第25話

 イアンとオリヴァーが研​​究室を出ても、学長は個別研究室に残ったままだった。特に示し合わせたわけでは無かったが、お互い話したいことがあるということだろう。

 「学長、今年の聖闘技祭せいとうぎさいの話はお聞きになりましたか?」

 先に話し始めたのはロイだった。鞄から聖闘技祭せいとうぎさいの要項を取り出し、学長に渡す。

 「そうか、今年は聖闘技祭せいとうぎさいの年か」

 「はい。それで、今年はアッバスとの和平五〇周年を記念して、外務大臣ファイサル・サーイブが国賓としてきます。」

 「なるほど……じゃあ百獣の爪キングス・クローも来るだろうね」

 「ええ……もしくはすでに国内に潜伏している可能性も」

 百獣の爪キングス・クローはアッバスの特殊部隊のことだ。身体能力が高い肉食獣の獣人種で構成されており、アッバスを世界最強の軍事国家と言わしめている要因である。

 彼らなら研究室の魔法陣を破壊してもおかしくない。今日のような秘密工作も、得意とする分野だ。

 「それはどうだろう? 彼らの見た目はこの国では浮くだろうから」

 「しかしここ二ヶ月ほど侵入されている形跡は、百獣の爪キングス・クローの仕業を示唆しています。だとしたら、今度の聖闘技祭せいとうぎさいで何もないわけがない。俺は聖闘技祭せいとうぎさいの三日間とその前後の日。合わせて五日間だけでも研究室を閉鎖すべきかと」

 「たしかにね……」

 学長は迷いをみせるように、足を組む。研究室の閉鎖はそう簡単にできるものではない。余程の理由がないと、申請は通らないだろう。しかしロイは、侵入があるかもしれないとわかったうえで、研究員を働かせたくはなかった。

 「俺もノアに警備を強化してもらえないか掛け合ってみます。多分無理だとは思いますが……」

 「そうか……うん。わかった。君がそこまで言うなら、理事会に閉鎖の申請をしよう。教授以上の教員のみ入れるようにして、何かあったときは対応できるようにすればいいだろうしね」

 「ありがとうございます」

 最悪の事態は避けることができ、ロイはほっと胸を撫で下ろす。

 魔花まかは無くなってもまた育てればいいが、優秀な研究員はそうはいかない。学長もそのことは重々わかっているようで、閉鎖申請には前向きのようだった。

 「それじゃあロイ君の話の通り、研究室は閉鎖するとして……他には何かあるかな?」

 「あ、えっと、そのですね……」

 ロイは先ほど教授室でイアンと話した内容を思い出す。

 『もし俺が優勝できたら……ロイに聞いて欲しい話があるんだ』

 きっとイアンは、聖闘技祭せいとうぎさいが終わったら近衛騎士を辞めるだろう。でも、もしそうなったら……

 「イアンが研究に協力しなくなるかもしれません……」

 「ほう。それはまたどうして?」

 学長が足を組み直し、耳を傾ける。

 「イアンが聖闘技祭せいとうぎさいで優勝したら、近衛騎士を辞めるんです……でもそれは運命の番を探すためで……もしそうなったら、俺は……真実を話さなければならない」

 ロイはぐっと握る拳に力を入れる。

 元からイアンが本気で運命の番を探すなら、真実を話そうと決めていた。できれば教えたく無かったが、教えなければ、イアンは永遠と見つからない虚像を探すことになる。

 (いくら側にいたいからと言っても、そんな残酷なこと……俺には無理だ)

 剣でもなんでも、運命の番を忘れるほど、楽しいことが見つかればよかったのだ。もしくは心から好きだと思える相手が。しかし残念なことに、それは叶わなかった。

 「ふーん。でもロイ君がイアン君に真実を話したとして……何でイアン君が研究に協力しなくなるのかな?」

 学長は足を組み直し、真っ直ぐにロイを見る。その目は疑問に満ちていて、なぜ学長ほど頭のいい人がわからないのだろうと、ロイは思った。

 「え? だって俺はあいつに強姦未遂をしたことをずっと黙っていたんですよ? その上オメガに変えた可能性もある……それを知った上で協力する人間なんて、いないでしょう?」

 自分で言っておきながら、こいつはとんだ最低野郎だなと嫌悪する。早く正直に言えば、よかったのかもしれない。けれどイアンに拒絶される結果が変わらないなら、より長くそばにいたいと思ってしまったのだ。

