは逆に意気消沈しながら切り出した。
「ヘイム様、こちらを。ジーナからの御詫び状です」
ペラペラに薄く軽い封筒を隣のヘイムに手渡すと反応もまた薄く軽かった。
「あっそうであったな。では確認するか」
封を開け手紙を一瞥しすぐに閉まった。たったそれだけ。とことん面白くもなんともない。
「彼は御詫び状を書いたと聞きましたが本当だったのですね」
とルーゲンが尋ねて来てシオンは何故か不快になった。つまらない話を蒸し返すんじゃない。
「ああそうだ。表彰式に出席する為にな。ひとつのけじめだが大したものではない」
そう全然大したものではないのだから会話の種にして面白く咲かせたかったというのに、あなたがいるから台無しとシオンはもう帰りたくなってきた。今日は兎角にイライラする。
「ここで製作裏話ですが彼はその一文を百回ぐらい繰り返し書いた後のがそれです」
面白い話が来たなとシオンは身を乗り出した。なるほど。さっき繰り返し延々と読んだのはその百回という重み故なのだとシオンは口に出さずとも感じ入った。
しかしヘイムはその話に対して素っ気なく微笑みそれで終わった。これだ、とシオンは目頭を押さえた。
ヘイムはルーゲン師の前ではヘイムであってくれない。龍身様になってしまうのだと。
もちろんヘイムは龍身様であるのだが特にルーゲンの前では近頃ではその意識が強まっているのか、このような私的空間であっても公務中の雰囲気になってしまう。
つまりはそういうことかとシオンは何かを掴みかけていた。ヘイムのこの反対できるはずのない反応が自分のルーゲンの評価に影響を与えているのかと。
半ば納得するもののこうもシオンは思う。だけど、それだけなのか? と指先の爪の中に鈍い痛みを感じる。それはさっきの触れた泥の手前であり、その泥はもっと奥の違う感情の、文字通り触れてはならぬものであり、そしてそれは、自身への禁忌の如くに。
「表彰式の後は僕はバルツ将軍に伴って前線に赴くつもりです」
「そなたがバルツの軍師というのは面白いが案外に似合っているだろうな」
業務連絡の如くに二人の会話は万事この型であり完成している感すらあった。
龍身は龍身であり、導者は導者である。過不足なく各々の役割をそのまま果たしている。
自分もここでは龍の騎士として侍り話を伺っている。これ以上に何を求めるというのか?
「その件について私も相談したいことがありまして。よろしいでしょうかシオン様」
おやっとシオンは驚いた。こういう場でハイネが何かを斬り出すのは珍しい事だと思えた。
ルーゲン師がいなくなれば雑談ついでに話し出すこともあるが、この場合ではまずないと思えたためにシオンは意表を突かれ反射的に頷き、横目で二人の様子を見た。ヘイムは不自然なほど取り澄まし顔でありルーゲンは妙な笑みを浮かべていた。
何か事が嵌ったかのような。
「今後のことですが私もルーゲン師と同様に前線部隊に同行致したいです。バルツ将軍との連絡役としてそれとルーゲン師の補佐として」
こう来たか、とシオンは内心で嘆息する。ルーゲン師の前線行きが認められその補佐として行く。
反対しにくい理由であり大義名分は十分である。これに対して反対する理由とは?
あの男と離れさせたいから、なんてこの場で言えるはずもない。
ましてやヘイムの前で……なんだ今のは? とシオンは身体が一瞬宙に浮いたような気がしたが、気のせいだとして頭の中は回転し始める。
ルーゲン師が来るタイミングに合わせて合流し今後のことが話し合われたらついでに自分のことを突っ込む、なるほど賢いな私の後輩は。
変な感心をしながらシオンがハイネを見るとその表情は滲みでる妖しさを抑え込んでいるためか泰然とした美しさに満ちていた。
二人きりであったらあのことで強く反対ができるしヘイムがいる前なら多少強引に誤魔化しながら話を進めることができる。
だがこのルーゲンがいると変に反対すると彼女の力が前線では必要です、とか擁護しだしたら太刀打ちができない。
ただでさえ後方に置き反対する理由が男絡みであるのだから公言できない。
あの男、とシオンは一つの岩を思い起こし木っ端微塵にし粉々にさせる想像をする。どこまでも人に迷惑をかけてからに。
「ハイネはすぐに前線に行くこともないだろうに」
上座から声が聞こえたために一同はそちらを振り向いた。
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