第39話 瘴気とアンデッド(1)

 茂みをかき分けながら、ベルたちが飛ぶように逃げてきた。


「お、おい。大丈夫か」僕は慌てて、ベルたちの元へ行く。

 内心、しおりさんの追求から逃れるチャンスだと、不心得なことを考えながら。

 まあ、ベルたちが心配なのは本心だけど。


 ロベルトの話に聞き飽きたベルたちは、いたずらっ子よろしくとばかりに、勝手に黒の森の奥へと進んでしまったようだ。

「あのわんぱく小僧ども、勝手に行きやがって」

 舌打ちするロベルト。

 幾ら鼻が利くとは言え、子供だけで黒の森は危険な場所だ。


 飛んで逃げてきたベルたち。

 ロベルトに気づくと、サッと彼の後ろに回りこんだ。


「まったくよ。勝手に進むなとあれほど言ったのによ。

 で、何があったんだ?」

 ロベルトは怒った仕草をしているが、内心では安堵したようだ。

 ぶっきらぼうな言葉使いとは裏腹に、目は怒ってはいない。


 ベルたちは一様に鼻を押さえていて苦しそうだ。

 少し涙目になりながら、ロベルトに言う。

「鼻がもげるんら」「逃げるべさ」

「うう、おいちゃ。こんな森とっとと逃げるんら」


「逃げる? 何かヤバイ奴が出たのか」ロベルトの顔が真剣になる。

「そうら、とっとと逃げるんら。早く」と、急かすベル。

「敵の足は速いのか? 参ったな……」 

 ロベルトはチラリとピラッチョを見やる。

 既に荷物を積んでおり、速度はそれほど出そうに無い。


「ピラッチョに無理させて、潰れたらかなわん。

 此処で足止めしたいんだが……」

「荷物は置いてくんら」「早う逃げるべさ」「そうら。早う、早う」とまくしたてるベルたち。

「わ、分かった。逃げよう」

 ロベルトはナイフを取り出し、積みを縛るロープに手を掛けようとしたその時、急にピラッチョが騒ぎ出した。

「わわっ。もう来たんら」と、慄くベル。


「う」

 僕にも分かる。強烈な匂いが漂ってきた。

「森から三つの反応有り」と、緊張した声のしおりさん。

「まさか、さっきの傭兵たちか」

 ベルたちは、そいつらに追われていたのか。

 僕は、紫電のレイピアの柄に手を添えた。



 黒い靄が、森からあふれ出してきた。

 ソレは、どんよりと昏く、薄気味悪い。

 ソレから逃れるように現れた人影が三つ。


「これは……」

 瘴気だ。

 初めて見るが、知識としては持っている。

 千年前の大魔王の呪い。

 人間が源泉を浴びると、身体が腐りただれ落ちる猛毒と同じなのだと。


「瘴気、ですね」

 しおりさんの声音を一段落とした。瘴気に警戒しているようだ。

 先ほどまで不機嫌さは影を潜め、仕事モードになってくれた。

 おちゃらけた所もあるが、自分の役目は忘れない。

 しおりさんは仕事の出来る女なのだ。

「吸っても大丈夫なのかい?」

「マスターならば、源泉を浴びなければ大丈夫です。

 髭ダルマも、それなりの対策は取っているでしょう。

 でなければ、黒の森に入ることは無いでしょう。

 最も頭の中まで、筋肉で出来ているのならば、話は違ってきますけれど」

「そうなんだ」これぐらいの瘴気ならば、大丈夫みたいだ。


「ならば、ベルたちを怯えさせたヤツが問題か」

 僕はチラリとロベルトの方を見やる。

 彼はピラッチョを大人しくさせることに手間取っている。

 ベルたちも苦しそうに鼻を押さえている。

 今すぐ退却するのは厳しそうだ。



 風で四散する瘴気。幸いさほど濃いものでは無かったようだ。

「良かった。それほど濃い瘴気じゃなかったんだ」

「……それはどうでしょうか。アレらを見てもそう思いますか?」

 

