第31話

 開会式が終わり、試合が始まった闘技場の地下。汗とむさ苦しい空気が充満する控室には、様々な思惑が渦巻いていた。

 ガーテリア王国騎士団は第二王子ノア騎士団長を筆頭に、大小100近い騎士隊で構成されている。しかし常に宮廷にいるのは宮廷騎士隊のみ。そのほとんどが主要都市や他国との境界線警備に回されている。そのため四年に一度行われる聖闘技祭せいとうぎさいは、配置転換を願う騎士にとっては絶好の機会だ。

 上級貴族に気に入られ、専属で雇ってもらいたい者。辺境地域から王都へ移動したい者。憧れの宮廷騎士隊に配属を願う者。

 全員に共通しているのは、他の誰よりも活躍したいという野心。今は楽しく談笑していても、試合前の興奮した気配は隠しきれていなかった。

 そんなぎらついた騎士たちの目線は、密かに一人の人物へと注がれている。

 「はぁ、心臓に悪かった……」

 がやがやとうるさい控室の片隅で、イアンは一人顔を覆う。

 なんとなく見られている気配はするが、そんなことはどうだってよかった。

 「うぅ、かっこよかったなぁ……」

 イアンは先ほどまで一緒にいたロイの姿を思い浮かべる。

 公式行事のために綺麗にまとめられた黒髪。大きな肩幅に似合う重厚なマント。袖や襟につけられた金の刺繍は一国の王のような風格を醸し出していた。節くれだった指や黒髪から覗く耳につけられた装飾品も、全てがロイの持つ素材の良さを最大限引き出していて、息を呑むのを忘れるぐらい美しかった。

 「あんなに見られたら、誰でも好きになっちゃうよ……」

 まだ心臓がどきどきしていた。なぜあの美しい風貌で、公式行事に出ないのだろう。もし自分があの容姿を持っていたら、喜んで出るのに……とイアンは考えていた。

 そんな試合とは全く関係のないことを考えているイアンの前に、大きな影が落とされる。

 「やぁ、久しぶりイアン。お前が出るなんて知らなかったよ」

 「……久しぶりだね」

 とイアンは言ったが、正直目の前の大柄な男が誰だか覚えていなかった。必死に男の見た目から情報を集めても、プレートアーマーの胸元につけられた『十八番』という数字が、最初の対戦相手だということしか判断できない。

 「俺ら同期の中でアルファを差し置き、お前が一番に騎士になったのにな。まさか変人王子の護衛配属とはさすがに運が尽きたと思ったが……そんな体になっちまって。まだ不幸は続いてたようだな」

 下卑た笑い方に、イアンはロイの正装で浮かれていた頭を切り替える。

 「あー、でもこの体になったこと、不幸だとは思ってないよ」

 自然と出た言葉は、諦念からくるものでは無かった。

 オメガの体でも動けると言ってくれた人がいる。この体を生かした戦い方を教えてくれた人がいる。与えられた性を本当の意味で受け入れられるようになったから、出てきた言葉だった。

 「ふっ、無理して強がんなよ。そんなひょろい体で守られる王子がかわいそうだぜ」

 控室にいる騎士たちが話をやめ、聞き耳を立てる気配がする。

 イアンはなんて反応しようか迷った。怒った方がいいのだろうか。けれど彼の言っていることは本当のこと。なら正直に、受け答えするのがいい気がした。

 「俺もそう思うんだよね。でも辞職は聞き入れてもらえなくて……」

 面食らった顔をする十八番に、イアンは続けて

 「ごめん、ところで君誰だっけ……? ずっと考えてたんだけど、思い出せなくて……」

 と言った。

 どれも嘘偽りない純粋な言葉。しかし、大柄な男は小さな目を釣り上げ

 「お、おぼえて無いわけないだろ!? 俺だよ! 見習いのときの模擬戦で、お前から一本奪った!」

 と怒りで顔を真っ赤にする。

 「え、そ、そんなのいっぱいいるよ!」

 「は、はぁ!? お前あのときの模擬戦忘れたっていうのか!! 俺がお前の剣を弾いて……!!」

 「剣を弾いて……? 剣を弾いてだけじゃどれかわからないな……これでも模擬戦の内容はおぼえてるの方なんだけど……」

 そのときくすくすと『あいつイアン・エバンズに勝ったことあるって自慢してたよな』『でも見習いのときって……過去の栄光すぎね?』と囁く声が聞こえてきた。

 「お、お前……! わざとだろ!!」

 「え! な、なにが!?」

 一八番が掴みかかろうとしたとき、ちょうど試合終了のラッパが鳴る。

 「つ、次は俺たちじゃ無いかな? 準備しないと……」

 「くそっ! お前ただじゃ済まないからな」

 そう言って十八番は東入場口に近いほうから出て行った。イアンも反対出口から急いで出て、西入場口へ向かう。

 「はぁ……何だったんだ、今の人……」

 ちょっとしたトラブルに巻き込まれたが、イアンは深呼吸をして心を落ち着かせる。一歩一歩階段を登る度、歓声が近づいた。

 正直、オメガの体でどこまで戦えるのか……未知数だった。もしかしたら、すぐに倒されてしまうかもしれない。手も足も出なくて、吹き飛ばされる可能性だってある。

 さぁと不安な風が心に流れたとき、いつもの声が聞こえてきた。

 ——置かれた場所を嘆く暇があるのなら、凛と美しく咲くわ。

 そうだ。今更オメガの体を不安に思っても、試合に勝てるわけではない。それならジャックとの鍛錬の日々を思い出した方が、勝利に近づくだろう。

 きりっとイアンは前を向く。心に咲く彼女に、恥じない自分であるために。

 理想の姿を思い浮かべ、イアンは胸を張って入場した。

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