第19話 ダンジョン攻略

「尊君、なんか急に雰囲気変わった?」


 はい、そうです……。こいつは俺だけど、俺じゃないんです。


「おう、明日香か。俺様が来たからには……ん? 開いてるじゃねぇか」


 ゲコがドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかったようで扉が開く。


「いや、さすがに……勝手に入るのは、ダメじゃないかな?」


 明日香さんは苦笑いしながら言う。うん、その通りです。ダメに決まってます。


「開いてるってことは、どうぞってことだろ? ったく、いちいち細かいこと気にするな。女みてぇな奴だな」

「あはは、一応……女ですけど」


 苦笑いの口元はさらに引きつりを増す。だいたい、開いてるから入っていいってのは、空き巣の解釈だ……。

 おいゲコ、いい加減にしろよ! 明日香さんひいてるだろ!


「何言ってやがる。明日香、お前ひいてるのか?」

「え? いや、ううん……そんなこと、ないよ」


 ……。あまり言うと返って危険かもしれない。控えよう……。それにしても明日香さん、優しいな……。


「よし、行くぜ! なんかダンジョンみてぇで、わくわくするな」

「あ、尊君、待ってよ」


 アホなことを言いながらゲコは中に入っていく。明日香さんも慌ててゲコのあとに続く。


「でも尊君、やっぱり留守なんじゃないかな? 家の中真っ暗だし」


 暗い家の中、懐中電灯代わりにスマホのライトで廊下を照らしながら、明日香さんは言った。


「明日香はなんも知らねぇのか。ダンジョンってのは暗いもんなんだよ!」


 それはゲームの話であって、そもそもここはダンジョンじゃねぇです……。


「そっか……でも、なんか暗い中歩くの……怖いね……」


 お情け程度のスマホの灯りが余計に怖さを増幅させたようで、暗さの中でも明日香さんの顔が青ざめていくのが分かる。


「ん⁉」

「ちょ、ちょっと急に大きな声……」


 ゲコの声に驚いた明日香さんは、そう言いながら俺の体にしがみついてくる。すげぇ嬉しい……あれ? だめだ、ゲコ。離れろ! 俺は彼女の感触が分からないじゃないか! 早く俺と代われ!


「静かにしろ。上だ」


 ゲコは珍しく真剣な表情で天井を見上げる。二階で何かを感じたのだろうか。波を感じたのであれば、メアが潜んでいるのか?

 それまでとは、まるで打って変わってゲコはゆっくりと、慎重に歩を進める。

 静寂の中、より強くなった雨粒が屋根を打ち付ける音と、廊下の床のきしむ音がなんとも不気味なハーモニーを奏でる。

 そのおどろおどろしさを感じたのであろう。明日香さんは、必死に俺の腕にしがみ付いて続く。

 体こそゲコが使っているが、視覚はある。さっきから明日香さんの胸が俺の腕に食い込んでいるのだ! それだけじゃない。彼女の震える吐息の音。頭から香シャンプーのいい匂い。聴覚も嗅覚もある。味覚は……どうだろう? ただ、触覚はない! 彼女の胸の感触が分からない!


「ったく、さっきからうるせぇな」

「え? 私何か言った?」


 俺の心の声にゲコが文句を言う。


「あ? 明日香じゃなくて尊だ」

「え、尊……君?」


 普通に明日香さんに言うなよ。彼女混乱するだろ! 早く体返せよバカカエル!


「いやなに、尊が明日香の胸――」


 待て! 待って! ゲコ様すいませんでした! どうぞ気の済むまで俺の体を使ってください!

 俺の心の叫びを聞くと、ゲコは満足そうに、悪い笑みを浮かべる。


「私の、何?」

「最初からそう素直に言えっつぅんだよ。明日香、お前はここで待ってろ」

「上に……何か、あるの……?」


 明日香さんの表情は、みるみる不安に支配されていくようだ。

 ちょっとゲコ、明日香さんにはメアのこと言えないぞ⁉


「分かってるってんだよ。あれだ、お化けだ」

「お化け?」

「あぁ。ここは有名な幽霊屋敷でな――」

「ここは西川君の家でしょ! もう、尊君が変なこと言うから怖くなっちゃったじゃない」

「だからここで待って――」

「一人はもっと怖いの! 置いてかないでよ……」


 おい、かわいそうだろ! 置いていくなよ!


「ちっ。腰抜かしたら置いてくからな」


 あぁ、だめだ! もしメアがいたら明日香さんががが!

