【1】罪深き妹
私はハンナ。エリシアお姉様の妹。――私は本当に、不出来な妹だった。
私は高級娼婦だった母の連れ子だけれど、母のような美人ではない。そばかすだらけの顔も、鉄さびみたいな赤毛も。母はいつも「私の子なのに、どうしてあんたはブスなのかしら」と口癖のように言っていた。
宗教画の天使みたいに綺麗なエリシアお姉様を見て、いつもうらやましく思っていた。
「ハンナはとてもかわいいわ」とお姉様が言ってくれても、そんなのはウソだと思った。
私は要領が悪くて、頭もそんなに良くない。
「いつもひたむきで、一生懸命なあなたが好きよ」とお姉様は言っていたけれど、私は頭が悪いから、ひとつのことを地道に一生懸命に繰り返すしかなかったのだ。
義父であるホーカー侯爵も、私にはなんの期待もしていなかった。
10歳まで娼婦の子として生きてきた私には、今さら教育を施しても大した意味はない。顔も頭も平凡な私では、政略結婚の駒にも使えない……だから、私はまったく期待されていなかった。
前夫人の死後に後妻として侯爵家に迎えられた母は、贅沢三昧の日々を送って、私をまったくかまわなかった。父母に顧みられることのない私は……ホーカー侯爵家の異物にすぎない。
でも。3つ年上のエリシアお姉様だけは、いつも私に優しくしてくれた。
淑女のマナーも勉強も、お姉様はこっそり私に教えてくれた。「あなたにもきっと役に立つはずだから」――と。
みすぼらしい私のドレスを見て、「私が昔、着ていたものだけれど……」と申し訳なさそうな顔をしながらきれいなドレスを贈ってくれた。
お姉様は、どうして私をかまうのだろう? バカで汚らしい妹の世話をして、「優しい姉」を演じたいのだろうか? かえってみじめになるから、やめて欲しい――そう思って、泣きながらエリシアお姉様に訴えたことがある。
「……ごめんなさい、ハンナ。そんなつもりはなかったの」
お姉様は泣いて謝りながら、私を抱きしめ続けてくれた。
お姉様の温もりに溶けて、私は初めて涙をこぼした。
こんなに美しくて慈しみ深い人が、この世にいるのだろうか――エリシアお姉様は、きっと天使に違いない。
その日から私は、エリシアお姉様を心の底から愛するようになった。
*
こんな尊いお姉様を。どうして王太子は、踏みにじるのだろう?
聖女を名乗るイザベラという女にたぶらかされて、王太子オルバは婚約者であるエリシアお姉様を冷遇した。
お姉様は静かに耐えていたけれど、どれほど苦しんでいただろう?
日に日に痩せていくお姉様。
王室派の貴族から「ホーカー侯爵家の娘など……」と陰口を叩かれ続けるお姉様。
お姉様が大病に倒れたのは、彼らの残酷な仕打ちに耐えきれなくなってしまったからなのではないだろうか?
お姉様は病気を理由に婚約を破棄され、あらぬ罪を着せられて賠償金まで請求されてしまった。
「お姉様が、どうして罪人呼ばわりされるの!? 神様は残酷だわ……いえ、神さまなんて、きっとこの世にはいないのよ!」
お姉様の看病をしながら、こらえきれなくなってそう叫んだ私の手を――
お姉様はそっと握ってくれた。
「神さまがいなくても、あなたがいてくれるから。私は幸せよ。ハンナ」
お姉様は、もっと幸せにならなきゃダメなのに!
誰からも愛されて、大切にされなきゃいけない人なのに!
