第八章

第34話

 聖闘技祭せいとうぎさい最終日の夜。白詰草宮殿の大広間では盛大な宴が開かれていた。

 吹き抜けの天井には、豪奢なシャンデリアが吊るされ、華やかなドレスに身を包んだ女性や、聖闘技祭せいとうぎさいに出た騎士たちを値踏みする貴族を照らし出す。

 王室に専属でいるシェフの料理が並び、賑やかなピアノやヴァイオリンの音楽が流れる中、イアンは一人で困り果てていた。

 「おめでとうイアン君! オメガの最高位クラウンなんて初めて聞いたぞ!」

 「そうそう! 本当に素晴らしい戦いで……ぜひうちで働かないかい? 君は見た目もいいし……」

 「あ、えっと……!」

 公爵位と侯爵位の貴族から申し出を受けて早数分。どう断ろう……と思考をめぐらせても、いい案が思い浮かばない。イアンは大広間に入ってからずっとこんな調子だった。

 代わる代わる知らない貴族や、高位の要人に話しかけられる。とうとう断りきれなさそうな公爵まで出てきて、頭を悩ませていたとき、後ろから肩をぐいっと引っ張られた。

 「イアンは私の近衛騎士だが……お二人はご存知なかったか?」

 身も凍るような極寒の声音に、目の前の貴族は顔を強張らせる。

 「あ、ロ、ロイ様……」

 イアンはほっと安堵する。ロイは、第三王子の美麗に大群で押し寄せた淑女たちを、どうにかかわしてきたらしい。目を吊り上げたまま、「私たちは国王様へ挨拶しに行かなければならない。これで失礼する」と言って、イアンの腕を引っ張ってくれた。

 「あ、ありがとう」

 「どいつもこいつも……お前はもっと警戒しろ!」

 周りに聞こえないように囁きながら、現王のいる前まで大広間を突っ切る。何人か声をかけたそうにイアンを見る気配がしたが、ロイの気迫に話しかける者などいない。おかげでイアンとロイは、あっという間に現王と正妻の前へたどり着いた。

 「国王様、こちら我が近衛騎士イアン・エバンズです」

 ロイの声かけに、現王と正妻は見向きもしない。他の貴族との話を続けたままで、まるで存在していないかのような扱いに、悲しいというより、怖くなった。イアンは心が凍てつくような思いをしたが、ロイはさして気にした様子もなく、続いてレオのところへ向かう。

 「君がロイの近衛騎士か。いつも弟を一人で守ってくれて感謝する」

 「あ、いえ、そんな……もったいなきお言葉、誠にありがとうございます」

 ノアと同じ容貌だが、短く切られた髪から覗く目つきは鋭い。噂では厳格な性格だと聞いたため、イアンは労われたことに驚いた。

 「ロイにはもっと護衛も使用人も増やせと言っているんだが……」

 隣でロイが顔をしかめる。

 「ただの研究職にそんな大人数いらないんだろ」

 「お前は王族だ。もっと上に立つ物としての自覚を持て。じゃないと下にいる者が苦労するんだ!」

 全くの正論に、イアンは心の中で大きく頷く。他にロイに仕える人間がいれば、イアンもジャックも仕事が減る。ロイのそばにいれるのは嬉しいとしても、自分が体調不良で動けないときに、もう一人いてくれたら……と思うことは多々あった。

 それと同時に、イアンの中で、レオの印象が変わる。第一印象は怖くとも、話せば配下思いのいい上官だ。ロイは 「あいつは短気だ。話が通じない」と言っていたが、それはロイの主観による偽りだということを知った。

 「まぁまぁ、それよりも今日はイアンの活躍ぶりですよ。まさかセオドアに勝つとはなぁ!」

 レオの後ろに立っていた最高位近衛騎士ロイヤルナイト・オブ・クラウンのアーロが、兄弟喧嘩を止めるように口を挟む。

 「そうだ。今日は非常に素晴らしい戦いだった。それで……君の着ていた服が気になったんだが、あれはどういう素材なんだ?」

【それは私もとても気になりました】

 耳慣れない外国語ににイアンが後ろを振り向くと、そこにはイアンより頭一つ高い虎耳の男が立っていた。きっと来賓室にいたアッバス帝国の外務大臣だろう。その隣にいるこれまた高身長の男は、グレーの長髪に狼のような耳を持っている。

 「私もあなたが着ていた素材が気になる、とファイサルは申しております」

 狼耳の男がファイサルの言語を訳す。イアンはその言葉に、自分がちゃんと研究室の成果を広報できたことを悟る。

 (諸外国にまで気になっていただけたなんて……! きっと研究室のみんなも喜ぶだろうなぁ……!)

