第62話 はたしてどうかな?

「ほぉ……そう考えるのか。そちらではそのような習慣はあるのか?」


 遠ざかる意識の中で女は男に尋ねた。


「指輪は補助的なものですね。首飾りが正式なもので、指輪は儀礼的な時に左手の薬指につけたりと。もしもそっち関係だとしたら……」


 似ているな、と女は思い男の悩む顔を見て内心で笑う。そうだ知らないのだと女は理解する。この男は自分の左手の指のことをよくは知らないのだと。


 龍身の指を、知らないのだ。そうだ、あの出会いから今日までこの男は自分の左半身を正面からもまともに見てはいない。よって左手の指の数など知らずにいる。もしもそれを失った場合のことなど知らぬのだ……そして知らなくても良い。


「どうした? 怖いのか?」


 女は問い男の視線を向けさせた。


「その意味は何ですか? と聞きたいのか。知りたいのなら教えてやるが、どうする?」


 どうなるのかわからないまま女は男に聞きながら見た、その表情を、何かが崩れるも何かが固まっていくその過程を。


「ああ是非とも教えてもらいたい。だけどその前に指輪を薬指に通します。それまで内緒にしてください」


 男は女の手先を下から支えるように右手をあげた。


「別に無理はしなくていいぞ。妾は別に指輪などつけることなどすこしも」


「いやいや望んでいないのならこんな風に手をずっとあげたままにしない」


 女は鼻で笑う。


「これは降ろし忘れただけだ。痺れてきたからそろそろ下げたいのだが、邪魔が入ってしまったか」


「やっぱり座ったままだとつけにくいから、はい立ち上がって」


 支えるどころか持ち上げられるように女は男によって席を立たされ窓辺に移動させられる。


 女は窓辺の陽射しの溜まり場へ、光差すところへ立つ。


「それで指輪を薬指に通したいのでナギ、小指と中指を薬指から離してもらえないか」


「そんなに指輪をつけたいのか? それなら自分の指にでも嵌めればよいであろうに」


「無駄な抵抗を続けてないで。そのサイズは薬指ので」


「妾の薬指のサイズであるのなら、そなたの小指になら入るのではないか、え? そんなに指輪をみたいのならどうぞ、いいぞ」


 何を言っているんだと男は呆れだす。


「自分の指につけてどうする。私はナギの指についたのを見たいんだ」


 女は鼻息を吐いてから溜息をあげた。


「相変わらず自分ルールを押しつけてくるのだな。こちらの意向など無視してな。全くナギはどうしてこんな男の妻となったのやら」


「そういう設定というか運命というか、兎に角あなた今はナギであり私は夫のジンであり、指輪を買ってこうしてプレゼントするわけです。これを受け入れてください」


「受け入れるしかないのか?」


 女は視線を外しながら聞いた


「受け入れるしかないのです。ナギはそういう女であり私はそういう男です」


 女は遠くを見ながら苦笑いをし咳込み、男の目を見ながら答えた。


「しょうがないな、そこまでいうのなら通させつけさせてやる」


 静かに指が動きだし薬指が男の前に差し出される形で前に出た。指輪を持つ男の手は震えた。どうして? その意味は分からぬまま近づけると、近くから大声がした。


「ちょっと待って」


 と言うがすぐにうわっと叫び声もし男がそちらを見ようとすると女の声がそれよりも勝った。


「見るな」


 それから女は目で合図をしてきた、早くと。導かれるように男はその薬指に指輪を通すと、想像以上に不自然さや違和感もなくそれはそこに収まり、光った。


「綺麗だな」


 女が光の中で手をあげると男も答える。


「綺麗ですよ」


 雲が太陽にかかったのかそれとも指輪が光を吸い込んだのか、辺りから急に光が消え辺りは暗闇の幕が覆われると、男は瞬間的に左手で女を引き寄せ抱きしめた。


「どこかに、連れ去られるのではないかと思って」


 男がそう言うと女は頷いた。


「ああ、そうなるかもしれなかったな」


 それから女が右手を二人の顔の間に掲げながら言った。


「ああ言いそびれたが、この薬指への指輪の意味を教えてやる。信頼だ」


「そうだったのか。では、まぁ、的確であったと」


「はたしてどうかな?」


「えっ?」


 男が言葉を続けようとするとその場に光が再び戻りゆきそそして拍手の音が響く。驚いた二人は周りを見ると人々が注目していた。


「お客様、ご婚約でございましょうか? おめでとうございます」


 恰幅の良い店長らしき人物が現れ祝福の言葉を述べだし、是非ともこの土地での祝賀の行進をさせてもらいたいとの申し出てきた。


 男はわけがわからずに狼狽えると女は知っているのか男に耳打ちをする。


「南ソグにはそういう風習がある。断ってはかえって問題になる、受けよ」


 と半ば命ぜられ男が了承を告げると店中のものたちは急に準備を始めるなか、先ほどの給仕が首をひねりながら誰かを連れてきた、ハイネだ。


「この御少年は御客様のお知り合いでしょうか? さきほど大声を出したのでみんなで取りおさえまして」


 膨れ面のハイネは男の顔を背けながら連れられてきた。


「はい知り合いというか、その友達なのでどうぞこちらにお任せください」


 解放されてもハイネは表情を変えなかった。


「少年に見られたままだなんて見事な変身だな」


「……途中でシオン様にご連絡しました。これはちょっと問題があるのではないかと」


 するとシオンがこちらに、と男が慄くと女は平然としていた。


「今日の妾の行動は確かに褒められたものではないな」


「いえっその、ヘイム様側ではなく」


 慌てるハイネを女が制する。


「その名の女はここにはおらんぞ。ここにはナギしかおらん。そうであろう? この店のものたちにそのことが知れてみよ。問題どころの騒動では済まされなくなるぞ」


「はっはい……そうです。ここにはナギしかおりません」


 台風の目のように三人の周りは物音が激しく声が飛び交う状況で男とハイネが不安そうに辺りを伺っていると女が言った。


「落ち着け。もはやこうなったら向うのやらせたいようにやらせるのがいい。二人とも協力をするように、いいな? では彼らの祝福の方法だがな……」

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