なぜか冷や水を浴びせられた
「お前、すっごい見られていたというか、見られてるぞ。やっぱり目立つんだな!」
今もなお視線が央香に集まっているので、怜人は興奮気味に言ったが、
「何回も男に声をかけられるから、この姿で外に出るのが嫌になってきた」
当人は心底嫌そうであった。
「買い物も嫌いじゃ。面倒くさいし、ネットでよかろ」
「って文句を言いながらも、沙織ちゃんに付き合ってあげているじゃん」
「まぁ、沙織はわしの信者じゃからな。飴もあげねばならん」
央香は照れくさそうに言い、アップルパイを頬張る。微笑ましい姿に怜人は頬が緩みかけたが、央香に報告すべきことを思い出し表情をキリッとさせた。
「央香、聞いてくれ。ヘアワックスと香水をつけていることを、山中さんに気付いてもらえたぞ! オシャレをした努力は無駄じゃなかったな!」
そう、怜人の足取りが軽かった理由はこれだった。
「ふーん」
「帰りの下駄箱で一緒になってな。最近そういうの使うようになったんだねって!」
「ほーん」
ウキウキで話す怜人とは対照的に、央香は顔も向けずに素っ気ない態度だった。
「……聞いてる?」
「聞いてない」
央香は表情を変えずに言い、アップルパイを食べ切る。怜人は喜びを共有できずに残念な気持ちになったが、自分もアップルパイを食べようと一つ取った。
その瞬間だった。
「あれー?」
ドクンッ。
と怜人の心臓を強く打つ、愛らしい声。
「やっぱ、大崎君だぁ!」
「や……山中さん?」
山中が改札口から出てきて、怜人達に近寄ってきたのである。
「……帰ったんじゃ?」
怜人が聞いた。
山中とは下駄箱で会ったが、友達と一緒に帰っていくのを怜人は見ていたのだ。
「教科書を学校に忘れちゃったんだよね。電車に乗る直前に気付いたよ」
山中はそう答え、ペロッと舌を出した。
可愛すぎるだろぉおおお!
怜人はときめき殺されそうになった。
「そちらは大崎君の従妹で、央香さんでしたっけ? こんにちは」
山中が丁寧にお辞儀してくれたが、央香は返事をせずに顔を背けた。
「おいっ!」
怜人が肘で小突くが、央香は更にぷいっと顔を背けた。
「ごめんね。何か機嫌が悪いみたいで」
「ううん、全然気にしないで」
山中はにっこりと笑い、顔の前で手を振った。
最早、天使である。
「あ……そのアップルパイ、私まだ食べたことがないんだよね。美味しい?」
「うん! 良かったら山中さんも食べてみる?」
怜人はそう言って袋から新しいのを出そうとしたが、
「いいの? じゃあ」
山中は怜人が手にしていた方のアップルパイにかじりついた。
「んー。美味しい!」
顔をほころばせながら咀嚼する山中を前に、怜人は完全に硬直した。
「ごちそうさま。じゃ、私は学校に戻らないと! テスト頑張ろうね!」
山中は笑顔で言い、軽く手を上げ颯爽と去っていった。
怜人はというと、右手で微かに手は振ったものの固まったままだった。
「……央香」
「ん?」
と、不機嫌そうな目を向けてきた央香。これは現実で、さっき起こったことは紛れもない事実であると、怜人はようやく思いっきりにやけた。
「これって、脈ありだよな?」
「ない」
「いやいや、ありだろ!」
「ないない」
期待に胸を膨らませる怜人に対し、央香は無表情のまま首を振るだけだった。
「だって、俺が元々持っていたやつを食うか? 普通は食わないって!」
「そこが女狐たる所以じゃ」
央香はさもありなんと答えた。
これ以上言っても同意してもらえないと思い、怜人は聞くのをやめた。
ふと、アップルパイに目を移し、山中が食べかけたところを凝視する。
……関節キスじゃん。
怜人は無意識に唾を飲み込んだ。
恐る恐るアップルパイを口に近付ける怜人だったが、
「ちょっ……おい!」
央香にバッと奪われてその部分を食べられてしまった。
「何で食った?」
「食べないから要らないのかと思っての」
怜人が怒りの目を向けたが、央香は澄まし顔だった。
「お前、ふざけんなよ」
「ふざけておらんわ。腑抜けた顔をしおって、あの女狐の罠にまんまと引っ掛かっておるではないか」
「山中さんを女狐とか言うな」
怜人が更に怒気を漲らせると、
「この阿呆が」
そう、央香は凍りつくような視線で刺してきた。
そして、央香は鼻を鳴らすと歩き始める。
「おい、どこに行くんだよ?」
「沙織が遅いから迎えに行く。お前はそこで頭を冷やして待っておれ」
央香は振り返ると、また同じような視線を向けてきた。
叱られたわけではないし、自分が悪いわけでもないのに、怜人の気分は沈んでいき怒気は完全に消えていく。央香が食べかけたアップルパイは紙ナプキンで包み、袋へと戻した。
怜人は上を向き軽く息を吐くと、央香と沙織が来るまで一歩も動かずに立ち尽くしていた。
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