第21話 鬼

「で、何? 早く来いってさ」


 最近の溜まった疲れを癒すようにぐっすり寝ていたところを、怒涛のバイン投下によって邪魔された俺は不機嫌を隠さずに言う。


「山根氏、遅いガニよ」

「あのねぇ博士。俺遅番だし、寝てたとこを急いで来たんだから」


 博士の悪びれる様子のない言い方に、俺は半ば呆れ気味に言った。


「そんなことどうでも良くなるくらいの、大発明ガニよ」

「大発明?」


 俺が聞き返すと、博士は机から何かを取って俺の前に出す。


「これガニ!」


 博士の手にあるのは、エロゲー「魔法少女」シリーズのパッケージだった。


「え? 何? これって、もしかして全部見えるとか、顔を誰かと入れ替えられるとか⁉」


 発明と言うからには、モザイクやらコラ画像やら、もしかして明日香さんの顔を……いやいや、だめだ。落ち着け俺。落ち着くんだ。


「山根氏、何言ってるガニか」


 博士は汚い物を見るような目つきで俺に言う。

 え? 違うの?


「ちょっとその神器を貸すガニ」


 勾玉を受け取ると、博士はそれを例のスキャナーの上に乗せ、キーボードを叩く。


「やっぱりガニ」


 画面を見ながら博士は何か納得したように言う。


「どうしたの?」

「この神器の鉱石は、メアの波に吸着するガニ」

「ん? どういうこと? もっと分かりやすく……」

「山根氏はメアに感染したのに、脳を支配されていないガニね?」

「うん、まぁ」

「だけどメアは山根氏の中に存在する。つまり共生してるガニ」


 認めたくはないけど、まぁ共生ってなるのかな。


「ならそのメアはどこにいるのか⁉」


 だんだん博士の口調は興奮を帯びてくる。


「この神器の中ガニよ」

「これの中?」

「このままメアを封印してもいいガニけど、このメアの力を自在に使いたいとは思わないガニか⁉」


 ん? それはつまり、俺の意識のままゲコの特殊能力を使えるってことか?


「そんなこと出来るの?」

「わいに不可能はないガニ! それこそがこれ! 変身ガニ!」


 博士の興奮は頂点に達する。

 え、何? 変身? 嫌な予感しかしないんですけど。


「魔法少女マコちゃんがコンパクトで変身するように、山根氏はこの神器を使って変身するガニ!」


 ――やだ。絶対。


「博士、ちょっとま――」

「さぁ、インストール完了ガニ。早速これを腕にはめて手をかざして、魔法少女に変身するガニ!」


 鼻の穴を広げながら、興奮絶頂の博士は俺の腕に勾玉を戻す。

 って、インストール? 神器ってなに? そんなハイカラなものなの?


「もう、何してるガニか。さぁ右手をかざして――」


 躊躇している俺に業を煮やした博士は、俺の右手を取って勾玉に当てる。


「ヘペトスヘペトス、ペロロロロ~」


 ついには呪文まで唱えやがった。同時に勾玉が光り出す。絶対無理。こんなの俺の口から言えるはず……あれ? そう言えば博士さっき「魔法少女に変身」って言ってた? おわた。俺の二十年終わった……。

 覚悟……いや、恐怖から強く目を閉じ、全身に力を入れる。

 どうなった? どうなっちまったんだ、俺は?


