央香(神)、アルバイトを始める


 恒例となった所作を見て、怜人は心の底から息を吐いた。


「俺が手本を見せるから、お前は客として入ってこい」

 もう一度やらせてもふざけるだけなので、怜人は役割を変えることにした。


「いらっしゃいませ。お一人様でよろしいですか?」

 央香がソファに近付いてきたので、怜人は深々と頭を下げた。


「逆に聞くが、わしが二人に見えるのか? であるとすれば、お前の目は節穴じゃな。眼科に行った方がよいのではないか?」


「お一人様で……よろしいですよね?」

 怜人が頬を引きつらせながら操玉を出すと、

「ロンリー央香と呼んでくだせぇ! 空いている席に座らせてもらいやす」

 央香はパパッとソファに座った。


「ご注文はお決まりですか?」


「ポークカレーの三辛で、トッピングはチーズとソーセージにほうれん草……」


「おい、ウチの店はココ〇チじゃないぞ」

 怜人がツッコミをすると、央香はなぜか嬉しそうだった。


「じゃあ、トマトカレーを一つもらおうかのう」


「はい、トマトカレーを一つですね。ご注文は以上でよろしいですか?」

 復唱と注文の再確認は必須であるので、怜人は忠実に再現した。


「逆に聞くが、追加注文をしたかったのであればさっき言っていたし、わざわざ……」


「トマトカレー一つ入りましたー」


「無視をするでない!」

 央香は悲しそうな顔で吠えた。


「後は出来上がった物をお客様へ丁寧に配膳して、ごゆっくりどうぞ。こんな感じかな」


「楽勝じゃな」

 腰に両手を当て、央香は大きく胸を張った。


「基本的に、俺が働いている時間に入ってもらう。相手は俺や沙織ちゃんじゃなくて、お金を払って食べにくるお客様だからな。いつもみたいに不遜な態度をしたら、お前が失神するまで操玉を握るからそのつもりでやれよ」

 怜人が威圧的な眼差しを向けると、

「ら……楽勝じゃな」

 両手は腰のままだが猫背になる央香であった。


「何か質問ある?」


「会計というか、レジ処理はやらんのか?」

 央香からの質問に、怜人は鼻を鳴らす。


「ダイナマイトに囲まれた中で花火をすると思う? お前に現金を見せたらそのまま持ち逃げするだろ? やらせるわけにはいかないよ」


「わし……どれだけ信用がないんじゃ」


「そりゃ負債額が十八万五千円だからな。信用できるわけがないよね?」

 央香はむくれたが、怜人がきっぱり言うと目を逸らした。


「……時給は?」


「八百円」


「やっす! ブラック企業ではないか!」

 央香が目を剥いて言ってきたが、怜人は全く動じない。


「高校生のバイトなんだからこんなもんだよ。それに、一時間しか働けないお前を採用してくれるところなんか他にはないぞ」


「待て待て! 怜人と同じ日にしか入らんということは、一時間が週に三回で合計……」


「週に二千四百円、概ね月に九千六百円だね」

 央香が指を折って数えている中、怜人は何食わぬ顔で言った。


「はぁ? 月に一万円もいかんのか? 全然稼げないではないか! いつになったら負債額を完済できるんじゃ?」


「大体一年半くらいかな」

 怜人がしれっとした態度で答えると、央香は眉を吊り上げ頬を思いっきり膨らませる。


「祭りが終わってしまうではないか! やってられるか! やめじゃ! やめ! やはりここは競馬で一発ドカンと当てるぞ! 怜人、軍資金を渡せ!」

 央香はそう言うと、怒気を漲らせ手を差し出してきた。


 その手の上に、怜人は操玉を握っている手を乗せる。瞬間、二人共無表情で見つめ合ったが、次第に央香が苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「央香様、出勤は明日からなのでお願いしますね」


「へい! 粉骨砕身の覚悟でやらせていただきやす!」

 央香は顔が太ももにつくくらい頭を下げた。


「あと、わかっているとは思うが念のために言う。バイトがある日は成人状態になってもらうから、それに神気を全て使うことになるだろう。バイトの前に光ったり音を出したり、神気を無駄遣いしないように」


「あい! で〇こちゃんを見習って節約しやす!」

 央香は姿勢を正して言った。


 全く、口先だけは調子のいい奴である。


 話を終え、怜人は風呂をわかそうとお湯はり機能のスイッチを押しに行った。


 お湯はり機能から終了を知らせる音が鳴ると、央香は自室から沙織にもらった風呂で遊ぶ用の玩具を出し、風呂に入る準備を始めた。


 怜人は何気なくその様子を眺めていたが、自然と口元が緩んでいた。



 翌日、央香は怜人と一緒にアルバイトを始めた。

 自己紹介や接客の練習をし、常に怜人が厳しく監視していることもあってか、央香はしっかり敬語を使って働いている。また、央香は目を見張るほど美人なので、集客が見込めそうだと店長が喜んでいた。


 午後六時、そろそろ客が増えてくる時間帯に、沙織がやってきた。


 どうやら、央香が沙織に今日から働くことを言っていたらしく、沙織は夕食がてら様子を見にきたという。


「沙織。わしが持ってきてやってたんだから、チップをくれ」

 央香は沙織にカレーを配膳すると、小声で言った。


「え? あ……ここってチップが必要なんだ。いくら渡せばいいの?」


「まぁ、特別に千円で勘弁してやろう。ほれ、早くせんか。怜人に見つかる」


「央香さーん。何をやっているのかな?」

 央香はバレないとでも思っていたのであろうが、側でテーブルを拭きながら様子を見ていた怜人には丸聞こえだった。


 央香は沙織から受け取った千円札をスッと沙織に戻し、無理やり笑みを作った。


「いやぁ、沙織がチップをくれるって言うから仕方なく……」


「悶える覚悟はできてるな?」

 怜人が真顔で操玉を取り出すと、

「さー、仕事仕事! いらっしゃいませー。こちらの席にどうぞ」

 央香は丁度入ってきた客へと逃げた。

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