第4話 マスター

「おはようございます」

「おはよう」


 控室に入ると、俺と交代で仕事を上がる涌井さんが帰り支度をしている。

 三十手前くらいではあるが、背が高く、がっしりとした筋肉質。整った顎鬚がダンディズムを醸し出す。昼過ぎまで営業している館内カフェのマスターでもある。

 人当たりがいいので話しやすい、俺の兄貴分的な存在だ。仲良くなってからは「マスター」って呼んでいる。


「どう、山根ちゃん。天寺ちゃんとは?」

「え? いや……何がですか?」

「またまたぁ。山根ちゃん分かりやすいからさ、顔に書いてあるのよ」

「え、嘘……」


 俺は慌てて自分の顔を擦る。


「山根ちゃん。ほんとに書いてある訳ないじゃない」

「ちょ、マスター。変なこと言うのやめてくださいよ」

「まぁほら、実際のとこどうなの? いい感じなの?」


 マスターはニヤついて聞いてくる。まぁ特に害がある訳でもないし、隠す必要もないだろうし。


「これ、誕プレで貰ったんです」


 俺は自慢するように左手を差し出し、ミサンガを見せた。


「ん、なにこれ? 荷物を縛るときに使う紐的な――」

「ミサンガですよ!」

「はは、冗談冗談。いやぁ、ひょっとして手作り? こいつぁもしかしたら……ん?」


 笑っていたマスターの顔は、急に真剣な表情になる。


「山根ちゃんさ。これ、どうした?」

「え、勾玉……ですか?」


 マスターの視線は、ミサンガに通した勾玉に向いている。


「なんか、知らない間にポケットに入ってて」

「体に異変とかない?」

「え? いや、特にないですけど」


 マスターは真面目な顔で妙なことを聞いてくる。これもいつもの冗談の伏線なのだろうかと思っていると、今度はまた表情を緩めて言う。


「そっか、いやぁ。安心と不安が一気に来たよ。山根ちゃんは何かなぁ?」

「マスター、ちょっと意味が分からないですけど」

「ちょっくらボスと話してから帰るわ。そんじゃ、お疲れさん」


 マスターは言いたいことだけ言って、部屋を出てしまう。ちなみに「ボス」とは館長のことだ。

 あれ、そう言えば天寺さんが来てないな。いつもなら俺より早く来てるのに。

 今まで遅刻も欠勤もなかった上、昼間は「またバイトでね」なんて言ってたし。心配になりバインを送るが、既読も付かない。

 気持ちは焦るが、仕事の時間になってしまう。シフトに穴を開ける訳にもいかず、かと言っても天寺さんのことが気がかりでならない。

 そうだ、館長室に行けば。館長には何か連絡が行ってるかもしれない。

 普通館長には出退勤の挨拶は真っ先にするべきだが、当の本人が館長室にいるときは忙しいから挨拶無用と言うので、わざわざ行くことは無かった。

 事務室の奥の館長室に入ろうとすると、ちょうど館長とマスターが出てきた。

 俺が天寺さんのことを説明すると、館長は少し驚いたような表情をして言う。


「それは、報告ありがとう。いや、明日香から連絡は来てないよ。それどころか、さっきまでここに。そうだよね、涌井君?」

「うんうん。山根ちゃんが来る前に、天寺ちゃんは館内に入って来てたよ。ただ、俺が控室に行ったときには見なかったなぁ」

「そうなのですか⁉ でもバインも既読付かないし……」

「バイン? 既読? なんだね、それは?」

「ボスは知らなくていいの。説明すんの面倒だし」


 まぁ確かにスマホの通話メッセージアプリだと、一言では分かってもらえないだろうし、とは言っても蚊帳の外でしょんぼり顔の館長を見ると、若干可哀そうでもある。


「うぅん。もしかしたら、あれを持ってないのかも知れんね」


 館長は一転、強張った面持ちで言う。あれ? なんのことだ?


