第32話

 「……はぁ」

 ロイは足も腕も組み、不遜な態度で試合を見ていた。

 「ロイ、そんな格好で見てたらレオに怒られるよ?」

 ノアの言うことはもっともだった。現に遠くの方から、レオの刺々しい視線が送られている。しかしつまらないものはつまらなかった。

 ロイからすれば、イアン以外は鉄の塊がぶつかっているようにしか見えない。そんなものを見ている暇があるなら、研究室で新しい実験をした方がましに思えた。

 (なんでこんな思いをしないといけないんだ……!)

 あまりにも無駄な時間に苛立ちがピークに達しかけたとき、求めていたアナウンスが入る。

 「西入場口から入りますのは、宮廷騎士隊所属、第三王子ロイ・ガーテリア様の近衛騎士、イアン・エバンズ!」

 左から鎧を着ずに軍服のまま入ってきた騎士に、会場は戸惑いの声に満ちる。ロイは椅子に座り直し、食い入るように姿勢を前のめりにした。その様子に、左隣にいるノアが笑う。

 「ははっ、ロイはイアン君が大好きなんだね」

 「ああ」

 ロイが素っ気なく答えたのが癇に障ったのか、ノアは

 「女の子みたいにか弱いから?」

 と馬鹿にするように聞いてきた。

 ロイは完全に無視したが、内心こいつは本当に騎士団長なのかと疑った。

 たしかに、遠目でわかるぐらい、イアンは線が細い。相手の鎧が大きすぎるのもあるが、比べると半分ぐらいしかないように見えた。

 観覧席の民衆も、これからの戦いを楽しむより、凄惨なことにならないか心配するざわめきだ。

 しかしよく見ると、肩はしっかり張っているし、歩く軸もぶれていない。女性のように柔らかな手はどこにも無く、凛々しくぴんと伸ばした背筋は鍛錬の賜物だ。

 そんなことも観察できずによく騎士団長なんて務まるな、とロイが呆れていたら、後ろから鼻で笑う声が聞こえた。

 【第二王子は馬鹿だな。こんなやつが軍部トップなら、魔花まかはアッバスのものだ】

 特殊部隊の内の一人だ。別の獣人種もははっと笑って同意してる。

 【あいつは強いぞ。ま、人間種なんてたかが知れてるけどな】

 ロイは彼らがガーテリア語が理解できることに驚いた。それと同時に、大変気分が良くなる。

 自分の近衛騎士が誉められるのは純粋に嬉しい。それも武力が優れている獣人種が認めるのだ。イアンは余程の実力者ということになる。だからロイは、褒めてくれた彼らに、心優しく忠告することにした。

 【たしかにノアは馬鹿だ。俺の近衛騎士は強い……お前らはいい目を持っているようだな】

 後ろを振り返り、狐と黒ヒョウの耳を持つ獣人種にアッバス語で語りかける。

 彼らは卑しい笑い方をやめ、ヒュッと体を固くした。

 【ただ、口はそうでも無いようだな】

 今度はこっちが鼻で笑って返してやる。彼らの額には、玉のような汗が滲んでいた。

 ノアが隣で「なんて言ったの?」と聞いてくるので、ロイは前に向きなおり「お前が優秀な指揮官だと教えてやった」と出まかせを口にした。ノアはそれを聞くと、満足げに椅子にふんぞり返る。

 少しは勉強した方がいいんじゃないか、とロイはわざわざ言わない。

 それよりも目の前の試合が大事だ。今まで針のむしろみたいな場所を我慢していたのは、このときのためなのだから。

 「降参、もしくは戦闘不能と判断した場合、即試合終了とする」

 今回の聖闘技祭せいとうぎさいの審判であるアーロが、イアンを心配して改めてルールを説明する。

 禿げかけの髪と口髭がトレードマークの彼は、レオの最高位近衛騎士ロイヤルナイト・オブ・クラウンだ。わざわざそんな説明をしなくてもいいのに、とロイは思うが、イアンは素直に頷いた。

 「それでは準備を」

 アーロの指示で相手が兜を被る。イアンはもちろん兜なんてかぶらない。代わりに軍服の上着に手をかけたかと思うと、ばっと上着を剥ぎ、高らかに放り投げた。

 「おおっ!!」

 会場の観客が、軍服の下からあらわれた純白の輝きに目を奪われる。

 「あぁ……くそっ」

 ロイはその様子に、うめき声をあげた。

 仕立てをオリヴァーに任せたのが、全ての間違いだった。

 『僕の実家ならいい感じにしてくれると思う!』

 という言葉を信じて——実際冷遇されている自分より、オリヴァーの実家の方が優秀な使用人がいる——布の裁断から裁縫まで全部を預けたのだが……

 結論から言うと、いい感じに

 『今年は極東のアイテムを流行らせたいらしよ?』

 と言うオリヴァーの言葉通り、全体的に竜宮連邦国の要素が組み込まれており、それが凛とした佇まいのイアンに恐ろしく合う。

 首元まで覆う金剛綿ダイヤ・コットンが織り込まれた布地。右肩あたりに組紐のようなボタン。袖に凝らされた紺青と金の繊細な刺繍は、龍と魔花まかの刺繍が施してあり、まるで異国から来た艶麗な王子だ。

 「ねぇ、あの服いいわね」

 「とってもデザインが素晴らしいわ」

 うっとりとしたような観客に、ロイは心の中で頭を抱える。

 (イアンが着ているからよく見えるんだ……!)

 無駄な肉がない引き締まった腹筋。細いけれど盛り上がりを感じる腕。精巧な肉体美によって完成されているのであり、逆にそれがわかってしまうタイトなデザインに、ロイはテイラー貿易会社を恨んだ。

 (それになんだあの軍服を投げる演出は……!)

 慣れた手つきで脱ぐ姿はひどく様になっており、ただでさえ人を魅了する姿なのに、これ以上悩殺してどうするつもりなのだろう。絶対にイアン一人では思いつかないパフォーマンスに、オリヴァーかそこら辺の研究員が入れ知恵したのだと、ロイは推察した。

 ぎりぎりと歯軋りしながらロイはイアンを睨む。しかし本人がそのことに気づくわけもなく、イアンは左手を背中に回しレイピアを構えた。

 「準備ができたようだな。騎士の名のもと、恥じぬ戦いを繰り広げよ」

 アーロが右手を上にあげる。

 「それでは……始めっ!!」

 開始の合図と共に、相手の騎士が真正面から突っ込んだ。

 ロイはまばたきもできない。相手が弱すぎて、一瞬で終わってしまうのが明白だから。

 鉄の鎧がイアンと交差する。

 カンッ——

 短い金属音のあと、息を止めたような静寂が会場を包んだ。

 少しの間を置き、相手が地面に倒れる。

 「——し、試合終了! 勝者、イアン・エバンズ!」

 焦ったようなアーロの声に、わぁああと最高潮に盛り上がる歓声。

 イアンはふっと息を吐き、上品な動作でレイピアを鞘へしまった。

 会場の中で一番熱い視線を送っていたのがばれてしまったのか、イアンはロイに気づくと、笑顔を浮かべる。

 その愛しい近衛騎士に軽く手を上げながら、ロイは初めて、王室に所属していることを感謝した。イアンの活躍を一番いい席で見られるのだから。

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