第5話 ヒトではないナニカ

 四月のこの時期、辺りはもう暗くなっていた。

 籠にマスターの顔を入れ、指示に従い南に向けてペダルを回す。我ながら異様な光景だ。


「まず何から説明しようかね」


 走りながらマスターの口が開く。


「なるべく、分かりやすいのから……」


 きちんと本心を伝える。


「それじゃまず、この体のことからにするかね」

「はい、すごく気になるので……お願いします」

「まぁ簡単に言うとさ、俺って人間じゃないのよね」

「え⁉」

「ちょ、山根ちゃん。前、前!」


 バランスを崩し、電柱にぶつかりそうになる。


「すみません……」

「ほんとしっかり頼むよ。驚くのもまぁ、無理はないけどさ」

「はぁ……でも、人間じゃないって?」

「人の姿をした何か。自分自身はっきりと何なのか言い切れないのよ。そうだねぇ、この世界で言うところの、ウイルスってのが一番近いのかな。うちらは『メア』って呼んでるけどね」

「メア?」

「メアは脳波にシンクロすると、彼らに心地よい夢を見せる。んでその間に、宿主の脳を奪っちゃう訳。山根ちゃんも見たでしょ? 何かしらいい夢を、最近さ」


 思い切り身に覚えがある。


「いい夢どころか、体を奪われちゃうんだからさ、もう悪夢だよね。だからナイトメアから取って『メア』って呼んでる訳」

「でもウイルスってことは、人から人にどんどん感染を?」

「そこはちょっと複雑でね。まずさ、さっき言ったように感染経路は波なのよ」

「波長とかの?」

「その通り。メアの持つ波に人間の脳波がシンクロすると感染する」

「それ……物理感染どころじゃないですよね?」

「ところがそれも善し悪しでね。物理感染だと抗体でも持ってない限り、高確率で感染するけど、波の場合ほぼほぼシンクロしない。範囲もせいぜい数メートルじゃないかな?」


 正直それがいいことなのか分からない。


「それと人から人に感染はしない。メアは人に寄生したらそこで終わり」

「じゃあどこから感染を?」

「どうやら、第一宿主は人間以外の動物。ただ、動物の中にいる段階では発症しないみたい。そこから波を出して、それがシンクロした人間に感染し、初めて発症するらしいね」

「発症するとどうなるんです?」

「神経を伝って、脳細胞から体の隅々の細胞に入り込んで体を支配する。そのときはもう、宿主は死んでるんだけどね。生物学的に言うとさ」

「え……じゃあマスターは?」

「涌井孝之としては死んでるのよ。今の俺は、彼の記憶を持ったメアだからね」


 普通な顔して、この人かなりえげつないことを言ってるぞ……。


「体を奪ってどうするんです?」

「メアの支配した細胞は第一宿主の影響も受けて、人間の限界を超えた存在になる。身体能力も人間とは比ではないほどになって、人間を喰らう」

「え、今……なんて?」

「だから、人を食うの。俺もよく分かんないけど、同種食いで得られる栄養が必要なんじゃない? 生きるために」

「ってことは、マスターも人を……?」

「昔ね、昔。今は食べないよ。これでもグルメなんだから」

「そっか……じゃあ、今話題の事件って……」

「まぁ、どこかのメアの仕業だろうね」


 さも当然のように、あっけらかんと言う。が、とりあえずマスターが一連の犯人でないことに、安堵のようなものも感じた。


「グルメって、じゃあ今何食べてるんです?」

「色々だよ。人間と同じものをさ」

「それで大丈夫なんですか? だったら人間食べる必要ないんじゃ……」

「大丈夫って訳でもないよ。その分動物性たんぱく質がたくさん必要になるし。人間だったら、一人食べれば一月は持つのに。ったく、燃費悪くて仕方ないよ」

「あはは……また、人間食べたりとか……しないですよね……?」


 その質問のときの俺の声は、きっと震えていた。


「ないない。人肉以外の食べ物はかなり不味いけど、博士たちのおかげで、今はまぁ美味しく食べれてるから」


 博士とは、エデンの学芸員である松井さんのことだ。小太り眼鏡で見た目はオタクそのものだが、話すとすごく面白い人なのだ。


「そっか、安心しました」

「それに、俺は人間好きだしね」


 マスターは空を見上げながらしんみりと言う。台詞と表情はどこか哀愁を漂わせているが、なにしろ自転車の籠の中の生首が言うのは、かなりシュールだ。


「他のみんなも、そうなんじゃないかな?」

「他のみんな?」

「そうだよ。ボスを始め、博物館エデンのみんなさ」

「え……えぇぇぇぇ⁉」

「ちょっと、山根ちゃん危ないって!」


 縁石に乗り上げ、衝撃でマスターが落ちそうになる。


「ご、ごめんなさい……って、それじゃみんな……メア?」

「うん、そだよ」


 何かわいい感じに言っちゃってるんだこの人は。


「人間に個性があるように、メアも個体差があるからね。人間好きなのもいれば、嫌いなのもいるのさ」

「みんなってことは、じゃあ……天寺さん、も……?」


 恐る恐る言葉に出す。


「いや、天寺ちゃんはちょっと違うんだな。感染してはいるけど、人間のままだ。山根ちゃんと同じようにね」

「そか……よかっ……え? 感染? 俺と同じって……俺も⁉」


 それはどういうことだ⁉


「いちいちいいリアクショアンするねぇ。二人とも神器持ってるでしょ?」

「神器……勾玉のこと?」

「そうそう。まだちゃんと分かってる訳じゃないけど、博士が言うにはそれらは特殊な鉱物で出来てるみたいでさ。そこから出される波長が、メアが宿主の脳とシンクロするのを妨害するみたい」

「なるほど……。とりあえず俺は普通の人間ってことで……いいんですよね?」

「一応脳は無事みたいだから、人間でいいんじゃない?」


 マスターは他人事のように笑う。まぁ、他人事なんだろうけど。


「うちらもまだ分からないことだらけ。だからそれを探るために、みんなエデンに従事してるってのもあるのよ。神器のこと調べれば、いずれ自分たちのルーツに辿り着けるかもしれないしね」

「自分たち?」

「そう。メアはどこから来て、何が目的なのか、なんてね」


 そうだよな、自分のルーツを知りたいってのは自然なことだよな。色々ショッキングではあるけど、マスターはやっぱりマスターだ。


「ぎゃあぁぁぁぁ! 生首ぃぃぃ⁉」


 感傷に浸りながら信号待ちで止まっていたところ、隣に居たおばさんが籠の中を覗き込み、唐突に悲鳴をあげる。

 そうだよな……いくら夜道とは言え、この距離からなら……そうなるよな……。

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