第1話 憧れの天寺さん
「ご来館ありがとうございました~」
「
受け付けカウンターごしに、退館する今日の最終客を見送ると、俺は先輩の天寺さんに呼ばれた。
「
「これ、棚の一番上に置いて欲しいの。高いから私届かなくて、ごめんねぇ」
「お安い御用です!」
天寺さんに頼まれ、言われた書類を棚に戻す。
「ありがとう。さすが男の子、頼りになるねぇ」
「いえいえ、いつでも頼ってください!」
「あ、そろそろ上がりの時間だね。一緒に控室行こっか」
「はい、上がりましょう」
正面玄関の鍵を閉めて、俺たちは事務室からバックヤードに移動する。
ここでバイトを始めて半年になるが、この天寺さんは俺の一つ年上でバイト歴も一年先輩。小柄で童顔なので、よく高校生に間違われる。下手をすると中学生にも見える。ただ、人当たりが良く面倒見もいいので、俺にとっては頼れるお姉さん。と、同時に密かに憧れている女性だ。
大学生としての新しい生活が落ち着き始めた頃、俺は小遣い稼ぎにバイトを探そうとしていた。
自分で言うのもなんだが、人見知りの激しい性格な為、学校ではまだ友人と呼べる存在はいなかった。その日もいつも通り学食で、一人寂しく求人情報誌を広げながら飯を食っていた。
そのとき「今どき紙媒体でバイト探してるなんて化石みたいだね」とか笑って話しかけてきたのが天寺さんだった。最初こそ小馬鹿にされてるのではと思いもしたが、なにしろ俺史上、面識のない女性に話しかけられるなんて、駅でおばさんに道を聞かれて以来の快挙だった。
あぁ、察しの通り俺は彼女いない歴=年齢の童貞君だ。そのときもかなりドギマギしたのを覚えている。むしろ細かい話の中身は全然頭に残っていないけど。ただそこで、彼女に「おじいちゃんが館長をしているから」と、このバイトを紹介されたのだった。
そして、こともあろうかそのとき俺は彼女に告白し、あっけなく撃沈している。
これは不幸だったとしか言えない。女に全く免疫のない俺にとって、年上の彼女はとても色っぽく見えた。さらに自分から話しかけるなんて、当時の俺には少なくとも逆ナン以外の何物でもなかった。そう、あまりの経験のなさが招いた不幸なのだ。
ところが不幸中の幸いと言うべきか、彼女は学食で俺に話しかけたことは覚えていない様子。もちろん、告白のことも。そうでなければ、俺が今ここにいるはずがない。
まぁ、覚えてないとは言え、それはそれで考え物でもある。リベンジのチャンスも伺っていたがバイトを始めて半年、結局なんの進展もないまま時間だけが過ぎたな。やはり一度失敗していると、余計に慎重になってしまう。
はぁ、このまま俺の大学ぼっち生活は続くのだろうか……。
「どうしたの?」
控室で俺がそんなことを考えながらため息をつくと、天寺さんが心配そうに俺を見る。
天寺さんにしても、そもそも彼氏がいるのかどうかさえ知らない。聞く勇気がないから。
「熱はないみたいね」
考え込んで天寺さんに返事をしていなかったのを余計に心配したのか、自身のおでこを俺に額に当てて熱を計る。
「は、はい。ぜ、全然平気、元気ですよ!」
余りの距離の近さに動揺した俺は、明らかにキョドってしまった。
「あはは、山根君焦ってるぅ? 顔が真っ赤だよ? 意識させちゃったかなぁ?」
そう言いながら俺に手鏡を向けて、自分の顔が赤く染まっているのを確かめさせる。
鏡と言っても大昔の銅鏡みたいなもので、今のもののように綺麗に映るものではない。不便だろうとは思うが、彼女は相当な考古学オタクなのでこういうのが大好きなのだろう。
「い、いえ……はい」
そんな解像度でも自分の赤面具合は分かってしまう。俺の反応を楽しむ天寺さん。そしてそれに返す俺の言葉は絶望的。
「ごめんごめん。山根君の反応かわいくて、ついカマっちゃった」
やばい。そんなこと言うから、意識して目を合わせられなくなったじゃないか……。
「あっ、そうだ早く帰らないと」
「何か予定あるんですか?」
急に帰りを急ぐ天寺さんを見て、俺も少し冷静を取り戻す。
「ううん、予定じゃないんだけど。最近物騒でしょ?」
「あぁ確かに。猟奇殺人とか失踪事件とか――」
「山根君ストップ! 余計怖くなっちゃうから」
「なんなら家まで送りますよ」
「大丈夫、自宅までは割と明るいから……と、言いたいとこだけど、頼めるかな?」
「もちろん! 喜んで!」
「ごめんね、ありがと」
あれ?
