第14話 人肉バーガー
「じゃあ山根君、休憩しておいで」
「はい」
十四時になった。館長が俺に休憩を促す。
その場を館長に任せ、俺は腹の虫が鳴くのを手でなだめながら、カフェに向かう。朝のマスターの誘いを受けるためだ。
正面の通路を真っすぐ進んだ突き当たり。午前中は陽が差し込む客席は、無駄にルネッサンス風の豪華な内装で整えられている。
なんの魅力もないここの展示物と比べて、このカフェだけは十分な存在感を示す。
見た目だけでなく、出される料理は本格的なイタリアンのメニューばかり。コースはなく、すべてアラカルトだが、マスターの腕は確かで作るものすべて独創的で、品があって、何よりも旨い。
本当、こんなとこで燻ってるよりも、どこかの三ツ星レストランでも通用すると思うが、まぁ自身がメアってのもあるのだろう。本人はこの職場に満足しているようだ。
「よ、山根ちゃん。来たね」
最後の客が出て行くのと同時に、俺は聖域のようなその中に足を踏み入れる。その場違いの雰囲気に緊張は続くが、マスターの顔と声で束の間の平静を取り戻す。
「マスター、お言葉に甘えちゃうけど、本当にいいんですか?」
「もちのロンよ。今日はね、新メニューの試食もして欲しいから遠慮しないでどんどん食べちゃって」
前に一度だけ、何かの打ち上げのときにスタッフみんなでここで会食したけど、自腹で来たことはないし、見るからに高級な雰囲気を目の当たりにして、我ながら恐縮してしまう。
「本日はようこそ、いらっしゃいませ」
里田さんがグラスとナプキンをテーブルにそっと置く。内装や料理はもちろんだが、里田さんの醸し出す雰囲気は正に高級レストランの給仕そのものだ……行ったことないけど。
軽く俺に会釈をすると、里田さんは奥に下がる。とても女子高生とは思えない身のこなしに俺は唖然とする。特にさっき地下であんなことがあったと言うのに、まるで冷静だ。
なんかすべてが別世界だな。いつか金を貯めて、俺も明日香さんを誘って……って、一体いくらかかるんだろ……。
「山根ちゃん、何食べる?」
マスターは気軽に聞いてくるが、怖くてメニューも開けない俺は一言返す。
「マスターに、お任せで……」
「あいよ」
笑顔で返事すると、マスターは厨房に下がっていく。
すぐに里田さんが来て、テーブルの上に皿を置いて、両端にナイフとフォークを綺麗に並べる。そのまま籠の中からパンを取り、テーブルに置いた皿に乗せる。
「あの、里田さん、これ順番とか……あるんでしたっけ?」
前にどこかで見聞きしたテーブルマナー。俺は自分の知識が不安になり、里田さんに助けを求める。
「そのように置いてはあるけど、大丈夫。好きなもの使って、好きなように食べて」
彼女は笑顔で言ったあと、その視線をカフェ全体に向ける。その視線を追って、俺もカフェ内を見回す。
「貸し切りだから」
彼女は右手を口に当て、笑いをこらえるように言う。
「いやいや、営業時間終わってるでしょ?」
そう、ここは十四時で終わり。最後の客が出て行くのを確認して、ここに入ったのだから。でもそのやりとりのおかげか、俺の緊張は完全に解けた。
これも彼女なりの気配りなのだろうか。里田さんは高校生だから土日だけだが、平日は別の女性スタッフ。双子の姉妹が給仕係をしている。やっぱりそっちもこんなプロフェッショナルな感じなのかな。
いずれにしても、洗練されたその振る舞いを見ると、彼女が俺よりちょっと前にここで働き始めたばかりとは思えない。
そんなことを考えていると、俺の腹の虫は再び大きな鳴き声を出す。
恥ずかしさから、里田さんにそっと目をやる。
「これ、おかわりあるから先にどうぞ」
笑いながら、籠を持ち上げる。それはつまり、皿の上のパンを食べなさいと言うことだろう。
「でも……マナー違反じゃ……?」
「マナー?」
「あっ」
そう言うと、彼女は皿の上のパンをおもむろに掴み、自分の口へ運んで食べてしまう。
「これであたしもマナー違反。我慢なんかしないで、食事はおいしく食べないと、ね?」
パンを頬張りながら、俺に笑顔を見せる。やばい、明日香さんと言う人がいなかったら、俺はイチコロだっただろう。
その行動にトキメキを覚えつつも、俺もパンを手に取り口に押し込む。
「うまい!」
「マスターの料理待ってたら日が暮れちゃうからね。じゃあ、料理できたら運んでくるから、ごゆっくり」
そう言うと、彼女は籠の中からさらにいくつかパンを皿の上に置いて、ゆっくりと奥へ下がっていった。
