第7話 救いの手?

 混沌とする意識の中、真っ暗だった視界に映像が出る。なんとも不思議な、まるでVRの画面越しのような解像度が映すのは、血まみれの地面と俺の左手だった。

 目線を上げると、今にも俺に向けて刃物のような左手を振り下ろそうとする天寺さんの姿がある。

 だが俺は目線など上げていない。全く動いてはいないのだ。

 なんだこれ、本当に俺が見ているのか? それとも、死ぬときってこういう風に、自分の最期が見れるものなのか?

 そう考えているうちに、彼女の刃は俺に対し勢いよく向かってきた。初めて「死」と言うものに直面し、それを理解しようとしたときだった。


「ぎぃぃぃぃ!」


 突然天寺さんの左手がはじけ飛ぶ。無数の棘のようなものが彼女の体を貫く。唖然としながら俺は、その棘の出所を探った。

 その棘の主は意外にも、俺の体の目の前にいた。いつの間に? 分からない。でも、確かにそこにいる。まるで俺を庇うように。

 棘、いや針なのか? とにかく無数の細いものに貫かれた天寺さんは、その場に倒れ込んだ。彼女を襲った、というより俺を救った? その人物は俺の体の前に陣取ったまま顔だけこちらに向ける。

 不思議なことにそこだけぼんやりして、はっきりと姿が確認できない。理由は分からないが、そこにいるのはちゃんと感じるし、なぜだか目線までも分かる。俺と同じ目線の高さだ。あれ? 俺、倒れているはずだよな?


「山根ちゃん、見てるんでしょ?」


 「見てる」と、その人物はまるで画面ごしに俺に話しかけてきた、ような気がした。だとすると、この状況を理解しているのか? いや、その前にこの特徴的な話し方って。


「マ、マスター?」

「ちょっとどうなるか不安だけど、そうも言ってられないからさ」

「え、ちょっと、天寺さんは⁉ まさか、マスターが⁉」

「ちょっくら失礼するよ」


 天寺さんはどうなったのか。自分のことよりも、本心からそっちのほうが気になる。

 彼女を襲ったのはマスターなのか? 俺を救うためだとしても、彼女が犠牲になることだけは……。

 そんな俺の問いかけを無視したまま、マスターは俺の左手を掴み、それを血だらけの腹部に当てる。


『契約成立』


 マスターでも天寺さんでもない。まるで頭の中で響くような声だ。

 すると俺の体は眩い光に包まれる。

 なにこれ、昇天するのか? パトラッシュ的なあれか?

 もともとこの状況に理解の追いついていない俺は、いよいよ自分の言葉にも理解が及ばなくなってきた。

 俺の体は包まれた光の中、どういう訳か腹部の傷口がみるみる塞がっていく。そして俺のその体は起き上がる。あれ、やっぱり。起き上がろうと思ってもいない。俺の意に関係なく、体が動いている?


「くぁ~、危なかったな。間一髪だぜ。もうちょい遅けりゃ、さすがの俺様だって死んだかもしれねぇ」


 俺は開口一番、そんなことを言う。俺の体なのに俺の言葉じゃない。でもこの声も聞き覚えがある。


「お前、誰なんだよ⁉」


 俺は自分の体に向かって叫ぶ。正確に言うと、言葉には出せている訳ではない。


「あぁ? お前が呼んだんじゃねぇのか?」


 心の声は届くようで、体の土を払いながら、いぶかし気に言う。


「こいつは面白そうなメアだね。山根ちゃん、大丈夫。天寺ちゃんは眠ってるだけだよ」


 やっと俺の問いに答える。と、同時にぼやけたその姿は次第に鮮明になってくる。思った通り、マスターその人だ。彼の言葉を信じるなら、天寺さんは無事だ。根拠はないが、今は信じるほかないし、その言葉は俺に妙な安心感を与えた。

 しかしながら依然として飲み込めない現状について、更に問いかけようとしたとき、俺はものすごい違和感を覚える。あれ、なんだっけかな……。


「うお、びっくりした! って急に、何だよお前⁉」

「何言ってるの。俺はずっとここに居たってば」


 違和感の正体を考えていると、俺の体は目の前のマスターに気付き、驚いたようだ。自分の体とマスターのやり取りを、俺はぼけっと見ている。どうやら理解できていないのは、またもや俺だけみたいだ。