 僕たちが警戒する中、三つの影が、段々と姿を現し出す。

 人間のようだが、どこかおかしい。

 強い突風が吹いた。残された薄い瘴気が飛ばされる。

 人影はどのような状態なのかはっきり分かった。


「う」僕は思わず口元を押さえた。えずいたのだ。

 人影の正体。それは人間と呼べるモノでは無かった。


 一体は、身体は二回りは膨れており、来ていた衣服が破けている。

 金属の胸当てや小手、それにすね当ては肉に埋まっている。

 もう一体は、手足のバランスは大きく狂っていて、相撲取りの身体に小学生の手足みたいだ。風船に水道水を無理矢理詰め込んだみたいで、今にも破裂しそうである。

 残る一体は、利き腕が不自然なほどに膨張していて、引きずりながら歩いてきた。


「……瘴気の源泉を浴びたようですね」しおりさんがボソリと呟いた。

「……ああ。理解したよ」

 知識としては、瘴気を浴びれば死ぬことは知っている。

 だが、どういう過程でそうなるのかを、見るのは初めてだった。

 バイオハザードのグロテスクバージョンみたいだ。


「流石にあれは気の毒だ」

 強烈な腐臭を放つ腐肉の塊。人生の終わり、なれの果てがああでは、同情を誘う。

 幾ら悪党でも、あれはないだろう。

 僕はしおりさんを見やる。


「いいえ。もう手遅れです。既に死人、動く死体・アンデッドなのですよ」

 僕が治せるかどうかを訊く前に、しおりさんは断言した。

「今、あの者たちは、輪廻転生の枠の外にいます。

 死んでいますが、死んではいない状態です。

 この世に、ああなってまで捕らわれてしまう、呪いの枷を断ち切り、女神様の元へ送り届けることが、一番の供養となるでしょう」

「この世に捕らわれてしまう、か……」


 呪いによって、生と死の循環が狂ったのだ。

 それを破壊するには、彼らを物理的にもう一度死なせる必要があるということか……。

「そうか。戦うしかないんだね」

 思いもよらなかった、違う考え方だ。


「流石はしおりさんだ。お姉さんだよ」

 と、しみじみと言うと。

「お姉さん」ピクンと反応した。

「ん?」

「出来ればもう一度!」

「んん。……お姉さん?」

「フフフ。良い響きですね」と照れている。

「……」

 どういう意味合いで捕らえたのか、イマイチ分からない。

 だけど、しおりさんは上機嫌となったので、追求することは止めておこう。


「さてと……」一つ咳払いをした。

 こうなったら、死ぬことでしか、彼らが助かる道は無いようである。

 これ以上苦しまないように、紫電のレイピアで一息に屠ってやろう。


 先ず、一番手前、腕を引きずっているアンデッドに狙いを定める。

 レイピアの切っ先を向け、魔力を注ぐ。

 コイツは右腕が異常に肥大している。

 今にも腕が「もげそう」だ。



「ぐっ。こいつは拙いっ、逃げるぞ!」

 ロベルトはそう言うと、慌てて僕の肩を揺さぶる。


「え?」僕は何事かと、ロベルトを見やる。

 今ので攻撃を仕掛けるタイミングを失ってしまったのだ。

「ボサッとすんな。早く逃げるぞ。アレを喰らったら拙いんだ」

「わ、分かったよ」一言、文句を言ってやろうかと思ったが、必死のロベルトを見て、言葉を飲み込んだ。

 仕方ない。ロベルトに習って後方へ下がろうとする。


 だが、それよりも早く、元傭兵の右腕は、ボトリと地面に落ちた。

 紫色の腐肉が周囲に飛び散る。

 そして……。


「な、何だこの臭いは!」

 強烈な腐臭が襲いかかる。

 僕は堪らず袖口で鼻を押さえた。


「あのアンデッドの肉の臭いだ。

 瘴気の臭いと混じり合ってるんだ。えげつない臭いだろう?」


「あ、ああ」僕は少し涙目になりながら、アンデッドを見た。

 アイツらから二百メートルは離れているだろうに、この臭いだ。

 直接触らなくても、近くに居るだけで臭いが移るレベルである。

 ベルたちが、逃げ出すのも無理は無い。

 あの子たちの嗅覚は人間よりも遙かに優れているのだろう。もしかしたら犬並かもしれない。

(なるほど、ベルたちが逃げ出したのは、これが理由か。

 あ、でも……)

