第9話 Let's have a breakfast

 博物館に着くと、入口の外で首無し胴体がこっちに手を振っている。マスターの体は先に帰ってきていたらしい。


「おかえり、明日香は大丈夫だったみたいだね。ありがとう」


 中に入ると、館長が俺たちに労いの言葉を掛けて出迎えてくれる。

 奥の廊下をプロが横切るのが見える。どうりで結果を知っていると思ったら、プロから報告を受けたようだ。


「いやぁ、ボス。参ったよ。久しぶりに体を再生したから、疲労感半端ないわ」

「そのまま帰るのは大変だろう。今日はここに泊まっていきなさい」

「悪いけどそうさせてもうらうわ。そんじゃ山根ちゃん、送ってくれてサンキュー」


 マスターは俺に片手をあげて、お礼と別れのサインを同時にすると、そのまま控室のほうに向かっていった。


「涌井君から全部聞いたのかい?」


 二人きりになると、館長が俺に聞いてくる。


「ええ、まぁ。大体は。俺も感染してるようで……」


 言葉に出すと複雑な気持ちで、俺は下を向きながら言う。


「山根君は大丈夫だよ。神器が守ってくれているから」


 俺は左手首を見つめる。館長も、ここのみんなはそれ自身がメアらしいけど、俺の場合はメアと共存している。さっきみたいな、メアと体を入れ替える役割のことだろうか。それだと、明日香さんも? 彼女が襲ってきたのは、メアに支配されていたから?


「明日香さんも感染……メアと共存している訳ですよね?」


 「感染」と言う単語が相応しいのか不安になり、言葉を変える。


「明日香の中のメアは不安定でね。未熟と言うのか、神器を側に置いておかないと暴走しかねないんだよ」


 どうやら、神器はメアの制御にも何かしら関係しているようだ。


「そういう状態なので、明日香自身にはメアのことは伏せているんだ。山根君にも迷惑を掛けるが、協力してくれるかい?」

「もちろんです」


 断る理由などない。知らぬうちにメアに体を使われ、人を襲って……そんなの知るべきではない。いつも通り笑顔でいてくれるなら、彼女の笑顔を守ることが何にも増して優先されるべきだ。

 俺の返事を聞くと、館長はにっこりと優しい笑みを浮かべて俺に言う。


「ありがとう。頼みごとついでで申し訳ないのだが、明日明日香をシフトを変えてもらえるかね?」


 明日。明日香さんは早番だったはずだ。俺はシフトは入っていなかったが、土曜で授業もないし、今日こんなことがあったばかりだから明日香さんには明日一日ゆっくり休んで貰った方がいいだろう。


「はい、問題ありません。大丈夫ですよ」

「重ね重ねすまないね。感謝するよ」

「いえ、とんでもないです」

「明日は昼間松井君も来るから、興味あるなら君のメアについて調べてもらうといい」

「俺の、メア。ですか?」

「今日見たように、涌井君の第一宿主はトカゲで――」


 見たようにって……マスターが言ってた特殊能力ってやつ? トカゲってことは、マスターが首を外したのは、トカゲの尻尾切りだとでも? でもまぁ、言われてみればなんとなく納得できるような。


「じゃあ、プロはなんですか?」


 プロのあのつむじ風は、一体なんだろうか? 風ってことは鳥とかだろうか?


「辰己さんのはね、イタチだよ」


 イタチって、風とどういう……ひょっとして「カマイタチ」なのか? なんだよ、メアって妖怪もありなのか……。


「あの風は本当に役に立つよ。フロアの塵も瞬く間に集めちゃうからね」


 そうだ、そう言えばプロは「掃除のプロ」が由来だった。


「じゃあ、明日博士に聞いてみます」

「うんうん。君も疲れただろうから、帰ってもう休みなさい」

「はい、お疲れさまでした」


 ソファでいびきをかくマスターを起こさないように、ロッカーから荷物を出して博物館をあとにする。

 確かに、俺のメアは何なのか気になるな。あの偉そうな口調……でも、傷もあっという間に治したし。

 不安七、期待三ほどであれこれ考えながら、俺は眠りに就いた。




「う、うぅぅぅん……」


 玄関から鳴るチャイムにうなされる。窓から差す光は眩しい。どうやら朝のようだ。

 何時だ? スマホを確認するとまだ七時前。いくら今日がバイト早出でも家を出るには二時間以上早いぞ。

 ったく、誰だよこんな時間に……。

 早朝に起こされたことに苛立ちながら、不機嫌を隠さずに寝ぐせ頭を掻きながらドアを開ける。


「新聞ならいらな――」

「おはよう、山根君。おじいちゃんから連絡があって、今日私とシフト交換してくれたとかで……お礼と言うか、朝ご飯作って来たから一緒にどうかなって」

「おはようございます! ちょ、ちょっと待ってね!」


 明日香さんの手には、可愛いナプキンに包まれたお弁当らしきものがある。予想外の来訪者の予想外の発言に驚きを隠さず、慌てて部屋の中に目をやる。

 テーブルの上に置いたままの、カップ麵のスープが残ったままの容器。部屋中に散らばった菓子袋や使用済みティッシュの山。極めつけは枕元に堂々とその存在を主張するアダルトDVDのパッケージ。

