第153話 ルーゲンはハイネを好きになれば良いのです

 その先に誰がいるかはみな知っているのに確認のためか驚きのためか三人同時に動く。


「後方のこちらだが事務処理やらなにやらが最近滞りがちでな。新しい女官らのためにも一度戻って貰いたいと思っておってな、のぉシオン」


 寝耳に水というかそのようなことはそれほどだとは思えないのだがヘイムの目配せを受けたシオンは反射的に首を縦に振った。


 そんなことないと言いここでヘイムに嘘をつかせるわけにはいかない。それがたとえどれだけ不可解なことだとしても。


「以前からヘイム様とそのような話をしましてね。ハイネのその考えは素晴らしいものだけれどもそちらは別の誰かを代理に立て、後方が一段落したら再び前線に戻って貰いたい。私達はそういう方針にすることにしました」


 よってあなたはこの表彰式のあとはあの男から離れてもらうことになる、私達と共に後方に戻るのだから、と言葉には出さずともシオンが言うことによってそのような宣告となった。


 ハイネはこの方針については畏まりました、としか言いようがなくそれ以上の話には進展しない。


 たとえルーゲン師がその場に居ようともヘイムがそう言った以上覆りはしない。まさかこうなるとは、とシオンは驚きながらも満足していた。


 通常ならこのような意思表示に対してはヘイムは龍身は反対はしないものである。よほどのことではない限りは。


 つまりはハイネのこの意思はよほどのことであり反対するに相応しいほどのことであるとヘイムは判断したと。けれどもシオンは内心首を傾げる。


 あのことを自分は話してはいないし、この子だって話しているはずなどないのに何故にヘイムは知っているのだろうか?


 それとも本当に後方の事務が滞っているのだろうか? それは彼女がいたらいたで絶対に役に立つし業務は改善するだろうが、そのことは彼女が前線にいることよりも重要なのであろうか?


「代わりのものを前線に派遣するよう要請致します。他の女官にはあなたのようにタフではありませんから男性になるでしょうけれど」


 そこは口実でありジーナのことがあったので、できる限り女を前に回したくないためにそう言うとハイネが顔に苦笑いを浮かべた。


 ちょっと露骨すぎたので通じたのかとシオンも似たように声をあげずに微笑み合いこの件を片付けることにした。


「そうですかハイネ君は後方にです、か。そうなりますと引き継ぐ後任の方はなかなか苦労なさるでしょうね」


「そんなことありませんよ。私はそれほど仕事をしていたわけではありませんし」


 ルーゲンの呟きに対してハイネは謙虚に手を振るもシオンはそんなことあるだろうが、とハイネの一日の予定表を思い出した。


 不自然なほど圧縮したスケジュールを見てシオンはすぐに分かった。残った時間はほぼ全てジーナの授業に当てているということを。


 これは推測にすぎないが直接聞かずとも調べずとも分かることである。ハイネはそういうことをする女であることを。


「ハイネがおらぬと支障が出るのか?」


「無論です。反対するわけではございませんがハイネ君はこれからの前線の戦いに必須の人材です。後方業務の改善を果たした後の前線復帰を心よりお待ちいたしております」


 二人は以前から仲が良いとシオンは思うも最近のは少し違う意味での仲の良さを感じるような気がしてならなかった。


 それは恋人同士のでは決してなくある友達な感じではなく言うなれば共通の目的を達成するための仲間的な雰囲気で強力者? 同志?


 確かに二人は龍身サイドとソグ教団の連絡係としてこれまでのやりとりで気心は知れ関係も深まっているのであろうが、ルーゲン師の態度からハイネには仲間としての好意以上のものは何も無く、またハイネも上の者への敬意と節度ある好意以上の感情は伺えない。


 どうしてだ? とまたシオンは密かに歯噛みする。何故そんなに不都合な関係になるわけなのか?


 都合が良ければあの男の件はなにもかも解決するというのに。要はあなたがルーゲンをまたルーゲンがあなたを……


「ルーゲン師はハイネのことが好きなのか?」


「そうですよ。あなたはハイネのことが好きになるべきなのです」


 ヘイムの言葉に便乗してシオンは心の声を一緒にその場に漏らし、硬直化する。私はいったいいま何を言ったのか?


