【2人の夫人の肖像画】やがて愛し合う物語

夜逃げ聖女6/14@望まぬ婚の越智屋ノマ

Prologue:二度と重ならないふたり

私の夫エドワード・ウォード子爵は、静かな口調でこう言った。

「今日、王太子オルバと聖女イザベラが処刑されたよ」


ここはウォード子爵領にある、私たちの屋敷。

夫婦の居室で、エドワードは今日の昼間に見てきたことを話していた。王都に出向いて処刑を見届けてきた彼は、口元に冷たい笑みを浮かべている。


「聖女と名乗っていたあの女は、邪教の信者だった。まやかしの神託で国を惑わせ、王太子はあの女を盲信して国に多大な損失を負わせた。本当に救いようのないクズどもだ」


憎しみも露わに、エドワードは彼らを非難し続けた。


「泣いて叫んで、本当に無様な死に際だったよ。……君にも見せてやりたかった」


声を殺して酷薄な忍び笑いを漏らすエドワードを見て、私はとても苦しくなった。



「エドワード、そんな残酷なことを言わないで。あなたらしくないわ」

彼の顔から冷酷な笑みが消え、とても寂しそうな表情を浮かべる。



「……こんな無慈悲な物言いをする私を、君は軽蔑するだろうか?」

「いいえ、絶対に軽蔑なんかしない。でもあなたは、本当はとても優しい人だから」



私はそっと彼に寄り添い、彼に拳に手を重ねた。

でも、彼が私の手を握り返すことはない。二度と重なりあうことない私と彼の関係性に――私は泣きたい気持ちになった。


「愛しているわ、エドワード。あなたの妻になれたから、私はようやく幸せになれたの。王太子に婚約を破棄されて、いくつもの罪を着せられた私を……修道女として残りの人生を過ごすしかなかった私を、あなたは優しく迎えてくれた。本当に、ありがとう」


エドワードは深くうつむき、拳を震わせながら言った。


「私は昔から君を想っていたんだ……子供の頃からずっと。だから、君を不幸に追いやった王太子と聖女のことを絶対に許さない。彼らは地獄の業火に焼かれて、永遠に苦しみ続けるべきだ」