 イアンは嬉しさのあまり、よかったね! とロイに言ってしまいそうになるのを、慌てて飲み込む。隣でロイは研究者の顔つきで、レオとファイサルに、イアンが着ていた服の素材を説明していた。

 「……今回の素材は我が国の魔花まか金剛綿ダイヤ・コットン』を細い糸状に紡いで編んだものです。剣が掠れた程度なら切れないですし、多少力を跳ね返すこともできます。今はまだ予算が足りず、試作段階なのは残念ですが」

 ロイは新素材の説明をしながら、最後の方はレオを見て言う。文官の仕事をしているレオはロイの発言の意図を汲み取ったのだろう。

 「……そういう話なら、今度時間を設けよう。詳しく聞きたい」

 と真剣な口調が返ってきた。

 「もし資金が足りないとのことでしたら、アッバスも協力できないか掛け合ってみましょう」

 狼耳が興奮するファイサルの言葉を訳す。ファイサルはその横でイアンの手を握ると、

 【それにしても君の戦う姿は素晴らしかった!】

 とアッバス語で話し、ぱあっと晴れるような笑顔を向けた。

 【ぜひ、この国が住みにくくなったら、アッバスに来るといい】

 イアンには何を言っているのか理解できなかったが、とりあえず笑顔を向ける。するとファイサルがイアンの手に顔を近づけ——

 【彼は私の近衛騎士です。アッバスには行かないでしょう】

 ファイサルの唇がイアンの手の甲に触れる前に、ロイがイアンの腕を引っ張った。イアンはロイがファイサルを睨みつけるので、何か失礼なことを言っていないかとハラハラする。

 【おお! あなたはアッバス語が話せるのですね! でしたらあなたも一緒に我が国へ来ませんか? 研究施設を整えて、お待ちしておりますよ】

 ロイの牽制に気づいているのかいないのか、ファイサルは人懐っこい笑顔を浮かべると、ロイの手を取りキスをした。ロイはぞわぁっと体を震わせてばっと手を引く。

 (これがアッバス流の挨拶……! もしアッバスの行く機会があればやってみよう!)

 異文化の風習をイアンはきらきらした目で見ていたが、ロイは顔をげんなりさせて

 「イアン、俺は一旦手を洗ってくる」

 と言ってどこかに行ってしまった。

 「レオ様、ファイサルがあなたと交易についてお話ししたいと」

 「ああ、私もアッバスの軍事協定について話をしたかったんだ」

 レオとファイサルは何か大事な要件があるようなので、イアンは「では私はこれで失礼させていただきます」と言って、その場を離れる。

 ロイが戻ってきてからノア様に挨拶しにいけばいいか……と大広間を彷徨いていたら、どこからともなく貴族たちが現れた。

 「君が今年最高位クラウンを授与したイアン・エバンズ君かな?」

 「もしよろしければ私の家の専属に……」

 「とても綺麗な衣装だった。オメガで番がいないのならぜひ……」

 自己紹介も早々に、圧の強い貴族に囲まれあたふたする。イアンは元から社交界は得意じゃない。本音と建前の駆け引きは難しすぎて、どれが失礼にあたるか地雷を探るような気持ちになるからだ。

 「私は第三王子の近衛騎士なので……」の文言だけでイアンが乗り切ろうとしていたとき、また後ろから肩を引っ張られた。

 「あ、ロイ……」

 「やあ、イアン君。今日の戦いは素晴らしかったね」

 柔和な笑みに、イアンは求めていた人物と違うことに気づく。

 「ノ、ノア様……!」

 第二王子の登場に、イアンの血の気がさぁと引いた。時を同じくして、イアンに群がっていた貴族たちもはけていく。

 (そんな! ちょっと持って! ノア様と二人きりになるなら、まだ誰かしらいてくれたほうが……!)

