第33話

 その後のイアンの活躍は凄まじかった。

 聖闘技祭せいとうぎさいはトーナメント戦。一回でも負けたら次の機会は無いのだが、どの試合も一瞬で終わってしまう。

 「なんだあいつは」

 「本当にオメガなのか」

 「一回も怪我してないぞ」

 イアンは会場を騒然とさせるだけさせて、初日の日程を終えた。

 二日目も大して変わらず、着々と決勝へと駒を進めていく。新素材の布は目立った活躍する場面を与えられないまま、イアンは最終日を迎えた。

 「とうとう、お前と私だけになったな」

 初日とは打って変わって、控室には二人しかいない。負けた人間はすぐ帰らされる。静かな空間は、勝者のみが知る特権だった。

 「そうだね、セオドア」

 イアンは整備していたレイピアを鞘に戻し、第二王子の近衛騎士に返事をする。

 重そうな鎧を身にまとった彼は、眼光鋭くイアンを睨む。しかしその目には、初めて会ったときの蔑みは無い。

 「お前の試合を見た。まさかオメガがあそこまで動けるとはな……俺はお前がオメガだろうと手は抜かない。覚悟しておけ」

 イアンは目を見張る。

 (俺はアルファの騎士が、本気になる相手なのか……)

 近衛騎士は無理だと諦めていた体が、アルファの騎士に認められる。それは数週間前なら想像もできなかったことだ。

 紺瑠璃花ネイビー・ラピスラズリの日陰のように、オメガの体は自分の輝ける場所になるかもしれない。イアンの中で、ぶれていた紺瑠璃花ネイビー・ラピスラズリが、ぐっと重なった気がした。

 「うん……俺も、負けるつもりはないよ」

 「ああ。俺もだ」

 試合の始まる鐘が鳴る。お互い何も言わずに、反対の出口へと歩いていった。






 「東入場口から入りますのは、第二王子ノア・ガーテリア様の近衛騎士、セオドア・トーマス!」

 最高位騎士ナイト・オブ・クラウンが決まる決勝戦。会場は異様な盛り上がりを見せていた。

 イアンはその様子を西入場口から見守る。

 「西入場口から入りますのは、第三王子ロイ・ガーテリア様の近衛騎士、イアン・エバンズ!」

 土埃が舞う闘技場に足を踏み入れる。

 華奢な体を不安がる声は初日で消えた。明らかな能力差を心配する者はもういない。

 ——オメガの騎士が、アルファに勝てるのか

 観客に本気でそう思わせるほど、イアンはこれまでの試合で実力を見せつけていた。

 「騎士の名のもと、恥じぬ戦いを繰り広げよ」

 何度も聞いたアーロの文言は、これで最後だ。イアンは大きく息を吸い、レイピアを構えた。

 「それでは……始めっ!!」

 セオドアは他の騎士とは違い、すぐには攻めて来ない。イアンも相手の力量がどんなものかわかるまで、迂闊には動けなかった。お互いじりじりと睨み合いが続くなか、先に仕掛けたのはセオドアだった。

 「はぁああ!」

 重そうな剣を凄まじい速さで動かし、イアン目がけて振り下ろす。

 間一髪避けた剣は、地面に深く刺さっている。相当重い打撃なのは一目瞭然だった。

 「逃げるなっ!」

 セオドアはすぐに剣を地面から抜き、重さを感じさせないスピードで切り込んでくる。イアンは必死にかわしながら、冷静に頭を働かせた。

 ——アルファの恵まれた筋力による早い剣捌き。

 セオドアの強みはそこだろう。しかしイアンは他の試合を見て感じていたが、セオドアは速さに頼りすぎている部分がある。もし速さだけなら、勝機は十分にあった。もう一つの問題は固い鎧の方だ。どうしたらあの鎧の先に剣が届くだろうか……とイアンが思考に集中したとき、会場から囁く声が聞こえた。

 「あいつ避けてばっかりだよな」

 「あれは騎士としてだめよね……」

 (避けれるのも、ここまでかな……)

 『騎士の名のもと、恥じぬ戦いを繰り広げよ』

 卑怯な手は使えないのが、騎士の戦い。強い腕力で敵の剣を弾き、正々堂々立ち向かう。ただ勝てばいいわけではないのが、聖闘技祭せいとうぎさいの難しいところだった。

 「はぁっ!」

 イアンは避けるのをやめ、セオドアの足元を狙う。セオドアはパワーとスピードがあるが、動きが単調だ。その合間をぬって鎧の防御が弱い足の関節部分を突こうとしたが、簡単に薙ぎ払われてしまう。