  ***

   *



ホーカー侯爵家の長女である私と現王家の王太子オルバの間には、幼い頃から婚約が取り交わされていた。


長く敵対関係にあった現王家と侯爵家の、和睦の意図が込められた婚約だった。

王太子との間に愛があるかは、問題ではない。「成人したら王太子妃になる」という、決められた未来だけがそこにあった。


でも……


聖女イザベラの出現とともに、私の「未来」は崩れ去った。




平民生まれのイザベラは、ある日突然に神託を受けて聖女としての能力に目覚めたという。数々の未来を予言し国政への介入を始めたイザベラは、王太子オルバと接触。

運命の糸に導かれるように、2人は深く愛し合った。


そして当然の帰結として、私は邪魔者扱いされた。

日に日に、聖女イザベラを正妃の座を与えて国を導く象徴として活躍させ、私には実政を担わせつつ側妃の立場に据え置こうという主張が宮廷内外で強くなっていった。





そんなある日、私は大病を煩(わずら)って倒れてしまう。



――病持ちの女などに、王太子妃が務まるものか。

――王太子と侯爵令嬢エリシアとの婚約は、破棄すべきである。


様々な立場の者が声高にそう叫び、私は婚約を破棄された。




それだけでなく、私は複数の罪で訴えられることとなった。王室派の貴族と聖女イザベラが手を組んで、ホーカー侯爵家の失脚をもくろんだのだ。



姦通罪。不敬罪。国家反逆罪。

どれもこれも、身に覚えのないものばかり。



病身であることを考慮され、実刑に代えて多額の賠償金を支払う形となったけれど……。そのせいで私の実家は破産に追い込まれ、私は生きる術(すべ)を失った。


病を抱えながら修道女になるよりほかに無かった。そんな私を救ってくれたのが、ウォード子爵家当主のエドワードだった。




「愛しているよ、エリシア。神に誓って私は生涯、君だけを想い続ける」


エドワードは立ち上がり、赤ん坊用のベッドに静かに歩み寄った。私たちの息子が――今日、ちょうど1歳の誕生日を迎えたライエルが、すやすや寝息をたてている。



「私もよ、エドワード。あなたのおかげで、こんなに元気なライエルを授かることもできた」

「ライエルは、君にそっくりだ。本当に可愛らしい」

「あら。目元はあなたにそっくりよ」


私たちは穏やかに笑いながら、それぞれの手で息子を撫でた。

でも――


「…………っ」

不意にエドワードは声を詰まらせて、嗚咽し始めた。





「本当は……もっとずっと、君と一緒に居たかった」


エドワードは泣いている。

私だって、本当は泣きたい。でも、もう、私には涙も出ない。






「…………どうして君は、!」





赤ん坊用のベッドにすがりついて、エドワードは大声でそう叫んだ。

大きな声にびっくりしてしまったライエルが、目を覚まして泣き喚く。



「……ごめんなさい。ごめんなさい。エドワード、ライエル」




不治の肺病を患った私はもう、長く生きられない体だった。

余命数ヶ月と言われていた私を、すべて理解した上で妻にしてくれたのが、エドワードだった。


エドワードのおかげで、私は本当に幸せに生きることができた。

余命以上に長く生き、愛する人の子供をこの世に送り出すことができた。


……これ以上望むものなんて、なにもない。



「私は、病を煩う君を身ごもらせてしまった。君の命を削ってしまったのではないかと……悔いている」

「そんなことを言わないで!」


私はエドワードを抱きしめようとした。でも私の体には実体がなく、彼を抱こうとしても腕がすり抜けてしまう。



私が触れようとしても、絶対に触れられない。

話しかけても届かない。私の姿は、誰にも見えない。……愛しいエドワードのそばに居続けているのに、彼にとって私はなのだ。


もう二度と、誰にも重なり合うことはない。……それが、死せる私の宿命。




「……私、本当に幸せだったの。こんなに幸せな人生が待っていたなんて、まったく想像してなかった」




ライエルとエドワードには、笑顔にあふれた人生を送って欲しい。

私のせいで、ふたりは苦しい道を歩むことになるのではないかと……そう思うと、やりきれない。






「……旦那様。失礼いたします」

控えめなノックの後に、私の妹のハンナが入室してきた。「ライエルが泣いたときは必ず入室してよい」と、以前エドワードがハンナに指示を出していたから。


「旦那様。ライエル様をこちらに」

「…………あぁ、頼む」


見苦しい物を見せてしまい、済まない――とつぶやきながら、エドワードは涙を拭って後ろに下がった。



ハンナは大切そうに、そっとライエルを抱き上げる。優しい声であやしながら、愛おしそうにライエルをなだめていた。


――いつもありがとう、ハンナ。私、あなたに助けてもらってばかりね。


ハンナは控え目な性格だけれど、誠実で芯の強い子だ。王太子との婚約破棄で苦しめられていた頃も、毎日ハンナは私を励ましながら看病し続けてくれた。


侯爵家が破産して路頭に迷っていた私たち姉妹を、エドワードは子爵家に迎えてくれた。ハンナは使用人としてこの屋敷で働くことを望み、今は庶務一般に加えて、ライエルの世話係もしてくれている。


――ハンナ。あなたもどうか、幸せになって。


私は知っている。……ハンナが、エドワードに恋をしていることを。

でも、ハンナは自らの恋心を恥じて苦しんでいる。「亡き姉の伴侶に思いを寄せるなんて、自分はなんてふしだらな女なのだろう……」と。



そしてエドワードは、ハンナの想いに気づかずに私を想い続けている。




「2人ともありがとう。でもね……生者は死者に縛られるべきではないと思うの」


だから私は、もう行くわね。

ライエルが1歳となる今日まで、魂だけで屋敷にとどまり続けていたけれど……今日でおしまい。




私の体が、すぅ……と天に昇っていく。

とても穏やかな気持ちだった。



――あなたたちに、たくさんの幸せがありますように。




大切な3人の幸せを祈りながら、私は静かな空に溶けた。

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