 しかし彼らにイアンの心中なんて察せるわけもなく、どんどんと離れていく。しまいには、ノアとイアン以外誰もいなくなってしまった。

 「セオドアがひどく悔しがってて……ここにはこないって言うんだ」

 「そ、そうなんですか」

 ふふっと笑うノアの目に、冷たい核のようなものを感じ、イアンは背筋が凍った。第二王子の——しかも騎士団長の——近衛騎士に勝ってしまったのだ。ノアがイアンに対していい気分なわけがない。

 イアンが胃がキリキリするような思いで立っていると、ノアはロイがいないことが気になったのか

 「そういえばロイは?」と聞いてきた。

 意外にも、その口ぶりに怒りはない。変わらず目の奥には冷たさがあったが、聖闘技祭せいとうぎさいの試合内容に文句を言うつもりはないようだ。なんにせよ、イアンは詰められることは無さそうだと判断し、

 「あ、今は手を洗いに行ってるかと……」

 と少し緊張を解いたとき、ノアの発言に再び体が固まった。

 「そっか、もうそろそろ抑制剤を飲む時間か」

 「……え?」

 どうしてノアが抑制剤を飲むタイミングを知っているのだろう。ロイはノアとは特に仲が悪いし、抑制剤について話すとは思えなかった。

 ふと、そのとき、イアンはなぜノアをロイと間違えたのだろうと思った。先ほどロイに肩を引っ張られたからだろうか? いやでも他に——

 「僕からは……匂いがしない?」

 ノアの意味深な笑顔から、イアンは目が離せない。心臓が、嫌な脈を打ち始める。

 (レオもアーロもここにいるアルファらしき貴族からも……甘い匂いがしっかりしていた。今だって、大広間にはフェロモンの香りがそこはかとなく漂っている……だけど……)

 ノアの言う通り、近距離にいる彼からは——アルファの匂いがしなかった。

 「な、なんで……」

 そこで一つ、イアンは思い出した。騎士団長室で、ノアと聖闘技祭せいとうぎさいの話をしたときに感じた違和感を。どうして今まで気づかなかったんだろう。あのときノアは、ロイに用紙を渡すために近くに来た。でも甘い匂いが、ちゃんとしていただろうか……? 

 「も、もしかして抑制剤を飲んでるんですか?」

 だとしたら、ある可能性が出てくる。騎士団本部で唯一香りを嗅いだことないアルファの香り。その正体は、イアンが近衛騎士をやめたかった理由であり、今さら知りたくない存在。

 ——お願いだ。飲んでないと言って。

 しかしイアンの願いは儚く散る。

 「気になるの? そうだよね……僕が抑制剤を飲んでいたら、あの日騎士団本部の修練場倉庫で出会った運命の番かもしれないもんね」

 心臓が止まった気がした。はっと短い息を吐くことしかできない。

 ジャックとロイとあの人しか知らないはずの事実を、ノアは知っている。ということは、ノアは紛れもなく、あの謎の人物であるということ。

 (う、嘘だ……ノア様が……俺の運命の番……!?)

 けれどノアだったら、全てのことに説明がついた。イアンを離宮に送ってから一度も会いにこないのも。すぐに番にしなかったのも。騎士団長としての立場があるノアなら……たとえ運命の番だとしても、一介の騎士であるイアンを番にはしないだろう。

 (い、嫌だ……! 今さら現れないでほしい……!)

 甘ったるい香りと身体が焼けそうな熱が、イアンの脳裏を掠める。番を得たいと思ったきっかけは、運命の番と出会ったおかげだ。けれど今は心に決めた人がいる。フェロモンで無理やり番にされるのだけは、死んでも嫌だった。

 「ノ、ノア様が……運命の番……なんですか?」

 イアンが震える声を絞り出すと、嫌悪の表情をノアは浮かべる。

 「……その前に聞かせてよ。君はほんとうにオメガ?」

 「え?」

 突然投げかけられた質問の意図が、イアンにはつかめない。

 「今日の戦い見てて思ったんだけど……ベータに戻る薬を飲んだんじゃないの?」

 「な、なんのことですか……?」

 「そっか……君も誤魔化すわけだ。そうだよね……そんな薬あったら困っちゃうもんね」

 わけがわからない。イアンはそんなことより、運命の番かどうか。自分にオメガとしての生き方を与えたあの人かどうか。そのことについて答えてほしかった。

 「ノ、ノア様……」

 イアンはノアの腕をつかみ、切実な目を向ける。ノアはその様子を冷めた目で返し

 「ま、君の運命の番にでも聞くよ……」

 と言って強引に腕を振り払った。

 ——君の運命の番……? 

 混乱をきわめたイアンの前で、ノアはある場所に視線を向ける。イアンはその先を目で追うと、ちょうど麗しい主人が帰ってくるところで……

 ドクンッ。

 「えっ……」

 鼻腔を突く甘い香りが、一気に熱を生み出した。

 「——っ!?」

 どくどくと全身に血が周り、自分でもフェロモンを発しているのがわかる。おかしな動きをする体を抑えようとイアンはしゃがみ込んだが、カタカタと手が震え始めたのを見て驚愕した。

 (発情してる……!)