パンを食べてるうちに、サラダとスープが運ばれてくる。
ほんのり酸味がありながらも、どこかに甘さを感じる粒々が入ったドレッシングは、野菜の新鮮さを引き立てる。
スープのほうは透き通った赤色で、あっさりとしているのに後味にしっかりとコクが残る。とろけるような具の野菜の中に、これまた入っている粒々が食感の違いを楽しませてくれる。
「里田さん、この粒々なんなの? すごい旨いんだけど」
「マスターが来たら聞いてください。次がメインですから」
俺の反応を楽しむように言うと、彼女は空いた皿を持って奥へと下がる。
軽く考えていたけど、雰囲気と言い味と言い、なにより里田さんの接客は完璧だ。年パスを買ってでも通いたくなる客の気持ちも最もだな。
「お待たせしました。メインでございます」
一人で考え納得していると、里田さんが皿を運んできた。
皿の上に置くと、その蓋を取る。魚だろうか、肉だろうか。
「あれ? ハンバーガー?」
それは以外にも、俺もよく世話になっている庶民の料理、ハンバーガーだった。
「いやあ、サラダもスープもだけどさ。それも新メニュー。どうだった? 前の二品は」
「いや、もう最高。ほんと、お世辞とかじゃなく」
俺は本心をそのまま口にする。
「そりゃよかった。自信作でね。でもほら、うちって見た目がなんか敷居高そうじゃない? これならテイクアウトもできるし、忙しいサラリーマンにもおすすめって訳」
なるほど、マスターは色々と考えてるんだな。確かにこれなら気軽に注文できそうだ。
「ほら、食べてみてよ」
「はい」
俺はその大きなハンバーガーを大胆に掴み、口へ運んで一噛みする。口の中はすぐに肉汁が溢れ、レタスやトマトの甘味が肉の脂っこさを消す。そしてパティの中に入った粒々が、プチプチと口の中で弾ける。
これがグルメ漫画とかなら、俺の口の中では盛大なパーティが始まっていただろう。とにかく、そのくらい旨いのだ。
「マスター、これやばいです! 今までこんなハンバーガー食べたことないもの!」
「いやぁ、相変わらず山根ちゃん、いいリアクションしてくれて嬉しいよ」
「サラダにもスープにも入ってたけど、この粒々何なんです? これって何バーガー?」
「これはね、人肉バーガーだよん」
「ぶぅぅぅぅぅぅ!」
思わず口に流し込んだ水を吐き出す。
「……今、なんて?」
「だから、人肉。人肉の味したでしょ?」
まじかよ……。人間は食べないって言ってたじゃないか……。
俺は不安の眼差しを里田さんに向ける。
「――ザクロです」
本気で不安がる俺を不憫に思ったのか、彼女はその正体を教えてくれた。
「まぁほら、人肉みたいな味する訳だし、人肉バーガーでいいんじゃないかな?」
「そんなの、誰も食べる訳ないですよ!」
「あたしもどうかと思います」
「っち、また名前考えないとか……」
マスターは残念そうに言う。この人ほんとにそんな名前で売り出そうとしていたのか……。
人肉……もとい、ザクロバーガーも綺麗に平らげ、二人に礼を言って俺は仕事に戻った。
と言っても、午後の仕事は午前に増して楽だ。昼飯でピークを過ぎた博物館は、土曜だと言うのにシフトの終わる十七時までの客はたった二名だった。
退勤の時間になり、控室で帰り支度をしていると、マスターがやって来た。
「お、山根ちゃん。今帰り?」
「はい、昼間はご馳走様でした」
「なになに、いいって。それよりさ、西川ちゃん見てない?」
「西川さん? さぁ。もう帰ったんじゃないですか? ロッカーも空だし」
「ち、なぁんだ。昼間言っておいたのにな」
「何か約束してたんですか?」
「ほら、昨日言ったじゃん。北のほうで大きな波を感じたって」
「あぁ、そう言えば」
「なんかそっちのほうで昨日事件もあったみたいだしさ。メアが悪さしてるかもしれないし、面白そうだから行ってみないかって、西川ちゃんにさ」
「なるほど……ってか、メアがいたらどうするんか⁉」
「ん? 退治するに決まってるじゃない。言ったでしょ? 俺は人間好きなんだからさ。被害が出てるってならさ、守らないと」
「西川さん、よく行くって言いましたね……」
マスターはともかく、あいつはそんなこと言わないだろう。現に、もう帰ったみたいだし。
「帰っちゃったなら仕方ないか。んじゃ山根ちゃん、行くよ」
「はい……え?」
何この流れ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます