第29話 西川裕季也

「お兄ちゃん……」


 気が付くと……いや、言い方を変える。メアである俺の最初の記憶は、食事だった。

 後ろから聞こえる声。お兄ちゃんと言うのが自分のことだと分かったのは、食事後この体と記憶を共有したときだった。


「この……お前もバケモンか!」


 もう一人、声を出す人間がいた。そいつは食事中の俺に向かって、やたらと叫びながら物を投げつけてくる。

 メアとして覚醒したばかりの俺は、とにかく空腹だった。栄養を欲し、目の前にあった餌を食うのに夢中で、何を言われようが、何を投げつけられようが、お構いなしに食べ続けた。

 食べ終わると、俺は満腹になり、その場で寝そべった。

 ここは、どこだ? 俺は、誰だ?

 寝ころびながら俺の疑問を解くべく、脳の記憶を共有する。


「ゆき……?」

「よかった、お兄ちゃん無事なのね」


 無事? そうか、ゆきと言うこいつは目が見えないのか。


「無事なもんか、お嬢ちゃん。離れてなさい。わしが今、こいつを――」


 もう一匹のこのじじいは誰だ? 記憶を辿っても全く分からない。


「じじい、お前は誰だ?」

「わしか? わしは天下の義賊! 裸ネズミの太郎吉だ!」

「義賊? なんだ、泥棒か」

「泥棒とはなんじゃ!? わしは善良な市民には何もせん! 私腹を肥やしたお前らバケモンからしかな!」


 何を言ってるんだこのじじいは。服も着ないで、素肌にふんどし一枚。そうか、変態と言うのか。

 どうやら人間社会では、これは変態と言うものと言うことが分かった。

 まぁいい。満腹だし余計なエネルギーは使いたくない。そして、やたらと熱い。全身が燃えるようだ。

 俺は変態じじいを無視してそのまま眠った。人間ごときに何をされても痛くも痒くもない。それよりも新しい体に慣れるのに、英気を養わなければならない。

 この変態じじいは全くの他人だが、ゆきは妹だと分かった。家族と言うやつだ。ただ、メアの俺にとっては関係ない。空腹になれば餌となるだけの存在だ。

 眠りの中で、俺は西川裕季也の記憶を隅々まで同期していった。


「おはよう。お兄ちゃん、ご飯できてるよ」


 翌朝、俺はゆきに起こされた。


「ほれ、小僧。早く起きんか!」

「おい、じじい。お前はなんでここにいるんだ?」


 記憶の同期は終わっていた。ゆきがどういう性格か、目が不自由ながら、身の回りのことはきちんとこなすこと。人間の特性なのか、視覚に代わって他の感覚が研ぎ澄まされているようだ。

 まぁ、特別邪魔な存在ではない。ゆきはいざと言うときの保存食にすればいいだろう。

 他にも、西川裕季也がどういう人生を送ってきたのか。生い立ち、家族構成、人間関係。全ての記憶が俺にある。

 現在はニートと言う職業で、引きこもりと言う生活を送っているようだ。ただ、父親と母親と言うものが見当たらない。どうやら、俺が昨日食べていたのはそのどちらか、または両方のようだ。

 ここまでは納得した。が、依然解せない。この変態じじいはなんなのだ?


「ほれ、嬢ちゃんが一生懸命朝飯の支度をしてくれたんだ、早く起きろ!」


 飯だと? 俺は昨日食事をしたばかりだ。第一、人間の飯など食えるか。


「お兄ちゃん? これ、持ってきたから、ちゃんと食べ――」


 ゆきはお盆に朝飯を乗せ、俺の元に運んできた。が、足元の段差につまずく。

 ゆきの手から離れ、そのまま俺目掛けて落ちてくるお盆をすぐに拾い上げた。人間の臭い飯を浴びるのが嫌だったから。

 ゆきはそのまま転び、額を床にぶつける。


「痛っ……お兄ちゃん、大丈夫?」

「バカが、気をつけろ」

「よかった。大丈夫そうね。ごめんね、あはは」


 ゆきは舌を出して謝る。目が見えないなら、余計なことをしなければ――。


「バカはお前じゃ! このバカもんが!」

「痛ぇな! 何すんだ変態じじい!」


 じじいが俺の頭を思い切りはたいた。俺はすぐにじじいの胸ぐらを掴もうとしたが、服を着ていないので、ただ睨みながら言う。

 待てよ……痛い? おかしい、いくら全力とは言え、こんなよぼよぼのじじいの一撃で俺がなんで……。


「いいから食え! 食べ物を粗末にするんじゃない!」


 じじいはすかさず、俺の口に味噌汁を流し込む。


「熱っつ! じじい! てめぇ、正気か⁉ ボケてんじゃねぇのか⁉」

「ほれ、どうだ? 旨いだろう?」


 思い切り熱い汁を口に入れられ、じじいを殴り殺してやろうとしたが、俺の舌はそのとき、旨いと感じていた。

 まさか人間の餌が、こんなにも旨いものなのか……。


「どう? お兄ちゃん?」

「あ、あぁ。旨い……かもな」

「やったな、嬢ちゃん」

「ありがとう」


 俺の素っ気ない一言にゆきは無邪気な笑顔を見せる。まぁ、この味の餌を作れるなら、食事係りとして生かしておいてもいいか。

 お盆の上にはほかに、白米と漬物があった。確かにどれも食える味だが、量が少なすぎる。人間を食えば一月は何も食べずに過ごせるが、これだと毎日三回は摂取しないと……ん? そうか、だから人間は毎日三食餌を食うのか。

 合理的とは言えないが、まぁ生きる上で不便すぎるものでもないだろう。


「いやあ、嬢ちゃん。これは本当に美味しいよ」

「ありがとうございます」

「おふくろの味を思い出すねぇ。嬢ちゃん、いいお嫁さんになるよ」

「あはは」


 いつの間にか俺の横で、ゆきとじじいが飯を共にしている。


「お前ら、なんでここで食ってるんだ?」

「食事は大勢のほうが楽しいからに、決まってるじゃろ」

「うんうん、お兄ちゃんも一緒に」

「けっ」


 食い終わればどこかに行くだろう。俺はまだ休みたいんだ。それにしても……とりあえずゆきに聞いてみるか。


「ゆき」

「ん?」

「このじじいは誰だ?」

「え? お兄ちゃんの知り合いじゃないの?」


 記憶のどこを漁っても、このじじいは全く出てこない。俺はじじいを睨む。


「そうじゃ、食後の運動をせんとな。ほれ、小僧。行くぞ!」

「ってぇな! なんだよ、じじい!」


 じじいは俺の手首を掴み、強引に外へ連れ出す。

 人間のくせに、なんて力だ。


「きゃぁぁぁぁ、変態ぃぃぃ⁉」


 道に出たところで、通行人の女がじじいの姿を見て大声を出す。


「しまった、こっちじゃ!」


 じじいは俺の手を引いて、慌てて家の裏口に戻る。


「まだ朝じゃったな」

「は?」

「いつも夜に活動してるから、うっかりしてたわい」

「んなこたどうでもいいから、じじいのこのバカ力はなんだ⁉」

「あぁ、これのおかげじゃ」


 そう言うと、ふんどしをまさぐり、中からビー玉のようなものを出して見せる。


「ガラス玉か?」

「水晶じゃよ。いや、正確には水晶みたいな何か、じゃな」

「なんだそりゃ」

「これは、ある博物館からくすねてきたもんじゃ」

「結局泥棒じゃねぇか」

「ただの博物館じゃない。働くものみな化け物の、化け物博物館じゃ」

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