 香りを嗅いだだけで、発情期になるのはどう考えてもこの世に一人しかい。涙で歪み始めた視界に、焦ったルビーの瞳を捉える。

 (ど、どうして……君が……!)

 目があったら余計にだめになった。ぶわっと熱くなる体に、涙がこぼれる。

 「なっ! お前っ!」

 匂いが濃くなる気配に、イアンは運命の番が近づいてくるのを察知した。荒くなる息遣い。止まらないオメガのフェロモン。大広間の貴族たちも異変に気づき始める。

 「ねぇ、この匂い……どうしてこんな香りがするの!」

 「ああ、絶対そうだ。くそっ卑しい香りめ!」

 「あの人、抑制剤を飲んでないの!? あり得ないわ!」

 (ち、違います……! 抑制剤は飲んでいるんです……!)

 震える手で抑えるイアンの口からは、どれも発することはできない。

 「イアン、立てっ!!」

 目が眩むようなフェロモンを出し、腕をつかむ人物を、イアンは見上げる。

 「ロ、ロイ、君が……君が……」

 「くそっ! ちゃんと飲んだはずなのに……!」

 力が入らず立ち上がれないイアンを、ロイは怖い顔で睨む。

 「ど、どうして……」

 「お願いだ、立ってくれ。じゃないとお前が抑制剤を飲んでいない非常識なやつだと思われる!」

 イアンだってできるなら立ち上がりたい。しかしいくら力を入れようとしても、ロイから香るフェロモンが阻害する。

 「だ、だめだ……た、立てない」

 ロイは美しい顔を歪ませると、イアンの腹をがっとつかんだ。

 「あっ!」

 「なるべく息を止めてろ!」

 何をするのかと思えば、ロイは動けない自分を無理やり立ち上がらせ、そのまま肩に担ぐ。一気にフェロモンの香りが強くなって、イアンはびくっと体が暴れそうになった。

 「……はっ」

 脳みそが溶けそうになりながら外に連れ出され、止まっていた馬車へ詰め込まれた。てっきりロイも乗って行くのかと思えば、

 「離宮までつれてけ!」

 と御者に叫び扉を閉めてしまう。

 「ま、まって!」

 止めたくてもこの体では無力だった。御者はロイの剣幕にびびってそのまま走らせる。

 イアンはぐずぐずした頭で、なんで、どうして、と思考を掻き回すが、体は運命の番と繋がることに一直線で、考えたくてもうねる熱に邪魔をされる。頭の混乱がまとまらないまま離宮につくと、玄関前に馬が一頭いた。

 (きっとロイだ……! 抑制剤を取りにここへ戻ってきたんだ!)