 「たしかにロイ君から見ればそうかもしれない。君はイアン君を強姦しかけて、オメガに変えたきっかけだ……でも、他の視点はどうかな?」

 実験の新しい方法を提案するように、学長は言う。

 「他の視点ですか……?」

 「そう。たとえばそのとき一緒にいた君の執事とか。性転換の研究をしているオリヴァー君とか。彼らは君に、強姦未遂をした極悪人とか、オメガに変えた張本人とか言わないんじゃ無いかな」

 「それは……」

 たしかに二人は言わなかった。ジャックは「イアンさんの服は乱れていませんし、抵抗した形跡もありません。強姦はいささか言い過ぎかと……」と言い続けているし、オリヴァーに関しては「君が原因じゃないって、何度言えばいいんだよ〜!」と毎度訂正される。

 でも、いつもイアンの怯えた顔が脳裏にちらつき、自分を責めた。近衛騎士を辞めたいと言ったときも、自分がオメガに変えだからだろうか……と考える。

 「イアン君にだって、イアン君の視点がある。君だってイアン君のこと、なんでも知ってるわけじゃないでしょ?」

 「俺が知らない……イアンのこと……」

 つい最近あった出来事。イアンが語った夢の話。

 『ロイが外国に行きたいって言ってたから、目指してたんだ』

 たしかに、イアンのことを全て理解しているわけではない。自分にも気づかない一面が、イアンにはあった。

 「君が真実を話して、イアン君がどう思うかは私にもわからない。でもそれは君だって同じだ。だから今言えるのは、話すときは正直に。包み隠さず、誠心誠意伝えるのがいいってことかな」

 学長はロイに暖かな眼差しを向ける。そのときロイは初めて、真実を話してイアンに拒絶されるという確固たる未来を、少しだけ疑ってみた。

 「そう、ですね……はい。わかりました」

 誠心誠意伝える……。もしそれができれば、自分の犯した大罪を、イアンは許してくれるだろうか。

 可能性は限りなく低い。それでもロイは微かに見えた希望を、否定することはできなかった。





 「そういえば、学長は何か俺にお話でも?」

 いくつか雑談を交えつつ、聖闘技祭せいとうぎさいの件も、イアンのことも話し終わったところで、学長がなかなか本題を話し始めないので、ロイは自ら話題を振った。

 「うーん、今回の侵入に関係あるかと言われると微妙なんだけれど……」

 と悩みつつ学長の声が低くなる。

 「私の古い知人が二ヶ月前ほどから連絡が取れなくてね」

 「知人、ですか?」

 「そうなんだ。前まではネッサリアに住んでいたんだが、ガーテリアでの帰化を希望してね。二ヶ月ほど前にネッサリアを出国して宮廷直属の魔法陣作成技師になったはずなんだけど……所在を知らないかな? 私と同じハーフエルフなんだ」

 「ハーフエルフの魔法陣作成技師ですか……」

 魔法陣作成技師は、文字で魔素を操れるエルフの血が入っていないと、つけない役職だ。しかし宮廷には何人もの魔法陣作成技師がいる。一人のハーフエルフがいなくなったとしても、離宮に伝わるほどの噂はならないだろう。

 「すみません。俺のところには何も……今度探ってみます」

 「ああ。よろしく頼むよ」

 学長は話を終えたはずだが、椅子から立ち上がらない。まだ続きがあるのかと思い、「他に何か……?」とロイが言うと、学長は聖闘技祭せいとうぎさいの紙を持って

 「これは今日、研究室に持ち込んだかい?」

 と聞いた。

 「あ、はい。それが何か?」

 「いや、なんでもない。この紙、少し預かってもいいかな?」

 「はい。よろしければ学長に差し上げます」

 「ありがとう」

 そう言うと今度こそ学長は立ち上がって「じゃあ、私は先に失礼するね」と言ってから個別研究室から退出した。

 ロイは一人、散らかり放題の個別研究室を見渡す。全部の資料を確認するのに一体何時間かかるのか、想像もできなかった。

 「……でも、一人で考える時間ができたのはよかったか」

 『話すときは正直に。包み隠さず、誠心誠意伝えるのがいい』

 学長の優しい眼差しと、言葉が蘇る。

 「何をどうすれば、誠心誠意伝わるんだろうな……」

 散乱した紙を拾い、元の場所に戻す作業を繰り返す。同じ動作の繰り返しの中、自然とロイの思考は耽っていった。

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