「あれ? おかしいガニね」


 少しの沈黙のあと、博士が口を開く。それを聞いて俺もゆっくりと目を開ける。

 両手を確認する。特に異変はない。服も体格も問題なさそうだ。


「博士? 俺どうなって――」

「どうもなってないガニよ。おかしいガニ。神器には確かにメアの反応があったのに、天才のわいが……まさか失敗したガニか?」


 そう言って、博士は下を見ながら肩を落とす。

 かなり強引ではあったが、博士は俺のことを思って……きっと……多分……もしかしたら……。


「まぁまぁ、博士。ほら、猿も木から落ちるって言うし」

「モグラは木に登らないガニ」

「ぁはい」


 すっかり落ち込んでいる博士から目をずらすと、机の上にある時計は十四時五分を示していた。

 あれ、俺今日十四時出勤……。


「博士、ごめん。仕事の時間だから。またいつでも協力するから」

「山根氏、気休めはいらないガニ」


 相当へんこんでいたけど、俺も遅刻なんだ。俺はそのまま研究室を出て階段を上る。


「あれ、尊君。珍しいね、いつも十分前に来てるのに」


 控室で明日香さんが笑顔で迎えてくれた。


「あ、ちょっと下で博士と……」

「あ、そっか。ゆきちゃんの薬どうだった?」

「いえ、まだ……出来てないみたいで」

「そっかぁ。でも早速博士に聞いてくれるなんて、尊君ほんとありがとうね」


 ごめんなさい。明日香さんの期待と違うんだ……。あれ、でも明日香さんも銅鏡……神器持ってるんだよな。これ、明日香さんの神器にやったら、明日香さんが魔法少女に⁉


「――ける君? 尊君?」

「ぁはい」

「大丈夫? なんかボケェっとしてたけど」

「ヘペト――いや、うん。大丈夫」

「そっか。里田さんがね、昨日はありがとうって伝えてって」

「あぁ。もう帰っちゃった?」

「うん、西川君と一緒に」


 西川と顔を合せなかったのは良かった。


「ところで、今日仕事終わったら、ゆきちゃんのとこ一緒に行ってもらってもいい?」

「え? 昨日行ったのに?」

「うん。自分用に編みかけのマクラカバーがあったんだけど、ゆきちゃんのやつに丁度いいかもって。昨夜やっと出来上がったから」


 そう言って、紙袋からマクラカバーを手に取り見せてくれた。

 うわぁ、すごいな。明日香さんしっかり上達してるな。きっと家庭的な素敵な奥さんに……危ない。また妄想にふけるところだった。


「すごいよ明日香さん。もちろん、一緒に行こう」

「ありがと。ごめんね、毎度毎度」

「ぜんぜん、俺いつも暇だし!」


 明日香さんは優しく微笑んだ。


「あれ、何? デートの相談?」


 唐突にマスターが入って来た。ってか、そういう振りはやめてよマスター!


「いや、その……おはようございます……」


 ほら、童貞の俺はこういう返ししか出来ないんだからさ……。


「えぇ? マスターそう見える?」

「若い男女が仕事帰りに一緒にどこか行くなんて、デート以外何があるのさ?」

「なら西川君と里田さんにも言ってあげないと」

「あれ、あの二人また一緒に? こりゃ確定かな?」


 明日香さんは普通に返してる。日和ってるのは俺だけかよ。


「んじゃ俺は今日上がりだから、お疲れさん。山根ちゃん、天寺ちゃんに変なことしちゃだめよ?」

「な、何言ってるのマスター⁉」

 今度は明日香さんとマスター二人で、俺の反応を楽しんでいるようだった。

 まぁ、悪い気はしないけど、俺自身もう十代卒業してるんだから、そろそろこういう会話も慣れないとな……。

 

 午後の仕事はほぼ何もなかった。ランチタイムを過ぎればほぼ客足はない。

 俺と明日香さんはデータ整理や掃除など、会話を楽しみながらこなした。

 一人なら延々と続くようなそんな暇な時間も、明日香さんと一緒だとあっと言う間に過ぎた。


「じゃあプロ、お先に失礼します」

「辰己さん、またね」

「おつ……かれ……」


 夜勤のプロが来たので、俺と明日香さんは仕事を上がり、博物館を出た。


「西川君、怒らないかな?」

「え?」

「余計なことするなとか」


 自転車を転がしながら西川の家へ向かう途中、明日香さんは心配そうに言った。


「そんなこと言ったら、俺が逆に文句言ってやるよ!」

「あはは、ありがと。でも、喧嘩はダメだよ?」


 実際は文句も言えるか微妙だ。あぁ、そんなことになったらすぐにゲコを呼びたいくらいなのに、あれからゲコの反応ないしな……。


「あ、ちょっとごめんね」


 突然、明日香さんの電話が鳴った。


「うん、うん。あ、そっか。すっかり忘れてた! ごめん、すぐ帰るね」

「明日香さん、どうかした?」

「ごめん、尊君。お父さんから」

「お父さん?」

「うん。今日久しぶりに家に泊まるって言ってたの。私すっかり忘れてて」

「そっか。じゃあ送って行くよ」

「ううん、男の子に送ってもらってるとこ見られたら、何か言われるかもしれないから」

「あ、そっか。そう、だよね」

「ごめんついでに、このマクラカバー、ゆきちゃんのとこ届けて……って、さすがに厚かましすぎるよね?」

「そんなこと。明日香さんが心を込めて編んだんだから、俺に任せてよ」

「ありがとう。この埋め合わせは必ず……じゃあ、私行くね」

「うん、気を付けて」


 明日香さんは自転車に乗って、逆方向へ駆けて行った。

 寂しいけど、俺を頼ってもらえるなら……ん? 埋め合わせ? え、何?

 また妄想に浸りそうになって、慌てて自転車に跨りペダルを漕いだ。


 西川の家。相変わらず電気が点いていない。チャイムを鳴らしても反応なし。そして玄関の鍵は開いている。全く昨日と同じだ。

 まぁこれを置いてくるだけだし、西川に会わずに済むのは良かった。

 そのまま玄関に入ると、階段を上る。昨日来たばかりだから勝手を知ってるので、すんなり進めた。

 ゆきちゃんの部屋に入ると、窓の前にベッドと点滴スタンドがある。昨日のままだ。

 ベッドの脇に紙袋を置く。今日は俺しかいない。長居する理由もないのでそのまま帰ろうとした。

 そのとき、ビュゥっと風が入り込んできた。窓? また開いてるのか?

 次の瞬間ものすごい力で首を押さえられ、俺の体は宙に浮く。

 く、苦しい。何が、起こってるんだ……。

 もがきながら必死に目線を降ろすと、俺の首に何かが巻き付いている。その何かを辿ると、窓の前に立つ、鬼のような形相の西川がいた。

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