 イアンは重い体を引きずって、ロイの私室がある二階へと足を運ぶ。扉を開け中に入ると、「入るなっ!」とロイがただならぬ様相でこちらを振り返った。

 「ねぇ、ロイ、もしかして、もしかして君があの日であった……」

 「違う、違う……俺は、俺はこんな風にお前に……伝えるはずじゃ……」

 ロイは俯いて虚空につぶやく。イアンの声は届いていないようだった。

 「な、何を言って……?」

 「また……また俺のフェロモンのせいだ……俺のフェロモンのせいで、全てを台無しに……」

 「そんな、君のせいじゃ……」

 「俺のせいなんだよ!」

 苦しみにあえぐ激昂に、空気がびりっと張り詰めた。

 「全部、全部俺のせいだ。お前がオメガになったのだって……今日の晴れ舞台で、お前に恥をかかせたのだって……全部俺のフェロモンのせいだ!」

 「そ、そんなこと」

 「お前が思ってなくてもこれが事実なんだ! お願いだ。俺の頭がおかしくなる前に早く出て行ってくれ!」

 ロイは顔を覆って、ふーっと長い息を吐く。手の隙間から覗くまなこには欲情がうずまいていて、イアンは無いはずの子宮がぎゅっとした。

 「い、嫌だ」

 「……襲われたいのか」

 ぎろりと睨まれる。

 襲われたいかなんてわからない。けれどここで話合わなかったら、ロイにはもう二度と会えない気がした。

 「……俺。君が好きなんだ」

 綺麗な紅玉の瞳が見開く。

 「俺、君と過ごして」

 「嘘だ」

 心臓がどくっとする。魔花まかを茎から折ったような。それほどに、怖い声。

 「ど、どうして」

 話を聞いてくれないのという言葉は、急激に近づいたロイの動きに封じられた。

 「あのときのことを思い出せ」

 「ちょ、ちょっと!」

 ロイはまたイアンを担ぐと、ベッドの上に押し倒す。

 両手を上で押さえつけられ「痛いっ!」と訴えてもロイは力を弱めない。

 「あの日お前は『なんで……どうして……』って怯えてた。恐怖に震える目で!」

 むせかえるような甘い匂いと、抗えないアルファの性に記憶がフラッシュバックする。

 「俺はお前に恐怖を植え付けた。心の傷を負わせた張本人だ。そんなやつをお前が好きになるわけない! そんなの……そんなのフェロモンが見せる幻覚だ!」

 初めて経験するフェロモンの熱。繋がりたいという欲望。押し倒す謎の人物の赤い虹彩。

 それでも一番強く感じるのは、イアンが運命の番を探すきっかけ。あの日与えられた、心を満たす甘い蜜。

 「ロ、ロイ、君は勘違いを」

 「勘違いはお前だ! 俺が……俺がどんな思いでお前のことを見てきたか知らないくせに!」

 跡になりそうなほど強く握られた手に、イアンはうめき声が漏れる。

 「い、痛いっ」

 「お前からオメガの匂いがしたとき、俺がなんて思ったと思う?……『やっとお前を俺の物にできる』……そう思ったんだよ」

 「そ、それってどういう……あっぁ!」

 聞きたいことは山ほどあるのに、ロイの膝が意地悪に股下を刺激したせいで、意識が飛びそうになる。

 「俺はずっと、ベータのときからお前が欲しかった。だってそうだろう? 前だけが俺を大事に扱ってくれるんだ。お前だけが、俺を見てくれた。そんなの……欲しくなるに決まってる」

 「そ、そんな」

 イアンは衝撃の告白に言葉が出ない。ロイが。あのロイが。ずっと自分を好きだったなんて。そんな片鱗は一度だって無かった。いつも研究に熱心で、自分のことなんてどうでもいいのだろうと思っていたのに。

 「お前と手を繋いで逃げる度、動悸がうるさくなったのは随分前だ。性の衝動が掻き立てられたのだって、一度や二度じゃない。俺は……俺はずっとお前をそういう目で見ていたんだ……ただ、こんな風に伝えるつもりは……」

 ロイの頬を一筋の涙が流れる。拭ってあげたい。痛ましい顔をしないでほしい。イアンは締め付けられる胸の苦しみに、過呼吸になりそうになる。

 「な、なら言ってくれれば……」

 「言ったところで、何が変わる? それに、冷遇されている第三王子に思いを寄せられたって……お前がかわいそうだ……」

 「か、かわいそうって!」

 お願いだ。ロイがそんなことを言わないでくれ。自分に『かわいそうだと勝手に決めつけるのは、知識の無い馬鹿だ』って教えてくれたのは、他ならぬロイじゃないか——!

 イアンは叫びたい気持ちを押さえ込み、冷静にロイに語りかける。

 「ロイ。ちゃんと話し合おう。そしたらきっと……」

 しかしロイは聞く耳を持たず、ポケットから液体の入った小瓶を取り出す。

 「これは抑制剤じゃない……気絶薬だ。お前はこれを飲んで寝てろ。俺はその間に大学に抑制剤を取りに行ってくる」

 「なっ! なんで話を聞いてくれないの!?」

 イアンは頭を振って必死に抵抗した。

 まだ話し合いは終わっていない。それにロイは勘違いをしている。このまま意識を失うわけにはいかなかった。

 「くそっ……! 言うことを聞いてくれ!」

 「やだっ! 君と話たい!」

 「フェロモンで惑わされたお前の話なんて聞きたくない!!」

 耳が割れる叫喚のあと、ロイは液体を自分で飲み始めた。

 「な、なにして……! んっ」

 ロイは小瓶を投げ捨てイアンの顎をつかむ。開いた口にロイの舌が侵入してきて、ぬるい液体が流しこまれた。

 蹂躙するような荒々しさは最初だけで、イアンが液体を飲み込んだのがわかると、優しく慈しむようなキスになる。

 「んっ……ふっ」

 液体が無くなってもロイはしばらく離れない。

 イアンの体に力が抜けきったのを感じると、名残惜しそうに唇を重ねて離れていった。

 「ロ、ロイ……」

 「……お前は寝てろ」

 イアンは目を開けていられなくなる。なんとか起きあがろうとしたが、沈んでいく意識には抗えられなかった。

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