第63話 いらないですけど、どちらかというと、欲しいですよ

 空は無限へと向かって貫かれているような蒼天であった。そこに少しでも近づき触れることを目的にしたような、接ぎ木に接ぎ木を足した椅子の上に男と女二人は座り、しかも上下運動をしていた。


「天椅子というものに我々は座るということだ。先頭は嫁と親戚でその後ろに婿に親戚友人が座ってな。外を練り歩きながら天に報告をするのだ、ここに新しい夫婦が誕生したとな。二人用の椅子だから妾は先頭で一人で座るのでそなたらは後ろのを二人で座れ。えっ一人で大丈夫かと?フッ見くびるな、高い所に座るのは慣れておるわ」


 天椅子と聞くも男はそれほど高いものではないと高をくくりながら、座って出来上がっていく過程を見ていると次第に心細くなってきた。


 まだ継ぎ足すのかと? まだ継ぎ足すのかと? もうやめてくれと思ったところから三つ継ぎ足され、完成する。屋根よりも高い天椅子、隣には震えるハイネの姿があった。


 地上から祝福の歌が流れ上にいる三人が聞く。先頭の女は慣れなのか性格なのか恐怖心など一切見せずに優雅に見物人たちに笑顔で手を振っていた。


 後ろの婿役らはそれどころではなく硬い表情で手を振るがハイネは縮まっていた。


「わっ私はこういう高いところが苦手なんですよ。揺れるし!」


「この高さが平気な人はいないよ。腕で良かったら掴まってください」


 そういうと躊躇なく肩と腕が千切れるぐらいの握力で以ってしがみついてきた。痛い。


「あの、この力強さは恐怖以外にももしかして今日の問題行動への報復も入ってませんか?」


「この私を見損なわないでくださいよ。日頃の怨みの報復も入っているに決まっているじゃないですか」


 痛みがさらに加わり苦り切った表情で下に手を振ると、誰かがこちらを指差しながら怒鳴っていた……シオンである。


「降りなさい、なにをしているんですか!」


 いつもの武官服とは違うがズボンといった男物の服を着てこちらまで走ってきていた。


「シオンさ……シオン! そこまで、怒るものではないよ。これはただの余興で」


「あなたは何をしているんですか!ハイネはどうしましたハイネは!」


「ねっ姉様! 私はここです。あの、私、怖いのに乗せられてしまっただけでして」


 おいおいと男はハイネを見ると小声で助けてくださいと言われどうすればいいのかと狼狽していると、前方からよく通る声でシオンに呼びかける声がきた。


「兄さんよく来てくれたな。皆さん、今来たのが先ほどお話していた妾の兄です。どうか妾の横に乗せて下され」


 そう訴えるとお祭り状態で目の色が変わっている男たちは抵抗するシオンを取り押さえ、一時的に降ろした天椅子に問答無用で乗せ再び高く掲げた。


「ヘイムどういうことですかこれは!」


「やぁ兄さんお勤めご苦労。ヘイムではなくナギであるぞ。それとこれは全て妾がしたかったことだ。責めるのならこちらだけにするように」


 前方の椅子でシオンがまくし立てるが女は開き直った態度で受け流しあちこちに手を振り、下からは南ソグ訛り全開の祝歌が大声で歌われるこの混沌の世界で男は平常心を和らげようと隣のハイネに話しかける。まだ肩と腕は痛めつけられている最中であるが。


「あのハイネさん」


「私にはさんづけなんですね。さっき姉様を呼び捨てにしていた癖に」


「あそこでさん付けをしたら私の設定上おかしくなって」


「へーそうですか。そうやって言い訳するのがあなたなのですね。あと私はいま青年という設定なんですけどね」


 睨み付けられ男は天を仰ぐ。この女は突然何を言い出すんだ? このままあの群青に飛び込んでいきたいという衝動に襲われるも男は踏み止まり隣の苦物を見た。


「あーハイネ、例のあれを買ったのだけど受け取って貰えるか」


 ハイネの目付きが突然変化したが目玉を素早く前に送るもすぐに戻るも、掴まる手の力が弱まり、助かった。


「なんでいま、このタイミングでそんなことを言うのですか?」


「いやせっかく隣に座ってくれたんだからこの際はやめに済ませておこうと」


「はやめに済ますってなんです?」


「だってそうしないと面倒なことになるかもしれないし」


「面倒って! そもそもこの状況で渡すってどうしてです? どうかしていません?」


 ほらまた面倒なことになったと男は己の愚かさを嘆くよりも己の宿命を呪いながらもういいやとばかりに、右の懐から箱を取りだそうとするとハイネの手が飛んできてその動きを制した。


「ダメダメダメダメです。今だけはそれはやめてくださいって。設定上、駄目でしょ!」


「あの、もしかしていらなかった?」


 そういうとハイネの顔は怯み震えまた目で前を確認し、その右手は指輪の箱を抑え左手は男の方を掴みながら耳に口を近づけ小さくもはっきりした声で、伝えた。


「いらないですけど、どちらかというと、欲しいですよ」


 混乱し矛盾した言葉であるはずなのにその心を男には疑いなく理解することができた。


「けど、今は駄目ですって、もうこんなの言わせないでくださいよ。というか、ついでだから渡すだなんて、冗談じゃありませんって、どんだけ人の気持ちが分からないのやら」


 途中からぶつくさ早口となり男の耳は聞き取れなかったが、箱を取り出す気を無くすとハイネの手が離れ顔が外に向き、あちらの方向へ手を振りだした。


「だいたいあなたはいま、そういう役ではないのです……ジーナではないのですから、私には関係のない人です。その役を全うしてください」


 この役? と男は前に目を向けるといまだ口論の途中であるのか、女が手振りを混ぜて反論しているなかで指輪が陽の光を反射しさせ目を貫いてきた。


 瞼を閉じても眼球に焼き付いた白の眩しさに男は宝石の名を思い出し、その光を心に得たと感じた。

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