第121話 『たぶん俺はお前のことをずっと想ったまま終わる』

「義父様と義兄様の命が燃え尽きた時に、僕は――が龍を討つものにならないことを祈り続けた。彼がそうならなければ僕の家族はもうこれ以上減らないのだから」


 闇の中での語りは女が養子に入ったところから始まり主に男とツィロを交えた他愛もない幼少期から十代へ、それから戦士となる年齢を経て、年に一度である龍との戦いへと入っていった。


「――は悲しみの言葉や涙も零さなかったが義妹にあたる僕に対してはこれだけは言った。俺が龍を討つものになる、と。僕は頷いたが心の中では首を振っていた。君には無理だと。だって彼は強いものの非情に徹しきれず優しさとは言えない弱さをも兼ね備えているのだから、と僕は思った」


 男が知らない女だけが知っている物語。女は予め頭の中で考え抜き練り上げていたのか語りに澱みも突っかかりもなく完成しており、男がただそのまま書き留めるだけでそれは出来上がりであった。


 男もまたその語りを、ある意味で告白を胸に薄い苦しみを覚えながらも微かな蝋燭の灯の元で書きとった。


「大丈夫かな。休むかい?」


 闇の向うで女の労いの声が聞こえたが男は思った。逆じゃないか、どうして労わられると。


「こっちは大丈夫だ。そっちこそ疲れてはいないのか?」


「大丈夫だよ。女は喋ってもそうそう疲れるとかないからね。むしろ回復をする気分だよ。そっちこそ手が腱鞘炎で辛いんだろ?」


 どうしてこんな暗闇の中でこちらの手の動きが見えるのか? 金色の力か? 指摘されるとその手はもっと早く動かした。


「そっちが疲れていないのなら先をどうぞ。俺も疲れていないから心配いらない」


 くぐもった笑い声が奥から響き、それから女は語りを再開させた。その口から語られるこれまでの物語は男も半分知っているものであった。


 物心ついたころから始まる、同じものを見て同じものを食べ同じもので寝る。世界は一つであり違うのはその心の中だけ。語りを聞くほどに書き続けるほどに思い知らされるのは、その心の剥離ともいえる分裂。


「彼が選ばれ印を授かり正統な後継者となった場合は、予てからの約束通りに僕は君の妻となると彼は当然の如く何気なく言うが、僕の心は君ほどに楽天的にはなれなかった。おそらくと言っては逃げだから確実と言って戦うことにするが、僕と彼が夫婦となったら上手くはいかないだろうと。その当時はそう思っていたが、今のようにツィロと夫婦になってその時の考えは正しかったと時々ふと思ったりする。君が思う程には僕たちの心は重なってもひとつでもない」


 途中から男の手が止まり文章が書けなくなっていた。それに合わせてか女も語りを止めて男の手が動くのを待っていた。


 男は今の語りの部分を心の中で復唱すると腹の底に重いものが入れられたように、意識が沈み落ちて行く感覚となった。


「いまのは、君を傷つけたかったんだ」


 どのくらいの時が経ったのか不明であるがとうとう女が口を開き正しく時を進め出した。


「だからその反応は、良いね。怒鳴ったり泣いたり逃げたりは君らしくないからそれだよ。その呆然としながらもその場で持ちこたえ悲しみに耐えているのがとても君らしいよ」


 男は今の心境がどこかであったことを既視感を覚えたが女が心を読むようにして答えを言った。


「義父さんや義兄さんの時と同じ反応だ。心の底からの、それ。君は僕に対しても見せるんだね……どうして?」


 どうして? は男も思い動かない手を見て左手で以って動かそうとすると動き、だが書こうとすると、動かなかった。


「僕はその反応が意外だな。だって君は継承者であることを僕よりも優先させる男だからね。

そういう人だとは僕は分かってはいたけれどさ」


 軽い口調であるが奥の方から苛立ちと怒りの響きが聞こえてきた。それは自分にしか聞こえないものだと男は思った。その響きを聞いていたのはいつも自分であったと。


「俺も意外だ。お前の本音を知ってこんなに苦しい心持になるだなんてな。俺がこんな反応をするのは今だともうお前ぐらいだろうな。それとお前が誰かをこう言うのは今だともう俺ぐらいじゃないのか。ツィロにこういう風に詰ったりするのか?」


