第七章

央香の言う通り


 日が完全に暮れた中、怜人は家の敷地へ入ると自転車をとめ鍵をかけた。


 玄関のドアに鍵を差し込んで回すと、上を向いて深呼吸をする。


 顔や態度に出さないよう、怜人は全神経を集中させた。


「告白は失敗したよ。祭りに間に合わなくて、申し訳ない」


「ふん。そう、わしが申したであろうが」


「……だな」


「今日のバイトは休むと沙織から聞いていたが、体調が悪いのか?」


「朝から少しだるかったんだよね」


「告白が上手くいかなかったからであろう? 単にやる気がなくなったんじゃろ?」


「ま、多少はあるかな。でも、告白が成功するとは期待してなかったし。予想通りだよ」


「……本当にそうか?」


「本当だよ。さっ、夕飯にしよう」

 告白が失敗した当日、帰宅直後に怜人が央香と会話した内容だった。


 この日は月曜日だったので、本来アルバイトのシフトが入っている日であるが、今日は風邪気味で行けそうにないと店に電話をし、沙織にも央香を連れて来なくていいと連絡した。


 言うまでもないが、怜人は風邪ではなく仮病を使った。


 店には申し訳ないことをしたと怜人は思ったが、それ以上に働くことで自分が迷惑をかけてしまうかもしれないという気持ちの方が強かった。


 怜人は、まともに仕事をこなせる精神状態ではなかったのである。


 理由は、央香が言った通りだった。


 いや、正確には山中に振られたことがショックだったわけではないのだが、自分が予期していない言葉を吐かれ、どう処理すれば良いのか怜人はわからなかった。


 だから、怜人はとにかく隠すことにした。


 央香や沙織がいるところでは必死に平静を装い、二人がいない場所で自分の感情と向き合うことに努める。


 けれども、考えれば考えるほど精神が摩耗していった。


 そして鬱屈の日々は続き、告白してから五日目の夜。


 風呂に入った怜人は、髪と身体を素早く洗い湯船に浸かる。今日は無心になって休もうと思っていた怜人の思考回路に、嫌な記憶が呼び起こされた。


 今日もまた、これと向き合わなければならないのか。


 怜人の表情は消え、抜け殻のようになり湯船に浸かっていた。


「怜人」

 ふと、声が聞こえたような気がした。


 怜人は気のせいだと思いそのままボーッとしていたが、

「怜人!」

 今度は叫ばれた。


「なっ……何?」

 怜人が反射的に返事をすると、

「よし。生きておったな」

 そう、安堵したかのように言ってきた。


 声の主は、央香。


 風呂場の曇りガラスに央香らしきシルエットが映っており、脱衣所から話しかけているのだとわかった。


 怜人は気持ちを切り替えようと、両手で湯をすくい顔に何度も浴びせてから、

「何だよそれ?」

 と、鼻で笑った。


「【ラセンの花】の主人公の娘が、風呂場でリストカットして自殺を図ってのう。怜人が風呂から出てこないから、様子を見にきたのじゃ」


「お前、その昼ドラまだ見てたのか。俺が自殺するわけないだろ? 風呂で湯船に浸かっているだけだよ」

 怜人は自嘲的に言い返したが、央香は何も答えず少し間を置いてきた。


「お前が風呂に入ってから、一時間以上経っているんじゃぞ」

 央香が言った。


「……あ……そう」

 返す言葉が見つからず、声を漏らすのが精いっぱいな怜人。


 もう、そんなに経過していたとは……迂闊だった。


 怜人は仕切り直そうと呼吸を整え、無理やり笑う。


「久々に長湯をしたくなってさ。今日は金曜でバイトもあったし、ちょっと疲れたのかも」


「嘘じゃな」

 央香がバッサリと斬るように言ってきた。


「何でそう……」


「怜人のことは幼き頃から見ておる。無理をしていることくらい、余裕でわかるわ」

 またもや央香に言い放たれ、聞き返そうしていた怜人は口を閉じた。


「聞いてやるから、今思っていることを全て吐き出せ」

 央香はやはり神様なのだろう。幼い声なのに、言葉が重くのしかかってくる。


「……言いたくないな」

 怜人は歯を食いしばった後、吐息まじりに言った。


「風呂場に入っているお前を撮影して、それをスクリーンセーバーに設定するぞ」

 クソみたいな内容を真面目な感じで言ってきたので、

「グロ画像じゃないか。やめんかい」

 怜人は央香にツッコんだ。


 互いにフフッと笑い、張り詰めていた空気が若干弛緩した。


 が、

「怜人。話せ」

 と央香に言われ、また状態は戻った。


 怜人が口を結んでから何十秒か経過し、

「お前が話すまで、わしはここから動かんぞ」

 央香はそう言った。


 曇りガラス越しから座ったことがわかり、長期戦を見越したと怜人は判断した。


 ……言わなきゃ風呂から上がれないな。


「わかったよ」

 怜人は腹を括り、フーッと息を吐く。


「振られるっていうのは何となくわかっていたから……覚悟はしてた」

 話し出した瞬間、告白した時のことが事細かにフラッシュバックしてきた。

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