 これはアウト、完全にアウトだ。


「二分お待ちを!」


 優しく戸を閉めると、即座に片づけを開始する。


 二分後。俺は初めて、自分で自分を褒めてあげたくなった。あれだけ散らかった部屋を見事に整理し終えただけでなく、寝ぐせ頭を直して、服も着替えた。人間、追い込まれればなんでも出来るものだと、我ながら感心する。


「お待たせ。どうぞ」

「お邪魔します」


 さっきまで敷布団と化していたソファに彼女を座らせ、向かいに敷いたクッションの上にゆっくりと腰を落とす。


「朝早くにごめんね。寝てたでしょ?」

「いえ、ちょうど起きたところだから。あはは」


 最初の寝ぐせ頭を見られてはいるが、そんなことはどうでもいい。どんなに深い眠りであっても、例えそれが永遠の眠りの中だとしても、彼女に起こされるなら本望だ。


「本当かなぁ?」


 彼女は俺の目を覗き込んで笑う。


「昨日も送ってくれたんだよね? それと今日のお礼も兼ねて、山根君の口に合えばいいんだけど」


 そう言いながら、彼女はテーブルの上に置いたナプキンの包みを解き始める。


「お礼だなんてそんな! 俺、明日香さんと一緒に食べられるだけで――」


 あ、あれ? そういや明日香さん、俺のこと「山根君」って? あれ?


「明日香? 山根君、もしかして――」


 やばい! 昨日のあの流れは夢だったのかもしれない。そうだ、ドアを開けたときからずっと「山根君」って言ってたじゃないか。なんで気付かなかった……。ひいてるよな。彼女完全にひいてるよな……。


「ち、違うんだ、これは……」

「ううん。私のほうが、昨日何か変なこと言ったんじゃない?」

「……え?」


 「私の方」? どういうことだ?


「私ね。昔からなんだけど、疲れているときとか、たまに行動の記憶がないのよ。ほら、私が山根君をバイトに勧誘したって言うときも」

「あ、あぁ。確かに覚えていないようだったかな」

「だから昨日も、何か変なこと言ったりしたりしてなかったかな? 何か迷惑掛けてたんじゃないか心配で」

「そんなこと全然ないよ!」

「ほんと?」

「うん!」

「じゃあ、私の呼び方変わってるのは?」

「え? あ……」


 え、どうしよ……元々は俺のメアが言いだした……ってか、彼女のほうから……どっちにしても、悲しいことに俺は直接関与してないぞ……。


「私が『名前で呼んで』とか言ったんでしょ?」

「うん……まぁ……」

「やっぱり」

「いや、俺も変だなって……はは。さすがに馴れ馴れしいし、今まで通り天寺さんで――」

「私も呼んでいい?」

「え?」

「尊君、でいいかな?」

「う、うん。もちろん!」


 っしゃー! ありがとう神様! 聞いたか、馬鹿メア! 明日香さんとの互いの名前での呼び合い、この俺が自力で掴み取ったぞ!


「どう? 味は。苦手ならちゃんと言ってね。じゃないと、次のとき困るから」

「苦手なんてとんでもない。ほんと、全部美味いよ!」


 もちろんお世辞抜きだ。ほんのり甘い卵焼きに、とてもかわいくて食べるのがもったくなるタコさんウインナー。手作り感満載のサンドイッチ。どれもこれも最高! 最高だよ!


「俺、いつもコンビニの弁当やらカップ麺だから、もう本当に――」


 自分の普段の食生活との対比で、いかに満足しているかを伝えようと……。

 あれ? 次のとき?


「良かったぁ。一緒にバイト早出のときは、また作って来るね。私いつも自分で作ってるから。一人分も二人分も手間は同じだしね」


 なんてことだ⁉ 長かった……不毛の十代は終わりを告げたのだ! これが夢と希望の二十代と言うものなのだ!

 興奮で暴発させぬよう、一呼吸あけてから言う。


「ありがとう、明日香さん! 楽しみにしてるよ!」


 俺が、さぞ美味しそうに食べているのが伝わったのだろう。朝食を頬張る俺を、明日香さんは優しく見守る。

 この幸せを噛みしめながら、俺は涙が出そうになる。

 そして彼女の後ろに、しまい忘れた成人同人誌を見つけ、彼女に気付かれてはすべてが終わると、また涙が出そうになる。

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