第114話 『ジュシ!来い!』

 アリバの言葉にジュシは驚いた。


「準備って、あのまだ先ですよ」


「馬鹿こくな。荷作りだけじゃなくやることはいっぱいあるぞ。お前は中央の言葉は喋れてある程度は読めるようにはなったが、まだ字は書けないのが駄目だ。勉強を始めるようにな」


 ジュシが不満気に鼻を鳴らすとアリバはもっと大きく笑う。


「いいぞその顔。だが違う世界で生きるってのはそういうことだ。わしだって西からこっちに来た時は字が読めず書けずで苦労したが、頑張ってここまで覚えた。生まれ変わるというのはそういうことだぞジュシ。故郷に帰れなくなったものは、そうして生きる他ないんだ」


 ジュシはその言葉に驚きアリバを再び見ると、そこには同じ顔なのに違う男の表情があった。


「わしは今からお前に呪いをかけてやる。覚悟しろよ。いいかお前は東に行き、わしと商売をする。お前はわしとの交易で以って東の地で繁盛し土地を買い良い家を建て、その途中で嫁を貰い子を育て孫に囲まれ、それから老衰で死ぬ」


「呪われ尽くしの良い人生ですね」


「冗談いうななんとも悲しい人生だ。どんなことしたって結局は死んじまうんだからな」


「人はなにをしても死にますって」


「そうだな。いくら食っても死ぬし食べなくても死ぬ」


 意識せずにジュシはアリバの意図を察したのか、反射的にその言葉が出た。 


「だったら食べてから死にたいですね」


「分かってきたじゃないか。それでいいんだよそれでな」


 もう少しで前に追いつこうかというのでアリバは足の速度を緩めだしジュシも合わせながらもその心は一つのことに集中していた。


 どうしてもここで聞かなければならないことが。


「私は二度と行きませんけれどここにはこれから先、取引は続くのでしょうか?」


「続くぞ。だがお前はもう行く必要はない。入口で村のものが護衛として待機してくれるらしいからな」


 振り向きもせずにアリバが言うとジュシは無感動に頷いた。何も感じない様に努めるように。


「次の注文は新たな薬草とのことだ。それも大量に必要だということで大急ぎで調合せねばなるまい。お前はたっぷり寝ていたから今夜に寝ずに帰って徹夜で薬の準備をするのだぞ」


 薬草? どういうことだ? あの山に限ってそのようなものが必要なはずなどない、とジュシの胸で鈴の音に似たなにかが鳴り始めた気がした。


「どういうことでしょう? アリバさんの調合のことを悪く言うのではないのですが、この山には様々な薬草にあの村には代々伝わる薬草の調合がありまして、外からいったい何を買うのか分かりません。どういうことでしょう」


「まぁこういった村は外部から買うってのはないよな。まず自給自足で逆に売って来るぐらいだ。しかしな」


 鈴の音がまた一つ鳴った。この音はいったいなんであるのか? 何を呼んでいる? それとも起こそうとでもいうのか?


「それがなどうも効きにくいようみたいでな。ほれさっき襲ってきた連中に噛まれた村人の毒の治癒が異様に長くかかったようでな。一命はとりとめたようなんだが眷属みたいな手先のでこれならこの先どうなるのか? といま研究が進んでいるらしいぞ」


「そんなはずはない」


 ジュシの言葉にアリバは眉間に皺を寄せる。


「あの村の薬草学は随一だ。龍と戦い続けてきたために積み重ねてきた知識と経験を以てしても未知の龍の毒があるなんてありえない」


「お前がいくらそう言ってもだ、きちんと注文をいただいている。ほら村長の息子さんであるツィロさんからな」


 信じられない思いのままジュシは考える。これはどういうことなのだ、そもそもだ、そもそも……この季節に龍が出るはずもないうえに、あの眷属である龍たちの雰囲気、あそこまで統制された動きは滅多に見られるものではない。


 しかもこちらが武器を持ってきた商人だと承知の上での襲撃そして攻撃対象の的確さ。だが、それでも村には戦士たちがいるうえに彼女もいる。何も問題はないうえにおまけに


「罠の設置について何か言っていましたか?」


「今日の内からはじめるそうだがなにせもう夕方となる。本格的に仕掛けはじめるのは明日になるんじゃないのか? なんたってお前が最終的に自分の経験と照らし合わせて改良したものだ。今日襲ってきた眷属のあの中型までなら楽に引っ掛るだろう」


 それを聞いてジュシは安心した。龍のルートというものは奇妙なことに限られており、その通り道というものは村のものなら誰もが熟知しているうえに、そこに最も適した罠が東側の最新製であっては龍は対応が不可能になるだろうと。


「なら良かった。では明日の朝以降は罠にかかった龍であの勢力はまず完全に沈黙するでしょう」


「まっそんなものを持ってきたからわしらは襲われたわけだがな。しかしなぁなんだ、お前の言っていたことと違って龍というものはやけに賢いな」


 楽観的になっていたジュシの心に冷や水が浴びせられ、また鈴の音が甲高く響く。目が覚めてくる鈴鳴り。意識が透き通っていく。


「お前もそう思っただろ? だとしたらな、これは今日初めて龍と遭遇し戦ったものの印象に過ぎないものの勘だが、もしかしてあれはお前らの言ういつもの龍と違うんじゃないのか? ほら季節外れとも言っていただろ?」


 アリバの言葉によってジュシの脳内は澄みだし、想像が幾重にも展開し広がっていく。今までとは違う毒を持つ龍、知能が異様に高い龍、時期外れの龍……ジュシの龍の分析からそして最悪事態の想定へ、我々を襲ったのは罠が有効だということ、罠が有効であるのなら設置したらおしまいだということ、それは明朝までのこと、このことが分かるのなら……もしも、だ。ジュシは……呪身は思う。


 もしも自分があの龍であるのなら、あの村を憎むものだとするのなら、村を突破しその先にある道へ、東の地に行く道を行くのならなにをするべきか? この場合はどうするべきなのか、最も成功する可能性の高い方法は……いまが罠が少なく薬草が手に入る前の状態であるのなら……もしも私が龍だとしたら……とるべき手段は一つだけ……


「急にゆっくりになってどうしたジュシ?早くこっちに来んか。疲れてちるのなら荷車に乗っても良いぞ。なんたって帰ったら忙しいからな……おいこっちに来るんだジュシ」


 呼びかけに対しジュシは前に目を向けると一本の線がアリバと自分の前に引かれているのが見えた気がした。


 もう二三歩歩けばその線を跨げるだろう、乗り越えられるだろう、それでいいのだろう、終わりなのだろう。


 古い世界から新しい世界への境界線はここにあると。あの夕陽の日から止っていた時は違う方向に動こうとしている。そちらの方向へと秒針を震わせながら時を刻むのを待機し続けたこの三年間。


 もう動こうとしている、否応なしにあと一歩降れば、足を動かせば自分の何もかもは動き出す。だが、とジュシの足は止まり、正反対にアリバが駆け出しだした。


「ジュシ! 来い!」


 叫び声を聴くと同時にジュシは心の中で囁き声を聞き口に出した。


「そうではないのだろう」


 それが自らへの合図のように、男は大地を蹴り返しながら坂道へと駆け出し眼前に広がるは夕陽に照らされ色づいた森の木々。


 あの日の続きをここで戻りながらも、それでも秒針は心臓の鼓動と共に時を刻み男の魂も刻み始め、動きだす。

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