第17話 暗殺者の最後
「大丈夫ですか」
「ああ。どうにか、ね」
「その傷は」表紙には細かい切り傷が多数ある。赤い毛の狼と激戦を繰り広げていたのは間違いない。
「大丈夫なのかい」
「わたしは大丈夫です。それよりも、今はマスターの怪我の治療が先です。
とはいっても、わたしの魔力も残り少ないのですが……」
「応急手当で構わない。今よりも動けるならばそれで良いから」
「了解しました」
しおりさんが優しい光を放つ。回復魔法だ。
「応急手当で済みません。休憩する時間さえあれば、わたしの魔力も回復するのですが……」
「ああ、大丈夫さ。痛みも取れたから、平気だよ」
傷口が塞がっただけだが、血は止まっている。鈍い痛みがあるが、我慢できる範囲である。ただ左腕は動かせない。
しおりさんの回復魔法には今まで随分と助けられた。文句は言えない。
「マスターと二人であいつを挟み撃ちにしましょう」
「ああ、了解……?」
しおりさんの動きがおかしい。フラフラしている。口調は変わらないが、怪我の状態は深刻なようだ。
「そんな身体で戦うつもりなのか。無茶だ」
「無茶でも、戦わなくてはいけないのです。それに、わたしには奥の手がありますから」
しおりさんの口調から、強い意志を感じる。
その奥の手は何か剣呑なものを感じる。
「待って。自爆なんてさせないぞ」
「……」
図星だったようだ。
「マスターはこのような場所で死んではいけない方なのです。皇帝となり、帝国を発展させ、人々を導いていく使命を持った方なのです。わたしの魂の値打ちとは比較になりませんから」
「そんなに僕を評価してくれているんだ。ありがとう。
だけど……。
僕があいつに殺されるとは決まってはいないよ」
「ですが、現状を分析するならば、勝敗はハッキリしています。九割方マスターは負けますよ?」
「ああ。そうだろうね」
だけど、僕はこんな所では死ねない。いや死なない。
こんな所で、あんなヤツに勝てないようじゃイグナートなんかに勝てる道理もない。
だから戦う」
「言っていることがムチャクチャです」
「しおりさんは無茶するつもりだったんだろう」
「まだするつもりです」
「君は僕の導き手なんだろう? 勝手に死なれては僕はこれから何処へ行けば良いんだい? 頼りにしているんだから」
「マスター……」
乙女ゲーだか何だか知らないが、勝手に皇太子なんかに生まれ変わり、両親は既に亡く、命は狙われる。
守りたいものも出来たが、抗う力はサッパリない。
そんな時見つけのが、このお喋りな相棒だ。
彼女がいれば、きっとどうにかなる。そんな希望を見いだせる大切な存在。
こんな所で見殺しになんぞ出来はしない。
「だったら僕も一緒に無茶をしよう。作戦があるんだから」
しおりさんは死ぬ覚悟を決めていた。ならば僕も相棒として、彼女の心意気に答えてやりたい。
九割方負けるというならば、一割は勝てるということだ。
「一割あればどうにかするさ」
何度も高熱をだしてうなされ、暗殺に怯えて諦観していたあの頃よりも、今の状況の方が余程好ましいと思われた。
自分の力で、どうにかなるかもしれない。それが僕の心に勇気を生み出す。
心の中に、誰かが話しかけてきた。つい先ほど、窮地に陥った時に彼らは話しかけてきたのだ。
それがハッキリと聞こえたのだ。
『マスターの心意気、いたく感じ入りました』
「え」見るとマントが光っている
『わたしはマント、幻影のアーティファクト』
『わたしはブーツ、縮地のアーティファクト』
『わたしはロープ、緊縛のアーティファクト』
『私はレイピア、紫電のアーティファクトです。
我らの声に応えていただき、祝着至極に存じます。以後お見知りおきを」
「……みんなの声が聞こえる」いや、前から話しかけてきていたのだろう。単に僕が聞き取れなかっただけで。