 「……!?」

 しかし、セオドアの動きが一瞬固まった。想像よりも軽い剣に驚いたのだろう。イアンはその隙を逃さず、新たにレイピアを突き刺した。

 オメガの短所は筋力がないところ。そこを補うように一番軽いレイピアを選んだ。その分衝撃は弱くなってしまうが、剣を振るう速さはベータのときより磨きがかかった。

 「くそっ!」

 思いの外攻められ、セオドアは焦ったようだ。無理やり腕を伸ばし、攻撃に転じる。また始まった一律な猛攻を、イアンは避けなかった。

 ——キンッ! 

 重いロングソードが、細いレイピアに当たる。加えられる圧力に抗えるわけもなく、イアンの剣はあっけなく押し込まれる。

 「何っ……!」

 それでもイアンは吹き飛ばされない。柔軟な体で力を受け流し、そのまま空いた脇腹を目掛けて腕を前に出す。硬質な鎧には少しの傷もつかなかったが、セオドアが息を詰めたのはわかった。

 「今のはどうやって……!」

 「教えてあげたいけど、そんな余裕ないかなっ!」

 離宮の庭でジャックと鍛錬した日々が頭の中で蘇る。

 『騎士の戦いというものは、剣を受けなければ卑怯と見なされるでしょう。しかしイアンさんがまともに受けてしまったら、確実に吹き飛ばされてしまいます』

 しっかりと現実を見据えた目で、ジャックはイアンに語りかける。

 『ですから相手の力を受け流し、利用しましょう。今の柔らかい体だからこそできる、新しい技です』

 何度もジャックと剣を交えて練習した新しい戦い方。つい押し返そうとしてしまうのを直すのは大変だったが、聖闘技祭せいとうぎさいまでには間に合った。

 セオドアの矢継ぎ早に向かってくる剣を、受けては流し、受けては流し、隙を狙ってレイピアを振るう。

 お互い一歩も引けを取らない戦いを繰り広げる中、観客たちはある違和感に気づき始めた。 

 「にしてもオメガのほうは傷ひとつないよな……?」

 「ああ、何度か当たってるはずだけど……」

 実際セオドアの剣は、数回イアンの肌を掠めている。しかし、イアンの服は綺麗なまま。一回も傷はついていなかった。

 「お前、その服ただの飾りじゃないなっ!」

 セオドアは攻撃がうまく入らないことに苛立っている。冷静さを欠いた動きはよりワンパターンになった。

 「……っ!」

 研究室のために、イアンは何か言い返したかった。けれど重い剣を受け流すので、精一杯だ。額に汗を浮かべながら、イアンは体力の限界が近いことを悟る。

 長期戦になるほどイアンのほうが不利。息が弾んでいるのがばれないように一旦距離をとるが、セオドアはすでに迫ってきている。

 (次が最後の勝負だ……)

 イアンは全神経を集中させ、レイピアを構え直す。セオドアの単調な繰り返し攻撃により、この後の手は容易に読めた。

 勝ち筋はある。

 気合いを入れるようにはぁと息を吐くと、想定通りセオドアが上段に構えて向かってきた。

 斜め上から迫り来るロングソード。そこにレイピアを添え、小手先でくるりと回す。

 力の流れを横へずらし、体勢を崩した瞬間足の関節を狙い——

 「——ッ!」

 鋭い剣先が鎧の中の皮膚を掠め、セオドアが盛大に倒れる。

 イアンは横たわったセオドアの喉元に、レイピアを突きつけた。

 「はぁ、はぁ……」

 観客も、審判のアーロも、誰も何も言わない。

 張り詰めた空気を切り裂いたのは、来賓室から聞こえてくる、一人の大きな拍手。

 「しょ、勝者、イアン・エバンズ!!」

 拍手の音ではっと正気に戻ったアーロが、声高々に叫ぶ。やっと事態を飲み込めた観客は、大きな波のように歓声を上げた。

 イアンはレイピアをしまい、最初に拍手をした人物を見上げる。

 来賓室で唯一立ち上がり、こちらを見つめる麗しい主人の姿。

 弧を描いていた唇が『よくやった』と動いたのが、遠目でもわかった。

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