第2話 初夢

 そのあとのことはよく覚えてない。けど、必死で逃げ出した。誰もいないのに聞こえる声。あの光は人魂か何かなのだ。つまりは幽霊に違いない。逃げる以外の選択肢などなかった。


「山根君、大丈夫?」

「なんだお前、怖くなって必死に駆けてきたんか? のろまのくせに」


 はぁはぁと息を切らし、膝を震わせる俺に天寺さんは心配そうに、西川は嫌味全開で言ってきた。


「大丈夫です……。西川さん、ちゃんと置いてきましたから。じゃあ、お疲れさまでした」


 なおも何か言いた気な西川の脇を通り抜け、天寺さんと共に外に出る。

 薄明りの道を自転車を転がしながら、懸命に俺は話題を考える。動機はやや不純かもしれないが、彼女が俺を頼ってくれているのだ。沈黙はダメだ。少しでも安心できるように、話題を振らなければ。


「――ここしばらくね、変な夢を見るの」


 数分の沈黙のあと、彼女が口を開いた。だめすぎるぞ、俺……。


「いつもお母さんと一緒に、色んなことしたり、色んなとこに行ったり。お母さんの夢自体は昔からよく見てたんだけど」

「あれ、天寺さんのお母さんて――」


 彼女のお母さんは確か事故で亡くなっている。


「うん。あ、ごめんね。辛気臭くなっちゃうね」

「いえ、俺は大丈夫ですけど」


 そういう話をしてくれるってことは、俺はきっと安心させられているんだ。俺は自分で勝手に納得する。


「夢の中だって分かってるんだけど、すごく幸せだったんだ。毎晩夢を見るのが楽しみだった」


 彼女は空を見上げながら言う。そんな彼女を見て、俺も優しい気持ちで見守る。


「でもね、最近違うの。怖いの」

「え?」


 急に彼女の表情が強張る。


「優しいお母さんの顔が急にドロドロに溶けて、体全体で私を飲み込もうとしてる感じで襲い掛かってきて……いつもそこで目が覚めるんだけど――なんか今話題になってる事件を連想しちゃって、余計に怖くなって」

「天寺さん……」

「最初はね、ナメクジだったの」

「ナメクジ?」

「ナメクジがね、夢を叶えてやるって言ってきて――」


 彼女は涙に咽て言葉に詰まる。


「大丈夫、それは夢ですよ。ただの悪い夢です。俺なんて中学生のときに――」


 彼女を安心させようと、俺は懸命に自分の失敗談を面白可笑しく話した。


「あはは、夢は夢でもそれって『将来の夢』でしょぉ」


 自分の失恋話をするのはきついが、おかげで彼女に笑顔が戻った。

 あれ、これってすげぇいい雰囲気なんじゃ? 天寺さんには申し訳ないが、また俺はあらぬ妄想をしてしまった。


 


「今日はありがとう。また明日ね」

「はい、また明日。おやすみなさい」


 天寺さんの家に着いた。

 彼女は俺に向かい、手を振りながら玄関に入っていった。

 あれ? 話が違うじゃないか! いや、そもそもそんな話は俺の妄想の中だけど。でも何かあってもいいじゃないか……。

 落胆とはこのことだろう。ティーン最後の希望が消えたのだ。俺は重い足取りで自転車を漕ぎ、自分のアパートに向かった。


 彼女の言っていた「物騒」とは、最近都心で連続して起きている事件のことだ。

 犠牲者たちはほぼ原形を留めていない猟奇殺人、そしてこちらも多発している多くの失踪事件。連日テレビやネットニュースを賑わせている怪事件だ。

 今のところ都心内だけのようなので、俺たちの住む多摩地区は大丈夫だろう。かと言っても、やはり怖いのも分かる。まぁ俺が考えても仕方ないし、そのうち解決するでしょう。


 自分のアパートに着くと部屋に入って、バッグを無造作に置きカップ麺に湯を注ぐ。

 出来上がるのを待ちながらスマホを出そうとポケットに手を入れると、別の何かが中に入っているのに気付いた。

 部屋の明かりに照らされた小さなそれは、淡い光沢を見せる。丸みを帯びた側の反対は渦を巻くように尖った先端。

 まさに歴史の教科書に載ってた勾玉だ。

 けど、一体なんでこんなものが。第一、勾玉ってどういうものなんだ? あれ、天寺さんはこういうの大好きじゃないか。ってことは、これに気付いて彼女が俺に好意を――。


 いかんいかん、さっき失敗したばかりなのに、また妄想をするところだった。

 夕飯を思い出し蓋を開ける。残念ながら時間は結構経っていたようで、カップ麺は伸び切っていた。


「はぁ、二十代では良いことありますように……」


 ふやけた麺をすすりながら、悲しき十代に別れを告げる。

 食べ終えて横になっていると、いつの間にか俺は眠りに落ちていた。




「誰?」

「俺様はお前、お前は俺様。さぁお前の夢を叶えてやる」


 目の前に大きなカエルがいる。こいつの言うことはよく分からないが、つまりドッペルゲンガーとでも言うのか? カエルのくせに?

 まぁいい。どうせこれは夢だろう。なら、夢の中でだけでも、夢を叶えてもらおうじゃないか。


「彼女が欲しい! 早くしてくれ! 十代が終わっちゃう!」

「なんとせっかちな奴め。まぁいいだろう。まさか俺様のほうが内容を要求されるとはな。だが、容易いことだ」


 そう言うと、俺の後ろが眩く光る。


「山根君」


 振り向くと、そこには天寺さんがいる。


「天寺さん?」

「私、山根君が好きなの。私と付き合ってくれないかな?」

「そ、それって、お、俺の彼女に、ってことですか⁉」

「だめかな……?」


 下を向いて恥じらう天寺さん。もちろん断る理由なんてない、もう夢でもいい。むしろ夢最高じゃん!


「も、もちろん。喜んで――」

『やめなよ!』


 突然響いた声に焦って反対を向くと、さっきのカエルが人より大きな口を開き、俺の体を丸ごと飲み込もうとしている。咄嗟に俺はそいつから距離を取る。


「ぐぬ、動くな」


 そのカエルは、強い口調で俺に言う。


「山根君、返事を聞かせて」


 後ろでは天寺さんが俺に返事をせがむ。一体どういう状況なんだ⁉


『目を開けなよ! これは夢。キミ、このままだと死ぬよ』

「は? 何言ってんの? ってか、お前誰だよ?」

『いいから! 言われた通りにしなよ!』


 どこからともなく聞こえる声は次第に命令口調になる。ただ、このカエルはやばいものだと言うのは俺にも分かった。


「山根君」

「ええい、動くなよ」


 天寺さんは後ろから声をかけ続ける。正面のカエルは今にも俺に向かってきそうな勢いだ。


「目を開けるったって、そんな器用に目覚めるはずないだろ⁉」


 切羽詰まる状況を感じ、俺は声の主に問いかける。


『今鳴らすから、ボクを』

「ボク?」


 正面のカエルが俺に飛び掛かったときだった。激しいアラームの音のようなもので俺は目覚めた。

 そこは俺の部屋だった。やっぱりさっきのは夢だ。でもこの音は?

 音のほうを見ると、どうやらその音源は勾玉のようだ。まるでスマホのそれのように、光を点滅させながらけたたましく音を出している。

 それを手に取るとピタリと音が止む。もう訳が分からない。これもまだ夢の続きなのか。俺はそのまま目を閉じた。

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