第123話 『ジーナは死なない』

 紡がれていく物語は印の件から儀式へとそれから夕陽の時へと移っていった。


「ここからは別々に話を聞かせ合おうか。僕は僕を物語り、君は君を物語る」 


 共同で語り紡いできた二人の物語は分離し男は下山後の話を女は山に残る話をし出した。


 そこで男はようやく気づき始めた。自分たちはどれだけ長い間傍に居続けたのだろうかと。


 自覚するのにはあまりにも共に居続け別れてからもそれを意識することは無かった。何故なら男は毎晩のように夕陽の時を思い返してはその声を思い出していたため、傍にいると勘違いしてしまうほどであったから。


「そうか、山の下はもとより東はそういう世界なのか」


 と女は男の話を興味深く聞いていた。見たことのない新しく違う世界の話を。


 一方で男は女の話を自分を抑えつけながら聞いていた。見ることのなかった元の世界の話を。


「ジーナとなったからには婚姻関係は限られていたからね。誰にするかは迷いはしなかったよ。僕にはツィロしかいなかった」


 時間が回転しその世界の物語を男は手を止めることなく書き写していく。もしも自分がそこに居たらという雑念を隅に置きながら、彼は知っていく。故郷のその後を。


 女の物語は驚くほど詳細に語られ男は時々尋ねた。


「よくここまで覚えているものだな。なにかメモでも持っているのか?」


「持ってはいないよ。ただ君が来るまで頭の中で整理しておくんだ。時間はいくらでもあるのだからこんなこと簡単だよ」


 他にすることは? と思うも男は最近知りつつあることがあった。この部屋の窓は一日のうち朝しか開けられた形跡がないと。


 シムが朝に開け換気をしこちらが仕事をし出す時間のころには完全に閉めていることを。


 ということは彼女は一日のうちの大半をこの闇の中で過ごしていることになる。その間に自分の記憶を整理整頓しているのだろうか?


 それにしてもどうしてこんなことをしているのか? 何が目的で? 退屈しのぎ? それにしては力を入れ過ぎている。まるで人生の全てがここにあるかのように。


「どうしたんだい? 手がまた動かなくなったの?」


「いや手は動く。ただ少し疲れただけでな。ところで毎日元気に話をしているから聞かなかったけど、体調は良くなっているのか?」


「君は僕が毒魔に侵されて今にも死にそうな半死体にでも見えるのかい?」


「暗くて見えないけど、まさか。いまにもそのベットから起き上がってさぁ龍を討ちに砂漠を越えに行こう、と言いそうだけど」


「そうなんだフッフッフッフッ」


 いつもの笑い声であるのにそこには歪みがあった。その歪みから何かが落ちそうで、男は耳を澄ませて聞いていた。


「ああ死にそうだよ。おお苦しい。ねぇ助けてフッフッフッフッ」


 助けて。軽口ではない言葉が歪みから零れるのを男は拾い取った瞬間に立ち上がり闇へと向かった。


「――!」


「来ないで」


 嘆願を無視して男は闇の中へ足を踏み入れるがすぐそこにあるはずのベットまで見えず辿り着けずただ歩くばかりであった。闇のなか何処にもたどり着けない。


「お願いだ下がって。印の力だから君は僕のもとには来れないよ」


 男は大人しく引き下がり闇に背を向けるとすぐ目の前に蝋燭の灯に照らされた机があった。


 距離といい時間といい感覚を狂わせる印の力に男は感心をするも、そこまでする必要にも首を捻りながら座った。


「あのな、俺は――がどんな顔色だって気にしないんだが」


「君は気にしないが僕はするの。そうやって自分中心に相手の心を考えるのは、やめてよね」


「また同じお説教か。ならそういうことは冗談でも言うな。お前は治療中の身なんだからな。今日だって俺が擦って煎じた薬草を呑んだだろ? そういうことをしているのにあんなことを言って」


「ごめんね」


 あれ? と男は意表を突かれた。まさかそんな台詞を言うだなんて。感謝も謝罪も俺に対してはまず言わないのに。


 どうして今日に限って弱音の演技も含めてそんなことを言うのか……


「でも心配はいらないよ」


 女が声をあげて行った。


「ジーナは死なない。いやジーナは死なせない! だっけねフッフッフッ」


 声色を変えて女があの夜の男の台詞を言うと男は恥ずかしさを覚えた。


「こう聞くとなんか照れるな」


「どうしてさ。すごくカッコよかったよ。カッコよくてハハッ死にそ。今ここに僕がこうして生きて話せるのも、君のあの時の叫びのおかげだといっても過言じゃないよね」


 今度は皮肉交じりとはいえ褒め始めたとかつてない女の態度に男の頭は混乱しだしたが、そういえばもう物語は。


「ついに明日はあの日になるな。進み具合によっては今日になるが」


「物語は明日のその瞬間にまで到達するだろうね。物語が、記憶と意識がいまが接続されるんだ」


「そうしたら、終わりということだな。なんなら明後日の話でもするか?」


「それはいいね。過去の話をし尽して未来の話をする。それだよ僕がしたかったことは。お互いに語り尽して交わり合う。いまきみは僕の物語を知り、僕は君の物語を知った。この世でただひとつの関係だ。そうだろ。これが僕たちのあるべき姿だったんだ。別れたけどひとつになる」


 恍惚として語りだした女に男は腰をあげて闇を見る。相変わらずの闇、だがそれでも女の形は薄らと見えた気がした。


 明日になればこの闇は晴れるのだろうか?