 呆気にとられたハイネの横に座るルーゲンは些かも動じず表情を変えずにハイネの方に目をやり微笑み、それから視線を戻してから言った。


「ええ僕はハイネ嬢が好きですよ」


 明るく率直にそう告白するルーゲンの顔には一切の苦悶も陰もその奥の闇さえ見えなかった。


 シオンは溜息をついた。こう返すのは当然であるのに落胆した気持ちとなった。


「あなたの口から出る好きは毎朝の挨拶みたいなものですよね」


「毎朝拝むお日様みたいなものであるな」


「もったいないお言葉で好意はその場で湧いたらそこで告げるのが理想的ですからね。龍身様が問われましたから嘘偽りのない真心を申し上げました」


 これ以上に無い対応であったがシオンは鼻白む気でいっぱいだった。そういうことではない、と。


「私もルーゲン師のことは好きですよ」


 今度はその隣から告白の声が上がり視線を集めるが、とうのハイネは爽やかな笑顔のまま躊躇いもなく答えた。


「とてもかっこよくて賢いですから。私も含めた周りの女子たちみんなの憧れですよ」


 一同は笑い出すもその場においてシオンの笑い声は苦い成分が多めに混じっている。


 あなたはあの見た目があまりかっこよくはなくておまけに頭の回りが異様なほど悪い男に夢中な癖に。


 だからそんな簡単に言えるのですよ。


「ハイネ。婦人でその手の発言は冗談が過ぎますよ」


「ご安心をシオン様。このようなことはルーゲン師以外の男の方には致しません。ルーゲン師なら安心してこの手の冗談は軽く受け止められると信じられますしね」


 シオンのたしなめに対してハイネは受け流しそれから息を軽く吸ったように見え瞼を閉じ息を止める。


 ほんの一瞬の動きであったがシオンはそこに何らかの力の流れを感じ取り思う。それは戦う直前の戦士の呼吸だと。


「ヘイム様もそのような意味で私をおからかいになられたのでしょうし」


「ハイネ。妾がからかったのはルーゲンのほうであるぞ。ハイネハイネとお気に入りのようであるからな」


「御戯れを龍身様。しかし僕は兎も角として他の男性はハイネ君の傍で一緒にいましたら当然好きになりますが、好きが高まって引きかえせなくなるでしょうね」


「だろうな。そなたは昔からもてるからな」


「いいえもてませんよ。知らない方からは好かれましてもそれは私にとって特に価値はありませんし」


「贅沢なことを言うてからに」


 三人によるごく他愛もない会話であろうがシオンは口を挟むことができずにその言葉に耳を傾け感じることは一つであった。


 なんだろうかこの不協和音感は、と。交差する会話の接触音が金属が掠る際の不快な音に似てシオンの胸を不安にさせた。


 最近のヘイムはこの手の話どころかからかいは私とマイラ様以外ではあまりしないというのに……そもそもヘイムがルーゲン師の恋愛事情について何かを言うなんて今まであっただろうか? そのような話をするということは……


「ハイネは外から見ましたら男性から囲まれているように見えますが本人は特定の誰と、という感じではないのですよね」


 自らの胸に渦巻く不安を振り払うためにシオンは口を開いた。彼女はそういうタイプであると。そうであってほしいと。


「その点はルーゲン師と似ておるな。そこが似ておるとくっつきにくいのかもしれんな。まぁどうであってもハイネには将来のことを考えて国家の柱となれる男を婿として迎えて欲しいものであるな」


 おっいい流れだとシオンは手を握りながら目を輝かせて向ける。良いぞヘイムそうだそうだそこだ、そこを突け。


 ハイネの心に釘を刺すんだ。あなたはこの先は国政に関わる人物となるのだから相手は自分の感情ではなく龍と国家のことを優先させるべきです。このことは私の口からよりもヘイムの口から出た方が天と地ほどの力があることからシオンは感極まった。


 ハイネが他のちゃんとした男を選ぶ、いやまともであればいい、いいえそうじゃない今の私にはたった一点しかない。


 あの塔に閉じ込められているごろつきのろくでなし以外なら誰だっていい!


「このハイネ君が選ぶのは間違いなく強くて立派な男でしょうね」


「分からんぞ。こういう優秀なできる女に限って駄目な男に惹かれてしまいがちだからな。世話好きが仇となるのだ」


 ヘイム、あなたは結構人のことをよく見ていますねとあの一件を話していないにもかかわらずその核心に触れたことに感心をした。


 あの悪党以外で言うとハイネの友達は第三隊の指揮官を中心に彼女の地元の幼馴染たちであった。


 シオンはその者たちのことを知っているもののハイネとの仲の進展を考えると自信が持てない関係であるとも感じられた。


 だが、それではまずいのである。この子とあいつを引き離さなければならないと。


「もうヘイム様ったら。私は駄目な人なんか好きになりませんって」


 なっているだろと叫びたい衝動をシオンは我慢した。もしかしたらかなり重症でハイネはあの男の駄目さに気づいていないのだろうか?


 恋は盲目とはいうが一体どうして? ああいう単純な戦場の英雄や勇者に一時の熱に浮かれ惹かれるような単純な頭の子ではないのに。


 あの男の何が良いのですか ?と聞いてあまり耳に入れたくない単語が入るのも嫌なのでそこは聞けないが、分かったことはハイネがあの男を駄目だと男だと判定していないということ。それはまたショッキングな事実であった。


 この中でハイネのその事情を知るのは自分のみであると考えるシオンは下手に口を開くのを堪えるために豆を齧りだした。


 するとヘイムが急に話題を元に戻した。


「ところで表彰式の件だがな……」


 雑談はここで完全に打ち切られ予定外の会議へと入っていく。シオンは用意をしていなかったがハイネは用意万端なために万事を任せて良く、隙間の時間が有意義なものへと変わっていった。


「これなら予定していた次の会議を開く必要はありませんね。僕もたまたま偶然資料をもっていたためが良かったです」


 ルーゲンの確認も終わりヘイムは文面を見ながら呟いた。


「では次の会議はやめにして直前にもう一度集うこととしよう。時間ができるわけだが、まぁ眠っておればいいか」


「それはとてもいいですね。最近あまり寝ていないものですから助かります」


 ヘイムの呑気な提案にハイネが乗っかりそういうことになるがシオンは戦慄した。


 もしかしてその時間を使ってこの子は……


「というのは半分冗談で軽い打ち合わせで時間を埋めるとしよう。確認のためにハイネはその時間に来てくれ、頼んだぞ」


 畏まりましたと言うハイネの言葉にシオンは内心で安堵した。偶然であるがヘイムはハイネを縛るような動きをして助かる、と。


 時間ですとルーゲンも立ち上がりシオンも椅子から立った。だがハイネは椅子に座ったまま書類に手を加えている。


「どうしましたハイネ?」


「私はもう少し残りましてヘイム様と今後の打ち合わせを致します。私用のことも混じりますので私のことはどうぞお構いなしに」


 私達がいないのに残る? 二人で? それは良い事だとシオンは頷いた。


 前々からヘイムとハイネの間には変な壁がありなにか隔たりがあるとシオンは苦々しく思ってはいた。


 しかしそうであっても仕事の話やらは問題ないどころか呼吸が完全に合い些細なミスが生じる隙間が無いほどである。


 まるで二人は一つのように……だがそれ以外のこととなるとそれ以上には進まない。まるで進む必要が無いように。


 自分とヘイムの関係は完璧すぎるためでもあるがこっちはあまりにも事務的に見えた。プロ同士の仕事のようにドライで。


 自分がいるときはそんなことはないが二人の時は仕事のことしか話さないのでは? ヘイムからもそんな話を聞いてそこもまた心配にはなっていたがここで私用の話があると!


 私用とはこの場合……とシオンの脳裏に奴の表情がやはり思い浮かんだ。あの表情が、間違えた間抜けな表情が、あんなことする奴は駄目だと。


 ヘイムならジーナのことは悪く言ってくれるはず。良く言うはずもない。私とヘイムから反対されたら考え直すだろう。


 冷静になるかもしれない。お願いだから頭を冷やして。そのヘイムの方向を見ると俯いて書類に目をやっていたそこはハイネと同じであり、どこか似ていた。


 ……似ている? とシオンはここでも違和感を覚えるも深くは考えずに扉に向かい退室をした。中の話はあとでヘイムに聞けばいいと。



 その部屋に残った二人はしばらくの間は口を利かずに書類を見続けている。


 先ほどまでと違い部屋には紙が擦れる音しか聞こえずさっきまでは誰も気にもしなかった鳥の囀りが窓から聞こえ部屋中に響く。


 それは聞き覚えのない鳴き声であるのに二人ともそれに対して何も言わず口を開かずにいた。


 そんなものは聞いていないというかのようにハイネが尋ねた。


「私を後方に戻されることの理由なのですが、よろしいでしょうか?」

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