犬に負ける央香(神)

 といっても、隣なので三十秒も掛からなかった。


 松永家は大崎家と同様に二階建ての家屋となっているが、造りが松永家は和風で大崎家は洋風という違いがあった。


 また、松永家はバロンという名の秋田犬を飼っており、母が動物を苦手としている大崎家ではペットを飼うことができないので、怜人はよく遊ばせてもらっていた。


 松永家の敷地に入ると、バロンが吠えて尻尾を振ってきた。


 ああ……可愛い。


 怜人は自然と頬が緩み、バロンに手を振りながら松永家のチャイムを押した。


 数秒後、足音が聞こえ玄関のドアが開く。


「あっ、怜兄と央香ちゃん。いらっしゃい」


 出てきたのは、紺色のニットに緑色のロングスカートを着用している少女だった。


 松永沙織。

 現在、地元の中学校に通っている十五歳。

 身長は百五十五センチ前後、央香のように完全なストレートヘアではないものの長い黒髪は綺麗で、イケメンである兄の駿太と同じく顔は整っている。幼い頃より読書好きだったことからか視力が悪く、学校や市外に出る際にはコンタクトを使用している怜人とは異なり、常時眼鏡をかけている。

 また、地味な色の服を着ることが多く、性格も穏やかで外見からもそのように見受けられるが、発育が良く年齢に不相応な胸がニット越しに主張していた。


「沙織、今日もおっぱいがでかいな!」

 央香がにこやかにそう言うと、沙織は赤面し咄嗟に胸元を手で隠した。


「おいこら」

 怜人が目で威圧するが、央香は真っ赤になっている沙織を見てニヤニヤしていた。


「ど……どうしたの?」

 沙織は恥ずかしそうにしながら聞いてきた。


「あ、急に来てごめんね。実はちょっと話があるんだけど、内容的にできればここじゃない方がいいかな」

 怜人はそう答えた。


 取引内容に関して央香が口を割らなかったことを踏まえると、堂々と聞いたり深く詮索したりするのは沙織を傷つける可能性がある。と、怜人は憂慮したのである。


「じゃあ私の部屋にする? それか、バロンの散歩がまだだから散歩中に話すのはどう?」


「いいねぇ! バロンと散歩したい!」

 怜人は元々犬好きで、バロンが大好きだった。


 沙織にしたはずの怜人の気遣いは、図らずも自分自身に功を奏した。


「わかった。コートを着てくるから、バロンのワイヤーを外しておいてもらっていい?」


「喜んで!」

 怜人の返事に沙織は微笑み、家の中へ戻っていった。


 怜人は頬を緩ませバロンに近寄る。バロンは後ろ足だけで立ちながら前足を動かし、尻尾をブンブンと振りまくっていた。


 何この可愛い動物!


 怜人はバロンにハグをし、頭から身体全体を撫でる。すると、バロンは怜人の頬を舐め甘えた鳴き声を出した。


 くっそ可愛すぎる!


 怜人が夢中になっている中、


「えー。わしはこいつが嫌いなんじゃけどな」

 という雑音が後ろから聞こえてきた。


 怜人が振り返ると、思いっきり不満顔をした央香がいた。


 央香が文句を垂れるのも多少は理解できる。なぜなら、バロンは怜人と沙織にしか懐いていないからである。


 バロンは三年前から松永家で飼われているが、沙織の父は仕事で土日以外は基本的にいない、沙織の母は怜人の母と同じで動物が苦手、沙織の兄である駿太はその頃シニアリーグでバリバリ野球をしており帰ってくるのが遅い。


 つまり、消去法で沙織がバロンの面倒を見るしかなく、沙織の勉強によく付き合っていた犬好きの怜人が主に躾を担当したことで、こうなってしまった。


 秋田犬という性質も関係あるのかもしれないが、無為に人を害すことはしないものの、こと命令においては怜人と沙織のことしか絶対に聞かない。怜人や沙織以外にとっては嫌なことであるだろうが、忠誠心の高さが怜人は凄く好きだった。


「おーいい子いい子! 今外してあげまちゅからねぇ。バロンは今日も可愛いでちゅねぇ」

 犬小屋に繋がれているワイヤーを外し、怜人はバロンとじゃれた。


「きーもち悪! 犬に赤ちゃん言葉とか、まっこと気色が悪いのう! というかあれか、怜人は赤ちゃんプレイが好きなんじゃな」

 央香が罵詈雑言を浴びせてきた。


 怜人が言い返そうとする前に、バロンが央香に向かって威嚇し始める。


 バロンは怜人と沙織を攻撃する者を敵として認識するので、央香との相性は最悪であった。


 今の怜人は央香を神様扱いしておらず、操玉もあるので割りと優位に立てているが、以前は嫌なことをされても我慢するしかなかったので、バロンが代わりに央香を攻撃してくれて助かっていた。


「何じゃ……やるのか?」

 央香は身構えたが、明らかに腰が引けていた。


「よし! 舐めまくってやれ!」

 怜人が命令すると、バロンはすぐさま央香に襲い掛かった。


「ひぃ! あっしを食っても美味しくないですって! 勘弁してくだせぇ!」


 この神様……弱い。


 央香は倒れ込み、バロンに抑え込まれていた。


「うん。効果はバツグンだ!」

 怜人が満足そうに頷いていると、


「ポ〇モンごっこをするでない! あひぃ! 頬を舐めるなぁ!」

 央香は言い返してきたが、バロンに頬を舐められ悶えていた。


「怜兄お待たせ……って央香ちゃん大丈夫?」

 ダッフルコートを着用し家から出てきた沙織は、びっくりした様子で駆け寄ってきた。


「沙織ぃ! わしを助けてくれ! 頼む! 褒美は何でもくれてやるから!」

 央香が半泣き状態で沙織に助けを求めるが、


「お前、何にも持ってないだろ」

 と怜人は鼻で笑った。


「バロン。こら、やめなさい」

 沙織がバロンに抱きつき、ようやく央香はバロンから解放された。

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