……ちっぽけな私では、神様の代わりになんて、なれるわけがなかった。
私は罪深い妹だ。
「ハンナ。いつも私を励ましてくれてありがとう。あなたがいるから、心強いわ」
――違うわ、お姉様。ちっぽけな私には、言葉を並べ立てることしかできないの。あなたを本当に苦しみから救い出す知恵も力も、持っていないんだもの。
「ハンナ、いつも面倒を看てくれてありがとう……あなただって、結婚を考えなければいけない年齢なのに。私のせいで、ごめんなさい」
――違うのよ、お姉様。私なんかじゃ、誰も貰い手がいないだけ。お姉様の看病をする以外には、私が誰かの役に立てることなんか、ひとつもないのよ……。
お姉様のやさしさの。一つ一つが悲しかった。
*
侯爵家が破産に追い込まれ、路頭に迷いかけていた私たち姉妹を救ってくれたのが、エドワード・ウォード子爵だった。
エドワード様はエリシアお姉様の幼なじみで、子供のころから、お姉様を想い続けていたそうだ。
ようやくお姉様を救い出してくれる人に出会えて……私は、心の底から安心した。
これで私も、身軽になれる。
母のように娼婦になれば、日銭くらいは稼げるだろうか……
そんなふうに思っていたのに、エドワード様は私のことも面倒を見て下さると言った。本当に、畏れ多いことだった。
エリシアお姉様とエドワード様に説得されて、私も子爵家の屋敷に住まわせていただくことになった。客人としての待遇を用意してくれていたけれど、そんなのは絶対にダメだ――私は必死に頼み込み、使用人として雇ってもらえることになった。
幸せそうなエリシアお姉様とエドワード様を見て、私も本当に嬉しかった。
――なのに。
「どうしてお姉様は、天に召されてしまったのでしょう」
教会の懺悔室で、私は静かに呟いた。
「ようやく幸せになれたのに。可愛いライエル様もお生まれになったのに。なぜお姉様は、天に召されたのでしょう……」
頬を涙がつたっていく。
「神さま、あなたは残酷です。なぜお姉様に病を与えたのでしょうか? できることなら、私が代わりに病を引き受けたかった。お姉様は、エドワード様とライエル様にとって、不可欠な方でした。……お姉様の隣でうろうろしているばかりの私を生かして、お姉様を死なせてしまうのは……どうしてですか?」
体の震えが。止まらない。
「私は――死にたいです」
心の底から、そう願っていた。
「私は罪深い女です。エドワード様に恋焦がれている私は……本当に、救いようのない愚か者です。お姉様を救ってくれた尊いお方に、こんなふしだらな想いを抱いてしまう私は。……私なんか、存在しない方がいい」
ここは教会の懺悔室。告解の壁の向こうにいる、司祭様の気配がする。
「でも……私は、しばらくは生きていようと思っています。ライエル様がご立派に成長なさるまで……いえ、そこまでの贅沢は言いません。せめて、ライエル様がおひとりで歩けるようになる日まで。ライエル様には、母親の代わりとなる者が必要です……お姉様のことをよく知る私なら、少しは役に立てるかもしれないから。今しばらくの命を、どうか、お赦しください」
壁の向こうにいる司祭様が、静かな声を返してくれた。
「神があなたに赦しと平穏をお与えくださいますように――」
私の、長い懺悔が終わった。
礼をして、教会をあとにする。
午後の仕事に戻らなければ――
私は屋敷へ足早に戻っていった。
***
教会の懺悔室。
司祭の後ろに控えていたエドワード・ウォード子爵は、呆然として立ち尽くしていた。
「…………今の懺悔を、……ハンナが?」
司祭が苦笑しながらエドワードを見た。
「本来であれば、懺悔を他者に聞かせるなど絶対に許されないことなのですが。……まぁ、ありていに言えば、私は生臭坊主ですので」
毎日毎日、ハンナさんは今のような懺悔を繰り返しているのですよ――と、司祭は呟いた。
「神に聞かせるよりも、あなたに直接聞かせた方が、意味があるような気がしましたのでね」
という司祭のつぶやきを聞いて、エドワードは何も返事を返せずにいた……
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