これは意外な展開になったぞ。言ってみるものだ。
実家ではあるが、聞いた話だとお父さんは警視庁務めで、特に昨今の事件で今は寮に缶詰状態。お母さんは残念ながら亡くなっている。つまりほぼ一人暮らしと言える。
一緒に天寺さんの家まで送る。すると、上がってお茶でも……って流れになる。
家の中に二人きり。何か間違いが起きても不思議ではない。これは……ついに、ついに来たのか⁉ 誕生日前日にして、十代のラストチャンスが!
そんな妄想をしながら、一緒に博物館を出ようとしたとき、
「おい山根! お前この荷物、ここに置いたままにする気じゃねぇだろうな?」
交代のシフトで警備にやってきた西川だ。先輩ではあるけど、やたら俺を目の敵にする嫌なやつだ。
普段は用務員をしている辰己さんと言う、およそ警備にふさわしくない細身のじいさんがやるのだが、その人が早出の日はこの西川が夜勤で警備をやっている。よりによって天寺さんと帰れるってとき、こいつに当たるとは。
「それって山根君の仕事じゃないでしょ? 備品管理は西川君の仕事じゃない」
天寺さんの優しい弁護が入る。
「黙ってろ、天寺! 山根さぁ、女に庇ってもらうなんて恥ずかしくねぇの?」
「べ、別に――」
「ったく情けねぇ奴だな。そんな女々しいようならヤキ入れちまうぞ? こののろまが」
俺の言葉を遮り西川が凄む。くそダサいヤンキーかぶれめ。でも悔しいが俺は奴の言うように根性なしの臆病者。喧嘩は苦手だ。
「分かりました。運んできますよ」
変にイキって、天寺さんの前で恥をかくよりはマシだ。
「すぐ備品室に運んできますね」
「あ、じゃあ私も――」
「一人ですぐ行ってきちゃいます。天寺さんはここで待っててください」
天寺さんは心配そうでありながらも、嬉しそうな表情に見えた。
控室に届いていたダンボールの山を荷台に乗せ、俺は灯りの落ちた館内で地下の備品室を目指す。
天寺さんに少しでも男らしいところを見せたいと発した台詞を、今さらながら後悔する。
夜の博物館ってこうもおどろおどろしいものなのか。消灯している館内を懐中電灯一本で歩いているのが、余計にそのムードを増幅させる。静寂の下、どんどんと頭の中は恐怖で埋め尽くされる。
そうだ、何か別のことを考えるんだ。
悔しいことに、真っ先に浮かんだのは西川の憎らしい顔だった。
あいつさえいなければ、今頃天寺さんと談笑しながら帰ってたのに。まぁ憎いのはあいつだけで、館長を始め職場の皆はいい人だし、何よりいつも天寺さんと一緒にいられるのは至福以外の何物でもない。
ざまぁみろ、お前がいくらパワハラしたところで、他全員のおかげで俺の幸福度はプラスだ。
と、自分でもよく分からない優越感に浸っているうちに、目的の備品室にたどり着いた。
ダンボール箱を全部降ろし廊下に出ると、奥の部屋に明かりが灯っているのに気付く。
あれ、電気なんか点いてたかな? ともかく、あれも消しておかないと、また西川に何を言われるか分からない。
その部屋の扉を開けると、信じられない景色が広がっていた。
どこまでも続く真っ白な空間の真ん中に、直視できないほど眩い光を放つ何かがある。
目を瞑ったまま、何が起きているのか理解しようとしたとき、男とも女とも分からぬ声が響く。
『キミに決めた』
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