アーティファクトは己の意思で主を選ぶ。それはアーティファクトだけでなく、主となる人間にも感じ取れる資質が必要なのだろう。
「さあて、君たちの力も借りなきゃな」
『マスターの御心のままに』
「僕たちは行くぞ」
「止めても無駄のようですね」しおりさんはため息をつく。
ボウッと彼女の身体が光、追加の治癒魔法をかけてくれた。身体が軽くなったのを感じた。
「これがわたしに出来る最後の治癒魔法です」
「え、しおりさん」
「大丈夫です。死ぬわけではなりません
これより緊急睡眠を取り、自己修復機能を優先します
……では、後ほどお会いしましょう」
「ああ。ぐっすりと眠っていてくれ」
覆面の男は逃げなかった。僕を仕留めるのはここしかないと考えているのだろう。
何としても魔女の館には行かせたくないようだ。
「悪運の強い野郎だ」
男は忌々しそうに呟いた。
覆面をかぶり、地味な深緑マント。その下には、同系色の装束を着ている。その出で立ちは忍者を連想させた。
覆面は目元だけ覗かせていて、鋭い目で僕を睨んでいる。
男が握る大ぶりのナイフは、少し湾曲している。鉈のように分厚い刃。ククリだ。
先ほどとは違い、それを二本、両手に握りしめている。
赤黒い刀身からは、得体の知れない雰囲気を感じる。
男の周囲に転がる狼の大量の死体を見て、何かロクでもない儀式をしていたことが窺える。
それと、男の周囲に浮かぶ八つの球体。これと二本目のククリが、男の切り札なのだろう。
男は僕を仕留める準備を終えていたようだ。
「あいつは切り札を使った。だが、こちらも同じだ」
体力温存のため。僕は先に動かない。ゆっくりと紫電のレイピアを構える。
覆面の男から放たれた八つの球体。魔法の爆弾だった。先行する二つが僕の手前で炸裂。炎が周囲を燃やすが、防御結界を破るほどの威力はない。
ただ、炎によって視界が妨げられた。
その間、生き残った狼たちが突撃してきた。
残りの爆弾も僕を襲う。
狼たちは、燃えさかる炎もお構いなしに突っ込む。半数は爆弾の巻き添えを食らい、残りが僕の間近に迫る。
幻影のマントが揺らぐ。
僕そっくりの影。そこへ生き残りが殺到する。
狼たちが僕の影を襲うことに夢中の間に裏を取り、紫電のレイピアで一掃する。
覆面の男は狼たちを捨て駒にして間合いを詰めていた。
「二度も食らうか!」僕はレイピアで迎撃の態勢。
「どうかな」男は二本のククリを身構える。
薄紫の光と深紅の光が衝突。
先ほどとは違い、威力は相殺されてしまった。
男がハイジャンプ。狙うは僕の首。
男の顔が、間近に迫る。血走った瞳がギラギラと輝くのが見て取れた。
僕は縮地のアーティファクトの力を発動。
空中を踏みしめ、襲い来るククリの刃を躱す。その後、覆面の男の裏を取る。
僕は紫電のレイピアに魔力を込めた。
薄紫の光をまとった一撃が覆面の男の胸元に迫る。
「くっ」
覆面の男はとっさに右手のククリを突き出す。
三度、紫電のレイピアとナイフが衝突。
ついに紫電のレイピアが打ち勝つ。覆面の男の右腕を肩の付け根から消し飛ばす。
「貴様も道連れだっ」
覆面の男は僕の左側に回る。
負傷した左腕は動かせない。力の入らない左腕はグニャリと揺れる。
男は、脇の下を狙う。そこはマントで覆われた場所ではない。
その軌道は、肋骨を切り裂き、心臓まで到達するだろう。
当たればの話だけれど。
マントの下に忍ばせておいた緊縛のアーティファクトが発動。
まず男の左手を縛り付け、腕をへし折った。
「ぐあ」更に胴体も絡みつき締め上げる。
男の重要箇所を守っていた防御結界を砕く。
「うがああ」男は身動きできないまま、五メートル下まで落下した。
ドチャッ。物体が地面に叩き付ける音がする。
「ぐ、え」それが覆面の男が発した最後の言葉であった。
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