「ちょっと待ってよ、俺の体……俺、どうなっちゃうの? 全く何がどうなってるのか分からないんだけど」

「はぁ? お前なんも覚えてないのかよ? こんなやつに俺様は下手こいたってのかよ、ちくしょう!」

「まぁなんだ、今の山根ちゃんの体は……これが君のメアだよ」

「俺の?」

「あぁ。感染してるって言ったでしょ? あっと……そろそろ時間切れだ」

「時間?」

「ちょっと久々に無理しちゃったからね。あとは……天寺ちゃん、に……銅……よろ……お……み」


 途切れ途切れになった言葉を最後に、マスターの胴体は消えて頭だけに戻った。

 そうだ! 違和感の正体はこれだ! マスターは首だけだったはずなのに……。

 分からないまま、そのまま頭部は地面に転がる。目は閉じたままで全く動かない。

 マスターだけでない。天寺さんにしても本当に無事でいてくれているのか、深刻な状態なのか。マスターが天寺さんを殺すはずはないと信じるが、確認のしようがない。

 それだけでない。最初に俺を襲った女性にしても、情報が渋滞しすぎている。

 いずれにしても、まずは自分の体を動かさないと。そこに目を戻すと、俺の体は歩き出している。


「ちょっと、どこに行くんだよ?」

「ん? せっかく自由に動けるんだ。そこらへんの人間を狩ってみるに決まってるだろ」

「……はぁ⁉」


 何言い出してるんだこいつ……ってか、俺。さっきの傷を治したことと言い、このメアってのは超人的な力があるのかもしれない。とにかく止めないと。


「やめろよ! なんで人間を狩るんだよ⁉」

「なんで? あれ、なんでだ?」

「いいから俺の体を返せよ!」

「ったくいちいちうるせぇな。さてはお前あれか。俺様を戻す方法を知らねえのか」

「なんだよ、それ」

「ははぁん。しくったと思ったが、結果オーライだな。悪いがこの体は俺様が好きに使わせてもらうぜ」

「勝手なこと言うな! 返せよ!」

「返せと言われて返すバカがいるか⁉ 俺様が賢かったのがお前の運の尽きよ」


 こいつ、もしかしてオツム弱いんじゃないか?


「賢い? 体の戻し方も知らないくせに?」

「バカか! 俺様が知らないはずないだろうが!」


 あれ、いけるかもしれない。


「じゃあ言ってみろよ」

「いいか、俺様を呼ぶのも戻すのも簡単だ。この左手の『神器』って言ってたか? これを擦ればいいんだよ。こんな風にな! どうだ⁉」


 そう言って俺の体は右手で勾玉を擦る。


「ちょ、しまっ――」


 俺の視界は真っ暗になり、目を開けると自分の体は戻っていた。一時はどうなることかと思ったけど、マジであいつがバカで助かった。


 ほどなく、静寂の公園にサイレン音が近付いてくる。さっきの俺の電話で場所を特定したのだろう。それがパトカーなら俺は助かる。

 あれ? 俺はもう危険から脱してるぞ。それにもし警官が来たらこの状況をどう説明するんだ? 女性がその男性を食べていた、と? そしてその女性は異形の腕を持った別の女性に刺されたと?

 それはさすがに信じてもらえないだろう。それに俺の服、血だらけじゃないか。逆に俺が捕まるんじゃないか? 生首も転がってるし……。

 迫りくるサイレンの音と周囲の状況から、俺の心は徐々に焦りの感情に支配されていく。

 逃げようとも思ったが、どうせ電話番号は割れてる。

 言い訳など考えるが、なにもまとまらないままパトカーは到着する。いよいよ警官が公園内に入ってこようというとき、その入り口に大きなつむじ風が起こる。


「なんだこれ、入れないぞ」


 警官の声が聞こえる。どうやらその風によって、園内に入れないようだ。

 更に驚くことに、そのつむじ風の中から誰かがこっちに歩み寄ってきた。


「ここ……大丈夫……任せて……」


 特徴的な助詞の抜けた話し方。街灯に照らされたその顔は、よく見知った人。辰己プロだった。

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