第10話 危険脱出
早くあれを何とかしないと、この幸せな時間が一瞬で崩れてしまう。
この至福を噛みしめながらも、俺の思考はそれへの対策で埋め尽くされ、視線はずっと明日香さんの後ろに向いたまま。
「――聞いてる?」
眉間にしわを寄せ、口を尖らせながら俺に言う。
「あ、うん……ごめん、なんだっけ?」
「んもう。だから、昨日尊君に送ってもらったから、巻き込まれないで済んだのかもって」
「巻き込まれる?」
「ほら、この記事」
そう言って、自身のスマホの画面を俺に向ける。
「女性二名の惨殺体が発見されるも、犯人は逃走中か……」
そこにあるニュース記事の見出しを読み上げる。
「街外れだけど、都心の事件もあるから……犯人も捕まってないし、心配で。だから尊君の無事を、ちゃんと確認したくて」
「俺の?」
「おじいちゃんから尊君が私を送ってくれたってのは聞いたけど、ほらそのあと、私を送ってから一人になったところで、何かあったらって……こんな記事見ちゃったから」
待てよ? 普通安否確認だけならわざわざ来るか? これ、ひょっとしてそれを口実に俺に会いに来たんじゃ? まさか明日香さん、俺のことを⁉
「何度バインや電話しても繋がらないんだもん。でもよく考えたらこんな時間だし、まだ寝てるよね。とりあえず尊君も、事件に巻き込まれてなくてよかった」
はにかみながら、そっと胸を撫でおろす明日香さん。少々俺の予想とは相違はあるが、俺のことを心配してくれていたのは確かだ。いずれにしても脈がない訳ではない……と思う、思いたい。
あれ? でも、この場所……。
記事にあったその場所は、一連の出来事があった昨日の公園ではなかった。むしろ博物館を挟んで逆方面。俺が遭遇したあれは事件になっていないのか?
「それに、別の騒動もあったみたいで――」
スマホを操作しながら、記事を探しているようだ。別のって、やっぱり公園の件だよな?
「なんかね、道を歩いていた女性が、生首を籠に入れた自転車の男を見たって。あとは、頭のない人間が走り去ったとか、まぁどっちも『街の噂』って三面記事だけど」
……どっちも心当たりがあるぞ。でも、どういう訳か公園のことは事件になっていないようだ。
「――尊君、ごめん。お手洗い借りてもいい?」
俺も自分のスマホを開きその記事を調べていると、明日香さんは遠慮したように聞いてくる。
やばい、トイレは明日香さんの後ろだ。
「あぁ、はいはい!」
すぐさま立ち上がって彼女の背後に回り、腕を伸ばして廊下に向ける。
「あそこです!」
「あ、丁寧に……ありがと」
明日香さんはやや戸惑う様子を見せる。まぁそうだろう。トイレの場所を指すなら座ったままで、ましてやわざわざ彼女の後ろに移動する必要もないからだ。
もちろん、それには理由がある。明日香さんがトイレに入るのを確認すると、左足の下敷きになっている、表紙だけでそれと分かるエロ同人誌を急いで引き出しの奥に押し込む。
なんとか、それが彼女に露見することは防ぐことが出来た。
「じゃあ、悪いけど、今日はよろしくね」
「うん。明日香さんも気にせず、ゆっくり休んでね」
食べ終わると、彼女は再度丁寧に言う。
しっかり休息を取って、またその笑顔を見せてくれれば、それが最大の報酬だ。
外で彼女を見送ると、俺は自転車に跨り、博物館へ向けてペダルを漕ぐ。
「おはようございます」
「ちっ、今日はお前かよ」
控室に入り挨拶をすると、俺の顔を見た西川が不機嫌を隠すことなく言う。
元々休みだったから今の今まで気にしていなかったが、今日はよりによってこいつと一緒か。明日香さんのためだ、今日一日耐えるんだ。
「うぅぅぅ……」
突然、奥にあるソファの上の毛布が、奇妙な声を出してもぞもぞと動く。
まさか、メアか⁉ どうやら公園とは別の事件もあったようだ。それがメアの犯行だったとしたら、どこかに潜伏しているはずだ。だとしたら、ここに居ないと言う保証はない。
俺はそれを注視し、すぐに動けるよう体勢を作る。昨日経験しているからか、その流れは自然に出来た。
「ふぁぁぁぁ」
毛布が剥がれ、その下の本体が顔を出す。
「お、西川ちゃん、山根ちゃん……おはよう……」
マスターだった。両手を伸ばし、大きくあくびをしながら半開きの目でこっちを見ている。そういえば、マスターは昨夜ここに泊まったのだった。
まぁ、メアが潜んでいたと言うのは間違いではなかったが。
「……おはようございます」
緊張の解けた俺は、気のない挨拶を返す。
「なんだ、今日はこのコンビか。珍しいねぇ」
「おはよっす。仕事入るんで、お先に。お前もさっさと着替えろよ、のろま」
西川はマスターに挨拶を返すと、俺には相変わらずの憎まれ口を吐き捨て控室を出る。
毎度の悪態に今日これからの先が思いやられ、どうしたものかと言わんばかりにマスターに視線を送る。
「はは、いつも通りだね。西川ちゃんは」
マスターも俺の言わんとすることは分かってくれたようで、苦笑いしながら言う。
「はぁ。俺あいつ苦手です……」
本心を隠さず、マスターに吐露する。
「まぁそう言いなさんな。あれでも西川ちゃんは、優しいとこもあるから」
優しいとこ? 微塵も感じない。万が一マスターや他の人たちに対して、わずかでもそれがあったとしても、俺には欠片もない。未来永劫、これだけはきっぱり言える。
「……なんかあったら、お願いしますよ」
「あいよ。まぁ、山根ちゃんも肩の力抜きなって」
俺の言いたいことは汲んでくれたようだが、肩の力って……。リラックスしろと言うことだろうが、こっちがどんなに態度を軟化させたところで、あいつのそれが変わるはずもない。
が、マスターは関係ないし、わざわざ揉め事起こして巻き込むのも申し訳ない。
「出来るだけ、がんばります」
自信はないが、精一杯の意気込みを伝え、控室を出ようとすると、
「昨日送ってもらったお礼に昼飯おごるからさ、カフェにおいで」
「はい。あとでお邪魔します」
マスターはにっこりして言う。人間の食べ物だよな……。
返事をしたあと、一抹の不安がよぎったが、人間相手のカフェなのだから、大丈夫だろう……きっと。
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