「今日はここまでにしようか。明日は君が山に登り僕が山を降るところからはじまり、ようやくここに辿り着く。長い長い旅だったが、共に歩もう」


 男は席を立ち扉へと向かい痛む手で開くと、珍しく振り返った。薄い闇であるもやはり女の姿はシルエットとしてしか見えないものの、女もこちらを見ていると感じ少しの間見つめ合うと、男はなんとなく手を振った。


 女が振り返したように見えたのでどこか満足感を覚え男は外に出た。変わらぬ夕方。時間が進んでいないことに慣れたが、いつも通りシムが向ってくるのが見えた。その完璧なタイミングに男は今日も感心しながら挨拶をしようとすると、シムの表情が明らかに辛そうであった。持病があるとたいへんだな。


「やぁシム。あの、どこか具合でも悪いのか?」


 眼の前に男がいることに気付いたシムは慌てて笑顔を取り繕った。こんなことをする人ではないのだが。病気は人を変えてしまうのか。


「いえなんでもありゃせんよ。ただもう歳だから連日の仕事が辛くなって顔に出たんじゃねぇかな」


 それにしてはと不審になった男がさらに問おうとするとシムがその言葉を遮った。


「あっ朗報だよ。明日ツィロ様がこちらにいらっしゃるよ」


「おっついに来たか。良かった。じゃあ経過は良好なんだな、夫婦そろって怪我人で治る日もほとんど一緒って笑えるな」


 男は笑うとシムも大声で笑った。どこか一生懸命なその笑いに男は不自然さを感じる。


「夕方には来るそうで、あんたたち二人のお仕事のあとに合わせてってことになるな。そのお仕事は順調か?」


「順調で明日には完了するよ。これでこの手の痛みと薬草の色と臭いとはおさらばできるな。染み込みすぎて手の色がおかしくなっているからな」


「頑張ってな。あれはあんたが頼りなんだから」


 これもまた滅多にないシムの激励に目を丸くしながら男は答えた。


「いやこんなのであいつの気が晴れるのならずっと付き合ってやりたいところだ。明後日のことでもいいし来週の来月来年の話だってしても構わないからな」


 笑いながら冗談を言うと一人の声しかなかった。シムを見ると笑わずに男を見つめる。その視線は女のと同じようだと感じるも、


 問い質す前にシムは荷物を手に持ち足早に立ち去った。なにか隠し事でもあるのかと、下らぬあれこれを考えながら倉庫の前まで歩くと、物音がし覗くとアリバが馬車の準備をしていた。


「あっジュシか。明日はツィロさんがやってくるから応対よろしくな。大事なお客様だからな失礼のないように、同郷だからって馴れ馴れしくするんじゃないぞ」


 会って早々説教を述べられるもいつも通りの雰囲気に男は安心しながら荷物を持ち上げ荷台に積みだした。


「これって砂漠越えの装備ですよね。すると……」


「なんてこった! あぁ見られちまったら仕方がないな。ここだけの話だがこれはジーナさんの依頼でな。明日からジーナさんは砂漠に向かうそうだ」


 そんなことを、と男は悪人面な笑顔のアリバに対しかつてないほどの笑顔を向けた。あいつはあんな演技をして隠しているがもうすっかり良くなっているんだ。


「ツィロが来るということはそのことについて話し合う為なんですね」


「そこはワシには分からんが、とりあえずジーナさんが旅立ちというのは間違いないとのことだ。俺は案内役となる」


 俺は、と男は聞きかえすことを自制した。あいつが自分を外したとしてもそれを責めることはできない、と。ジーナが村から出たものを使うなど問題がある。呪身は聖なるものの傍にはいてはならない。


「しかしアリバさん。今の季節だと砂漠越えは相当に困難なのでは?」


「ワシもそのことをジーナさんに説明したがな、行けるところまでで構わない。その後は自力で行けると申してな。こっちはそれについてちょっと困っているところだ。少し暴走気味かもしれんが中止なら中止で構わんし、明日来るツィロさんとの話し合いが終わってから決めるのもいいだろう。何はともあれ」


 アリバは男の方を叩いた。


「よく考えて話し合うことが大事だ。お互いに心の底からな、そうだろ?」


「はい? そうですね」


 何をいきなり否定できないごく普通のことを言うのかと男は思い、またやけに脈絡のないことを自分に言うのだなともアリバの顔を見るとまた笑った。怖い悪人面。


「そうと分かれば。早く荷物を積むんだ。明日は忙しいぞ」


 男は頷き急いで荷物を積みだした。そう明日は忙しい。しかし喜びの日であり祝福の時が近づいているのだ。


 ジーナが立ち上がり砂漠を越えに行こうとする。これに対し恐らくツィロが止めてジーナはリハビリを始めるだろう。


 それでいい。それ以上は何も望まない。前に進んでいるのならそれでいい。


 そうジーナは必ず龍を討ちに行くのだから。

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