 この強烈な臭い、ベルたちは平気ではないはずだ。


「おい、ベル。大丈夫……」

 僕はベルたちの方を見やる。

「&&@@@」「****」ベルたちは、鼻を押さえてのたうち回る。

 大丈夫で無いのは、一目瞭然だ。

 嗅覚に優れるこの子たちにとって、この臭いは、とんでもない凶器である。


 更に、隣の水ぶくれの大男も、様子が変である。

 今にも破裂してもおかしくない。

(アイツまでもが破裂したら大変だぞ)

 ここまで腐肉が飛んで来ないのに、この臭いだ。

 先ほど「落ちた」右腕とは比べようもないほど肥大した身体。

 それがはじけ飛ぶのだ。

 恐らく「色々なモノ」が此処まで飛んでくるだろう。

 ベルたち、ピラッチョたちの、混乱は収まらない。

 今から攻撃しても、色々なことが間に合いそうにない。


「マスター、皆さん方。わたしの後ろへ」しおりさんは結界を強化した。

「むむ。全力で行きますよ」

 みんなを柔らかな光が包む。

 少し臭気が弱まった気がする。

 ベルたちも少しだが、落ち着いてきた。

「おおっ」一同、しおりさんを見る目がさっきまでとはまるで違う。


 その間にも、腐肉の塊はドンドン膨張していき、ついに……

 ボッと、爆弾が破裂したような音がした。

 次の瞬間には、散弾銃の弾丸のようなモノが、周囲に飛散した。

 ビチャチャと、僕たちの真正面まで、紫色の腐肉が飛んできた。

 だが、しおりさんの結界により、腐肉が身体に付着することは無かった。


「ふむ。もう大丈夫ですね」

 しおりさんが身体をブルンと震わせると、結界の外側にへばり付いていた腐肉は、ボトボトと地面に落ちた。


 腐肉から発せられる強烈な臭気。

 真面に浴びたなら、風呂に入ったくらいでは、落とせないほどの臭いが付くだろう。

 しおりさんのお陰で、腐臭を放つ肉片を浴びるという惨事は免れた。

 彼女が放つ風の魔法が、周囲に散った腐肉を吹き飛ばす。

 これで臭気は随分とマシになったのだ。


「本の姉ちゃ、助かったんらっ。あんがと」と、ベルは尻尾を振り回す。

 ゴボルトのチビたちも何度も頭を下げる。

「ああ、助かった。マジで助かった。もう少しで宿屋から出禁を喰らう所だった」

 あまり馬の合わないロベルトも、しおりさんに礼を述べる。

「え。そうでしょうか」と少し照れたように身体(本)を左右にしならせた。

「流石はアーティファクト。頼りになりますね」とクラーク。


 ロベルトたちは、ある意味拷問並の罰ゲームから救われたことで、しおりさんを大いに賞賛している。


「しおりさんは、流石だね。いつも助けてもらって有り難う」

 と僕も賞賛する。

 これは本心からだ。基本、グロに耐性はあまりない。

「ええ。そうですとも、そうでしょうとも。わたしはマスターの懐刀。

 わたしもマスターたちのお役に立てて嬉しいですよ」

 と、ひっくり返りそうな体勢だ。

 しおりさんは、すこぶる機嫌が良い。

 ……少し機嫌が良すぎるかもしれない。

 調子に乗っている、と言えば又機嫌を損ねるので、それは言えない。


「さてと……」ここから仕切り直しだ。

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