第27話
大学に到着したので、イアンは馬車に乗って離宮に戻ろうとしたら、「お前もこい」とロイに引き止められた。わけがわからないままついていくと、普通の教室ではない、円形に作られた部屋に通される。
入ってすぐに目に入るのは、全身が映るほどの大きな三面鏡。そちらに向くように猫足のソファが置いてあり、ロイが左側に座ったのでイアンも空いている右隣に座った。
「えっと、どうして俺をここに?」
「まぁ待て、もうすぐオリヴァーがやってくる」
ロイがちょうどそう言ったとき、鏡ごしにオリヴァーが扉を開けたのが見えた。
「やあ休みの日に申し訳ないね。今日採寸しないと裁断が間に合わなそうでさ」
「え、えっと……?」
「なぁオリヴァー、やっぱりその話は無しにしないか?」
話についていけないイアンをよそに、ロイは座ったままオリヴァーの意見に反対する。
「なんでよ! 学長とも話していいねってなったじゃん!」
「しかしだな……」
「そ、その、話って……」
鏡の左横にきたオリヴァーと、隣に座るロイを交互に見ながら、イアンは困惑気味に聞く。ロイは言いにくそうに頭をかくと、はぁとため息をついてから、
「お前にここの研究所で作った新しい
と言った。
「
「そうそう! イアン君に、
言いにくそうにしているロイに代わって、オリヴァーが説明をし始める。
「簡単に言うと、
「す、すごいじゃないですか!!」
盛り上がる二人に水を刺すように、ロイが口を挟む。
「でも普通の鎧に比べたら断然防御力は落ちる。それでイアンが
「え? でも、俺どっちにしろ鎧なんて着れないし……」
「それは、そうかもしれないが……」
ロイが心配してくれるのは有難い。けれど鎧なんて着たら、イアンは身動きが取れなくなってしまう。だからジャックとも話し、
「うんうん。僕もそうだと思ったんだよ! だからこそ君に着てほしいんだ!
「なるほど。宣伝も兼ねて……ということですか?」
「そうそう! どうかな……? 引き受けてくれるかな?」
オリヴァーはお願い、とでも言うように前で手を合わせる。イアンはどうするか一瞬考えたが、答えはすぐに決まった。
「ええ、ぜひやらせてください」
「本当!?」
「イアン……本当に良いのか?」
ロイの紅玉の瞳が不安に揺れる。イアンは無理していないことを伝えるため、
「俺、今まで研究室のためにできることは無いと思ってたけど……役に立てることがあるなら、ぜひやらせて欲しい」
と本音を話した。
「お前……」
「ま、初戦敗退になって、せっかく開発した布の凄さを宣伝する前に、終わっちゃうかもしれないけど……」
「いや、お前がそんな」
「あはは、イアン君に限ってはそんなことありえないよ」
否定しようとしたロイの言葉に重ねて、オリヴァーがないないと手を振る。
「えっ、でも……俺はオメガですよ?」
「たしかにそうだけど、イアン君みたいに分厚い剣ダコできてる人、僕他に見たことないよ?」
にこっと笑って、オリヴァーはイアンの手のひらを指す。そこには薄く黄色に変色した、固い皮膚が見えていた。
「だから絶対に初戦敗退はないね! ね、ロイもそう思うでしょ?」
「ああ。もちろんだ」
二人して頷く姿に、イアンは胸が熱くなる。オリヴァーは嘘は言わない。客観的に見ても努力していると認められ、また一つ、理想とする
「そうでしょうか……」
「うん! 絶対にそうだよ! だからちゃんとした服を着ていかなきゃ!」
オリヴァーはそう言うと、壁へ走っていく。よく見ると壁一面は戸棚になっていて、オリヴァーが一つ開けるとドレスや軍服、メイド服が中に入っているのが見えた。
「そういえばここって……」
「ああ、元はお城の衣装部屋らしいけど、今は演劇サークルだったかな? 多分そこら辺の子たちが使ってるんだよ」
オリヴァーが戸棚からメジャーを取り出しながら教えてくれる。実際に城として使われていたのは知っていたが、本当に城のときの名残があるなんて。イアンは少しだけ驚いた。
「じゃあ、イアン君は鏡の前に立ってくれる? ロイはソファを鏡から離して」
イアンはオリヴァーの指示通り立ち上がって鏡の前に立つ。第三王子をこき使えるのは、後にも先にもオリヴァーだけだろう。イアンは内心でオリヴァーを尊敬しながら、ロイが渋々ソファーを離すのを、鏡ごしに見ていた。
「じゃあ、まずは首から測ろう」
「はい。わかりました」
「じゃあ上を向いて……」
「おい」
オリヴァーがイアンの首にメジャーをかけたとき、ロイが眉間にシワを寄せて、凄みのある声を上げる。
「ん? どうしたの?」
「……別に測るのはお前じゃなくてもいいんだろう? 俺がやる」
「えっ」
ロイはオリヴァーからメジャーを奪い取ると、イアンの首にかけ直す。イアンは急激に近くなる距離に、心臓が口から出そうになった。
「オリヴァー、後は俺が測って持っていく。先に研究室に戻ってていいぞ」
「あ、本当? 正直研究で手いっぱいでさ! すごい助かるよ!」
「えっ!?」
……まさか二人きりで採寸するのだろうか?