「えっ?」


 闇から声が聞こえ少し間をおいてから女は答えた。


「……たまにはするよ」


「あまり厳しくやるなよ。この場合はお前にはそう非難するだけの資格があって俺には聞く義務があるものだからな。けれど確信とか分かっていたというけどお前は少し見込み違いをしていたな。俺はあんなに継承者になりたくてなれないから全てを捨てたというのに、あろうことかその使命よりもお前の身を優先させてしまった男だ。しかもそれは誤りであり間違いだと分かっていながらしてしまったどうしようもなさもある。お前は重っ苦しく責任を感じていると言っていたが、逃がしたのは完全に俺のせいだ。だからお前が継承して良かったんだ。今更ながら印の選択の意図に気づいたわけだがな」


 闇が沈黙し頬に冷たいものが触れると男は感じた。これはたまに女といると感じるものであり、どうしてこれは俺に対して喜怒哀楽が激しいのかと思いながら話すまで黙っていた。


「僕が継承して、良かったのかな」


 女の声が男の胸にへと入ってきた。だがそれが声なのか男には分からなかった。


「はじめて龍を取り逃がした継承者だよ」


「追えば良いだけの話だ。追う場合の取り決めだってある。逃げられるのは始祖様も想定していたんだ」


「山を降りて砂漠の果てに行ってしまったら……もう」


「砂漠なら俺が案内する丁度いい。アリバさんも一緒ならもう踏破したも同然だ。それにもしかしたら龍は砂漠の熱で野垂れ死にした可能性だってある。傷だって浅くはなかった。この季節の砂漠は進めば進むほど温度が上がって過酷になって、白骨化した獣の骨があちこち現れるからな。龍の骨探しで済むかもしれないぞ」


 男は冗談を言ったつもりはないが闇から笑い声が聞こえこれも胸に染み込んで来て、嬉しさとなった。


「なんだよ君は。行く気満々でさ。でも君は連れて行かないよ。部外者は駄目だ」


「それなら東の地に店を開く。そこを拠点にして活動すればいいんじゃないのか?」


「フッフッフッフッ」


 女はまた笑いだして男は首を振って苦笑いした。そういえばこれとの会話は意味不明だがたまにこうなるなと。


「少しは変わろうよ――。いいかい僕はもう君の妻になる女じゃないんだよ。そこまだ勘違いしていないかい?」


 言われてみると、たしかにそこがまだ実感というか現実感が無いなと男は唸ると女はその音を聞き、追撃する。


「僕は君ではない人の伴侶だ。だから言いたいことはね、昔のようにそんなに変わらない優しさを示されると、悪いなぁと思ってしまうんだよ。分かってる、君は別にそんなことは気にする男ではないけど、僕は女でそれをさも当然のように受け取るほどに図々しくないから、気にするんだ」


「俺に対して図々しいのは変わっていないと思うが」


「うるさい。義兄妹にしたって優しすぎだ。だいたいさっきの僕の悪意ある言い方に対して怒ったりした方が良いんだよ。それなのに俺が悪いから当然だって、そう返されると僕の方が悪者じゃんか。もっと言うと君を追いだしたのは僕で今回も追い出そうとしたり殺そうとしたりしたのは僕だ。これだけのことをやられてまだ君は、耐えるというの?」


 闇が問い掛け男は心の中で何も思わず考えずに言葉がすぐに口から出た。一度も出たことのない言葉が無意識に口の端からこぼれ落ちる。


「俺がただ無神経な男というよりかは、今も俺はお前のことを想っているから耐えることができているのだろうな。それでもってたぶん俺はお前のことをずっと想ったまま終わると思う。ここまできたらな」

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