央香は沙織を推す
親しき仲にも礼儀ありなので、沙織を気遣った対応に不備はないと怜人は思ったが、なぜか沙織が落胆してしまった。
「怜人。沙織の好意に甘えさせてもらえ」
央香が言った。
その言葉で、沙織の表情が見る見るうちに明るくなる。
「うんうん! 私、どのみち央香ちゃんが出勤する日は毎回食べに行くつもりだから、負担とか思わないでいいよ!」
沙織がにじり寄って言ってきた。
言動からも本意だと伝わったし、それならばと怜人は沙織の提案を受けることに決める。
「……そう? じゃあお願いしようかな」
怜人が軽く頭を下げると、沙織は破顔した。
「乗り終わったら、自転車の鍵を怜兄の家のポストに入れておくね」
「いや、鍵のスペアを渡すよ。そっちの方が楽でしょ?」
「え? スペアを? ……いいの?」
沙織は驚愕の表情であったが、怜人がにっこり笑って頷くと、
「……ありがと」
下唇を噛んで嬉しそうにしていた。
その後、他愛もない話をしながら帰宅をし、最後に怜人が沙織に声をかけようと思った時だった。
沙織が自転車をとめ、鞄の中から綺麗に包装された小さな箱を取り出す。
「怜兄、央香ちゃん。はい、これ」
怜人と央香は、沙織から一つずつ小さな箱を受け取った。
「これ、何じゃ?」
央香は沙織に確認しつつも、リボンを外して包装紙を破いていった。
「チョコだよ。今日は二月十四日。バレンタインだからね」
「あー、そういえばそうだったね」
怜人は気のない感じで返した。
この日の学校は妙にソワソワするような雰囲気に包まれるので、怜人もわかってはいたが自分には関係がないとも思っていたので、さほど意識はしていなかった。
怜人は生まれてこの方、幼い頃に母と姉、毎年くれる沙織以外からはチョコをもらったことがなかった。そして勿論、想い人の山中からはもらえるはずがなかった。
「パンダ? わし、別にパンダが好きなわけではないんじゃが」
パンダ型のチョコを見て央香がそう呟くと、
「え……そうだったの? 毎日着ているから、てっきり好きなんだと思ってたよ」
沙織はしょんぼりしてしまった。
「姉ちゃんのおさがりを着させているだけなんだ。でも、央香がもらったパンダのチョコ、精巧だし可愛いね。沙織ちゃんは、料理だけじゃなくてお菓子作りも上手だよな」
怜人が何とかフォローすると、沙織の表情が回復していった。
「ふん……折角だから食ってやるとするかのう。怜人、お前も沙織に礼を言わんか」
「お前が偉そうに言うんじゃない」
誰のためにフォローをしたと思っている、と怜人は心の中で付け足した。
怜人は沙織に正対し、しっかりと目を合わせる。
「俺、他の人からバレンタインのチョコをもらったことがないから、毎年こうやって沙織ちゃんにもらえるのが嬉しいよ。本当にありがとうね」
「いいよいいよ! 怜兄には勉強でお世話になっているんだからさ!」
怜人の言葉に沙織は恥ずかしそうに顔の前で両手を振り、
「それじゃ、またね!」
と言って足早に自分の家へと帰っていった。
沙織が家の中に入っていく音が聞こえると、怜人は家の敷地内へと自転車を進めた。
「沙織は良い女子じゃのう。おっぱいもでかいし、あんなに良い女子そうそうおらんぞ」
央香が頷きながら言った。
「そうだね。可愛い上に料理もできて性格もいいし、モテると思うよ」
胸のところはスルーしたが、怜人は沙織をしっかり評価した。
「怜人よ。沙織ではダメなのか?」
「ん? ……何が?」
自転車を敷地内にとめ、怜人が聞き返した。
「お前の恋人じゃ。沙織で良いだろ? それとも、お前が好いている女子は沙織よりも優れておるのか?」
「沙織ちゃんと山中さんの優劣はつけられないよ」
怜人はそう答え自転車に鍵をかけると、小さく息を吐く。
「それに、沙織ちゃんが恋人っていうのは考えたことがなかったな。沙織ちゃんは物心ついた頃から一緒にいて、俺、姉ちゃん、駿太、沙織ちゃんの四人でいつも遊んでいたんだ。沙織ちゃんは今でも俺に懐いてくれているし、特別な存在であることは間違いないけれど、妹のような存在かな。沙織ちゃんも俺のことは怜兄って呼んでいるし、もう一人の兄としか思っていないよ」
「んー。そうとは思えんがのう」
央香はチャイルドシートから降りようとせず、不服そうな態度であった。怜人が降りろと指で合図をするが微動だにしないので、仕方なく会話を続ける。
「好意を誰しもが喜ぶわけじゃない、好意を向けてくる相手によるんだよ。俺は駿太のようにイケメンじゃないからね。それくらいわきまえている。兄としか思っていない奴に恋慕されたら、沙織ちゃんがかわいそうだろ? あと、ウチと松永家の関係にもヒビが入っちゃう」
「己を卑下し、自信を持たない者は何も手に入れられぬぞ」
央香がはっきりと言った。
紛れもなく正論だ。
「珍しくまともなことをいいやがって、モテたことがないんだから仕方ないだろ。ていうかお前、自分でさっさと降りろよ」
怜人が不貞腐れて言い返すと、
「……ふん」
央香は見透かしているような顔をしてきた。
結局、央香は自分から降りようとしなかったので、怜人が抱き上げて降ろした。何が気に障ったのかわからないが、央香は寝るまで終始不機嫌だった。
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