「え、マジ⁉ それって、ちょいやばくない?」

「確かに、だとすると厄介だね」


 前言撤回。蚊帳の外は俺だった。全く話が分からない。


「山根ちゃんさ、天寺ちゃんのロッカー見てきてくれない?」

「ロッカーですか?」

「もしかしたら、彼女一度控室に行ってるかもしれないし。なんでもいいから、そこに何かあったら持ってきてよ」

「はい……」


 理解できないまま、俺は控室に戻って天寺さんのロッカーを確認する。

 そこにはいつも彼女が持っている、バッグが入っていた。


「――うん。じゃあ、よろしくね。ボス、プロが来てくれるって」


 バッグを持って行くと、マスターは誰かと電話していた。プロって言ってたから辰己さんだろう。


「マスター、天寺さんのバッグが――」

「お、ご苦労さん。一応、女の子の荷物だからね。身内に断らないと」


 マスターにバッグを渡すと、それを見せながら今度は館長に言う。


「ボス、確認させてもらうよ?」


 館長は頷き、マスターはバッグを開ける。


「これか。確か、額に当てればよかったんだったよね?」


 バッグから銅鏡を取り出し、マスターは館長に聞く。


「あぁ。暴走してるかも知れんから、くれぐれも用心しておくれ」

「了解。んじゃ、山根ちゃん。天寺ちゃん探してくるからさ。あとは任せて、安心して仕事を――」

「――すよ」

「ん?」

「俺が行きますよ! 俺に行かせてよ! 俺だけ置いて、話を進めないでくださいよ!」


 俺は叫んだ。

 ここの、博物館エデンの人たちが好きだ。天寺さんはもっと好きだ。だから余計に何か隠されてるのが、何も教えてもらえないのが、彼女になにも出来ないのが悔しい。それが声を荒らげさせた。


「すまん、悪かった」


 マスターは頭を搔きながら、申し訳なさそうな表情を見せる。


「山根君。ただ、これはちょっと危険かもしれないから――」

「ちょい、ボス。山根ちゃんがここまで言ってるんだ。男の心の叫びを聞いて、それをないがしろにするのは野暮だって」


 マスターは俺の顔を見ながら館長に言う。


「それに言ったでしょ、山根ちゃんは神器持ってるんだから。大丈夫」

「に、してもだよ? まだどんな力か――」

「あぁもう。彼の目を見れば分かるでしょ? ラブよラブ」

「ラ、ラブ?」

「天寺ちゃんのことが心配でたまらない訳よ。察しなさいな」


 ちょっとマスター……その通りではあるけど、館長は天寺さんのおじいさんなんですよ……。


「山根君あれかい? 明日香にホの字なのかい?」

「……」


 俺は恨めしそうにマスターを睨む。


「おっと、早く探しに行かないとね。ボス、山根ちゃんに任せる。で、いいね?」


 俺の念が通じたようで、マスターは慌てて館長に聞く。


「ん? あぁ。山根君、身内事で申し訳ないが、明日香を探してきてもらえるかい?」

「もちろんです!」

「本当はね。ちゃんと確認してから、全部話すつもりだったんだけどさ」


 そう言いながらマスターは自分の首を持ち上げ、俺に渡す……え? は? はぁぁぁぁぁ⁉


「さすがに何かあったときのためにね。首は同行するよ」


 両手で抱えたマスターの生首が、俺に向かってしゃべり出す。


「う、う、うわぁぁぁぁ!」


 手を振って落とそうとするも、マスターの胴体のほうが、それが落ちないよう必死に手でガードをしている。


「ちょい、山根ちゃん、ストップ! 落ちちゃうって」

「はぁはぁ……」


 マスターの声を聞き、どうにか手を制止させる。


「ふぅ。死ぬかと思ったよ」

「一体、マスターの体……どうなって……」

「まぁ、こうなるとは思ったけどね。とりあえず出発しなきゃだし、移動しながら色々教えてあげるから。それでいいね?」

「は、はい」

「よし、オーケー。大きな波は二つ感じるから、俺たちは南に向かうよ。君は北ね」


 マスターが自分の胴体にそう指示すると、胴体はマスターの顔に向かって敬礼する。館長が慣れた手つきで胴体に展示品の甲冑の兜を渡すと、胴体はそれを頭の位置に被り、今度は館長に敬礼して外に走っていった。

 俺はぽかんと口を開けたままでいた。

 

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