「なんだ、嫌なのか?」
ロイがむすっとした表情をするので、イアンはぶんぶんと首を横にふった。
「そ、そうじゃないよ」
そうではないが、この距離に耐えられる自信はない。どうしようとパニック状態の間に、オリヴァーは「じゃあ、後は任せたよ〜」と部屋から出て行ってしまった。
「最初は首からだったな……」
ロイはイアンの首にメジャーを巻きつける。指先がごくりと動いた喉仏に当たった。
「ご、ごめん。汗くさいかも……」
「そうか?」
触れられるとわかっていれば、一旦シャワーを浴びてきたのに……とイアンは後悔するも、ロイは全く気にしていないようだ。じっと首に巻かれた数字を測るロイの顔は、長いまつ毛が一本一本わかるほど近く、緊張からか、イアンはじんわりと背中に汗をかいた。
「33cmか。細いな」
しゅるっとメジャーが首から離れ、イアンは詰めていた息を吐く。
顔を上げると鏡に顔を真っ赤にさせた自分がいるのが見え、余計に恥ずかしくなった。しかしロイはイアンの様子に気づいた素振りもなく、白衣のポケットから取り出した紙とペンで、淡々と測った数字を記していく。
「……して、悪いな」
「え? あ、ご、ごめん、な、なんて?」
早く顔の火照りが取れないかな……と考えていたら、ロイの言ったことを聞き逃してしまった。
ぱちと端正な顔がイアンに向き、「聞いてなかったのか?」とロイは眉をひそめる。
「お前を研究室のために利用して、悪いなって言ったんだ……嫌だったら今からでも間に合う」
「え? いや、俺はそんな風には思ってないよ……」
背中を向けるように言われ、顔が見えなくなることにイアンは安心する。左肩あたりから右肩へ、メジャーが渡る感覚がした。
「こんな俺でも……みんなのためにできることがあるなら嬉しい」
ぴたっと背中にあたる手が止まる。
「……こんな俺でもなんて言うな」
抱きつかれたかと思った。実際には脇からメジャーを通し腹に回しただけだったが、後ろから耳元に囁かれ、顔に熱が集まる。
「今回の案はオリヴァーが提案したんだ。絶対にイアンがいいって言って」
「え? オリヴァーさんが?」
胸囲と腹囲を測り終えたロイは、腕を伸ばすように指示を出す。
「ああ。鎧を着れないイアンだからこそ、この布の本領が発揮される。オメガで騎士のイアンにしか任せられないって。」
……番う以外に、オメガにできることがあったのか。
イアンは新しい発見に、目から鱗が落ちた。
ロイはその間にも、肩から肘、手首と点々とメジャーを繋げ、丹精に測る。その度に、イアンはこの体を必要とされている感覚に陥った。
「そっか……もう俺だけの
首筋のチョーカーを撫でる。指先で、優しく触れるように。無意識ではなかった。わざと布の質感を感じたかった。
「……やっぱり嫌か?」
肩を掴まれ、くるっと回される。
近距離にロイの整った顔が現れて、心臓が跳ねた。
「そ、そうじゃないよ。研究室の役に立てるのは嬉しいし……」
「本当にそうか? お前は何か我慢するとき、必ずチョーカーを触る」
「えっ」
首に触れていた手を優しく握られ、ゆっくりと離される。
「痛ましい自傷行為に、俺が気づいてないとでも思ったのか?」
イアンは初めて知る癖の正体に目を見開く。自分の癖が自傷行為だなんて、考えたこともなかった。
「そ、そうだったんだ……」
「そうだったんだ……って、お前自覚なかったのか?」
呆れるようなロイの言い方に、イアンはうん、と頷いた。
「自分のことなのに、全然気づかなかった……でも……」
「でも?」
イアンはロイに握られた手とは反対の手で、チョーカーを触る。つるっとした
(ロイもオリヴァーさんも、オメガの体に期待してくれている……)
そう思うと、惨めに感じたこともあったチョーカーが、誇らしいものに思えた。
「もう、前みたいには触らないと思う……このチョーカーも、この体も、今は大事なものだから」
ロイに握られた手を握り返す。知らず知らずのうちに不安にさせていたのなら、もう大丈夫だよと伝えたかった。
「そう……なのか……」
今度はロイの目が見開く番だった。「それはよかったな」程度かと思っていたが、想像よりも長く、ロイは固まっている。
「どうしたの? ロイ?」
「あ、いや、イアンにとって……この体が大事なものなら……なんでもいい」
ロイはパッと手を離し、目を伏せた。イアンは何のことかわからず、首を傾げる。
「ロイ、何かあるなら……」
「そういえば……
無理やり話を変えられ、イアンは混乱する。けれどロイは強引に話を続けた。
「俺からも、話があるんだ」
ルビーの瞳がイアンをじっと捉える。いやに真面目な雰囲気を出すロイに、イアンはますますわけがわからなくなった。
「え、ロイからも?」
「ああ」
しかしロイはそれ以上詳細を言わずに、メジャーをしまいにいってしまう。
(話って何だろう……)
イアンの疑問は消えない。しかしロイが詳しい部分を省いて、自分を振り回すのはいつものことだ。だからイアンは深く気にすることなく、帰る支度をしたのだった。
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