 ゲコは俺の声を無視し、そのままゆっくりと階段を上る。

 二階に来ると、迷いなく一直線に奥の部屋の扉をそっと開ける。

 同時に風が俺たちの体に纏わりつく。どうやら開いた窓から入って来たその風は、きっと外の雨で湿って、ひんやりしたものだったろう。

 窓に目をやると、雨風に叩かれるようにカーテンが激しく踊っている。

 そのダンスをさらに盛り上げるように、今度は稲妻が光る。

 光は踊るカーテンではなく、もう一つのものを照らし出した。


「あ、だめだよ、窓!」


 それに気付いた明日香さんはすぐに窓に駆け寄り、思い切り閉めた。周りの床は雨で濡れ、もちろんカーテンや壁も雨水を滴らせている。


「それにしても西川君、こんな状況になってるのに、どこで何してるのかしら⁉」


 濡れた布団を畳みながら、やや語気を強めて明日香さんは言う。


「あぁあ。敷布団も……でも端っこだけかな。幸い、服は大丈夫みたいね」

「……」


 ゲコ、どうしたんだよ? 彼女、人間だよな?

 雨に浸食されたベッドには、少女が一人眠っていた。

 腕からは長いチューブが伸びている。それを辿ると、ベッドの脇にある点滴スタンドに繋がる。まさに病院で見るようなそれだ。暗いため色ははっきりと分からないが、膨らんだ容器に満たされた点滴薬の向こうには、奥のカーテンがぼやけて見える。恐らく透明か、薄い色の液体であろう。

 彼女は全く動かないが、側に立つ明日香さんが何の反応もしないということは、息はしているはずだ。

 こんな雨風にさらされても微動だにしないとは、よほど熟睡しているのか、肝が据わっているのか。いずれにしても、この少女が西川の妹であることは間違いないだろう。


「とりあえず、布団変えないと。尊君、この娘そっと降ろせる?」

「こいつじゃねぇ」


 ん?


「同じ波長だが、俺が感じたのはもっと大きなやつだ。とんでもなく」


 強い力を持ったメアがここにいるってこと?


「いや、今はこいつだけだ」


 この娘もメアなのか?


「いや、こいつは人間だ」


 どういうことだよ?


「昨日、いただろ。博物館で――」

「ちょっと尊君! 聞いてる⁉」

「ん? あぁ。こいつか」


 明日香さんに強く催促され、少女をベッドから降ろす。

 博物館って、地下室で襲って来た女性のことか? 同じ波長って……。


「他人の家の押し入れを勝手に開けるのは抵抗あるけど……西川君仕方ないよね⁉」


 明日香さんは部屋の押し入れを勢いよく開ける。


「よかった。あったぁ」


 どうやら、替えの布団を探していたようだ。


「でも、まずは拭かないとね。うぅん、タオルは洗面所だよね。一階かなぁ」


 そう言いながら思い切りこっちに目線を送る。つまり、取ってきてと言っている訳だが。

 おいゲコ、下からタオル取って来いよ。

 もちろんこいつがそんなこと気付くはずないので、俺が代わりに言う。


「ちっ。へんほふへぇは。ほへ」

「あ、ありがと」


 ゲコは明日香さんにタオルを渡す。あまりの迅速さに彼女もきょとんとしている。

 ゲコ……お前、舌使っただろ……。明日香さんにバレたらどうするんだよ⁉


「心配すんな。俺がそんなドジ踏むわけねぇだろ。それにいざってときゃ――」

「よし。尊君、その娘をベッドの上にそっと寝かせてあげて」


 明日香さんはテキパキとベッドメイキングを終え、再びベッドに眠る少女をまじまじと見つめた。


「真っ白な肌。すごく綺麗な妹さんだねぇ」


 正直、西川の妹のくせにちょっとかわいいかもしれない。けど明日香さん、あなたが一番綺麗ですよ!


「なんの病気なんだろう。早く治るといいね。あ、目元とか、西川君に似てない?」


 ないないない。絶対ないですよそんなこと!


「ちょっと、尊君。聞いてる?」


 ずっと険しい顔をしているゲコに、明日香さんはやや苛立ったように聞く。

 同時に緊張で硬直する。

 階段から足音が聞こえてきたから。ここは西川兄妹の二人暮らし。ってことは西川が帰って来たのか?

 俺の不安をよそに、足音は部屋の外で止まる。


「誰かいるの?」


 回るドアノブの向こうから聞こえてきたのは、意外にも女性の声だった。

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